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2017年7月の記事一覧

  • 留学希望者必見!カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でお散歩して来ました!

    こんにちは、かさまりです。   アメリカ西海岸、ロサンゼルスに来ています。   7月ももう後半ですが、ロサンゼルスの気温は現在25℃、天気は快晴。 この時期、雨が降ることはほとんどないですし、湿度も低くて毎日とても清々しい気候です。 6月後半に帰った東京は、すでに梅雨入りでかなり蒸し暑く過ごしにくかったのですし、 ニューヨークもすでに連日30℃を超えているので、 やっぱりカリフォルニアの気候は最高ですね!   週末の今日はお散歩がてら、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA: University of California, Los Angeles)まで足を伸ばしてみました。   UCLAは、ロサンゼルスのダウンタウンから西の方角、ロサンゼルス空港(LAX)の北側にあり、空港からですと道が混んでいなければ車で約20分くらいで着きます。   10あるカリフォルニア大学(州立大学)の一つで1868年に設立されました。 カリフォルニア大学というと、他にバークレー校やサンディエゴ校が有名ですね。   アメリカの他の大学と同じく広々としたキャンパスで、いろいろな場所を散歩しながら歩いきました。 それぞれの場所での様子を写真を交えて、今回はご紹介したいと思います。   まず、UCLAは100周年なんですね。キャンパスを歩いていると記念の旗がいたるところで見られました。     ディクソン広場(Dickson Court)から見える景色 ここからの景色が、UCLAで一番アイコニックな場所です。 休日かつ大学が夏休み期間だったので人もまばらでしたが、ここにはたくさん観光客が集まって写真を撮っていました。   ロイス・ホール(Royce Holl) 広場の北側には、「ロイス・ホール(Royce Holl)」。劇場があります。       パウエル図書館(Powell Library) 広場の南側にはパウエル図書館があります。 800万冊以上の蔵書を抱える全米でも最大級の図書館です。 残念ながら日曜日の今日はお休みで中に入ることができませんでした。。。 中に入りたい方はWebサイトで開館時間を事前に確認することをおすすめします。 UCLA図書館の開館時間(英語)   広場の東を見た景色 広場の西を見た景色 遠くまで見渡せて素敵ですねー 噴水の先は、谷になっていて階段で降りると運動場が広がっています。     法科大学院(School of Law) ディクソン広場から東へ少し移動すると、法科大学院のキャンパスを見ることができます。 ここにも法学専門の図書館があります。(訪れた日曜日はやはり閉館していましたが。。)     理工学部(Henry Samueli School of Engineering and Applied Science (HSSEAS)) パウエル図書館を南に下ると、理工学部のキャンパスがあります。   理工学部キャンパスの外観です。   なんと!建物の中に入ることができたので入ってみることに! 夏休み期間中ですが、いくつかの部屋では子供を呼んで、学生が科学実験教室をしていました。 あと、いくつかの研究室では学生が来てなにやら実験をしているのを見ることができました。   研究成果を説明したポスターですね。なにが書いてあるのかさっぱりでしたが。笑   医学・歯学・看護系のキャンパス 写真で見える大きな建物が看護系(School of Nursing)のキャンパスが入った建物です。 地図で見ると、そのビルの隣には病院があって、医学(David Geffen School of Medicine)・歯学(School of Dentistry)系のキャンパスが広がっています。   芸術系のキャンパス(School of the Arts and Architecture) UCLAには美術(School of the Arts and Architecture)・音楽(Herb Alpert School of Music)・映像(School of Theater, Film and Television)など芸術系の学科もあるんです。 