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駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~

Depression of Chutsuma

 

こんにちは、かさまりです。

 

「子供だから、現地(英語圏)に行けば英語慣れるの早いでしょ。」

 

これ。多くの方が考えていることだと思いますが、そうでもないんです。

2012年9月にアメリカに来てから、ずっと悩んでいました。

これ、正解がないと思うのですが、ズバリ、タイトルの通り、当時2歳、現在4歳半のハルの語学教育です。

 

2歳から1年以上、英語アレルギーでした

最初の赴任先はバージニア州、レストン。

こちらは本当に日本人がいない!

レストンに日本語を教えてくれる公立の小学校があるのですが、

それでも街歩いててもほぼ日本人に出会うことはありません。

 

コンビニのお兄さんに聞いてみたら、

「うーん、インド人はたくさんみるけど日本人は見たことないな」

 

と言われるレベルで日本人いませんでした。

 

2歳のハル、来た当時の日本語はというと、全然話しませんでした。

こちらのいうことはほぼわかる、でも喋らない。ひいおばあちゃんにそろそろ病院で診てもらったほうがいいのでは?と心配されるレベルでした。

正確にいうと、一文字会話をしていました。

アンパンマン→「ア」

ばいきんまん→「ば」

アンパンマンの主題歌(そうだ、恐れないで、みんなのために、、、)

「そ・・お・・み・・・た・・・」

 

ウケることに意外とこれで親子ですと会話が成り立ってしまうんですよね。

 

そんな日本語レベルでした。

 

つまり、ちょうど日本語というものを認識し、理解し、自分で活用しようとしているレベル。

 

そんな中で英語だらけの世界に来たので、パニックになっていました。

まぁ、大人でも全然知らない言語の中にいきなり放り込まれたらびっくりしますよね。

 

ハルは幼いながらに論理的?頭で理解しないといけないタイプで、積み木は積むのが好きなタイプ。(ちなみに1歳半のリコは破壊専門です。)

 

言語の遅いのも、自分で納得できるレベルになるまでアウトプットしないからなのではないか、と親なのでいい風に解釈していますが、そんな性格なので、本人の中では、

「(え?ええ??)」

という感じだったのだと思います。

 

とにかく英語が嫌で、でも英語しかない。児童館に行っても英語しか聞こえてこない。

 

結果、ハルは児童館に行ってもおもちゃの家に一人で入ったきりでてこない。一緒に遊ぼうと入ってきた子たちを渾身の勢いで威嚇する。

せめて音楽だけでも、と児童館でやっていた音楽教室に行っても逃亡。

私が英語で他のお母さんたちと話しているとワーワー泣きわめき、そのお母さんたちから引き離そうと引っ張る。

 

私まで友達ができなくて本当にノイローゼになりそうでした。

 

それを救ってくれたのは日本人とドイツ人のハーフのママで、

見た目が日本人、しかも日本語が少し話せる、ということでハルもなつき、

ぎりぎりレストンのコミュニティに入っていけましたが。

 

 

無理やり英語の世界?それとも日本語の世界?

この壁は、幼児を抱えたどのお母さんも悩んでいたように思います。

無理やり英語の世界にどっぷりにするのか、そんなに嫌ならばと日本語に向かうのか。

バージニアもワシントンDCが近いこともあり、日本語の幼稚園もありました。

そちらに通っているお母さんたちの話も聞いたりしました。

 

悩んだ末、バージニアでは、『外では英語、家では日本語』としていました。

ニューヨークに来た今も、基本的にはその方針は変えていません。

 

やはり小さいとはいえ、立派な人格のある一人の人間です。

ハルの性格上、どこかで気が抜けるポイントを作ってあげたい、

そう思って家では日本語としています。

 

 

こだわった幼稚園選び

その代わり、幼稚園は朝の9時から15時まで、一人も日本人のいない(英語だけの)環境です。

実は幼稚園は本当に探しに探しました。

バージニアでは7件、ニューヨークではなんと11件見に行きました。

 

最初のバージニアでの幼稚園はモンテッソーリ。お兄さんやお姉さんがいる異年齢教育がハルにはいいかな、と思ったからです。

実際に3歳当時、最も仲よかったのは5歳の男の子。とてもよく面倒を見てくれて、楽しく通ってくれていました。

 

ニューヨークでは予算や雰囲気がハマると思えるモンテッソーリがなかったので、こだわったのは

・ここでもやはり日本人がいないこと、

・そして広い園庭があって、

・外での遊び時間が長いこと。

 

ニューヨークに引っ越して来た時のハルの英語レベルは、なんとかギリギリ先生の指示はわかる程度。たまに先生の指示の真似はしますが、自分の感情を自由に表現できるなんてまだまだでした。(今もなのですが、それはまた後編で!)

