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こんにちは、かさまりです。 我ながら超大胆なことをしたな、と思いますが、 タイトルの通り、 1歳の娘リコと4歳の息子ハルをダンナさんに預けて、2泊3日で西海岸のサンフランシスコへ行ってきました! ニューヨークからサンフランシスコまでは飛行機で約6時間。 しかも、ダンナさんは下の娘、リコが生まれてから、子供2人をひとりで預かったことはありません。 それがいきなり2泊3日! 私がそこまでして行きたかった理由は、 どうしても会いたい人が日本からサンフランシスコに来るから。 ということで、勢いに任せて飛行機の切符を取ったものの、 決行の日にちが近づくに連れて不安でたまらなくなり、 色々なことが手につかないほどでした。 それでも、どうしても会いたかった私の尊敬してやまない方々。 便利な時代になったもので、実際にお会いしたことがなくてもいつでもチャットやスカイプ、その他の方法で連絡を取り合うことはできます。 それでも、やはり実際に会って話してみたかった! 結論から言います。大丈夫でした! もうそれはそれは心配した、ダンナさんと子供たちだけの3日間の生活。。。 この日のために、実はリコの断乳を決行しました。 私以外の人と寝ることができるようにしておくためには、パイなしでも寝付けることができるように。 そしてたくさんご飯が食べられるようにしておいてあげること。 これが私のミッションだと思いました。 ちょうど私も正直、授乳の毎日に疲れきっていたので、神様がくれたタイミングだったのだと思います。 周りからはリコは大丈夫か?という心配のお声をいただいていたのですが、私は実は上の息子、ハルの方が心配でした。 リコは1歳ながらにかなり自立しており、自己主張もしっかりとできるタイプ。 ですので、ママがいなかったらいないで、パパにやりたいことや食べたいものをしっかりと主張することだろう、と思っていたのです。 一方で、4歳のハルはかなり根が優しいタイプ。 やんちゃですが、慎重派でとにかく安定、平和志向。 日常と違うことが起こるのを最も嫌います。 ですので、ハルには 超楽しみにしていたおもちゃを(私がいない間に)パパと一緒に開けること、 そして1ヶ月前からママは3日間いないけど必ず帰る、 と伝えていました。 結果、ダンナさんも二人の子供も、私がいない3人だけの時間を楽しんでくれたようです。 リコは帰ってきた後にようやく異変に気付いた感じでママストーカーにしばらくなりましたが、 私がサンフランシスコにいる間はパパっ子に、 ハルは最初は泣いたものの、帰ってきたらパパと過ごして楽しかった! と言っていました。 事前準備は? さて、断乳という大きな準備以外にしたことを書いておこうと思います。 リコとハルの好きなお菓子を準備する パパが買い物に出なくてもいいように買い物を済ませておく 夜ご飯用のカレーの仕込み お出かけ用のリュックの完備 早朝のフライトにして、子供たちが寝ている間に出発 パパに食べ物に関するメモ、緊急連絡先のメモ、いない間に行われるイベントやしておかないといけないことのメモを冷蔵庫の見えるところに貼っておく 洗濯物は済ませておく ざっと羅列してみましたが、こんなことをしてみました。 ママにとっては当たり前のことでも、初めて子供と過ごすダンナさんにとってはどれも未知、 そしてやってみるとめんどくさかったり、どこに何があるのか理解できなかったり。 それでイラつきそうなことを事前に潰しておくイメージで準備しました。笑 まずは買い物。 私ですら、毎回リコとハルを連れての買い物は一苦労です。 なので、食材は行く前日に、想定されるご飯を考えながら多めに調達。 そしてカレーであればチーズをかけたり、うどんにしたり、少しオーブンで焼けばカレードリアにしたり・・・とバリエーションができるので、前日に多めに用意しました。 本当はママ友のお勧めでお好み焼きを冷凍しておこうと思ったのですが、時間切れ。 材料のありかだけ伝えておきました。 加えて、ダンナさん1人で子供2人を連れてマンハッタンまで電車で行く、という用事がありました。 いまビザの更新のための準備中なのですが、息子ハルのパスポートが切れかけていたため、先週慌てて領事館に更新申請に行きました。 が、パスポートの受け取りの際はなんと本人(ハル)も行く必要がある。 次の週にはダンナさんが出張でいないので、どうしても私がいないその日(平日の金曜日)に取りに行かないといけなかったのです。 そこで、40分の電車旅を耐えられるようにおやつと飲み物の準備、そしてオムツやらお着替えやらをすべてお出かけ用のリュックに入れておきました。 最後に、フライトは子供達が起きる前に家を出なくていけないものにしました。 これは、より長くサンフランシスコに居たかったから、というのもあるのですが、 なるべく子供たちのショックを和らげるためにもそうしました。 やはり、別れというのは子供にとって辛いもの。 でも予告して朝いないというのは意外と受け入れられるのでは?ということでそうしました。 あと、病院情報や保険証なども用意して、これで何がおきても平気。 ダンナさんには 「そこまでいらなくね?何もおきないよ」 と言われましたが、用心には用心を重ねて。 実際に3日間子供達と1人で過ごしてみて、こういう準備こそ必要だ、 ということを何もなかったものの感じてくれたようです。 さて、実際の3日間はどうだったか? 結論をもう書いたので、お分かりかと思うのですが、 まぁ、大丈夫でした笑 ハルは心配していた通り、朝ニューヨークの空港に着くなりさっそくFacetimeがかかってきて、泣きまくっている顔が大写しになりましたが、 「ほら、もうおもちゃ開けていいんだよ!」 というとしばらくして落ち着いて、 隠しておいたおもちゃをダンナさんと探しに行き、気持ちをうまく切り替えてくれたようです。 探さなくちゃ!というふうにしておいたのも良かった! リコに至っては、特に何もなく、ご機嫌に起きてご機嫌にご飯を食べ、 みんなでパスポート受け取りに出かけたようです。 出かけている間、ママがいないので、兄妹の仲がいい! 当日30度近くあったのに長袖を着せたのはご愛嬌、電車が寒かったということで。。。 (次回は着替えも用意して行きます・・・) 寝るときも3人で寄り添って寝て、むしろダンナさんは普段ママに子供達が寄っていってしまう分、ラブラブに過ごせて楽しかったようです。 私はというと・・・ さて、私は。。。 アメリカに来てからこのかた、ほとんどなかった一人時間を満喫しました。 会いたかった方達と何をしたか、というのはまた後日まとめますが、 子供たちがいないフライトのなんと短いこと! やりたかった作業を一気にやれて、本もゆっくり読めて。 ハードカバーの本なんて、どれくらいぶりに読んだことでしょう。 そしてご飯が美味しい! こんなにゆっくり食べられたのはいつぶりでしょうか。 普段はもはやご飯が楽しめず、ただでさえ高いアメリカの外食は究極的にコスパが悪く感じられるので、ほとんどテイクアウトなのですが、ゆっくりとご飯を食べるとこんなに美味しいんだ~~~と。 そしてホテルでも誰にも邪魔されずに熟睡できる!10時過ぎに寝て、 「あーよく寝た!」と起きたらまだ朝の2時でした笑 せっかくもらったこの機会を満喫、使い切らないともったいない、という気持ちで使いました。 ひとり旅のビフォーアフター 今回、我が家にとって大きな挑戦となった、ママ不在の3日間。 ダンナさんは少しは主婦の大変さがわかってくれたようです。 主婦は本当に評価されない仕事。 でも、仕事なのです。 むしろ、お金をもらう仕事よりも代わりがいないし、お金という評価がない分、私は大変に感じます。 仕事というのは、誰に言われなくても雇われている、やるということになっている以上、やらなくてはいけないことだと、解釈しています。 主婦の家事や育児もそうですよね。 自分がやらなくては回らない、基本はそういうものです。 一方で、全部自分でやってみないと、主婦の仕事がどのようなものか、なかなか理解できないものでもあると思うのです。 実際に、私は今自分の母に土下座して謝りたいと思いますが、子供だった当時は 「家にいるのに、何が大変なの??」 と思っていました。 当事者になってみないとわからないものです。 ダンナさん曰く、 「子供たちは思ったよりもいい子達で大変ではなかったけど、食事を必ず3食作ったり、着替えさせて、オムツを替えて。そういうルーティンが大変なんだな」 と。 そうなんですよ!!!! 今までダンナさんは飲んだビールの缶はそのまま、食べたら食べっぱなし、 先に寝てしまう私が起きてテーブルの上のものを片付けるのが当たり前でした。 ダンナさんにとっては 「たかだか、一手間だろう」 という気持ちだったかと思うのですが、 その一手間がいくつも主婦をしているとあるのだ、そこに気づいてくれたようです。 私も自分が母にお世話になっていた時には気づきませんでした。 ごめんなさい、お母さん! そこに気がついてくれただけでも大進歩! そして子供たちはというと。 ハルは変わらずにいい子ですが、ママはいなくなっても帰ってくる、そこの信頼感が増した気がします。 リコのリコを産む時に入院したのがとても印象が強いらしく、その時ももちろん退院したのですが、ママは一回いなくなると帰ってこないかもしれない、という漠然とした不安を持っていたようなのですが、そこがなくなったようです。 リコは、少し聞き分けが良くなり、主張のバリエーションが増えました。 今まで服を家でなかなか着てくれなかったのですが、着てくれるように笑 そして帰ってきたらうなづけるようになっていました! 可愛すぎて何回も質問してしまいます。 そして、何よりダンナさんと子供たちの仲が明らかに良くなりました。 信頼関係が深まったような、そんな感じがします。 やるまでは不安、でもやってみたら不安はただの不安だった 今回、本当に今までまったく預けたことのないところからの2泊3日だったので、最初にも書いたように不安で不安でたまりませんでした。 でも、やってみたらなんてことはなかった。 むしろ、私はリフレッシュできてまた子供たちと一生懸命向き合おうと思えたし、 ちょっと寄ってきすぎて疲れるなぁと思っていたのも、 また愛おしく思えるようになりました。 何よりも、 預けても大丈夫なのだ! と思えるようになったことは、大きな進歩ですし、安心です。 アメリカにいると、やはり親族がいないので、いざ!という時にどうしようという不安が常につきまといます。 ダンナさんはもちろんいるのですが、今までいかんせんやったことがないのでなんとなく不安。 同じ親なので、大変失礼な気持ちではあるのですが、どうしてもそう思ってしまうところがあるのです。 でも、これでもう大丈夫。 自分が万が一入院とかしても頼る先がある、これはとても大きなことです。 現地、アメリカ人のママ友に前から 「パパと子供たちだけで過ごさせるのがいいよ!なんでやらないの、絶対にやるべき!!」 と何度も言われていました。 でもなんとなくできないんじゃないか、そう言ってやってこなかったんです。 でもやっていたらなんてことはなかった。むしろ、この新しい挑戦は我が家の人間関係も少し良くしてくれる、そんなものになりました。 日本人のママたちに話すと、みんな一様に 「エーーーー!(だいじょうぶなの??)」 という驚きの反応だった、今回の挑戦。 それだけ日本人の私たち、主婦である私たちにとってはかなり難しいことである、できないという思い込みのあることだったと思います。 おうちに少し変化が欲しいというママ。 子供に優しくできない、ダンナさんが全然理解がなくて悩んでる。 自分時間、欲しいヨォォォォと思っているママ。 是非とも、えいやっとやってみてください! 事前準備をちゃんとしさえすれば、大丈夫なはずです♪ きっとみんなにとって新鮮な経験が得られますよ♪ 駐妻の憂鬱、記事一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 最近、ちょっといらっとしていることがあります。 自分のしていることを話すと、周りに 「かさまり起業しちゃいなよ~」 と言われるのです。 いったいなんなんでしょうね、起業って。 起業っていう、肩に力が入った感じがイヤ 起業という言葉を見ると、意味は、 「生業を起こすこと、新しく事業を始めること」 生業っていう言葉を見ると、意味は 「生計を立てるための職業」 ふむ。 どうもピンとこないんですよ。 確かに、会社に属することなく、自分で月70万円稼いでいます。 お金の収支管理もしている。(正確にはガサツな性格なのでダンナさんがほぼやってくれている) そして、スタッフさんに色々お願いしながら仕事をしています。 でも、もともと 「よし起業してやるぜ!!やったるぜ!!!」 と思って始めたわけでは全くないし、 この自分で稼いでいる状況になったからといって、 「起業しようかな」 とか 「起業してるな」 とか思うこともなくて、ただただ家で働いている、お金を稼いでいる、それだけです。 社会のルールとして、開業届などは出さないといけないので、 世間としては「起業した」ということになるのでしょうが、 なーんかそう言われるととても違和感があるのです。 なぜかって、自分では一生懸命、自分がしたい生活をするために頑張っているだけだから。 お金を稼ぐというのに、自分も他人もあるのか? いつも言われるたびにくすぐったい気分になるので、 ちょっとその正体について考えてみることにしました。 自分が一番違和感を感じるポイント、それは、 「お金を稼ぐのに、自分も他人もあるのか。」 そのことなのかもしれません。 確かに会社に勤めて一定のお給料をもらうというのと、 自分で何かビジネスをやって、自分で成果を作っていくというのは、 お金のもらう方法は違うかもしれません。 でも、 「自分の何かを売って、お金にしている」 という点では、変わらないと思うのです。 勤めている人は自分の時間と、身体的にいるべき場所を売って、一定のお金を稼いでいる。 私は、稼ぐために自分のできる時間と睡眠を売って、それで稼げるお金を稼いでいる。 どちらもサボったらお金は稼げないのです。 ダンナさんは現状、自分の朝から晩までの時間を会社に売って、会社のために働いて、その対価としてお金をもらっている。 私は、自分の睡眠時間と思考を売って、その対価としてお金をもらっている。 私にとって、起業云々はどうでもよくて、 自分の何を売って、お金を稼いでいるか、 そこをみているから、ちょっと興奮気味に、 「かさまり、それって起業してるってことじゃない?」 「起業しちゃいなよ~」 と言われると正直、痒いのです。 なぜお金を稼ぐのか?大事なものは何? 自宅で子供がいながらにして稼ぐ、このことについて、夢と目標を与えてくれた師匠が私にはいます。 自分よりも年下なのですが、敬愛してやまない、もう大大大好きな方なのですが、師匠に勧めたもらって 読んだ本があって、自分で稼いで目標を叶えよう、と強く決意させてくれました。 それがこちら、「世界一ふざけた夢の叶え方」 アメリカにいて、現地のママ友と話していてそれはもう毎日目から鱗が落ちまくっているのですが、 その中でも大きかったのは、この本の中でも語られている、 「どう生きたいかファーストな考え方」 どんなライフスタイルをしたいのか? どういった1年を過ごしたいのか? どうなったら一番ハッピーに過ごせるのか? 自分にとって大事なことは何か? 日本人は、本当に真面目! 真面目で忠誠心が強いから、仕事が生活の全て。 ダンナさんのアメリカの先輩でとても素敵な、業績をあげまくっている女性がいるのですが、 その方に言われたのはこんなこと。 「日本人のQuality Of Lifeへの意識は低すぎる!なんのために生きているのか? 私はとても楽しんで仕事をしているけれど、たまに苦しくなる。そんな時、ちょっとサボったら クビになるか、考えてみるけれど、大丈夫だから、そんな日はオフをとって好きなことするのよ。 でも日本人はそうじゃないわよね。単身赴任で家族との時間を犠牲にするなんて、最たる事例だわ。 なぜなの?」 考えてみたら、これに納得のいく答えはありません。 大体の人がいうのは、、、 「会社に言われたから。」 以上です。 我が家はそんな中でもけっこう日本人にしては破天荒で、単身で出張を命じられた最初の1年も勝手にくっついてきてしまったり 挙げ句の果てには妊娠して、現地ローカルの保険にも入っていなくてワタワタしましたが、 それでも私はついてきてかけがえのない時間を息子やダンナさんと過ごし、娘も生まれて大親友と呼べる友人もできました。 (ちなみに妊娠後でも保険は入れたので、保険に加入して娘は無事出産しました。笑) 夢?目標?専業主婦は持ってはいけないのか? 実は、小さい頃にアメリカに住んでいた私は、アメリカから帰国した後に産まれた妹がいたので、 決して留学は許されませんでした。 「あなたはもう経験したんだから、いくなら妹よ」 と。 でも自分自身の半分ルーツでもあるアメリカ。 絶対に戻ってきたかった。 「戻りたい戻りたい」 そう願っていたら、実現しました。 しかも、自分が昔住んでいた、メリーランド州のすぐお隣のバージニア、そしてなんとそのあとはニューヨークに! 祈願通天と私は呼んでいるのですが、強く強く願えば、そしてそれに向けて行動すれば、 自分の人生の舵は自分で切れるのです。 なんとなく自分で思っていたことではあったのですが、 この本にはもっと引き寄せるために何をしたらいいか、書いてありました。 私が特に影響を受けたのは、 「自分がなりたい未来を考えて、それが実現したと仮定していま乾杯しよう!」 「何が起きてもついてる!って思おう」 「ついてる!ついてる!」 という点。 自分の未来を思い描くこと、それも自由に! これって意外と難しいんですよね。 「あ、でもこれは無理かも。これも実現不可能だよね・・・」 みたいにすぐ思ってしまいがちなんです。 でも、そういうのは取っ払って考えるんです。 超ハッピーな、自分のなりたい未来を考えるのはタダ!お金かかりません。 やって失うものは妄想なんで、ないんです。 私は住みたい場所と、住みたい家を考えました。 季節のいい時は、ニューヨークで。 他の時期は西海岸のあったかいところで、海が見えるお家で、 子供達が海やプールで遊んでいるのをのんびり眺める。 