場所は先ほど訪れたディクソン広場の北側に広がっています。     ここには、「フランクリン D. マーフィー スカルプチャーガーデン」という広場があり、作品が並べられています。   いかがでしたのでしょうか。 とても広いので、歩いて散歩をするとけっこうな運動量になります。笑 キャンパス散策していると様々な発見がありますし、学生がキャンパスツアーをしていたりしますので、 ぜひロサンゼルスにお越しの際は行ってみてくださいね。     場所情報 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA: University of California, Los Angeles)       First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱~自由人=変人でなくなってきた!?~

    こんにちは、かさまりです。   日本滞在も折り返し地点、いやむしろあと残すところ数日。 あっという間ですね!   連日色々な人に会って、それはそれは有意義な日本滞在。 自分たちのために時間を割いて下さった皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。   でも不思議なのは、ほとんどの人が3年ぶりかそれ以上なのに、全然そんな感じがしないこと。 みんな元気で、バリバリしたり、ほんわかしたりしていました。   でもその中で一つだけ、時の流れを感じた出来事・・・   それは社会人になって、結婚するまでずっと週末、情熱を向けていた英語を使った演劇のクラスで一緒だった女子4人と会った時のお話。   まぁ、演劇を、英語で、しかも社会人になっても週末を使ってやっていた仲間ですから、少し一般的に見たら変わっている集まりかもしれません。   私たちの感覚としては、情熱を傾けられる趣味を、毎週末一緒にやっていた仲間です。 それがゴルフの人もいれば、ランニングの人もいる。 それと同じように私たちは英語劇を一生懸命やっていた、という感じです。   妊娠してからはさすがにできなくなってしまったのですが、 6年前に一緒にやっていた ある仲間は作業療法士。 ある仲間は派遣社員。 ある仲間は助産師。 私はフルタイム営業。 みんな何かに「属する」仕事を持っていました。   ところが! 3年ぶりに会ったみんなは、 作業療法士→デトックストレーナーの卵 派遣社員→超人気ピラティストレーナー 助産師→1児のママで、大学の研究員 私→バイヤー   なんだかすごく自由な感じになりました。     どんな人生を送るか、自由だ! みんな結婚したり、同棲していたり、子供がいたり、パートナーや家族がいたり、状況はそれぞれけれど、 自由でした!   以前もみんな週末を削って、歌ったり、踊ったり、演じたり、と今から思うとかなりパワフルでしたが、 その時にも増して、強くてキラキラな眼差しを持ちながらも 少しだけ大人の階段を登った雰囲気を纏っていてかっこよかったです。   実際にみんなで会ったのもド平日、金曜日の昼間。普通に会社員として働いていたら会うことができない時間帯です。   おかげでデパートは空いていて、ワイワイとしながらランチを選び、ゆったりと過ごすことができました。   会社に行きたい?行きたくない?   みんなに 「なんで辞めたの?」   と聞いたら、声を揃えて 「満員電車が嫌になったから!」 「朝決まった時間に行くのも疲れた!」   わかるわかる!です。   私もそもそも自宅で何かできないか、と思い始めたのはそんなことが理由でした。 今は旦那さんの駐在に同行してアメリカで主婦をしていてもいいけれど、日本に帰ったらそうもいかない。 でも、大汗かきながら自転車をかっ飛ばして保育園に迎えに行くのも、 これまた汗をかきながら満員電車に乗って営業先に行くのも、 無機質な白い会社のデスクで、向かい合わせの人ともほとんどおしゃべりもしないで、怖い顔をしながらパソコンに向かうのも。   ・・・考えるだけで嫌になってしまった。   でも以前の私であればそこに戻るしかなかった。戻りたくないのに。   そこから、奮起して一歩を踏み出せて本当に良かった。 今はたくさんの人の力を借りながらですが、こうやって日本に滞在していても自分のビジネスは回っている。   