 

ですので、直感的に必要だと思ったのが、外遊び。外で走り回る分にはまだ4歳、特に男の子なので言葉はあまり要らないかなと。

 

バージニアからニューヨークに移っていくつか幼稚園を見学する中でびっくりしたのが、『園庭の狭さ』でした。

遊具がきちんとある幼稚園はまずとても少なく、それどころか、50人以上の幼稚園児がいるのに園庭が10人も入ったらいっぱいになるようなサイズのところばかり。走り回るところもない、というところがとても多かったのです。

やはりニューヨーク、土地が田舎といえどバージニアより高いし、狭いんですね。

 

もう一点、こだわったのはとにかく毎日、なるべく長く通うことができること。

家で英語を使う習慣がない分、幼稚園にいる時間を長くすることで、慣れさせたいと思ったのです。

 

結果的に、今の幼稚園にして本当に良かったと思います。

先生自身も移民だったことから、言葉の壁があることに対してとても理解がある。そして思いっきり外遊びをさせてくれる。

外遊びがあれば、やはり言葉はいらないようで、男の子たちでワイワイと遊んでいます。

 

さすが移民の国、お母さんたちも子供たちが純粋に

「なんでハルは英語話せないの?」

 

と聞いてくるようなのですが、

 

「ハルは日本という国から来たのよ。今勉強している最中なの。

わからなかったら助けてあげてね。」

 

と言ってくれていて、男の子たちも理解をして一緒に遊んでくれたり、

日本語をハルから習ったりしてくれています。

 

幼稚園が大好きで、毎日とても楽しく通っていて、私も見ていてホッとしています。

 

しかし!!!

 

問題はここから。

そんなこんなで、ものすごい英語アレルギーからは脱したものの、アメリカに来て早2年半。幼稚園に通いだしてから1年半。

まだハル、ぜんっぜん英語を話さないのです。

指示は理解できていて、先生からの問いに対して答える「イエス、ノー」はあっている。

単語も言える。(数字や色、動物など)

でも、如何せん文章として話せないのです。

 

まだ、何かハルの中で英語がピンと来ていない、そんな感覚なんです。

 

 

ある日、ポツンとハルに言われた忘れられない一言

ハルは毎日楽しそうに幼稚園に通っていて、現地の親友も二人います。

とても楽しそうな一方で、放課後残って一緒に遊んでいても、

英語でのコミュニケーションは全くできません。

‘This Haru’ ‘And Haru’ ‘No’ ‘Yes’

これだけで会話をしているのです。

 

すごいなーそれだけで会話できてー不便じゃないのかな?

 

となんとなーく思っていましたが、

元来「まいっか」とすぐに思ってしまう私は、

そこで思考が止まっていました。

 

ところが、ある休日の朝。

起きて来たハルが寝ぼけながらポツンと言ったのです。

「ねぇ、ぼくはどうして英語が話せないの?」

 

もう、衝撃的でした!!

 

頭をガーーンと殴られる感じ、というのはこういうことなのでしょう。

泣きながら、とか、そういうのではなく、

寝ぼけながらポツンと言われたのが尚更に切なくて、、、

 

今思い出してもまた悲しくなる一言でした。

 

ごめんね、私がもっとちゃんと心を鬼にして早い段階で

英語を教えてあげていれば・・・

なんで徐々に馴染むようにもっと上手くできなかったんだろう。

英語教育について、手を抜きすぎていたのではないか。

 

そんな考えがぐるぐると回っていました。

 

周りのママ友は家庭教師をつけたり、公文に行かせたりしていて、

でも、私はどうしよう?

 

もうすごくショックだったのに、なかなか行動に移せませんでした。

毎日6時間も英語の環境においていて、これ以上なにができるのか、わからなかったし、

毎日わからない中で頑張っているハルに家でも英語を使え!としたくない。

かと言って私が英語が話せるのにどこかに通わせるなんて、なんかサボっているみたいで

主人にも反対されそう。

 

でも一番の理由。ズバリお金。

 

もちろん生活に足るお金は会社からもらっているものの、

残りのお金をどう使うのか。

 

うちのそれまでの方針は、

『みんなで思い出を作るために使う』

 

ですので、ハル一人のために使うという発想が主人にも、そして私にもどうしてもピンとこなかったのです。

主人とも喧嘩になる、というか相手にもされず、一人モヤモヤするだけだと思っていたので、相談もできませんでした。

 

あー私にお金があれば!!!

 

ずっとモヤモヤしていました。特に周りの人たちはなにかしら通わせている。それなのにうちは何もやっていない、やれない。

 

ハルの一言から、ずっと頭の片隅から離れませんでした。

でも。でも。でも。

そんなモヤモヤを抱えて日々を過ごしていました。

 

でも、先日、やっと事態が動きだしました。

 

 

長くなって来たので、

どんな補助教育をすることにしたのか、続きは中編・後編でお伝えしたいと思います。

 

全3回 – 駐妻の憂鬱 英語アレルギーシリーズ

  1. 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~
  1. 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編) 英語教育はどうする?~
  1. 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編) 日本語教育はどうする?~

 

駐妻の憂鬱 シリーズ一覧はこちらから。

シリーズ一覧:駐妻の憂鬱

 

First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように!

今回もお読みいただきどうもありがとうございました。

 

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