パソコンを持って、気持ちものんびりしながら仕事をする。 外に置いてあるソファーに座ってバーベキューしながら、美味しいビールとワインを飲む。 あー今日も楽しかった!そう思いながら寝る。 そんなことできるわけないじゃん! そう思いましたか? 今はできないかもしれません。 でもできないと決めつけたら、それこそそこで試合終了です。 「セカフザ」を読んでから、私はこんな目標を、バカかもしれませんが、本気で立てました。 でも、私には子供も、ダンナさんもいる。 私一人では叶えられません。 なので、2ヶ月かけてダンナさんにも読んでもらいました。 バカですが、本気で立てた目標なので、普段私が薦める本なんて絶対に読まないダンナさんにも どうしても読んでもらって、同じ夢、目標を持って、未来乾杯しないとダメ! そう思って粘り強く説得しました。 もうダメかなーあーあと思っていた、2ヶ月がたったある日。 仕事から帰宅したダンナさんが言いました。 「乾杯しよう!」 と!! 今、私が思い描いていた夢・目標はいまは夫婦の目標です。 アホだと思いますか? 多分、アホだと思います。笑 でもアホでもなんでも、夢をこうやって描くのはタダ! 睡眠時間がなくなって苦しくなった時、 お問い合わせでどうしようもないことが起きた時、 この夢をはっきり頭に思い浮かべるんです。 そうしたら頑張れる。 そして具体的に何をしたらいいのか、考えられるのです。 今の私の場合、駐在ですので、まずはそれを打破すること、つまり 「いつ日本に帰るのか」をビクビクしなくていい生活を手に入れること。 そのためにはダンナさんにももっと選択肢があるようにしていかなくてはいけない。 そうすると私もこれくらい稼げていると、自由度が増す。 ではそれを稼ぐためにはどうしたらいいのか・・・? そんなことを考えるのです。 これって、話を戻すと起業がどうのこうのっていう話ではないんですよね。 自分がどうしたいのか。家族でどうしたいのか。 もうこれに尽きるのです。 夢を見るのは、妄想するのはただ!でもでも、というのをぜーんぶ取り除いて、 一度自由にどうやって暮らしたいのか、どうしたら最高にハッピーなのか、 考えてみるのはいかがでしょうか? 私は住みたいお家を絵心は全然ないのですが、設計図を書いて、最高に幸せな気分になりました笑 あーあの思い描いたお家に住みたい! さ、そのためにも頑張ります! セカフザ、もしこの記事をお読みの方でご興味があればぜひ読んでみてください。 世界一ふざけた夢の叶え方 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 前回『1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱』では、 1歳10ヶ月のリコと、どうやって断乳したのか? そしてその後の親子関係はどうなったのか、 についてお伝えしました。 結果的にもう私たちのタイミングだったんだなーと、ハッピー断乳ができたと思っています。 (現在断乳してからちょうど1週間、娘は特にパイを欲しがることはありません。) 今回は、 「じゃあ断乳後のケア(処理)ってどうしたの?」 というお話です。 これは私が自分なりに痛みと戦いながら調べまくってとったセルフケア方法ですので、 正直これが正しいのかどうか、わかりません。 ただ、10日経った今はもうすっかり痛みはなく、母乳も絞ればちょろっと出ますが、母乳が張ることはありません。 専門家でない私がこのような情報を出すのはどうかな、とも考えたのですが、 私も本当に苦しんだので、いつかどなたかの参考になれば! という想いで今回は書かせていただきます。 アメリカでの断乳後のケア方法 リコと私はほぼいきなり断乳をしたのは前回書いた通り。 ですが、私のパイは1年10ヶ月経ってもまだまだ出るパイでした。 現在4歳半のハルの時から、実は私はかなり母乳の分泌量が多いパイでした。 シャワーのように出てしまって、母乳パッドは欠かせない、 そして最初は少し搾乳してあげないとむせてしまうくらいの量で、 それはそれで苦労しました。 (アメリカにも母乳パッドは売っていますので、同じ悩みがある方、ご心配なく! ちなみに電動搾乳機もあります。 州によっては保険会社がくれたりするので、是非とも保険会社の規約を見るか、聞いて見ましょう。 私も最新の電動搾乳機をバージニア州で無料でもらいました! しかも5個くらいから選べるというとても良いシステムでした♪) 母乳パッドはこちら 保険会社から頂いた電動搾乳機はこちら 電動搾乳機は強すぎてよろしくない、という話もありますが、 これは強さを自分で調整できて私はよかったです。 (乳腺炎の時や、新生児の時にあげる前に圧を抜いてあげるために使っていました。) 話が逸れました。 そんなかなり分泌量が多い母乳だったので、恐怖だったのは断乳後のパイ。 しかもいきなり断乳することにしたので、徐々に減らして分泌量を減らして・・・という手段もとりませんでした。 日本では桶谷式や、産院でケアを受けることができるかと思いますが、 アメリカではどんなに調べても何も出てきませんでした。 ママ友に聞いても、みんな全く覚えていない、というようなコメント! なぜ! むしろ8ヶ月とか、早い段階でやめているから、もっと母乳量が多い時期にやめたはずなのに、みんな覚えていないというのです。 しつこく掘り下げて聞いてみたところ、 ・普段から搾乳機、そしてミルクの併用していた ・やめると決めても搾乳機を使ってしばらく搾乳を継続、その期間を徐々に長くする ということをやるようです。 自分である意味コントロールしていくということですね。 だからこそ、保険会社で配るくらい、搾乳機はアメリカに住むママたちにとっては欠かせない存在、ということなのかもしれません。 では、私はどうした?? 先ほども書いたように、私とリコは突然やめることに決めました。 リコにとってはそれが受け入れやすいやり方だったのかな、 そして私の精神的にも受け入れやすかったな、と思うのですが、 このやり方を受け入れられなかったもの・・・それは私のパイ! やめるその日の午前中まで、リコは好きな時に服をめくって飲んでいました。 それこそ家の中でも外でも。 抱っこ紐のエルゴは便利で、フードさえすれば、外でも授乳ができます。 これまで1度もあげていると気づかれたことはないです。 飲みたい時に飲ませていたので、回数は数えてませんが、夜寝ている間も含めて10回くらいは飲んでいたでしょうか。 そんなリコがよくすんなりやめられたね、とみんなにびっくりされますが、 一番びっくりしたのはきっと私のパイでしょう。 今までフル稼働だったのに、突然の業務停止。 でもミルクラインは止まらない! というわけで、当日の夜からガッチガチのおいわさんになりました。 絆創膏にはうっすらシミができるほど少しずつ漏れ流程、パンパン。 そして、肩から脇にかけて全部痛く、触られるだけで叫び声を上げてしまうほどの激痛でした・・・。 痛すぎて思わず 「ニューヨーク 桶谷式」 と検索をかけたほど。 でも見つからないので、とにかくなんとかセルフケアをするしかありません。 とはいえ、リコに気づかれないようにケアをするのは至難の技。 キャベツ湿布がいい、などと言いますが、そんなものを作る余裕も、 貼っておく余裕もありません。 応急処置として私が行なったのは、手を冷水で冷やし、それをパイに当てる。 まずはこれを繰り返しました。 そうするとだいぶ痛みは一時しのぎではありますが、軽減されました。 そして、目からウロコ、あんまりにイタイイタイ言っていたら、 現地のママから一言。 「鎮痛剤飲めばいいじゃない」 その手があったかーーーー! 確かに授乳していないので別に飲めばいいんですよ。 というわけで、市販のタイレノールという鎮痛剤を飲みました。 これでだいぶ楽になりました。 もし苦しんでいる方がいるなら、もう遠慮なく飲みましょう。 残った母乳との戦い 痛みは鎮痛剤でなんとかなりましたが、とはいえガチガチおいわさんが 治ったわけではありません。 おまけに、鎮痛剤があっても、やはり触られたり上に乗られると息を飲んでしまうほどの痛み。 そして古い母乳=血がどんどんパイに溜まるので重たくてだるいのです。 でも、出産直後から母乳と戦ってきたみなさんならわかるでしょう。 そうです、母乳は出せばまた作られてしまうのです。 ですので、作られないようにするためには、出さないようにしなくてはならない。 それでも、矛盾することを言うようですが、溜めすぎてしまうと乳腺が詰まって下手すると乳腺炎、つまり高熱を出すことになります。 さらにはこの後この古い母乳を排出しなくてはいけないので、それはそれでものすごい痛みを伴います。 私はとてもよく出る母乳でしたので、多分乳腺炎一歩手前まできていました。 パイは熱を持っていましたし、触るだけで痛い、これって乳腺炎の症状ですよね。 私はあんまりに痛みがひどい時は洗面所やシャワーで少しだけ圧抜きをしました。特に元気な太い乳腺が痛みを伴っていたので、そこを集中的にケアしました。 ケアの方法は、 少しだけ乳輪付近を刺激して、母乳が出るようにする。 乳房全体を両手で包み込み、おにぎりを握る要領で手の平全体で押す(そうすると溜まりきっているぶんが出ます) 痛みが強い部分の乳腺を意識して、手の平全体を使って入林に向かってマッサージをする。外から内側に向かって手の平全てで押すイメージです。 と言う方法を、時間でいうと両方で5分ずつくらい、最初の3日は行いました。 そして色々と調べてみると、断乳3日目に一度全て排出してオッケーとのことだったので、 上記の要領で少しずつ、30分くらいかけてシャワーの中で排出しました。 リコに見つかりたくなかったので、早朝、みんなが寝静まっている時に一人でシャワーを浴びながら実行しました。 最初は乳腺炎の時に出てくる、どろっとしたものが、そして徐々に半透明の見慣れた母乳が出てきました。 あーでもこれはもう古い母乳なんだな、というかもはや白い血だな、と実感したのは、出てきた母乳の冷たさを感じたとき。 今までリコが飲んでいたときは体温ほどの暖かさのある、ぬくもり溢れる母乳だったのが、今出てきているものはとても冷たくて、ついでにパイも冷たい。 それを感じた時に、あーもうこれでリコが飲むことはないんだな、と少しだけ感傷に浸りました。 でも、それ以上にこの古い母乳を出してスッキリしたこと!!! 4日目以降、1週間まではまた圧抜き、1週間後にまた排出して、 だいたい終了しました。 2週間経った今、残ったのはしょぼくれたパイと、かぶれてしまった絆創膏跡です。 痛みはずっとは続かない!! 最初の3日、痛すぎてやっぱりあげたい、と思うことも正直何度かありました。 それくらい痛くて痛くてもうパイのこと以外何も考えられないくらい、辛かったです。 でも、最初の3日を耐えたら、大丈夫。痛みは引きます。 その3日間は乳腺炎と同じなので、なるべく脂っこいものは食べないこと、そして水分も摂りすぎないこと。 でも、その3日が終われば、お酒がフリーダムに飲める! これ、パイで出てきちゃうかな、とか、乳腺炎になっちゃうかな、と考えなくて済む! そして何よりも新しい子供との関係が待ってる! そう思ってどうか頑張ってください! 私ももし万が一、3人目ができて、同じく断乳する時には、この記事を自分自身で読み返そうと思います。 それくらい、この3日間は終わりがない気がすると思いますが、終わりますので! 10日経って、精神的な変化 さて、この10日間、やはり身体にとっても大きな変化だったのではないかと思います。 専門家ではないので、正確なことはわかりませんが、多分ホルモンバランスが変わったのではないかなーと思います。 私は実はまだ生理が戻ってきていないのですが、やめてからすぐに腰の痛み、重みがありました。 そして生理前の憂鬱な気分、ネガティブな気持ち、そういうものがありました。 でも、それもこれも今まで血を母乳に変えてくれていた体が、元に戻るためのもの。 そうやって自分の体、お疲れ様、という気持ちで過ごすことでやり過ごしています。(まだ少し現在進行形です) そして何よりファッションが!!全然違う!! しょぼくれパイになったので、今まで来ていた服に猛烈な違和感を覚えています笑 でも、ここまで約5年もの間、役割を果たしてくれたパイ。 何はともあれ、お疲れ様。と言ってあげたいです。 何より、夜しっかり寝るようになったリコ、そして母乳を排出しない分、体力に余力が残るようになったので、この少しネガティブ期を抜けたら、いつも寝落ちしてしまって朝まで寝てしまっていたのが、少し夜更かしをして旦那と話したり、一緒に寝て早く起きて仕事をしたりするのが楽になる、それが楽しみで仕方ないです! 罪悪感なく飲むビールも美味しい〜♪ というわけで、私が本当に辛くて辛くて調べまくって実行したこの方法が、そして耐えたら終わるというこの情報が、誰かの役に立ちますように・・・! 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 突然ですが、この「人生の目覚まし時計」というお話、ご存知でしょうか? 個人的にその目覚まし時計が鳴った、そしてエンジンがかかったタイミングが最近あったので、今日はそのことについて書きたいと思います。 人生の目覚まし時計のお話 目覚まし時計、もちろんこれは目を覚ますために使うものですよね。 では、人生の目覚まし時計とはなんのことか? 私が聞いた話の中では、これは死を意識するとき、鳴るものだ、 と出て来ました。 ある日、突然余命を宣告される。 ある日、突然会社をクビになる。 ある日、突然体が動かなくなる。 正直このようなことは、健康で、ホームワーキングスタイルをとっている私にはピンとこないというか、 いつか訪れる可能性があるということは認識しているものの、 自分事として捉えることができないものでした。 旦那の上司が変わった! それが、先日、私の中で「ジリリリリリリリーー」と目覚まし時計が鳴った瞬間がありました。 ヘビーな時計ではないです。 そして私の目覚まし時計ですので、はたから見たらそんなことと一緒にするな!とお叱りの声もあるかもしれませんが、 私の中では確実に鳴ったのが聞こえたのです。 それは、旦那さんの大ボスが異動になるという出来事。 大ボスが変わる = 方針・体制が変わる = 旦那さんの日本帰国ももしかしたらあり得る 。。。そういうことなのです。 せっかくあと1年は安泰らしい、、、かなと思っていたのに! 時間は有限である、そのことの再認識 私の中で目覚ましが鳴ったと感じたのは、おそらく 「時間が有限だ!」 と強く感じたからです。 私がホームワーキングママを目指そう、最初にそう思ったのは、 旦那さんの帰国するかもしれないという状況になっていた、今から8ヶ月前。 その後の日本での暮らしを考えた時。 前の会社に戻るために今でもスタッフとして籍は残しているし、仕事も一緒にしているけれど、 本当にあの生活に戻りたいのか? 保育園に1番最初に連れて行き、1番最後にならないように走って送り迎えをする生活。 そこまでしてやっているのに、なかなか思った成果が出せなくて苦しい、やるせない生活。 おまけに今度は一人でなくて二人。 でも、会社は退職してしまっているので、履歴書的には3年の空白。 おまけに乳幼児の母。 こんな自分を新たに雇ってくれるところなどない・・・ 戻るしかないのか!!?でも嫌だ! そう思った時に、アメリカにいる間に私が前の会社でもらっていたお給料よりも 稼げるようになったら。 そしたら保育園に走らなくていい! もうその一心で始めました。 時間が有限なのはすぐに忘れてしまう その一心で始めて、少し軌道に乗り出したところで運良く帰国は免れることが判明したのが3ヶ月前。 以降、一生懸命走って来たつもりではあるし、稼ぎも増え続けてはいるのですが、、、 なんとなく気持ちがだらけていました。 朝早く起きられる日も減っていたし、あーこれもやらなくちゃーでも明日でいっか、そう思う日も増えて来ていました。 あんなに強く思って始めたことなのに、なんとなく気持ちが薄れていたんですよね。 なんとなく、ずっとこのままここに住めるんじゃないか、 旦那が仕事を変えない限りはそんなことありえないことなのに、 なんとなくそう思ってしまっていたのです。 ですので、今回のこの大ボス交代事件は、私の目をまた覚ましてくれました。 人生の目覚まし時計の話の続き この、時間は有限であるという教訓、実は続きがあります。 このお話を教えてくれた方が言っていたのは、 「もし最愛の人が病気であと半年しか生きられないと知った時、 その愛する人が持っている願いを叶えてあげられるか。 それはやっぱりお金があるかどうか、それで変わってくる。」 悔しいけれども、そうなんですよね。 こんなに大袈裟なことでなくても、お金がないと惨めに思うことがあります。 そして、何より窮屈。 自分が日本に帰るとき、どんな生活をしたいのか。 アメリカの大きな家に慣れてしまった自分はどこに住みたいのか。 旦那さんにどれくらい家にいて欲しいのか。 広い家に住みたいけれど、都会ではなかなか難しい、少し郊外に行くと通勤時間が長くなる。 都会が便利だけれど、お金がかかるから私も働かなくてはいけない。 でも果たして保育園があるのか・・・。 以前の私はこの「帰るかも」事件のたびに、帰ることに対して目を背けたい気分になっていました。 だって、考えたくないことが多すぎるから。 住むところ一つにしても、自分の願望を必ず何か犠牲にしなくてはいけない。 お金のことを考えると、自分も働きに行くしかない。 でも履歴書に3年間のブランクのある、1歳と4歳の子供を抱えたママを雇ってくれるところなんてあるのだろうか。 もう、ちょっと考えただけで憂鬱になるので、 「帰ることが決まってから考えよう」 と思考を止めていました。 でも、今回の「ジリリリリーーーー!」では、 単に、しまった、だらけてた、自分! このアメリカでの生活を無駄に過ごしていい時間なんて1分たりともない、そのことでした。 行動に出たおかげで、今回、自分の目覚まし時計への捉え方がずいぶん変わったなーと思ったのでありました。 私にとってのもう一つの目覚まし時計・・・ いつもこんなことを考えるとバカねーっとみんなに言われるのですが、実は私にはもう一つ、目覚まし時計があります。 それは、幼稚園への送り迎えでたまに通る道にある、高校の前を通る時に鳴ります。 