この記事も、名古屋の一人旅から山梨県の義理の実家に向かう、特急ふじかわという電車の中で書いています。 走る特急の窓からは富士山が見えます。たくさんの田んぼや山々が見えます。 そんな中でも仕事ができるのです。   少し前までは、私のこの選んだ道は、 「大丈夫なの、それ?」 「またかさまり、変なこと始めたよ」   と言われたことかもしれません。でも、確実に時代は進んでいる。   「へぇ面白いね!稼げる?」 「今やってるそれってどう?いいの?」 「次会うとき、私たちまたどうなってるか超楽しみだね!」   そんな会話が、数年前は作業療法士、派遣社員、助産師、そして会社員の私たちの間で繰り広げられたのです。   女性だって、男性だって。 ママだって、パパだって。 20代だって30代だって40代だって!   人生は一度きり。   嫌なこと、我慢できないことを どうしたら切り離せるのか、 それが会社員をやめるという選択だって、 もし自分で稼ぐ力があれば許される時代になってきたようです。   もちろん、自分でそうやって生きるという選択肢は楽なことばかりではありません。   でも、そんなときよく私の演劇の師匠が言っていたことを思い出します。   「人生は旅だ。本当にやりたいことにたどり着いても、99%は辛いことが待っている。でもその辛さを乗り越えた、1%の喜びや達成感を味わうと、また次の99%に立ち向かえるんだよ。本当にやりたいことならね!」   駐妻の憂鬱、記事一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • TKG - Tamago Kake Gohan

    日本で、アメリカ駐在になって恋しいものを堪能してきた~駐妻の憂鬱

    こんにちは、かさまりです。   日本の湿気と暑さにすっかりやられております。   あまり「アメリカでは」というと、「ではの神」と言われてしまいますが、あえて言います。   アメリカではもっと冷房が効いてるぞ~~~! 熱中症で死ぬ人なんていないぞ~~~!   スッキリしました。   ※ではの神とは・・・ 何かというと「アメリカでは~」「フランスでは~」と欧米を例に挙げて日本は遅れているとけなす日本人をいう。 引用元:コトバンク     なんて美味しい!卵かけご飯! さて、すっかり日本の食事に毒されています。つまり体重が順調に増えております。。。 持ってきた、いつも履いているジーンズがきついです。   お寿司 焼き鳥 焼肉 うなぎ ラーメン 天そば   なんて美味しいんでしょう!   しかも安い! たらふく食べても二人で4000円いかないなんて。 すごすぎます!!   でもですね、実は感動しすぎて食べずにはいられないもの。それは、、、   TKG! そうです、 卵かけご飯!   なんであんなに美味しいんですか!   実家に行った時も母が作ってくれたご飯もそこそこに卵かけご飯を食す私。 そんな私に完全にご立腹でございました・・・。   だって美味しいんですもの~~♪     私にとっては3年ぶり、夢にまでみたソウルフード、卵かけご飯。 私は卵の黄身と白身を醤油や薬味をよーく混ぜて、まずはご飯にかけるだけで食べる。半分ほど食べ進んだら、全部をモリモリと混ぜて楽しむタイプ。 納豆があったら、それも最初に混ぜてしまいます。 でも粘りはそんなに出してはダメ!ちょい混ぜで豆感が残った状態で食べたい派です。   旦那さんは卵の混ぜはそこそこ、ご飯にかけた後に醤油を垂らす派。 納豆があったら、納豆は卵と混ぜずに別々にご飯に乗せる派。   こんなに奥が深い卵かけご飯なのに、アメリカでは食べられません・・・。 そもそも卵の賞味期限が異様に長いアメリカ。 普通に3週間とか平気、ということになっています。 しかし、その卵たちはサルモネラ菌処理がきちんとされていないのです。 なので、生で食すことができない(生食を前提として卵が流通していない)・・・ つまりアメリカで基本的に卵かけご飯は食べられないのです!!!   (正確には、サルモネラ菌処理がされている卵も売ってはいます。サルモネラ菌処理がされていて生でオッケーな卵はこんなマークがついてます。でも!賞味期限は処理されていないものと同じく長く、一度どうしても食べたくて買ってみたものの、黄身がぷっくりしていなくてクターッとしていて、ちょっと私は試す気にはなれませんでした・・・。すき焼きなどにはいいかもしれません。)   