アメリカでは、16歳から運転ができて、割とリッチな子供達が多いその高校では、多くの高校生が車を持って、運転しているんです。 車が運転できるようになると、子供達も色々と自分の力で遠くに行けるようになりますよね。 それを見るたびに、 「4歳半のハルと一緒に過ごせるのもあと12年か・・・・」 と考えてしまうんです。 ハルが生まれてからすでに4年経っているので、16歳まではすでに4分の1も経ってしまっているのです!!!! リコは1歳ながらにしてとても自立心の強い子なので、もっと早くから巣立つかもしれません。 今は毎日とても狭い思いをして一緒の布団で、二人に寄り添われながら寝ているけれど、それが終わってしまうのはもう間も無くでしょう。 いつも高校の前を通るたびに、私の子育てやライフスタイルに対する目覚ましが鳴るのです。 私が子供たちとどう過ごしたいのか。 そんなことを考えるのです。 四六時中一緒にいるのは疲れることだけど、 一方で好きなだけ甘えさせてあげられて、 友達と遊ぶのを見ることができて、 なんてありがたいのだろう、 もっとありがたみを感じないといけないなーと思うのです。 やっぱり、 日本での保育園に走って迎えに行く生活と、アメリカに来てから四六時中子供と一緒にいる生活を両方経験して、 そして、このもう一つの有限の時間の考え。 どちらがいいか?と考えると、 やっぱり私は家族と、子供と一緒にいるライフスタイルを今は送りたい! そしてそれを選ぶために行動に出てよかった、と思うのです。 家事もきちんとするのも大の苦手なは私にとっては試練の毎日ですけどね!! 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 バージニアからニューヨークへ引っ越してきたのがいまから1年前くらいですが、こちらニューヨークに来て日本人ママの多くから教えてもらい、私もすぐに行きたい!と思ったのが、アンティークの街、フィラデルフィアにあるアダムスタウン!! バージニアからもニューヨークからと同じくらいの時間で行けるので、もっと早くに行っておけばよかった!?というくらい、少しでも食器や、カントリーテイストのものが好きならキラキラする場所です。 もともとすこーしだけお皿が好きで、よく北海道の小樽に行っては1枚ずつ買い足したり、ビール工場でお気に入りのグラスを買ったりしていました。食器類はかさばりますが、洋服と違って割りさえしなければ洗濯してよれたりすることもないし、サイズが変わることもない。そう気づいてからお気に入りのものを少しずつ集めています。 とはいえ、子供が1歳と4歳なので、メラミン素材のものと使い分けてますけどね! ちなみに、メラミン素材だけど可愛いものを売っているお店はこちら、アンソロポロジーとSur La Table。これらは割れないのに可愛い!子供がいるご家庭にオススメのお店たちです。 話が逸れました。 アダムスタウン、どんな人たちがあつまる? アメリカの方だと、アンティークに興味があるのはご高齢のご夫婦が多いです。小さい子連れのアメリカ人はほぼ皆無。たまーにアメリカ人の若いカップルがお店に入ると、 「あなたはまだ若いから良さがわからないかもね〜」 とディーラーさんがニヤニヤしながら言っているのが漏れ聞こえてきたくらいです! しかし、それに比べると日本人は、30、40代くらいの若い世代から女性がこぞってアンティークに向かいます。 主に食器ですね。ファイアーキングとか、キャンドルウィックとか、有名なメーカーでなくても素敵なものがたくさんあります。 しかも、日本で買うより安くて、お得な掘り出し物がたくさんあります。 ご自宅に遊びに行って、「(素敵な食器だな〜)」と思って見ているとだいたいアダムスタウンで手に入れたもの。 今回、行った際に店員さんから聞いたところによると、日本人観光客のツアーバスも来るとのこと。アンティークのお店をめぐるツアーで、1日かけて数店舗回るようです。すごいですね! そんな日本人に大人気のアンティークの街、『アダムスタウン(Adamstown)』にこの週末行って来ました! 実は今回の訪問で4回目。子連れには正直、割るんじゃないかとヒヤヒヤするところもあって大変なのですが、買ったものを持って帰ってきた時の幸せ感! やめられません笑 アダムスタウンはニューヨークから車で約3時間。フィラデルフィアの中心部から西に車で1時間ほどのところにあります。 普段はアダムスタウンの入り口にあり、もっとも有名な1箇所しか行かないのですが、今回はいつものお店で他のオススメも聞いて、街の中にある4つのお店を回って来ましたのでそれぞれのお店の特徴をお伝えします。 アダムスタウンといえばまずここ!バスツアーも来る定番スポット パイン・ヒルズ・アンティーク・モール(Pine Hills Antique Mall) 222のフリーウェイを降りてすぐのところにあります。 初めて来てそれほど時間がない方はここだけ立ち寄れば、十分でしょう。 日本の方が好きなアンティーク食器が所狭しと並んでいて、見ているだけでもわくわくします。 値段はもちろんピンキリですが、素敵な絵が描いてあるお皿がわずか数ドルで買えるものもあり、普段使いをしてもいいかなと思えるお値段ですよね。 お店の中は小さな区画に分かれていて、それぞれの区画をそれぞれのバイヤーさんが仕入れて来たものを陳列してあるスタイルです。 まったく同じファイアーキングでも、区画によって値段が違ったり、状態が違ったりします。 ですので、お店の中をくまなく見て回って、同じメーカーの製品でもこれが1番安いとか、1番状態がいいとか、探すのがポイントであり、楽しみでもあります。 私が今回ゲットしたのは、キャンドルウィックのタンブラーとデザートワイングラス。友人の家でみて本当に素敵で、欲しいなーと思っていたお品。 これがかなりのお値打ち価格で出てました!しかも1ブースだけ。 これは運命の出会いだろうと、ゲットしました♪ が、買った商品の写真が写真が実はないんです・・・・この顛末はまた後ほど! カテゴリーごとに分かれていて親切!キッチン系、家電系が比較的充実 マッド・ハンター・アンティーク・モール(Mad Hatter Antique Mall) 2番目に訪れたのがここ。先ほどのパイン・ヒルズよりもお店が大きくて種類も豊富です。 ここは、例えば食器なら食器、おもちゃならおもちゃと、ある程度カテゴリに分かれて商品が陳列してあるのでわかりやすいのが特徴です。 どちらかというとキッチン系が多い印象でした。アンティークのキッチン家電や種類豊富な食器には驚きでした! さらにカメラや古いレコードなども置いてあり、いろいろな種類の品物を見ることができる楽しさがあります。 でも、キャンドルウィックやファイヤーキングなど、お目当の食器がある人にはやや物足りないかも・・・ 1つの棚にわーっと入っていて見やすいのですが、お店を巡って探して楽しむ、という感じではないので、掘り出し物を見つけたー!という喜びはやや少ない気がします。 逆に、ブラブラとどんなものがあるのか、なんとなく見たい、という方にはオススメかもしれません。 こんなものも売ってるんだ!というものがカテゴリーごとに並んでいて見応えがあります。 実はトイレの看板の左側がトイレなのですが、右側にさらにもう1スペースありました。 (1歳の娘に携帯を取られて写真がないのが残念なのですが・・・) ここにはなんと使われなくなった銃、そしてなぜか着物調の洋服もありました。 現役で使えるレトロなトースター、電話、アイロンなどもあって、カントリー風にお家を統一したい方にはぴったりなんだろうなーと眺めていました。 見るだけでも楽しいので、このトイレの奥のスペース、お忘れなく!休憩室がある廊下の先にあるので、ためらわずにズンズンと進んでくださいね。 家具中心、ディープなアンティーク世界 アダムスタウン・アンティーク・モール(Adamstown Antique Mall) ここは、小物もありますがアンティーク家具をメインにしているお店のようで、ちょっと写真には写っていないのですが、お店の外にたくさんの家具が並んでいます。 単に古いものもたくさんあって、どれがお値打ちものなのか素人にはさっぱりでした。玄人向けかなと思います。。。 ただ、実は大学時代から妊娠するまで、英語劇をやっていた私。そこで戦前の物語をやることもあったのですが、その当時使われていたと思われるものがたくさんあり、自分で飾ったり使ったりすることは正直ないものの、見ていてとても楽しかったです。 古いローラースケートや、足踏みのミシン、初期のメイソンジャー、古い木製のバットやミット。 確かにかなりの"ガラクタ"なのですが、もしまた演劇をする機会があれば、是非とも小道具として使いたい代物がたくさんありました。 アンティークの総合百貨店!提案型ディスプレイも心をくすぐる ジャーマン・トレーディング・ポスト(German Trading Post) 最後にもう1軒。 ここも大きなお店で、鉄道模型や、古い本、人形、カメラ、あと大リーグの選手のプロマイドカードまで、今回行った4件の中で1番幅広くジャンルの商品が置いてありました。 ここは最後に行って、正直ハルとリコが飽きてしまって大変だったので写真があまりないのですが、入り口付近はカテゴリーごとにショーウィンドウに入っていて、奥に進むとディーラーごとのブースとなっていました。 ディーラーごとに提案型ディスプレイをしていて、 ラブリーなレースやピンクテイストでまとめたディーラーや、 カゴなどをたくさん飾っているカントリー風ディーラー、 レコードを綺麗に並べているディーラーなど 個性があって本当は一つ一つじっくり見たいくらい広くて見応えがあるところでした。 ただ、食器類は少なめでしたので、食器がお目当だったら、やはり1番最初のパインヒルがもっとも充実していた気がします。 逆に、男性も女性も楽しみたい、ということでしたらここはおすすめ。古いカメラや鉄道模型など、男性が見ていても見飽きないものがたくさんありました。 いかがでしたでしょうか。 古き良き?時代のアメリカのグッヅがたくさん揃っており、女性だけでなく男性も十分楽しめること間違いなしです! こだわりがある方は、ぜひお目当の商品をゲットすべく、掘り出し物を探して見てくださいね。 私が買ったものは次回ご紹介します! というのも、今まで行ってきた中で初めての事件だったのですが、なんと品物を詰め忘れられるという事態が・・・ 家に帰って見て、つめてくれた箱を開けて見てびっくり! た、足りない!!! 慌てて次の日に電話したら、きちんと取っておいてくれていて、先方のミスだったので送料無料で自宅まで送ってくれることになりました。 あーよかった。 超稀ですが、そんなこともあるので、念のために詰めてもらっているものはきちんとチェックしましょう。 つめているカウンターはレジから見えるので、全部入れてくれているか、その場でチェックできます。 私は店員さんとおしゃべりしまくったり、最後に買い足しに走ったりしたので見てませんでした・・・ 私のようなうっかりさんはそういないと思いますが、どうかお気をつけを! そしてもう一点注意。上の方にも書きましたが、現地の人にとってはアンティークはかなり大人になってから楽しむものです。 じっくり選んでいるところを子供たちがワーワーいうのはかなり失礼だな、と自分がやってしまって思いました。 ですので、できればお子様対策はきちんとしていきましょう。 我が家は最初にお店に入って10分くらいでもう無理だと判断し、そこからは車か外の広場で一人が子供たちと待って、もう一人が見てくる、というスタイルを取りました。 でも、購入するとレジで子供のおもちゃをタダでもらえるので、それはお願いしてもらうといいと思います! 私も実際、Mad Hatterで買った時にレジで子供が待っているからもらっていいか、と聞いたら「もちろんよ!」という感じでおもちゃを選ばせてくれて、ハルはもらった車に大喜びでした! せっかくのアメリカ生活ですもの、子供がいてもやっぱりこういうちょっと大人の趣味も楽しみたいですよね♪ お店情報 パイン・ヒルズ・アンティーク・モール(Pine Hills Antique Mall) 3 Adams Dr, Reinholds, PA 17569, USA マッド・ハンター・アンティーク・モール(Mad Hatter Antique Mall) 61 Willow St, Adamstown, PA 19501, USA アダムスタウン・アンティーク・モール(Adamstown Antique Mall) 3014 N Reading Rd, Adamstown, PA 19501, USA ジャーマン・トレーディング・ポスト(German Trading Post) 2152 N Reading Rd, Denver, PA 17517, USA First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 ここ数日、実は体調不良で生きるのが精一杯でした。 何か・・・それは断乳によるパイの痛み!! しかし、1週間経った今、ようやく落ち着きました。 私には2人の子供(いま4歳半の息子、ハルと1歳半の娘リコ)がおりますが、 今回(前編)では私と下の娘、リコの断乳のお話を中心に書こうと思います。 次回(後編)では、どうやって断乳後処理をしたのか、まとめますね。 断乳を決断した理由 私は上の息子ハルが産まれてから幸いなことによくお乳が出たので『完母(完全母乳)』、そして一貫して『卒乳派』でした。 と言うか、なんでも基本的には子供は本能で時期や必要なことを察知するだろう・・と言う考え方です。 ですので、公園でも子供たちがびしょ濡れになろうがなんだろうが遊びたいなら水の中へ、階段も登りたければちゃんと見張っている中でやらせる。 そうすることで危険を察知する力なども養われるんじゃないかなーと思っています。 なので、もうパイがいらない!と思う時期も自分で決めて欲しい、とハルのときから思っていました。 結果、ハルの卒乳は3歳半。 そうです、ずっと妊娠中もお腹が張らない限りはあげていました。 一時期、2人に同時にあげていたこともあります。 今考えると相当おかしな姿!しかもハルは人一倍大きいのに、3歳半まで。 なんとまー、異様な姿だっただろうと今になって思いますが、 それでもあげきった、と思えるパイ生活でした。 やめさせたきっかけはまだ小さいリコに風邪をどうしても移してしまうから。 それが耐えきれず、説得してやめました。 じゃあリコはいつやめる? 現在、1歳10ヶ月のリコ。 いつやめようか、1歳を過ぎてからずっと考えていました。 本来であればずっと本人がやめたいと思うまであげさせたい。 リコはご飯もかなりしっかり食べるし、走るし、ペットボトルでも水分が取れる。 いまやパイは完全に精神安定剤、口寂しさを紛らわらすもの、そして寝付くためのものでした。 正直、もはやなくても生きていけるもの。 でも、私にとっても、リコにとっても、授乳は至福の幸せだったりしました。 しかし。。。 幸せである一方で、夜も数度起きるたびに仕事が中断し私も寝落ちしてしまう、そしてソファーに座るたびに寄って来てめくってくる、外でも欲しがる・・・そのようなことにストレスを感じなかったわけではありません。 いや、ストレスを感じなかった、と言う言い方は嘘です。 ストレスでした。 それでも、私は卒乳させたいんだ、と心のかなりの部分で思い込んでいて、なかなか断乳に踏み込めませんでした。 ハルのときにたくさんの 「断乳ではなく、卒乳を!!」 という情報に触れ、もしかしたらある意味洗脳されていたのかもしれません。 やめるきっかけ~新生児とパイ~ 先日、生まれて1ヶ月の赤ちゃんに会いにいく機会がありました。 その赤ちゃんは小さくて、触っても壊れそうで。 その赤ちゃんが一生懸命パイを飲んでいました。 そんな中、リコはちょこっとやって来て、トレーナーの中に自ら入り、 ちょっとだけパイをして去って行きました。 それを見て、いや、もういいな、と思えたのです。 やめたくない、と思っていたのは私の方で、もうリコはいらんだろう、と心から思いました。 どうやって断乳したか? さて、説得断乳しかしていない私。 どうやって断乳したらいいかわかりません。 すぐにママ友に聞きました。 そうしたところ、、、 パイに顔を描いた、 絆創膏した、 予告して1ヶ月後にやめた。 いろいろ出て来ました。 リコとわたしの性格を考えて、私は予告なしでいきなりやめようと決めました。 リコは超がんこ!変えられるものは自分の力で変えてやる!タイプです。 私はこと育児に関しては「自分で決めさせる」以外にルールがない。 と言うわけで予告すると確実に負けるのです。 そこでとったのがでかい絆創膏作戦! でかい絆創膏を片方はって見せました。 (両方貼りたかったのですが、やって来てバレてしまったので 慌ててまずは片方になりました・・・) すごくびっくりしたリコ。 「こっちのパイ、なくなったんだって。」 そう伝えて、もう一方、貼っていない方を見せました。 そちらに少し来たものの、すぐにやめてどっかに行きました。 「(お、これは行けそう。。)」 そしてハルの友だちに夜ご飯まで一緒にしてもらい、 いざ就寝。 よっぽど疲れたのか、コテっと寝ました! 次の日の朝。 3時ごろにパイが欲しくて起きたものの、絆創膏を見て あーそうだった、と言う感じでまた寝ました。 朝5時。喉が渇いて起きて、やはりまさぐりましたが、 また、そういえばなかった、と言う感じで、 「カルピス飲む?」 と聞いたら立ち上がり、一緒に起き出して飲みに行って、そこから 起床。 その日、次の日とたまにパイを日中見に来ますが、基本的には欲しいと泣くことはなかったです。 困ったのは寝入り。 今まで添い乳でしか寝ていなかったので、昼寝はどうやって寝たらいいかわからない、夜も寝付くまで1時間ほど、ゴロゴロしたり、遊んだりしていますが、1週間経った今、ギリギリまでママのそばにいて、寝入る時に自ら離れる、と言うスタイルになりつつあります。 寝入るまでにかかる時間も1時間以上かかっていたところが、1週間経った今、30分くらいになっています。 最初の3日くらいは10分くらい、手をつけられないタイプの夜泣きをしていて、その時はもうどうしよう・・・と途方にくれましたが、1週間経った今はそれもなく、夜1度も起きないで寝ていてくれる日も。 断乳までは、1日に2、3回は当たり前のように起きて添い乳していたので、この変化にはびっくりです。 もう準備が整っていた、手放せなかったのは私の思い込み 1週間経った今、もうパイの絆創膏もいりません。 見に来ることもなくなりました。 晴れて卒業できたようです。 今までスキンシップといえばパイ、でしたが、むしろわざわざぎゅーしにきたり、私の上にゴロゴロしにきたり、スキンシップを目的に寄って来てくれるので、可愛くてメロメロです。 パイ、息子の時にはやめさせるのがとても遅かったです。 今回も、できるならしたくない、と自分が思っている、と思っていました。 そして娘もきっとそう思っている、と・・・。 私がパイ辞めたくなかった理由、深ーく深ーく考えると、実に自己中な思い込みだったように思います。 一つはあげれば寝せることができる、外でもおとなしくなる、と言う利便性。 本人もまだやめたくなさそうだからいいだろう、と言う気持ち。 そしてもう一つ。実は前ほどそばに寄って来てくれないのではないか、パイという繋がりがなくなったらママの役割は終わってしまうのではないか、、、はたから見たらそんなことは絶対ないと分かるのでしょうが、私は大真面目にそう思ってました。 だから、ママの存在意義を残しておきたい。 そう思って踏み込めなかったのです。 でも、それは完全な思い込みでした。 ママってもちろんパイだけのために存在するわけではないですよね。 パイの繋がりがなくなっても、リコはママを大好きでいてくれます。 そしてパパにもより一層懐くようになりました。 1つ手放して、たくさんのものを手に入れた気がします。 もうパイをあげながら目を合わせ合うことはないけれど、その分たくさん一緒に遊んで、ギューして、新しい関係が始まったのです。 わたしとリコには、この1歳10ヶ月のこの時期が、タイミングだったようです。 断乳、卒乳に正解はない 今、現役でパイをあげているお母さんたちも、いつか迎える、 パイを終える時期。 巷ではほんとにたーくさんの情報があったり、友人や親に色々とアドバイスをもらったりすることもあるでしょう。 私自身もたくさん調べたり、ママ友と情報交換したりしました。 その中で卒乳がいい気がする、と思い込んでいました。 でも、自分がこうして終えてみて思ったのは、これは「人それぞれ、それぞれのママと赤ちゃんの物語」、なのです。 ハルと私。 リコと私。 それぞれの終え方をしましたが、一番大事なのはママが納得した終わり方ができること。 終えてみて、とても体力が復活しました。いつも疲れていたのが、随分と元気になったように思います。 それだけ、命を削ってパイをあげていたんだな、と。 だからこそ、ママが決めればいい。 そして赤ちゃんとの間でお互いに納得できる終わり方、新しい関係を作ればいいんだな、と、パイは終わるけど、違う扉が開くんです。 薬を服用しないといけなくなってやめなくてはいけない人もいるでしょう。 噛まれて辛くなったり、出なくなってやめる人もいるでしょう。 普段は働いているから、帰った後、たっぷり甘えさせてあげたいからあげ続ける人もいるでしょう。 どれも、ママがそれでいい、それがいい、と思えばいいんだと思います。 逆に、辛くなってしまったら、もういい、と思うんだったら、そこでストップしてもいいんです。やめざるを得なかった場合も、そこがやめるタイミングだったんです、きっと。 こちらのママたちはパイに関しても考え方が多種多様、そしてそれぞれの考え方を否定することはありません。 「体を返して欲しかったから早くにやめたわ!」 「もっとあげようと思ってたけど、噛みまくって辛いからやめた!」 「じつはまだまだあげているのよ。」 どれもオッケーなんです。 ネットを見てしまうと、そして友人と話していると 「~~でなくてはならないのではないか!」 と思ってしまうことも多々ありますが、大事なのは自分がどうしたいか。 私にとって、この断乳体験はそんなことが気づくことができる ものとなりました。 さて、今回はリコとママという話を書きました。 後編では、いったいどうやってアメリカで断乳後の処理をしたのか? 断乳後の不安としてもう一つあったのは、「私のパイ、いったいどうなる?!!」でした。 長くなったので、後編では私の体験を書こうと思います! 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 マリオット系列のキッチン付きブランド、レジデンスイン(Residense Inn)にリワード・ポイントで泊ろうとした時に、なかなか10,000ポイントで泊まれるところが少ないのですが、今回たまたまデラウェア州に行った際に見つけたので、ご紹介させて頂きます。 フィラデルフィアの街まで車で50分、ボルチモアまで車で1時間、アダウスタウンというアンティークの街まで車で1時間半、この辺りにお出かけの際はオススメのホテルです。 旅行好きの我が家はよく泊まりで遠出をするのですが、子供が2人になると移動費や宿泊費、そして食費が夫婦2人の時と比べてよりかかりますよね。。。 そこで以前、 『アメリカ旅行 – ニュージャージ マリオットバケーションクラブリゾートに行ってきました!』 の記事でもご紹介させて頂きましたが、我が家ではマリオットバケーションクラブに入っているので、宿泊費と食費を浮かせるために以下の作戦をとっています。 アメリカで日々利用するクレジットカードは、マリオット・リワード・カードに集中してポイントを貯める。 特に、初回入会時は、一定金額以上を利用すると80,000ポイントをもらうことができます。(キャンペーン期間中のみ。通常は、50,000ポイントです。) 参考URL: https://creditcards.chase.com/marriott/cardmember 旅行時に宿泊するホテルをできるだけマリオット系列で固定する。 アメリカ国内であれば、だいたいどこにでもマリオット系列のホテルがあります。 キッチン付きの部屋で食材を買って来て自炊することで、食費を節約する。 小さな子連れには、高級なレストランに行くよりもお部屋で食べた方が気楽なんです。 マリオット系列でキッチン付きのホテル・ブランドが今回行ったレジデンスイン(Residence Inn)とタウンプレイス(TownePlace)でよく利用しています。 年末の旅行などで本当によく使うのでいまは、ゴールドのステータスをゲットし、空きがあれば追加料金なしでお部屋をアップグレードしてくれます。 さて今回は、デラウェア州にある『レジデンスイン・バイ・マリオット・ウィルミントン・ニューアーク/クリスティアナ(Residence Inn by Marriott Wilmington Newark/Christiana)』に泊まって来ました。 デラウェア州は、ニュージャージー州、ペンシルバニア州、メリーランド州に囲まれた全米で2番目に小さな州で、今回泊まったホテルは、フィラデルフィアとボルチモアの間、I-95(高速道路)沿いにあります。 なぜ、デラウェア州に行ったの?、、、ですよね。 理由は、主人のタバコです。。。 ニューヨークはタバコがものすごく高いので買い出しのために来ました。 メリカでは州によって値段が違うんです。 アメリカ東海岸北部で、1番安いのは、以前住んでいたバージニア州(タバコの生産地だから安いそうです。)なのですが、さすがに土日を使ってニューヨークからバージニアまで往復(片道車で5時間)はつらいなということで、 ネットでいろいろ探したところ、デラウェア州も比較的安いことがわかったので、今回はデラウェアに向かうことにしました。 だいたいですが、1箱バージニア:5ドル弱、デラウェア:6ドル、ニューヨーク:12-15ドルといった感じ。 ぜんぜん違いますよね!?(というか主人がやめればいいんですが。) デラウェアでもニュヨークから片道3時間くらい車でかかるので、さすがに日帰りは辛いということで近くのホテルを探していました。 レジデンスイン・バイ・マリオット・ウィルミントン・ニューアーク/クリスティアナ このホテル、I-95沿いにあって便利だと思うのですが、近くに大きな都市や観光スポットがないからか、 マリオット・リワード・ポイントを使って10,000ポイントで泊まることができました。 だいたいレジデンスインだと、最低でも20,000ポイントはすることは知っていたのでここに予約することに。 10,000ポイントといってもホテル自体が古いわけでもなく、大満足の環境でした。 いくつか写真でご紹介させて頂きますね。 お部屋の中は広いキッチンと大きな冷蔵庫、それにオーブンもついているので、食材を買ってくれば普通に料理をすることができます。 (Residence Inn Wilmington Newark/Christianaのサイトより) 今回は、お部屋のアップグレードに成功して、ロフトに2つ目のベッドがあるお部屋に! 実はデラウェア州には、アメリカ人と結婚して最近こちらで出産した私のお友達が近くに住んでいます。 突然誘ってしまったのですが、快く来てくれてなんとホテルの部屋で会うことができました。 お友達家族ととても楽しい夜を過ごすことができました(^ ^) ホテル情報 レジデンスイン・バイ・マリオット・ウィルミントン・ニューアーク/クリスティアナ(Residence Inn by Marriott Wilmington Newark/Christiana) 240 Chapman Rd, Newark, DE 19702 First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 4月から4歳半の息子、ハルの習い事が一気に始まり、送り迎えでバタバタ&シッターさんが今週お休みでどうにもこうにも身動きが取れません。 親に仕事があるように、子供は動き回って、遊ぶのが仕事。それに付き合わないというわけにいかず、なんだか振り回され感が半端ない今日この頃です。 でもニューヨークは一気に春が来て、気候がやや不安定なものの、一気に葉っぱが芽吹いて、裸だった木がどんどんフレッシュな緑を枝につけて来ていて、晴れた日はすごく爽やかで気持ちがいいです。 (花粉がね・・・すごいんですけどね・・・どの車も黄色いです。。。) 住み込みシッターさんがいるお家のお家騒動?! さて、以前、記事でハルの友だちで、住み込みのシッターさんがいるお宅の話を書きました。 「アメリカママのベビーシッター・家事代行事情 〜フルタイム在宅勤務編〜」 最近、そのお友だちのお迎え事情に変化が。 普段はママか必ずお迎えに来ていました。シッターさんは運転ができないから、シッターさんに1歳の娘を預けて、5歳と3歳の息子を迎えに来ていたのです。 ところが、4月に入ってから結構な頻度でパパ登場。 パパと話すと、ママは出張が増えて忙しいから自分がきているとのこと。 でもなー、結構忙しかったはず、パパも・・・。 ちょっと合点がいかないままに過ごしていたのですが、ある日、季節が良くなったので、ピクニックに誘われて、晩御飯ピクニックにその家族と行きました。 そうするとパパお手製のキンパが! え??! パパ料理したっけ・・・。 ママに 「パパ料理するんだねー!最近パパがいつもいていいね!」 と声をかけると、 "He got laid off.” 。。。はい、クビになったそうです。 アメリカでは、特に東海岸の雇用主と従業員の関係は、 『いつ辞めてもいいし、いつ辞めさせてもいい。』 「はい、明日からあなたは来ないでください。」 がふっつーにあり得ます。 日本では考えられないですが、逆もオッケー、つまり 「明日から転職先(もっと条件の良いオファー)が決まったので来ません。」 も普通にあるのです。主人の会社の現地採用の方でもどちらのパターンもあったんだ、という話を聞いていました。 そんなもんなんだな、と思っていたのですが、あまり自分ごとになってませんでした。 しかし、今回は3人の子供がいるご家庭でのお話。 日本人の私からするとヒョエーーー!です。 さすがに言葉に詰まりましたよ、そりゃ。 聞くと、ナニーはそれに伴い、さすがに雇えなくなった、と。 1歳の娘はパパが中心に見て、ママが家で働いているとのこと。 でもですね、明るいんですよ。 ピクニックも穏やかに一緒にできるほどに。 日本でこんな事態になったらきっと悲壮感漂いますよね。ピクニックなんてしてる場合じゃないでしょう。 いつクビになってもおかしくない、だから備える パパは、 「専業主夫は僕の夢の仕事さ!」 ママは、 「最初、絶対絶対専業主夫なんて彼にはできないと思ったけど、意外なほどに私より子供たちへの接し方も上手だし、料理はあんまりだけど他の家事はなんでも大丈夫なのよ。」 と余裕の話っぷりになんだか感動しました。 「シングルインカムになっちゃって不安じゃない?」 と聞いたら、 「そうねー。私が転職すればシングルでも行けなくはないけど、ホームワーキングスタイルができなくなるから、まだしばらくはダブルインカムの方がいいかなーでもパパが怒鳴らなくなって、すごい穏やかになったから、夏ぐらいまではこれでもいいかなと思って。」 とのこと。 ママは、自宅勤務というスタイルを取りたかったので、昨年一生懸命勉強をして資格を取っていました。土日に学校に行き、試験も受けて取得して、自分の専門性を高めていたのです。 この、ママの備え。 すごいですよね。 このお家が例外なのか?働くパパ事情 働いていた頃のようなストレスがなくなって穏やかになったパパ。それが嬉しいママ。 このお家がアメリカで特別なのか? 実はそうでもありません。 まず、ハルは英語の勉強のために日本人が一人もいない幼稚園を選んだのですが、お迎えのうち、3分の1くらいはパパです。パパを知らないお家はクラスの中で1組くらい。それくらい週のどこかでパパが迎えに来ます。残りの3分の1がおばあちゃん。そして3分の1がママ。 おかげで、ママ友よりもパパ友、ババ友の方が多いくらいです笑 あるパパは、お迎え以降の時間を子供と過ごすために転職、朝の3時から昼の11時まで働くスタイルに。 あるパパは出張の多いママを支えるためにホームワーキングパパに。 あるパパは木曜金曜は子供と過ごすために早上がりに。 仕事がなくてはお金が生まれないので、もちろん働かなくてはいけないのですが、 どんなライフスタイルがいいのか、 もっというとどんな風に子供たちと過ごしたいのか、 家族と過ごしたいのか、 自分がどうしたいのか、 考えてみれば当たり前の、自分の欲求、願望を中心に仕事も決めているのです。 自分の気持ちが最初に来るからこそ、いきなりクビになっても夫婦できちんと乗り越える備えがある。 そして家族でなんとかしよう、なんとかなる、と解決していくのです。 日本も超ゆっくりながらそうなる、そうなってほしい 2014年、私も日本を飛び出すことになるまでは完全に仕事が中心でした。主人は今でもそうです。 なぜか、それしかないと思っていたから。 そしてそうしないと自分の生活レベルを保てないと思ったから。 その後も主人が仕事を辞めてもいいなんて思えたことはありませんでした。 でも、どうして母が育児や家事に縛られなくてはいけないのでしょう? どうして父が働きに出なくてはいけないのでしょう? どうして仕事は外で、会社でしなくてはいけないのでしょう? それがしたくて、楽しくてしょうがなかったらいいと思います。 もちろん、すぐに変えるのも無理でしょう、残念ながら。 お金がないと、死にますからね。 でも、『それしかないから仕方ないというのは思い込み』なんだなーと アメリカに来てつくづく思います。 今回見たように、会社は自分(従業員)を守ってくれないところです、アメリカでは。 だからこそ、自分がどうしたいか、めちゃ重要。 でも、日本もちょっとずつですが、そうなっていくような気がします。 というか、本当は今でもそうなのです。日本だって会社は自分を守ってはくれません。 自分を、そして家族を守れるのは自分自身なのです。 当たり前のことなのに、ついつい忘れてしまう、 そんなことを実感させられた、ニューヨークの春でした。 私も旦那が仕事を辞めたい!と言った時でも驚かずにどーんと構えられるように、 私も日々備えたいと思います。 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 私は無類のヤムチャ好きです。 あるとき、急に食べたくなるんです。 ここニューヨークはさすがいろいろな国から人が集まっているだけあって大きな中華街がいくつかあります。 近所のママ友に『クイーンズのフラッシング地区(Flushing, Queens)』に美味しいお店があるということで、さっそく行って来ました! いつも通り車での移動です。電車も近くに通っているのでマンハッタンから電車で行くこともできます。 中華街のお店の周りは道が狭くて、ごみごみしています。 パブリックパーキングもいっぱいでした。 駐車できなくて困ったなぁと思ったら、シェラトンホテルの地下が駐車場になっていて 最初の1時間4ドルは、その後は1時間おきに2ドルずつ加算されるとこちらにしては良心的なお値段! そこに停めることにしました。 ここは中国か?と思うくらい建物の看板は漢字ばかり。歩く人が話す言葉も8割くらいは中国語! 「アジアン・ジュエル・チャイニーズ・シーフード(Asian Jewels Chinese Seafood)」というお店に入りました。 Yelpでも高評価!これは期待できます。(店名をクリックするとYelpのサイトに移動します。) お店の外観と中の様子です。 中に入ると人がたくさん! 数組並んでいましたが、お店が広く席数も多いので5分ほどで私たちも席に通されました。 ランチの時間帯は、ヤムチャを乗せたワゴンがいくつか店内を巡回していて、それを見ながら好きなものを選ぶことができます。 美味しそう〜写真を見ていただくのが早いですね! 店員さんの中には、英語がしゃべれない方も多くいるので身振り手振りでコミュニケーション。 私の1番のおススメは、やはりシュウマイ! 大きめ豚挽き肉とエビが中に入っていて最高でした!! どれもとても美味しく、おなかいっぱいになりました。 ごちそうさまでした!! お店情報 アジアン・ジュエル・チャイニーズ・シーフード(Asian Jewels Chinese Seafood) 住所:13330 39th Ave, Queens, NY 11354 First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 我ながら超大胆なことをしたな、と思いますが、 タイトルの通り、 1歳の娘リコと4歳の息子ハルをダンナさんに預けて、2泊3日で西海岸のサンフランシスコへ行ってきました! ニューヨークからサンフランシスコまでは飛行機で約6時間。 