そんなわけで、現在卵かけご飯中毒になっております。     もう一つ味わえないもの・・・温泉!畳!万歳! もう一つ、なかなかアメリカに行ってしまうと味わえないもの、それは温泉!!   というわけで、義理の実家に移動する前に、一泊で熱海へ。 6月という梅雨シーズンで雨か、もしくは暑すぎて入る気にれないか・・・ どちらかを想像していたのですが、幸運にも適度に涼しく、雨も傘がいらない程度。 ラッキー!   今回行ったのは熱海のサンミ倶楽部というところ。 実はANAマイレージがかなり貯まっていたのですが、アメリカに住んでいるとなかなか使い道がなく、 期限切れになりそうなポイントがあったので、ポイントを利用して泊まれるところを探してここにしました。   演歌歌手の三橋美智也さんが建てられたもので、今は万葉の湯系列のこちらの温泉。   建物はかなり古かったのですが、部屋が20畳と広々ででオーシャンビュー!   ずっと東京のせまーいホテルに家族4人で泊まっていたので、この広さは本当にありがたかったです。   4歳の息子は3年ぶり、娘は初めての畳に大興奮で走り回り、押入れのの中に隠れたり。   温泉は残念ながら家族風呂はなく、広さも普通だったのですが、それでも洗い場があって、泳げるほどの大きなお風呂。 全身の疲れが溶けていくようで、汗とともに悪いものが出ていってくれた気がしました。   おかげで、大切な東京での週末に扁桃炎になって、予定を狂わせまくった旦那さんにも、 「でも頑張って働いたってことだよな」   と許す心が芽生えました笑   そして浴衣のまま座敷で食べることができる食事! こういう贅沢って、アメリカだとなかなかない気がします。     どこかに駐在が決まっている皆さん、駐在中みんなが口を揃えて恋しいというのは「美味しい和食」と「温泉」です! たっぷり堪能してから出国しましょう。 私も後何回食べられるかな~?   駐妻の憂鬱、記事一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • Shibuya Station at Tokyo

    久々の東京(日本)での衝撃!ストレスが溢れている。。~駐妻の憂鬱

    こんにちは、かさまりです。   3年ぶりに日本に帰ってきて、約1週間が経ちました。 帰ってきてよかったな、と思うのは、3年間会えていなかった祖母に会えたこと。 4歳ハルと1歳リコにとっては曽祖母。 幸運なことに、曽祖母は全員ご健在! 今回の帰国の目的はもちろんビザ更新なのですが、 それとともに外せない、やらなくてはいけないことは この曽祖母たちにハルとリコを会わせることでした。   しっかし、色々と衝撃的な洗礼を受けて、そうか、3年前はこれが当たり前だったのか・・・ と自分の感覚の変化と、そして日本をちょっと客観的に見た時のヤバさを憂いました。     ホテルからコンビニに行った時の洗礼 13時間ほどのフライトを経て日本の夜に到着したのですが、ホテルに食料が何もないので子供たちを連れてホテル近くにあるコンビニへ。 10時半過ぎても明るい、そしてたくさんの人がいる東京、さすが!と思って歩いていると、駅の付近を通った時に罵声が。。。 おじさんらしき声と警備員さんらしき声が。 「オラー●×▲◆※・・・」 「それは困るんですって!!!」 そんな声が駅構内中に響き渡り、思わず恐くなって子供たちを引き寄せてしまいました。   普段は夜、外出することも少ないのですが、 日本だったら安全だし、いいか、コンビニまでだし! 久しぶりの日本の空気を吸いたいし! と思って子連れで外出して恐い思いをしました。。。 日本も恐いのですね。   コンビニでは・・・ 今回は交通の便を考慮して東京のど真ん中に滞在することにしたのですが、 コンビニの店員さんが見事に全員、外人さん! そしてみなさん日本語も流暢でお上手!! きっと日本で稼ごうと頑張って勉強されているのでしょうね。 それでも、一人も日本人がいないコンビニ、びっくりしました。 ついでに、ホテルの掃除スタッフもかなりの確率で外人さん。 アメリカでは英語をあまり話せない人たちが付く職業として、 ほとんどのホテルではヒスパニックもしくは黒人さんが掃除スタッフなのですが、 日本のビジネスホテルもそうなっているのにびっくりです。   確実に国際化の波が来ているんですね。 日本語があまり話せなくてもできる職業、一定の日本語ができればできる職業であれば こうやってどんどん外人さんに取られるんだろうなーとそれを見ながら思いました。     