しかも、ダンナさんは下の娘、リコが生まれてから、子供2人をひとりで預かったことはありません。 それがいきなり2泊3日! 私がそこまでして行きたかった理由は、 どうしても会いたい人が日本からサンフランシスコに来るから。 ということで、勢いに任せて飛行機の切符を取ったものの、 決行の日にちが近づくに連れて不安でたまらなくなり、 色々なことが手につかないほどでした。 それでも、どうしても会いたかった私の尊敬してやまない方々。 便利な時代になったもので、実際にお会いしたことがなくてもいつでもチャットやスカイプ、その他の方法で連絡を取り合うことはできます。 それでも、やはり実際に会って話してみたかった! 結論から言います。大丈夫でした! もうそれはそれは心配した、ダンナさんと子供たちだけの3日間の生活。。。 この日のために、実はリコの断乳を決行しました。 私以外の人と寝ることができるようにしておくためには、パイなしでも寝付けることができるように。 そしてたくさんご飯が食べられるようにしておいてあげること。 これが私のミッションだと思いました。 ちょうど私も正直、授乳の毎日に疲れきっていたので、神様がくれたタイミングだったのだと思います。 周りからはリコは大丈夫か?という心配のお声をいただいていたのですが、私は実は上の息子、ハルの方が心配でした。 リコは1歳ながらにかなり自立しており、自己主張もしっかりとできるタイプ。 ですので、ママがいなかったらいないで、パパにやりたいことや食べたいものをしっかりと主張することだろう、と思っていたのです。 一方で、4歳のハルはかなり根が優しいタイプ。 やんちゃですが、慎重派でとにかく安定、平和志向。 日常と違うことが起こるのを最も嫌います。 ですので、ハルには 超楽しみにしていたおもちゃを(私がいない間に)パパと一緒に開けること、 そして1ヶ月前からママは3日間いないけど必ず帰る、 と伝えていました。 結果、ダンナさんも二人の子供も、私がいない3人だけの時間を楽しんでくれたようです。 リコは帰ってきた後にようやく異変に気付いた感じでママストーカーにしばらくなりましたが、 私がサンフランシスコにいる間はパパっ子に、 ハルは最初は泣いたものの、帰ってきたらパパと過ごして楽しかった! と言っていました。 事前準備は? さて、断乳という大きな準備以外にしたことを書いておこうと思います。 リコとハルの好きなお菓子を準備する パパが買い物に出なくてもいいように買い物を済ませておく 夜ご飯用のカレーの仕込み お出かけ用のリュックの完備 早朝のフライトにして、子供たちが寝ている間に出発 パパに食べ物に関するメモ、緊急連絡先のメモ、いない間に行われるイベントやしておかないといけないことのメモを冷蔵庫の見えるところに貼っておく 洗濯物は済ませておく ざっと羅列してみましたが、こんなことをしてみました。 ママにとっては当たり前のことでも、初めて子供と過ごすダンナさんにとってはどれも未知、 そしてやってみるとめんどくさかったり、どこに何があるのか理解できなかったり。 それでイラつきそうなことを事前に潰しておくイメージで準備しました。笑 まずは買い物。 私ですら、毎回リコとハルを連れての買い物は一苦労です。 なので、食材は行く前日に、想定されるご飯を考えながら多めに調達。 そしてカレーであればチーズをかけたり、うどんにしたり、少しオーブンで焼けばカレードリアにしたり・・・とバリエーションができるので、前日に多めに用意しました。 本当はママ友のお勧めでお好み焼きを冷凍しておこうと思ったのですが、時間切れ。 材料のありかだけ伝えておきました。 加えて、ダンナさん1人で子供2人を連れてマンハッタンまで電車で行く、という用事がありました。 いまビザの更新のための準備中なのですが、息子ハルのパスポートが切れかけていたため、先週慌てて領事館に更新申請に行きました。 が、パスポートの受け取りの際はなんと本人(ハル)も行く必要がある。 次の週にはダンナさんが出張でいないので、どうしても私がいないその日(平日の金曜日)に取りに行かないといけなかったのです。 そこで、40分の電車旅を耐えられるようにおやつと飲み物の準備、そしてオムツやらお着替えやらをすべてお出かけ用のリュックに入れておきました。 最後に、フライトは子供達が起きる前に家を出なくていけないものにしました。 これは、より長くサンフランシスコに居たかったから、というのもあるのですが、 なるべく子供たちのショックを和らげるためにもそうしました。 やはり、別れというのは子供にとって辛いもの。 でも予告して朝いないというのは意外と受け入れられるのでは?ということでそうしました。 あと、病院情報や保険証なども用意して、これで何がおきても平気。 ダンナさんには 「そこまでいらなくね?何もおきないよ」 と言われましたが、用心には用心を重ねて。 実際に3日間子供達と1人で過ごしてみて、こういう準備こそ必要だ、 ということを何もなかったものの感じてくれたようです。 さて、実際の3日間はどうだったか? 結論をもう書いたので、お分かりかと思うのですが、 まぁ、大丈夫でした笑 ハルは心配していた通り、朝ニューヨークの空港に着くなりさっそくFacetimeがかかってきて、泣きまくっている顔が大写しになりましたが、 「ほら、もうおもちゃ開けていいんだよ!」 というとしばらくして落ち着いて、 隠しておいたおもちゃをダンナさんと探しに行き、気持ちをうまく切り替えてくれたようです。 探さなくちゃ!というふうにしておいたのも良かった! リコに至っては、特に何もなく、ご機嫌に起きてご機嫌にご飯を食べ、 みんなでパスポート受け取りに出かけたようです。 出かけている間、ママがいないので、兄妹の仲がいい! 当日30度近くあったのに長袖を着せたのはご愛嬌、電車が寒かったということで。。。 (次回は着替えも用意して行きます・・・) 寝るときも3人で寄り添って寝て、むしろダンナさんは普段ママに子供達が寄っていってしまう分、ラブラブに過ごせて楽しかったようです。 私はというと・・・ さて、私は。。。 アメリカに来てからこのかた、ほとんどなかった一人時間を満喫しました。 会いたかった方達と何をしたか、というのはまた後日まとめますが、 子供たちがいないフライトのなんと短いこと! やりたかった作業を一気にやれて、本もゆっくり読めて。 ハードカバーの本なんて、どれくらいぶりに読んだことでしょう。 そしてご飯が美味しい! こんなにゆっくり食べられたのはいつぶりでしょうか。 普段はもはやご飯が楽しめず、ただでさえ高いアメリカの外食は究極的にコスパが悪く感じられるので、ほとんどテイクアウトなのですが、ゆっくりとご飯を食べるとこんなに美味しいんだ~~~と。 そしてホテルでも誰にも邪魔されずに熟睡できる!10時過ぎに寝て、 「あーよく寝た!」と起きたらまだ朝の2時でした笑 せっかくもらったこの機会を満喫、使い切らないともったいない、という気持ちで使いました。 ひとり旅のビフォーアフター 今回、我が家にとって大きな挑戦となった、ママ不在の3日間。 ダンナさんは少しは主婦の大変さがわかってくれたようです。 主婦は本当に評価されない仕事。 でも、仕事なのです。 むしろ、お金をもらう仕事よりも代わりがいないし、お金という評価がない分、私は大変に感じます。 仕事というのは、誰に言われなくても雇われている、やるということになっている以上、やらなくてはいけないことだと、解釈しています。 主婦の家事や育児もそうですよね。 自分がやらなくては回らない、基本はそういうものです。 一方で、全部自分でやってみないと、主婦の仕事がどのようなものか、なかなか理解できないものでもあると思うのです。 実際に、私は今自分の母に土下座して謝りたいと思いますが、子供だった当時は 「家にいるのに、何が大変なの??」 と思っていました。 当事者になってみないとわからないものです。 ダンナさん曰く、 「子供たちは思ったよりもいい子達で大変ではなかったけど、食事を必ず3食作ったり、着替えさせて、オムツを替えて。そういうルーティンが大変なんだな」 と。 そうなんですよ!!!! 今までダンナさんは飲んだビールの缶はそのまま、食べたら食べっぱなし、 先に寝てしまう私が起きてテーブルの上のものを片付けるのが当たり前でした。 ダンナさんにとっては 「たかだか、一手間だろう」 という気持ちだったかと思うのですが、 その一手間がいくつも主婦をしているとあるのだ、そこに気づいてくれたようです。 私も自分が母にお世話になっていた時には気づきませんでした。 ごめんなさい、お母さん! そこに気がついてくれただけでも大進歩! そして子供たちはというと。 ハルは変わらずにいい子ですが、ママはいなくなっても帰ってくる、そこの信頼感が増した気がします。 リコのリコを産む時に入院したのがとても印象が強いらしく、その時ももちろん退院したのですが、ママは一回いなくなると帰ってこないかもしれない、という漠然とした不安を持っていたようなのですが、そこがなくなったようです。 リコは、少し聞き分けが良くなり、主張のバリエーションが増えました。 今まで服を家でなかなか着てくれなかったのですが、着てくれるように笑 そして帰ってきたらうなづけるようになっていました! 可愛すぎて何回も質問してしまいます。 そして、何よりダンナさんと子供たちの仲が明らかに良くなりました。 信頼関係が深まったような、そんな感じがします。 やるまでは不安、でもやってみたら不安はただの不安だった 今回、本当に今までまったく預けたことのないところからの2泊3日だったので、最初にも書いたように不安で不安でたまりませんでした。 でも、やってみたらなんてことはなかった。 むしろ、私はリフレッシュできてまた子供たちと一生懸命向き合おうと思えたし、 ちょっと寄ってきすぎて疲れるなぁと思っていたのも、 また愛おしく思えるようになりました。 何よりも、 預けても大丈夫なのだ! と思えるようになったことは、大きな進歩ですし、安心です。 アメリカにいると、やはり親族がいないので、いざ!という時にどうしようという不安が常につきまといます。 ダンナさんはもちろんいるのですが、今までいかんせんやったことがないのでなんとなく不安。 同じ親なので、大変失礼な気持ちではあるのですが、どうしてもそう思ってしまうところがあるのです。 でも、これでもう大丈夫。 自分が万が一入院とかしても頼る先がある、これはとても大きなことです。 現地、アメリカ人のママ友に前から 「パパと子供たちだけで過ごさせるのがいいよ!なんでやらないの、絶対にやるべき!!」 と何度も言われていました。 でもなんとなくできないんじゃないか、そう言ってやってこなかったんです。 でもやっていたらなんてことはなかった。むしろ、この新しい挑戦は我が家の人間関係も少し良くしてくれる、そんなものになりました。 日本人のママたちに話すと、みんな一様に 「エーーーー!(だいじょうぶなの??)」 という驚きの反応だった、今回の挑戦。 それだけ日本人の私たち、主婦である私たちにとってはかなり難しいことである、できないという思い込みのあることだったと思います。 おうちに少し変化が欲しいというママ。 子供に優しくできない、ダンナさんが全然理解がなくて悩んでる。 自分時間、欲しいヨォォォォと思っているママ。 是非とも、えいやっとやってみてください! 事前準備をちゃんとしさえすれば、大丈夫なはずです♪ きっとみんなにとって新鮮な経験が得られますよ♪ 駐妻の憂鬱、記事一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 最近、ちょっといらっとしていることがあります。 自分のしていることを話すと、周りに 「かさまり起業しちゃいなよ~」 と言われるのです。 いったいなんなんでしょうね、起業って。 起業っていう、肩に力が入った感じがイヤ 起業という言葉を見ると、意味は、 「生業を起こすこと、新しく事業を始めること」 生業っていう言葉を見ると、意味は 「生計を立てるための職業」 ふむ。 どうもピンとこないんですよ。 確かに、会社に属することなく、自分で月70万円稼いでいます。 お金の収支管理もしている。(正確にはガサツな性格なのでダンナさんがほぼやってくれている) そして、スタッフさんに色々お願いしながら仕事をしています。 でも、もともと 「よし起業してやるぜ!!やったるぜ!!!」 と思って始めたわけでは全くないし、 この自分で稼いでいる状況になったからといって、 「起業しようかな」 とか 「起業してるな」 とか思うこともなくて、ただただ家で働いている、お金を稼いでいる、それだけです。 社会のルールとして、開業届などは出さないといけないので、 世間としては「起業した」ということになるのでしょうが、 なーんかそう言われるととても違和感があるのです。 なぜかって、自分では一生懸命、自分がしたい生活をするために頑張っているだけだから。 お金を稼ぐというのに、自分も他人もあるのか? いつも言われるたびにくすぐったい気分になるので、 ちょっとその正体について考えてみることにしました。 自分が一番違和感を感じるポイント、それは、 「お金を稼ぐのに、自分も他人もあるのか。」 そのことなのかもしれません。 確かに会社に勤めて一定のお給料をもらうというのと、 自分で何かビジネスをやって、自分で成果を作っていくというのは、 お金のもらう方法は違うかもしれません。 でも、 「自分の何かを売って、お金にしている」 という点では、変わらないと思うのです。 勤めている人は自分の時間と、身体的にいるべき場所を売って、一定のお金を稼いでいる。 私は、稼ぐために自分のできる時間と睡眠を売って、それで稼げるお金を稼いでいる。 どちらもサボったらお金は稼げないのです。 ダンナさんは現状、自分の朝から晩までの時間を会社に売って、会社のために働いて、その対価としてお金をもらっている。 私は、自分の睡眠時間と思考を売って、その対価としてお金をもらっている。 私にとって、起業云々はどうでもよくて、 自分の何を売って、お金を稼いでいるか、 そこをみているから、ちょっと興奮気味に、 「かさまり、それって起業してるってことじゃない?」 「起業しちゃいなよ~」 と言われると正直、痒いのです。 なぜお金を稼ぐのか?大事なものは何? 自宅で子供がいながらにして稼ぐ、このことについて、夢と目標を与えてくれた師匠が私にはいます。 自分よりも年下なのですが、敬愛してやまない、もう大大大好きな方なのですが、師匠に勧めたもらって 読んだ本があって、自分で稼いで目標を叶えよう、と強く決意させてくれました。 それがこちら、「世界一ふざけた夢の叶え方」 アメリカにいて、現地のママ友と話していてそれはもう毎日目から鱗が落ちまくっているのですが、 その中でも大きかったのは、この本の中でも語られている、 「どう生きたいかファーストな考え方」 どんなライフスタイルをしたいのか? どういった1年を過ごしたいのか? どうなったら一番ハッピーに過ごせるのか? 自分にとって大事なことは何か? 日本人は、本当に真面目! 真面目で忠誠心が強いから、仕事が生活の全て。 ダンナさんのアメリカの先輩でとても素敵な、業績をあげまくっている女性がいるのですが、 その方に言われたのはこんなこと。 「日本人のQuality Of Lifeへの意識は低すぎる!なんのために生きているのか? 私はとても楽しんで仕事をしているけれど、たまに苦しくなる。そんな時、ちょっとサボったら クビになるか、考えてみるけれど、大丈夫だから、そんな日はオフをとって好きなことするのよ。 でも日本人はそうじゃないわよね。単身赴任で家族との時間を犠牲にするなんて、最たる事例だわ。 なぜなの?」 考えてみたら、これに納得のいく答えはありません。 大体の人がいうのは、、、 「会社に言われたから。」 以上です。 我が家はそんな中でもけっこう日本人にしては破天荒で、単身で出張を命じられた最初の1年も勝手にくっついてきてしまったり 挙げ句の果てには妊娠して、現地ローカルの保険にも入っていなくてワタワタしましたが、 それでも私はついてきてかけがえのない時間を息子やダンナさんと過ごし、娘も生まれて大親友と呼べる友人もできました。 (ちなみに妊娠後でも保険は入れたので、保険に加入して娘は無事出産しました。笑) 夢?目標?専業主婦は持ってはいけないのか? 実は、小さい頃にアメリカに住んでいた私は、アメリカから帰国した後に産まれた妹がいたので、 決して留学は許されませんでした。 「あなたはもう経験したんだから、いくなら妹よ」 と。 でも自分自身の半分ルーツでもあるアメリカ。 絶対に戻ってきたかった。 「戻りたい戻りたい」 そう願っていたら、実現しました。 しかも、自分が昔住んでいた、メリーランド州のすぐお隣のバージニア、そしてなんとそのあとはニューヨークに! 祈願通天と私は呼んでいるのですが、強く強く願えば、そしてそれに向けて行動すれば、 自分の人生の舵は自分で切れるのです。 なんとなく自分で思っていたことではあったのですが、 この本にはもっと引き寄せるために何をしたらいいか、書いてありました。 私が特に影響を受けたのは、 「自分がなりたい未来を考えて、それが実現したと仮定していま乾杯しよう!」 「何が起きてもついてる!って思おう」 「ついてる!ついてる!」 という点。 自分の未来を思い描くこと、それも自由に! これって意外と難しいんですよね。 「あ、でもこれは無理かも。これも実現不可能だよね・・・」 みたいにすぐ思ってしまいがちなんです。 でも、そういうのは取っ払って考えるんです。 超ハッピーな、自分のなりたい未来を考えるのはタダ!お金かかりません。 やって失うものは妄想なんで、ないんです。 私は住みたい場所と、住みたい家を考えました。 季節のいい時は、ニューヨークで。 他の時期は西海岸のあったかいところで、海が見えるお家で、 子供達が海やプールで遊んでいるのをのんびり眺める。 パソコンを持って、気持ちものんびりしながら仕事をする。 外に置いてあるソファーに座ってバーベキューしながら、美味しいビールとワインを飲む。 あー今日も楽しかった!そう思いながら寝る。 そんなことできるわけないじゃん! そう思いましたか? 今はできないかもしれません。 でもできないと決めつけたら、それこそそこで試合終了です。 「セカフザ」を読んでから、私はこんな目標を、バカかもしれませんが、本気で立てました。 でも、私には子供も、ダンナさんもいる。 私一人では叶えられません。 なので、2ヶ月かけてダンナさんにも読んでもらいました。 バカですが、本気で立てた目標なので、普段私が薦める本なんて絶対に読まないダンナさんにも どうしても読んでもらって、同じ夢、目標を持って、未来乾杯しないとダメ! そう思って粘り強く説得しました。 もうダメかなーあーあと思っていた、2ヶ月がたったある日。 仕事から帰宅したダンナさんが言いました。 「乾杯しよう!」 と!! 今、私が思い描いていた夢・目標はいまは夫婦の目標です。 アホだと思いますか? 多分、アホだと思います。笑 でもアホでもなんでも、夢をこうやって描くのはタダ! 睡眠時間がなくなって苦しくなった時、 お問い合わせでどうしようもないことが起きた時、 この夢をはっきり頭に思い浮かべるんです。 そうしたら頑張れる。 そして具体的に何をしたらいいのか、考えられるのです。 今の私の場合、駐在ですので、まずはそれを打破すること、つまり 「いつ日本に帰るのか」をビクビクしなくていい生活を手に入れること。 そのためにはダンナさんにももっと選択肢があるようにしていかなくてはいけない。 そうすると私もこれくらい稼げていると、自由度が増す。 ではそれを稼ぐためにはどうしたらいいのか・・・? そんなことを考えるのです。 これって、話を戻すと起業がどうのこうのっていう話ではないんですよね。 自分がどうしたいのか。家族でどうしたいのか。 もうこれに尽きるのです。 夢を見るのは、妄想するのはただ!でもでも、というのをぜーんぶ取り除いて、 一度自由にどうやって暮らしたいのか、どうしたら最高にハッピーなのか、 考えてみるのはいかがでしょうか? 私は住みたいお家を絵心は全然ないのですが、設計図を書いて、最高に幸せな気分になりました笑 あーあの思い描いたお家に住みたい! さ、そのためにも頑張ります! セカフザ、もしこの記事をお読みの方でご興味があればぜひ読んでみてください。 世界一ふざけた夢の叶え方 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 前回『1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱』では、 1歳10ヶ月のリコと、どうやって断乳したのか? そしてその後の親子関係はどうなったのか、 についてお伝えしました。 結果的にもう私たちのタイミングだったんだなーと、ハッピー断乳ができたと思っています。 (現在断乳してからちょうど1週間、娘は特にパイを欲しがることはありません。) 今回は、 「じゃあ断乳後のケア(処理)ってどうしたの?」 というお話です。 これは私が自分なりに痛みと戦いながら調べまくってとったセルフケア方法ですので、 正直これが正しいのかどうか、わかりません。 ただ、10日経った今はもうすっかり痛みはなく、母乳も絞ればちょろっと出ますが、母乳が張ることはありません。 専門家でない私がこのような情報を出すのはどうかな、とも考えたのですが、 私も本当に苦しんだので、いつかどなたかの参考になれば! という想いで今回は書かせていただきます。 アメリカでの断乳後のケア方法 リコと私はほぼいきなり断乳をしたのは前回書いた通り。 ですが、私のパイは1年10ヶ月経ってもまだまだ出るパイでした。 現在4歳半のハルの時から、実は私はかなり母乳の分泌量が多いパイでした。 シャワーのように出てしまって、母乳パッドは欠かせない、 そして最初は少し搾乳してあげないとむせてしまうくらいの量で、 それはそれで苦労しました。 (アメリカにも母乳パッドは売っていますので、同じ悩みがある方、ご心配なく! ちなみに電動搾乳機もあります。 州によっては保険会社がくれたりするので、是非とも保険会社の規約を見るか、聞いて見ましょう。 私も最新の電動搾乳機をバージニア州で無料でもらいました! しかも5個くらいから選べるというとても良いシステムでした♪) 母乳パッドはこちら 保険会社から頂いた電動搾乳機はこちら 電動搾乳機は強すぎてよろしくない、という話もありますが、 これは強さを自分で調整できて私はよかったです。 (乳腺炎の時や、新生児の時にあげる前に圧を抜いてあげるために使っていました。) 話が逸れました。 そんなかなり分泌量が多い母乳だったので、恐怖だったのは断乳後のパイ。 しかもいきなり断乳することにしたので、徐々に減らして分泌量を減らして・・・という手段もとりませんでした。 日本では桶谷式や、産院でケアを受けることができるかと思いますが、 アメリカではどんなに調べても何も出てきませんでした。 ママ友に聞いても、みんな全く覚えていない、というようなコメント! なぜ! むしろ8ヶ月とか、早い段階でやめているから、もっと母乳量が多い時期にやめたはずなのに、みんな覚えていないというのです。 しつこく掘り下げて聞いてみたところ、 ・普段から搾乳機、そしてミルクの併用していた ・やめると決めても搾乳機を使ってしばらく搾乳を継続、その期間を徐々に長くする ということをやるようです。 自分である意味コントロールしていくということですね。 だからこそ、保険会社で配るくらい、搾乳機はアメリカに住むママたちにとっては欠かせない存在、ということなのかもしれません。 では、私はどうした?? 先ほども書いたように、私とリコは突然やめることに決めました。 リコにとってはそれが受け入れやすいやり方だったのかな、 そして私の精神的にも受け入れやすかったな、と思うのですが、 このやり方を受け入れられなかったもの・・・それは私のパイ! やめるその日の午前中まで、リコは好きな時に服をめくって飲んでいました。 それこそ家の中でも外でも。 抱っこ紐のエルゴは便利で、フードさえすれば、外でも授乳ができます。 これまで1度もあげていると気づかれたことはないです。 飲みたい時に飲ませていたので、回数は数えてませんが、夜寝ている間も含めて10回くらいは飲んでいたでしょうか。 そんなリコがよくすんなりやめられたね、とみんなにびっくりされますが、 一番びっくりしたのはきっと私のパイでしょう。 今までフル稼働だったのに、突然の業務停止。 でもミルクラインは止まらない! というわけで、当日の夜からガッチガチのおいわさんになりました。 絆創膏にはうっすらシミができるほど少しずつ漏れ流程、パンパン。 そして、肩から脇にかけて全部痛く、触られるだけで叫び声を上げてしまうほどの激痛でした・・・。 痛すぎて思わず 「ニューヨーク 桶谷式」 と検索をかけたほど。 でも見つからないので、とにかくなんとかセルフケアをするしかありません。 とはいえ、リコに気づかれないようにケアをするのは至難の技。 キャベツ湿布がいい、などと言いますが、そんなものを作る余裕も、 貼っておく余裕もありません。 応急処置として私が行なったのは、手を冷水で冷やし、それをパイに当てる。 まずはこれを繰り返しました。 そうするとだいぶ痛みは一時しのぎではありますが、軽減されました。 そして、目からウロコ、あんまりにイタイイタイ言っていたら、 現地のママから一言。 「鎮痛剤飲めばいいじゃない」 その手があったかーーーー! 確かに授乳していないので別に飲めばいいんですよ。 というわけで、市販のタイレノールという鎮痛剤を飲みました。 これでだいぶ楽になりました。 もし苦しんでいる方がいるなら、もう遠慮なく飲みましょう。 残った母乳との戦い 痛みは鎮痛剤でなんとかなりましたが、とはいえガチガチおいわさんが 治ったわけではありません。 おまけに、鎮痛剤があっても、やはり触られたり上に乗られると息を飲んでしまうほどの痛み。 そして古い母乳=血がどんどんパイに溜まるので重たくてだるいのです。 でも、出産直後から母乳と戦ってきたみなさんならわかるでしょう。 そうです、母乳は出せばまた作られてしまうのです。 ですので、作られないようにするためには、出さないようにしなくてはならない。 それでも、矛盾することを言うようですが、溜めすぎてしまうと乳腺が詰まって下手すると乳腺炎、つまり高熱を出すことになります。 さらにはこの後この古い母乳を排出しなくてはいけないので、それはそれでものすごい痛みを伴います。 私はとてもよく出る母乳でしたので、多分乳腺炎一歩手前まできていました。 パイは熱を持っていましたし、触るだけで痛い、これって乳腺炎の症状ですよね。 私はあんまりに痛みがひどい時は洗面所やシャワーで少しだけ圧抜きをしました。特に元気な太い乳腺が痛みを伴っていたので、そこを集中的にケアしました。 ケアの方法は、 少しだけ乳輪付近を刺激して、母乳が出るようにする。 乳房全体を両手で包み込み、おにぎりを握る要領で手の平全体で押す(そうすると溜まりきっているぶんが出ます) 痛みが強い部分の乳腺を意識して、手の平全体を使って入林に向かってマッサージをする。外から内側に向かって手の平全てで押すイメージです。 と言う方法を、時間でいうと両方で5分ずつくらい、最初の3日は行いました。 そして色々と調べてみると、断乳3日目に一度全て排出してオッケーとのことだったので、 上記の要領で少しずつ、30分くらいかけてシャワーの中で排出しました。 リコに見つかりたくなかったので、早朝、みんなが寝静まっている時に一人でシャワーを浴びながら実行しました。 最初は乳腺炎の時に出てくる、どろっとしたものが、そして徐々に半透明の見慣れた母乳が出てきました。 あーでもこれはもう古い母乳なんだな、というかもはや白い血だな、と実感したのは、出てきた母乳の冷たさを感じたとき。 今までリコが飲んでいたときは体温ほどの暖かさのある、ぬくもり溢れる母乳だったのが、今出てきているものはとても冷たくて、ついでにパイも冷たい。 それを感じた時に、あーもうこれでリコが飲むことはないんだな、と少しだけ感傷に浸りました。 でも、それ以上にこの古い母乳を出してスッキリしたこと!!! 4日目以降、1週間まではまた圧抜き、1週間後にまた排出して、 だいたい終了しました。 2週間経った今、残ったのはしょぼくれたパイと、かぶれてしまった絆創膏跡です。 痛みはずっとは続かない!! 最初の3日、痛すぎてやっぱりあげたい、と思うことも正直何度かありました。 それくらい痛くて痛くてもうパイのこと以外何も考えられないくらい、辛かったです。 でも、最初の3日を耐えたら、大丈夫。痛みは引きます。 その3日間は乳腺炎と同じなので、なるべく脂っこいものは食べないこと、そして水分も摂りすぎないこと。 でも、その3日が終われば、お酒がフリーダムに飲める! これ、パイで出てきちゃうかな、とか、乳腺炎になっちゃうかな、と考えなくて済む! そして何よりも新しい子供との関係が待ってる! そう思ってどうか頑張ってください! 私ももし万が一、3人目ができて、同じく断乳する時には、この記事を自分自身で読み返そうと思います。 それくらい、この3日間は終わりがない気がすると思いますが、終わりますので! 10日経って、精神的な変化 さて、この10日間、やはり身体にとっても大きな変化だったのではないかと思います。 専門家ではないので、正確なことはわかりませんが、多分ホルモンバランスが変わったのではないかなーと思います。 私は実はまだ生理が戻ってきていないのですが、やめてからすぐに腰の痛み、重みがありました。 そして生理前の憂鬱な気分、ネガティブな気持ち、そういうものがありました。 でも、それもこれも今まで血を母乳に変えてくれていた体が、元に戻るためのもの。 そうやって自分の体、お疲れ様、という気持ちで過ごすことでやり過ごしています。(まだ少し現在進行形です) そして何よりファッションが!!全然違う!! しょぼくれパイになったので、今まで来ていた服に猛烈な違和感を覚えています笑 でも、ここまで約5年もの間、役割を果たしてくれたパイ。 何はともあれ、お疲れ様。と言ってあげたいです。 何より、夜しっかり寝るようになったリコ、そして母乳を排出しない分、体力に余力が残るようになったので、この少しネガティブ期を抜けたら、いつも寝落ちしてしまって朝まで寝てしまっていたのが、少し夜更かしをして旦那と話したり、一緒に寝て早く起きて仕事をしたりするのが楽になる、それが楽しみで仕方ないです! 罪悪感なく飲むビールも美味しい〜♪ というわけで、私が本当に辛くて辛くて調べまくって実行したこの方法が、そして耐えたら終わるというこの情報が、誰かの役に立ちますように・・・! 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 突然ですが、この「人生の目覚まし時計」というお話、ご存知でしょうか? 個人的にその目覚まし時計が鳴った、そしてエンジンがかかったタイミングが最近あったので、今日はそのことについて書きたいと思います。 人生の目覚まし時計のお話 目覚まし時計、もちろんこれは目を覚ますために使うものですよね。 では、人生の目覚まし時計とはなんのことか? 私が聞いた話の中では、これは死を意識するとき、鳴るものだ、 と出て来ました。 ある日、突然余命を宣告される。 ある日、突然会社をクビになる。 ある日、突然体が動かなくなる。 正直このようなことは、健康で、ホームワーキングスタイルをとっている私にはピンとこないというか、 いつか訪れる可能性があるということは認識しているものの、 自分事として捉えることができないものでした。 旦那の上司が変わった! それが、先日、私の中で「ジリリリリリリリーー」と目覚まし時計が鳴った瞬間がありました。 ヘビーな時計ではないです。 そして私の目覚まし時計ですので、はたから見たらそんなことと一緒にするな!とお叱りの声もあるかもしれませんが、 私の中では確実に鳴ったのが聞こえたのです。 それは、旦那さんの大ボスが異動になるという出来事。 大ボスが変わる = 方針・体制が変わる = 旦那さんの日本帰国ももしかしたらあり得る 。。。そういうことなのです。 せっかくあと1年は安泰らしい、、、かなと思っていたのに! 時間は有限である、そのことの再認識 私の中で目覚ましが鳴ったと感じたのは、おそらく 「時間が有限だ!」 と強く感じたからです。 私がホームワーキングママを目指そう、最初にそう思ったのは、 旦那さんの帰国するかもしれないという状況になっていた、今から8ヶ月前。 その後の日本での暮らしを考えた時。 前の会社に戻るために今でもスタッフとして籍は残しているし、仕事も一緒にしているけれど、 本当にあの生活に戻りたいのか? 保育園に1番最初に連れて行き、1番最後にならないように走って送り迎えをする生活。 そこまでしてやっているのに、なかなか思った成果が出せなくて苦しい、やるせない生活。 おまけに今度は一人でなくて二人。 でも、会社は退職してしまっているので、履歴書的には3年の空白。 おまけに乳幼児の母。 こんな自分を新たに雇ってくれるところなどない・・・ 戻るしかないのか!!?でも嫌だ! そう思った時に、アメリカにいる間に私が前の会社でもらっていたお給料よりも 稼げるようになったら。 そしたら保育園に走らなくていい! もうその一心で始めました。 時間が有限なのはすぐに忘れてしまう その一心で始めて、少し軌道に乗り出したところで運良く帰国は免れることが判明したのが3ヶ月前。 以降、一生懸命走って来たつもりではあるし、稼ぎも増え続けてはいるのですが、、、 なんとなく気持ちがだらけていました。 朝早く起きられる日も減っていたし、あーこれもやらなくちゃーでも明日でいっか、そう思う日も増えて来ていました。 あんなに強く思って始めたことなのに、なんとなく気持ちが薄れていたんですよね。 なんとなく、ずっとこのままここに住めるんじゃないか、 旦那が仕事を変えない限りはそんなことありえないことなのに、 なんとなくそう思ってしまっていたのです。 ですので、今回のこの大ボス交代事件は、私の目をまた覚ましてくれました。 人生の目覚まし時計の話の続き この、時間は有限であるという教訓、実は続きがあります。 このお話を教えてくれた方が言っていたのは、 「もし最愛の人が病気であと半年しか生きられないと知った時、 その愛する人が持っている願いを叶えてあげられるか。 それはやっぱりお金があるかどうか、それで変わってくる。」 悔しいけれども、そうなんですよね。 こんなに大袈裟なことでなくても、お金がないと惨めに思うことがあります。 そして、何より窮屈。 自分が日本に帰るとき、どんな生活をしたいのか。 アメリカの大きな家に慣れてしまった自分はどこに住みたいのか。 旦那さんにどれくらい家にいて欲しいのか。 広い家に住みたいけれど、都会ではなかなか難しい、少し郊外に行くと通勤時間が長くなる。 都会が便利だけれど、お金がかかるから私も働かなくてはいけない。 でも果たして保育園があるのか・・・。 以前の私はこの「帰るかも」事件のたびに、帰ることに対して目を背けたい気分になっていました。 だって、考えたくないことが多すぎるから。 住むところ一つにしても、自分の願望を必ず何か犠牲にしなくてはいけない。 お金のことを考えると、自分も働きに行くしかない。 でも履歴書に3年間のブランクのある、1歳と4歳の子供を抱えたママを雇ってくれるところなんてあるのだろうか。 もう、ちょっと考えただけで憂鬱になるので、 「帰ることが決まってから考えよう」 と思考を止めていました。 でも、今回の「ジリリリリーーーー!」では、 単に、しまった、だらけてた、自分! このアメリカでの生活を無駄に過ごしていい時間なんて1分たりともない、そのことでした。 行動に出たおかげで、今回、自分の目覚まし時計への捉え方がずいぶん変わったなーと思ったのでありました。 私にとってのもう一つの目覚まし時計・・・ いつもこんなことを考えるとバカねーっとみんなに言われるのですが、実は私にはもう一つ、目覚まし時計があります。 それは、幼稚園への送り迎えでたまに通る道にある、高校の前を通る時に鳴ります。 アメリカでは、16歳から運転ができて、割とリッチな子供達が多いその高校では、多くの高校生が車を持って、運転しているんです。 車が運転できるようになると、子供達も色々と自分の力で遠くに行けるようになりますよね。 それを見るたびに、 「4歳半のハルと一緒に過ごせるのもあと12年か・・・・」 と考えてしまうんです。 ハルが生まれてからすでに4年経っているので、16歳まではすでに4分の1も経ってしまっているのです!!!! リコは1歳ながらにしてとても自立心の強い子なので、もっと早くから巣立つかもしれません。 今は毎日とても狭い思いをして一緒の布団で、二人に寄り添われながら寝ているけれど、それが終わってしまうのはもう間も無くでしょう。 いつも高校の前を通るたびに、私の子育てやライフスタイルに対する目覚ましが鳴るのです。 私が子供たちとどう過ごしたいのか。 そんなことを考えるのです。 四六時中一緒にいるのは疲れることだけど、 一方で好きなだけ甘えさせてあげられて、 友達と遊ぶのを見ることができて、 なんてありがたいのだろう、 もっとありがたみを感じないといけないなーと思うのです。 やっぱり、 日本での保育園に走って迎えに行く生活と、アメリカに来てから四六時中子供と一緒にいる生活を両方経験して、 そして、このもう一つの有限の時間の考え。 どちらがいいか?と考えると、 やっぱり私は家族と、子供と一緒にいるライフスタイルを今は送りたい! そしてそれを選ぶために行動に出てよかった、と思うのです。 家事もきちんとするのも大の苦手なは私にとっては試練の毎日ですけどね!! 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 バージニアからニューヨークへ引っ越してきたのがいまから1年前くらいですが、こちらニューヨークに来て日本人ママの多くから教えてもらい、私もすぐに行きたい!と思ったのが、アンティークの街、フィラデルフィアにあるアダムスタウン!! バージニアからもニューヨークからと同じくらいの時間で行けるので、もっと早くに行っておけばよかった!?というくらい、少しでも食器や、カントリーテイストのものが好きならキラキラする場所です。 もともとすこーしだけお皿が好きで、よく北海道の小樽に行っては1枚ずつ買い足したり、ビール工場でお気に入りのグラスを買ったりしていました。食器類はかさばりますが、洋服と違って割りさえしなければ洗濯してよれたりすることもないし、サイズが変わることもない。そう気づいてからお気に入りのものを少しずつ集めています。 とはいえ、子供が1歳と4歳なので、メラミン素材のものと使い分けてますけどね! ちなみに、メラミン素材だけど可愛いものを売っているお店はこちら、アンソロポロジーとSur La Table。これらは割れないのに可愛い!子供がいるご家庭にオススメのお店たちです。 話が逸れました。 アダムスタウン、どんな人たちがあつまる? アメリカの方だと、アンティークに興味があるのはご高齢のご夫婦が多いです。小さい子連れのアメリカ人はほぼ皆無。たまーにアメリカ人の若いカップルがお店に入ると、 「あなたはまだ若いから良さがわからないかもね〜」 とディーラーさんがニヤニヤしながら言っているのが漏れ聞こえてきたくらいです! しかし、それに比べると日本人は、30、40代くらいの若い世代から女性がこぞってアンティークに向かいます。 主に食器ですね。ファイアーキングとか、キャンドルウィックとか、有名なメーカーでなくても素敵なものがたくさんあります。 しかも、日本で買うより安くて、お得な掘り出し物がたくさんあります。 ご自宅に遊びに行って、「(素敵な食器だな〜)」と思って見ているとだいたいアダムスタウンで手に入れたもの。 今回、行った際に店員さんから聞いたところによると、日本人観光客のツアーバスも来るとのこと。アンティークのお店をめぐるツアーで、1日かけて数店舗回るようです。すごいですね! そんな日本人に大人気のアンティークの街、『アダムスタウン(Adamstown)』にこの週末行って来ました! 実は今回の訪問で4回目。子連れには正直、割るんじゃないかとヒヤヒヤするところもあって大変なのですが、買ったものを持って帰ってきた時の幸せ感! やめられません笑 アダムスタウンはニューヨークから車で約3時間。フィラデルフィアの中心部から西に車で1時間ほどのところにあります。 普段はアダムスタウンの入り口にあり、もっとも有名な1箇所しか行かないのですが、今回はいつものお店で他のオススメも聞いて、街の中にある4つのお店を回って来ましたのでそれぞれのお店の特徴をお伝えします。 アダムスタウンといえばまずここ!バスツアーも来る定番スポット パイン・ヒルズ・アンティーク・モール(Pine Hills Antique Mall) 222のフリーウェイを降りてすぐのところにあります。 初めて来てそれほど時間がない方はここだけ立ち寄れば、十分でしょう。 日本の方が好きなアンティーク食器が所狭しと並んでいて、見ているだけでもわくわくします。 値段はもちろんピンキリですが、素敵な絵が描いてあるお皿がわずか数ドルで買えるものもあり、普段使いをしてもいいかなと思えるお値段ですよね。 お店の中は小さな区画に分かれていて、それぞれの区画をそれぞれのバイヤーさんが仕入れて来たものを陳列してあるスタイルです。 まったく同じファイアーキングでも、区画によって値段が違ったり、状態が違ったりします。 ですので、お店の中をくまなく見て回って、同じメーカーの製品でもこれが1番安いとか、1番状態がいいとか、探すのがポイントであり、楽しみでもあります。 私が今回ゲットしたのは、キャンドルウィックのタンブラーとデザートワイングラス。友人の家でみて本当に素敵で、欲しいなーと思っていたお品。 これがかなりのお値打ち価格で出てました!しかも1ブースだけ。 これは運命の出会いだろうと、ゲットしました♪ が、買った商品の写真が写真が実はないんです・・・・この顛末はまた後ほど! カテゴリーごとに分かれていて親切!キッチン系、家電系が比較的充実 マッド・ハンター・アンティーク・モール(Mad Hatter Antique Mall) 2番目に訪れたのがここ。先ほどのパイン・ヒルズよりもお店が大きくて種類も豊富です。 ここは、例えば食器なら食器、おもちゃならおもちゃと、ある程度カテゴリに分かれて商品が陳列してあるのでわかりやすいのが特徴です。 どちらかというとキッチン系が多い印象でした。アンティークのキッチン家電や種類豊富な食器には驚きでした! さらにカメラや古いレコードなども置いてあり、いろいろな種類の品物を見ることができる楽しさがあります。 でも、キャンドルウィックやファイヤーキングなど、お目当の食器がある人にはやや物足りないかも・・・ 1つの棚にわーっと入っていて見やすいのですが、お店を巡って探して楽しむ、という感じではないので、掘り出し物を見つけたー!という喜びはやや少ない気がします。 逆に、ブラブラとどんなものがあるのか、なんとなく見たい、という方にはオススメかもしれません。 こんなものも売ってるんだ!というものがカテゴリーごとに並んでいて見応えがあります。 実はトイレの看板の左側がトイレなのですが、右側にさらにもう1スペースありました。 (1歳の娘に携帯を取られて写真がないのが残念なのですが・・・) ここにはなんと使われなくなった銃、そしてなぜか着物調の洋服もありました。 現役で使えるレトロなトースター、電話、アイロンなどもあって、カントリー風にお家を統一したい方にはぴったりなんだろうなーと眺めていました。 見るだけでも楽しいので、このトイレの奥のスペース、お忘れなく!休憩室がある廊下の先にあるので、ためらわずにズンズンと進んでくださいね。 家具中心、ディープなアンティーク世界 アダムスタウン・アンティーク・モール(Adamstown Antique Mall) ここは、小物もありますがアンティーク家具をメインにしているお店のようで、ちょっと写真には写っていないのですが、お店の外にたくさんの家具が並んでいます。 単に古いものもたくさんあって、どれがお値打ちものなのか素人にはさっぱりでした。玄人向けかなと思います。。。 ただ、実は大学時代から妊娠するまで、英語劇をやっていた私。そこで戦前の物語をやることもあったのですが、その当時使われていたと思われるものがたくさんあり、自分で飾ったり使ったりすることは正直ないものの、見ていてとても楽しかったです。 古いローラースケートや、足踏みのミシン、初期のメイソンジャー、古い木製のバットやミット。 確かにかなりの"ガラクタ"なのですが、もしまた演劇をする機会があれば、是非とも小道具として使いたい代物がたくさんありました。 アンティークの総合百貨店!提案型ディスプレイも心をくすぐる ジャーマン・トレーディング・ポスト(German Trading Post) 最後にもう1軒。 ここも大きなお店で、鉄道模型や、古い本、人形、カメラ、あと大リーグの選手のプロマイドカードまで、今回行った4件の中で1番幅広くジャンルの商品が置いてありました。 ここは最後に行って、正直ハルとリコが飽きてしまって大変だったので写真があまりないのですが、入り口付近はカテゴリーごとにショーウィンドウに入っていて、奥に進むとディーラーごとのブースとなっていました。 ディーラーごとに提案型ディスプレイをしていて、 ラブリーなレースやピンクテイストでまとめたディーラーや、 カゴなどをたくさん飾っているカントリー風ディーラー、 レコードを綺麗に並べているディーラーなど 個性があって本当は一つ一つじっくり見たいくらい広くて見応えがあるところでした。 ただ、食器類は少なめでしたので、食器がお目当だったら、やはり1番最初のパインヒルがもっとも充実していた気がします。 逆に、男性も女性も楽しみたい、ということでしたらここはおすすめ。古いカメラや鉄道模型など、男性が見ていても見飽きないものがたくさんありました。 いかがでしたでしょうか。 古き良き?時代のアメリカのグッヅがたくさん揃っており、女性だけでなく男性も十分楽しめること間違いなしです! こだわりがある方は、ぜひお目当の商品をゲットすべく、掘り出し物を探して見てくださいね。 私が買ったものは次回ご紹介します! というのも、今まで行ってきた中で初めての事件だったのですが、なんと品物を詰め忘れられるという事態が・・・ 家に帰って見て、つめてくれた箱を開けて見てびっくり! た、足りない!!! 慌てて次の日に電話したら、きちんと取っておいてくれていて、先方のミスだったので送料無料で自宅まで送ってくれることになりました。 あーよかった。 超稀ですが、そんなこともあるので、念のために詰めてもらっているものはきちんとチェックしましょう。 つめているカウンターはレジから見えるので、全部入れてくれているか、その場でチェックできます。 私は店員さんとおしゃべりしまくったり、最後に買い足しに走ったりしたので見てませんでした・・・ 私のようなうっかりさんはそういないと思いますが、どうかお気をつけを! そしてもう一点注意。上の方にも書きましたが、現地の人にとってはアンティークはかなり大人になってから楽しむものです。 じっくり選んでいるところを子供たちがワーワーいうのはかなり失礼だな、と自分がやってしまって思いました。 ですので、できればお子様対策はきちんとしていきましょう。 我が家は最初にお店に入って10分くらいでもう無理だと判断し、そこからは車か外の広場で一人が子供たちと待って、もう一人が見てくる、というスタイルを取りました。 でも、購入するとレジで子供のおもちゃをタダでもらえるので、それはお願いしてもらうといいと思います! 私も実際、Mad Hatterで買った時にレジで子供が待っているからもらっていいか、と聞いたら「もちろんよ!」という感じでおもちゃを選ばせてくれて、ハルはもらった車に大喜びでした! せっかくのアメリカ生活ですもの、子供がいてもやっぱりこういうちょっと大人の趣味も楽しみたいですよね♪ お店情報 パイン・ヒルズ・アンティーク・モール(Pine Hills Antique Mall) 3 Adams Dr, Reinholds, PA 17569, USA マッド・ハンター・アンティーク・モール(Mad Hatter Antique Mall) 61 Willow St, Adamstown, PA 19501, USA アダムスタウン・アンティーク・モール(Adamstown Antique Mall) 3014 N Reading Rd, Adamstown, PA 19501, USA ジャーマン・トレーディング・ポスト(German Trading Post) 2152 N Reading Rd, Denver, PA 17517, USA First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 ここ数日、実は体調不良で生きるのが精一杯でした。 何か・・・それは断乳によるパイの痛み!! しかし、1週間経った今、ようやく落ち着きました。 私には2人の子供(いま4歳半の息子、ハルと1歳半の娘リコ)がおりますが、 今回(前編)では私と下の娘、リコの断乳のお話を中心に書こうと思います。 次回(後編)では、どうやって断乳後処理をしたのか、まとめますね。 断乳を決断した理由 私は上の息子ハルが産まれてから幸いなことによくお乳が出たので『完母(完全母乳)』、そして一貫して『卒乳派』でした。 と言うか、なんでも基本的には子供は本能で時期や必要なことを察知するだろう・・と言う考え方です。 ですので、公園でも子供たちがびしょ濡れになろうがなんだろうが遊びたいなら水の中へ、階段も登りたければちゃんと見張っている中でやらせる。 そうすることで危険を察知する力なども養われるんじゃないかなーと思っています。 なので、もうパイがいらない!と思う時期も自分で決めて欲しい、とハルのときから思っていました。 結果、ハルの卒乳は3歳半。 そうです、ずっと妊娠中もお腹が張らない限りはあげていました。 一時期、2人に同時にあげていたこともあります。 今考えると相当おかしな姿!しかもハルは人一倍大きいのに、3歳半まで。 なんとまー、異様な姿だっただろうと今になって思いますが、 それでもあげきった、と思えるパイ生活でした。 やめさせたきっかけはまだ小さいリコに風邪をどうしても移してしまうから。 それが耐えきれず、説得してやめました。 じゃあリコはいつやめる? 現在、1歳10ヶ月のリコ。 いつやめようか、1歳を過ぎてからずっと考えていました。 本来であればずっと本人がやめたいと思うまであげさせたい。 リコはご飯もかなりしっかり食べるし、走るし、ペットボトルでも水分が取れる。 いまやパイは完全に精神安定剤、口寂しさを紛らわらすもの、そして寝付くためのものでした。 正直、もはやなくても生きていけるもの。 でも、私にとっても、リコにとっても、授乳は至福の幸せだったりしました。 しかし。。。 幸せである一方で、夜も数度起きるたびに仕事が中断し私も寝落ちしてしまう、そしてソファーに座るたびに寄って来てめくってくる、外でも欲しがる・・・そのようなことにストレスを感じなかったわけではありません。 いや、ストレスを感じなかった、と言う言い方は嘘です。 ストレスでした。 それでも、私は卒乳させたいんだ、と心のかなりの部分で思い込んでいて、なかなか断乳に踏み込めませんでした。 ハルのときにたくさんの 「断乳ではなく、卒乳を!!」 という情報に触れ、もしかしたらある意味洗脳されていたのかもしれません。 やめるきっかけ~新生児とパイ~ 先日、生まれて1ヶ月の赤ちゃんに会いにいく機会がありました。 その赤ちゃんは小さくて、触っても壊れそうで。 その赤ちゃんが一生懸命パイを飲んでいました。 そんな中、リコはちょこっとやって来て、トレーナーの中に自ら入り、 ちょっとだけパイをして去って行きました。 それを見て、いや、もういいな、と思えたのです。 やめたくない、と思っていたのは私の方で、もうリコはいらんだろう、と心から思いました。 どうやって断乳したか? さて、説得断乳しかしていない私。 どうやって断乳したらいいかわかりません。 すぐにママ友に聞きました。 そうしたところ、、、 パイに顔を描いた、 絆創膏した、 予告して1ヶ月後にやめた。 いろいろ出て来ました。 リコとわたしの性格を考えて、私は予告なしでいきなりやめようと決めました。 リコは超がんこ!変えられるものは自分の力で変えてやる!タイプです。 私はこと育児に関しては「自分で決めさせる」以外にルールがない。 と言うわけで予告すると確実に負けるのです。 そこでとったのがでかい絆創膏作戦! でかい絆創膏を片方はって見せました。 (両方貼りたかったのですが、やって来てバレてしまったので 慌ててまずは片方になりました・・・) すごくびっくりしたリコ。 「こっちのパイ、なくなったんだって。」 そう伝えて、もう一方、貼っていない方を見せました。 そちらに少し来たものの、すぐにやめてどっかに行きました。 「(お、これは行けそう。。)」 そしてハルの友だちに夜ご飯まで一緒にしてもらい、 いざ就寝。 よっぽど疲れたのか、コテっと寝ました! 次の日の朝。 3時ごろにパイが欲しくて起きたものの、絆創膏を見て あーそうだった、と言う感じでまた寝ました。 朝5時。喉が渇いて起きて、やはりまさぐりましたが、 また、そういえばなかった、と言う感じで、 「カルピス飲む?」 と聞いたら立ち上がり、一緒に起き出して飲みに行って、そこから 起床。 その日、次の日とたまにパイを日中見に来ますが、基本的には欲しいと泣くことはなかったです。 困ったのは寝入り。 今まで添い乳でしか寝ていなかったので、昼寝はどうやって寝たらいいかわからない、夜も寝付くまで1時間ほど、ゴロゴロしたり、遊んだりしていますが、1週間経った今、ギリギリまでママのそばにいて、寝入る時に自ら離れる、と言うスタイルになりつつあります。 寝入るまでにかかる時間も1時間以上かかっていたところが、1週間経った今、30分くらいになっています。 最初の3日くらいは10分くらい、手をつけられないタイプの夜泣きをしていて、その時はもうどうしよう・・・と途方にくれましたが、1週間経った今はそれもなく、夜1度も起きないで寝ていてくれる日も。 断乳までは、1日に2、3回は当たり前のように起きて添い乳していたので、この変化にはびっくりです。 もう準備が整っていた、手放せなかったのは私の思い込み 1週間経った今、もうパイの絆創膏もいりません。 見に来ることもなくなりました。 晴れて卒業できたようです。 今までスキンシップといえばパイ、でしたが、むしろわざわざぎゅーしにきたり、私の上にゴロゴロしにきたり、スキンシップを目的に寄って来てくれるので、可愛くてメロメロです。 パイ、息子の時にはやめさせるのがとても遅かったです。 今回も、できるならしたくない、と自分が思っている、と思っていました。 そして娘もきっとそう思っている、と・・・。 私がパイ辞めたくなかった理由、深ーく深ーく考えると、実に自己中な思い込みだったように思います。 一つはあげれば寝せることができる、外でもおとなしくなる、と言う利便性。 本人もまだやめたくなさそうだからいいだろう、と言う気持ち。 そしてもう一つ。実は前ほどそばに寄って来てくれないのではないか、パイという繋がりがなくなったらママの役割は終わってしまうのではないか、、、はたから見たらそんなことは絶対ないと分かるのでしょうが、私は大真面目にそう思ってました。 だから、ママの存在意義を残しておきたい。 そう思って踏み込めなかったのです。 でも、それは完全な思い込みでした。 ママってもちろんパイだけのために存在するわけではないですよね。 パイの繋がりがなくなっても、リコはママを大好きでいてくれます。 そしてパパにもより一層懐くようになりました。 1つ手放して、たくさんのものを手に入れた気がします。 もうパイをあげながら目を合わせ合うことはないけれど、その分たくさん一緒に遊んで、ギューして、新しい関係が始まったのです。 わたしとリコには、この1歳10ヶ月のこの時期が、タイミングだったようです。 断乳、卒乳に正解はない 今、現役でパイをあげているお母さんたちも、いつか迎える、 パイを終える時期。 巷ではほんとにたーくさんの情報があったり、友人や親に色々とアドバイスをもらったりすることもあるでしょう。 私自身もたくさん調べたり、ママ友と情報交換したりしました。 その中で卒乳がいい気がする、と思い込んでいました。 でも、自分がこうして終えてみて思ったのは、これは「人それぞれ、それぞれのママと赤ちゃんの物語」、なのです。 ハルと私。 リコと私。 それぞれの終え方をしましたが、一番大事なのはママが納得した終わり方ができること。 終えてみて、とても体力が復活しました。いつも疲れていたのが、随分と元気になったように思います。 それだけ、命を削ってパイをあげていたんだな、と。 だからこそ、ママが決めればいい。 そして赤ちゃんとの間でお互いに納得できる終わり方、新しい関係を作ればいいんだな、と、パイは終わるけど、違う扉が開くんです。 薬を服用しないといけなくなってやめなくてはいけない人もいるでしょう。 噛まれて辛くなったり、出なくなってやめる人もいるでしょう。 普段は働いているから、帰った後、たっぷり甘えさせてあげたいからあげ続ける人もいるでしょう。 どれも、ママがそれでいい、それがいい、と思えばいいんだと思います。 逆に、辛くなってしまったら、もういい、と思うんだったら、そこでストップしてもいいんです。やめざるを得なかった場合も、そこがやめるタイミングだったんです、きっと。 こちらのママたちはパイに関しても考え方が多種多様、そしてそれぞれの考え方を否定することはありません。 「体を返して欲しかったから早くにやめたわ!」 「もっとあげようと思ってたけど、噛みまくって辛いからやめた!」 「じつはまだまだあげているのよ。」 どれもオッケーなんです。 ネットを見てしまうと、そして友人と話していると 「~~でなくてはならないのではないか!」 と思ってしまうことも多々ありますが、大事なのは自分がどうしたいか。 私にとって、この断乳体験はそんなことが気づくことができる ものとなりました。 さて、今回はリコとママという話を書きました。 後編では、いったいどうやってアメリカで断乳後の処理をしたのか? 断乳後の不安としてもう一つあったのは、「私のパイ、いったいどうなる?!!」でした。 長くなったので、後編では私の体験を書こうと思います! 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 マリオット系列のキッチン付きブランド、レジデンスイン(Residense Inn)にリワード・ポイントで泊ろうとした時に、なかなか10,000ポイントで泊まれるところが少ないのですが、今回たまたまデラウェア州に行った際に見つけたので、ご紹介させて頂きます。 フィラデルフィアの街まで車で50分、ボルチモアまで車で1時間、アダウスタウンというアンティークの街まで車で1時間半、この辺りにお出かけの際はオススメのホテルです。 旅行好きの我が家はよく泊まりで遠出をするのですが、子供が2人になると移動費や宿泊費、そして食費が夫婦2人の時と比べてよりかかりますよね。。。 そこで以前、 『アメリカ旅行 – ニュージャージ マリオットバケーションクラブリゾートに行ってきました!』 の記事でもご紹介させて頂きましたが、我が家ではマリオットバケーションクラブに入っているので、宿泊費と食費を浮かせるために以下の作戦をとっています。 アメリカで日々利用するクレジットカードは、マリオット・リワード・カードに集中してポイントを貯める。 特に、初回入会時は、一定金額以上を利用すると80,000ポイントをもらうことができます。(キャンペーン期間中のみ。通常は、50,000ポイントです。) 参考URL: https://creditcards.chase.com/marriott/cardmember 旅行時に宿泊するホテルをできるだけマリオット系列で固定する。 アメリカ国内であれば、だいたいどこにでもマリオット系列のホテルがあります。 キッチン付きの部屋で食材を買って来て自炊することで、食費を節約する。 小さな子連れには、高級なレストランに行くよりもお部屋で食べた方が気楽なんです。 マリオット系列でキッチン付きのホテル・ブランドが今回行ったレジデンスイン(Residence Inn)とタウンプレイス(TownePlace)でよく利用しています。 年末の旅行などで本当によく使うのでいまは、ゴールドのステータスをゲットし、空きがあれば追加料金なしでお部屋をアップグレードしてくれます。 さて今回は、デラウェア州にある『レジデンスイン・バイ・マリオット・ウィルミントン・ニューアーク/クリスティアナ(Residence Inn by Marriott Wilmington Newark/Christiana)』に泊まって来ました。 デラウェア州は、ニュージャージー州、ペンシルバニア州、メリーランド州に囲まれた全米で2番目に小さな州で、今回泊まったホテルは、フィラデルフィアとボルチモアの間、I-95(高速道路)沿いにあります。 なぜ、デラウェア州に行ったの?、、、ですよね。 理由は、主人のタバコです。。。 ニューヨークはタバコがものすごく高いので買い出しのために来ました。 メリカでは州によって値段が違うんです。 アメリカ東海岸北部で、1番安いのは、以前住んでいたバージニア州(タバコの生産地だから安いそうです。)なのですが、さすがに土日を使ってニューヨークからバージニアまで往復(片道車で5時間)はつらいなということで、 ネットでいろいろ探したところ、デラウェア州も比較的安いことがわかったので、今回はデラウェアに向かうことにしました。 だいたいですが、1箱バージニア:5ドル弱、デラウェア:6ドル、ニューヨーク:12-15ドルといった感じ。 ぜんぜん違いますよね!?(というか主人がやめればいいんですが。) デラウェアでもニュヨークから片道3時間くらい車でかかるので、さすがに日帰りは辛いということで近くのホテルを探していました。 レジデンスイン・バイ・マリオット・ウィルミントン・ニューアーク/クリスティアナ このホテル、I-95沿いにあって便利だと思うのですが、近くに大きな都市や観光スポットがないからか、 マリオット・リワード・ポイントを使って10,000ポイントで泊まることができました。 だいたいレジデンスインだと、最低でも20,000ポイントはすることは知っていたのでここに予約することに。 10,000ポイントといってもホテル自体が古いわけでもなく、大満足の環境でした。 いくつか写真でご紹介させて頂きますね。 お部屋の中は広いキッチンと大きな冷蔵庫、それにオーブンもついているので、食材を買ってくれば普通に料理をすることができます。 (Residence Inn Wilmington Newark/Christianaのサイトより) 今回は、お部屋のアップグレードに成功して、ロフトに2つ目のベッドがあるお部屋に! 実はデラウェア州には、アメリカ人と結婚して最近こちらで出産した私のお友達が近くに住んでいます。 突然誘ってしまったのですが、快く来てくれてなんとホテルの部屋で会うことができました。 お友達家族ととても楽しい夜を過ごすことができました(^ ^) ホテル情報 レジデンスイン・バイ・マリオット・ウィルミントン・ニューアーク/クリスティアナ(Residence Inn by Marriott Wilmington Newark/Christiana) 240 Chapman Rd, Newark, DE 19702 First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 4月から4歳半の息子、ハルの習い事が一気に始まり、送り迎えでバタバタ&シッターさんが今週お休みでどうにもこうにも身動きが取れません。 親に仕事があるように、子供は動き回って、遊ぶのが仕事。それに付き合わないというわけにいかず、なんだか振り回され感が半端ない今日この頃です。 でもニューヨークは一気に春が来て、気候がやや不安定なものの、一気に葉っぱが芽吹いて、裸だった木がどんどんフレッシュな緑を枝につけて来ていて、晴れた日はすごく爽やかで気持ちがいいです。 (花粉がね・・・すごいんですけどね・・・どの車も黄色いです。。。) 住み込みシッターさんがいるお家のお家騒動?! さて、以前、記事でハルの友だちで、住み込みのシッターさんがいるお宅の話を書きました。 「アメリカママのベビーシッター・家事代行事情 〜フルタイム在宅勤務編〜」 最近、そのお友だちのお迎え事情に変化が。 普段はママか必ずお迎えに来ていました。シッターさんは運転ができないから、シッターさんに1歳の娘を預けて、5歳と3歳の息子を迎えに来ていたのです。 ところが、4月に入ってから結構な頻度でパパ登場。 パパと話すと、ママは出張が増えて忙しいから自分がきているとのこと。 でもなー、結構忙しかったはず、パパも・・・。 ちょっと合点がいかないままに過ごしていたのですが、ある日、季節が良くなったので、ピクニックに誘われて、晩御飯ピクニックにその家族と行きました。 そうするとパパお手製のキンパが! え??! パパ料理したっけ・・・。 ママに 「パパ料理するんだねー!最近パパがいつもいていいね!」 と声をかけると、 "He got laid off.” 。。。はい、クビになったそうです。 アメリカでは、特に東海岸の雇用主と従業員の関係は、 『いつ辞めてもいいし、いつ辞めさせてもいい。』 「はい、明日からあなたは来ないでください。」 がふっつーにあり得ます。 日本では考えられないですが、逆もオッケー、つまり 「明日から転職先(もっと条件の良いオファー)が決まったので来ません。」 も普通にあるのです。主人の会社の現地採用の方でもどちらのパターンもあったんだ、という話を聞いていました。 そんなもんなんだな、と思っていたのですが、あまり自分ごとになってませんでした。 しかし、今回は3人の子供がいるご家庭でのお話。 日本人の私からするとヒョエーーー!です。 さすがに言葉に詰まりましたよ、そりゃ。 聞くと、ナニーはそれに伴い、さすがに雇えなくなった、と。 1歳の娘はパパが中心に見て、ママが家で働いているとのこと。 でもですね、明るいんですよ。 ピクニックも穏やかに一緒にできるほどに。 日本でこんな事態になったらきっと悲壮感漂いますよね。ピクニックなんてしてる場合じゃないでしょう。 いつクビになってもおかしくない、だから備える パパは、 「専業主夫は僕の夢の仕事さ!」 ママは、 「最初、絶対絶対専業主夫なんて彼にはできないと思ったけど、意外なほどに私より子供たちへの接し方も上手だし、料理はあんまりだけど他の家事はなんでも大丈夫なのよ。」 と余裕の話っぷりになんだか感動しました。 「シングルインカムになっちゃって不安じゃない?」 と聞いたら、 「そうねー。私が転職すればシングルでも行けなくはないけど、ホームワーキングスタイルができなくなるから、まだしばらくはダブルインカムの方がいいかなーでもパパが怒鳴らなくなって、すごい穏やかになったから、夏ぐらいまではこれでもいいかなと思って。」 とのこと。 ママは、自宅勤務というスタイルを取りたかったので、昨年一生懸命勉強をして資格を取っていました。土日に学校に行き、試験も受けて取得して、自分の専門性を高めていたのです。 この、ママの備え。 すごいですよね。 このお家が例外なのか?働くパパ事情 働いていた頃のようなストレスがなくなって穏やかになったパパ。それが嬉しいママ。 このお家がアメリカで特別なのか? 実はそうでもありません。 まず、ハルは英語の勉強のために日本人が一人もいない幼稚園を選んだのですが、お迎えのうち、3分の1くらいはパパです。パパを知らないお家はクラスの中で1組くらい。それくらい週のどこかでパパが迎えに来ます。残りの3分の1がおばあちゃん。そして3分の1がママ。 おかげで、ママ友よりもパパ友、ババ友の方が多いくらいです笑 あるパパは、お迎え以降の時間を子供と過ごすために転職、朝の3時から昼の11時まで働くスタイルに。 あるパパは出張の多いママを支えるためにホームワーキングパパに。 あるパパは木曜金曜は子供と過ごすために早上がりに。 仕事がなくてはお金が生まれないので、もちろん働かなくてはいけないのですが、 どんなライフスタイルがいいのか、 もっというとどんな風に子供たちと過ごしたいのか、 家族と過ごしたいのか、 自分がどうしたいのか、 考えてみれば当たり前の、自分の欲求、願望を中心に仕事も決めているのです。 自分の気持ちが最初に来るからこそ、いきなりクビになっても夫婦できちんと乗り越える備えがある。 そして家族でなんとかしよう、なんとかなる、と解決していくのです。 日本も超ゆっくりながらそうなる、そうなってほしい 2014年、私も日本を飛び出すことになるまでは完全に仕事が中心でした。主人は今でもそうです。 なぜか、それしかないと思っていたから。 そしてそうしないと自分の生活レベルを保てないと思ったから。 その後も主人が仕事を辞めてもいいなんて思えたことはありませんでした。 でも、どうして母が育児や家事に縛られなくてはいけないのでしょう? どうして父が働きに出なくてはいけないのでしょう? どうして仕事は外で、会社でしなくてはいけないのでしょう? それがしたくて、楽しくてしょうがなかったらいいと思います。 もちろん、すぐに変えるのも無理でしょう、残念ながら。 お金がないと、死にますからね。 でも、『それしかないから仕方ないというのは思い込み』なんだなーと アメリカに来てつくづく思います。 今回見たように、会社は自分(従業員)を守ってくれないところです、アメリカでは。 だからこそ、自分がどうしたいか、めちゃ重要。 でも、日本もちょっとずつですが、そうなっていくような気がします。 というか、本当は今でもそうなのです。日本だって会社は自分を守ってはくれません。 自分を、そして家族を守れるのは自分自身なのです。 当たり前のことなのに、ついつい忘れてしまう、 そんなことを実感させられた、ニューヨークの春でした。 私も旦那が仕事を辞めたい!と言った時でも驚かずにどーんと構えられるように、 私も日々備えたいと思います。 『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る
こんにちは、かさまりです。 私は無類のヤムチャ好きです。 あるとき、急に食べたくなるんです。 ここニューヨークはさすがいろいろな国から人が集まっているだけあって大きな中華街がいくつかあります。 近所のママ友に『クイーンズのフラッシング地区(Flushing, Queens)』に美味しいお店があるということで、さっそく行って来ました! いつも通り車での移動です。電車も近くに通っているのでマンハッタンから電車で行くこともできます。 中華街のお店の周りは道が狭くて、ごみごみしています。 パブリックパーキングもいっぱいでした。 駐車できなくて困ったなぁと思ったら、シェラトンホテルの地下が駐車場になっていて 最初の1時間4ドルは、その後は1時間おきに2ドルずつ加算されるとこちらにしては良心的なお値段! そこに停めることにしました。 ここは中国か?と思うくらい建物の看板は漢字ばかり。歩く人が話す言葉も8割くらいは中国語! 「アジアン・ジュエル・チャイニーズ・シーフード(Asian Jewels Chinese Seafood)」というお店に入りました。 Yelpでも高評価!これは期待できます。(店名をクリックするとYelpのサイトに移動します。) お店の外観と中の様子です。 中に入ると人がたくさん! 数組並んでいましたが、お店が広く席数も多いので5分ほどで私たちも席に通されました。 ランチの時間帯は、ヤムチャを乗せたワゴンがいくつか店内を巡回していて、それを見ながら好きなものを選ぶことができます。 美味しそう〜写真を見ていただくのが早いですね! 店員さんの中には、英語がしゃべれない方も多くいるので身振り手振りでコミュニケーション。 私の1番のおススメは、やはりシュウマイ! 大きめ豚挽き肉とエビが中に入っていて最高でした!! どれもとても美味しく、おなかいっぱいになりました。 ごちそうさまでした!! お店情報 アジアン・ジュエル・チャイニーズ・シーフード(Asian Jewels Chinese Seafood) 住所:13330 39th Ave, Queens, NY 11354 First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る