スターウォーズのクローン軍団を彷彿とさせる通勤姿 私の滞在しているホテルでは、みなさんが駅から会社に向かう姿を見ることができます。 それをふと見てみると、 ザッザッ・・・ と音が聞こえるかのように、みんなおなじスーツを着て、歩道橋の階段を規則正しく登っていく。 逆向きに降ることは許されず、みんな一様に同じペースで上に向かって歩いていました。 駅から歩道橋に吸い込まれるように、なんの意思もなく歩いているかのように見えるその姿は、まるでスターウォーズのクローン兵さながら。 正直、ゾワっとしました。     ストレスだらけの電車・・・ ビザ更新でアメリカ大使館に行くため、どうしても朝の通勤時間真っ只中の電車に乗る必要がありました。 始発だからなんとかなるだろうと思ったのが間違いで、大混雑!? 2本ほど電車をやり過ごしたのですが、間に合わないと困るので仕方なく乗ることに。 幸い、ぎゅーぎゅー詰めではなかったのですが、座ることはできませんでした。 大使館には飲食もiPadも持ち込んではいけないので、何も持っていなかった私たち。 子供たちはどうしてもフラフラしてしまいます。 リコは抱っこし、ハルも良く言い聞かせていましたが、どうしても電車の揺れに合わせて体が少しフーラフラ。 前には、ちょっとイケメンの、プラダのバッグを持ったサラリーマン風の男性が。 その人が、迷惑そうに思いっきりハルをにらみ、下を向いて、足をそこまでやらなくていいだろー!ぐらいに避けていく。 本当に申し訳ない気持ちになりました。   その後も電車移動が続いていますが、とにかく電車の中が暑い!! そして自分の立つ場所も確保できないほどぎゅーぎゅーの時間がある! もう、信じがたいです・・・ これが社会人になってから、アメリカに行くまでの約10年当たり前だったのがびっくりします。   こう書くと、 「アメリカに住んでるやつの上から目線かよ!」   と思われるかもしれませんが、 いやいや、異常ですよ、 あの混み具合と、 暑さと、 乗っている人たちの表情の疲れ具合。 というか、あんな電車に必ず乗らないといけないっていうのはストレス以外の何物でもないですね。 母にそう話すと 「慣れてるから全然平気、なんとも思わないわ」 と言っていましたが、 慣れている、 というか麻痺している、 仕方なく麻痺させていると思います。 人間としての最低限必要な距離感もない。 しかも汗が吹き出るほどの暑さ。 汗が吹き出ている他人の顔のそばに自分の顔がある。 汗が吹き出ている自分の顔のそばに他人の顔がある。 もう一度言います、ストレス以外の何物でもなくないですか??   そんな環境の中では、フーラフラしている4歳の子供を 「チッ」 と思っても仕方ないなとも思いました。   でも私たちもビザ更新という絶対外せないことのために電車に乗っています。   よく日本では「子連れは混んでる時間に乗るんじゃねぇ」って 議論があるかと思いますが、 確かに子供もかわいそうですし、そう思いますが、 こうやって外せないことに向かっている人もいるんです。   でも、そもそもそんなにストレスフルな手段が通勤のメインの手段でしかない、というのが問題なような気がします。 乗っている通勤の皆さんの顔も楽しそうじゃない。 下を向いている、スマホを見てる、朝なのにまた寝ている・・・ おしゃべりなんて許されない雰囲気。 あー苦しかったです。     逆に感謝の気持ちも芽生えました でも、そんな衝撃の後だったからこそ、感じた優しさも。 旦那さんはビザ更新の日以外は仕事で会社。 私の母は東京にいますが、介護で忙しいのであまり頼りすぎては申し訳ないので、基本的に平日の昼間は子供二人と私一人で動いていました。 どうしても一人抱えて、一人は歩かせる、という感じで乗らなくてはいけない電車。 だいたい混んでいたり、乗る際にモタモタしていて席は空いていない。 そんな時に、すっと席を譲ってくださるサラリーマン風の男性、おばさま、おばあさま。   本当にありがたさが心に沁みました!   私も絶対にそういうことがスマートにできる、困っている人がいる時に目を伏せてしまうような人にならないように、子供たちを育てようと心に決めたのでした。   と、ちょっとばかり辛口の記事になってしまいました・・・。 でもおもしろ楽しいこともたくさんありました。   それはまた次回以降、お伝えしようと思います。   駐妻の憂鬱、シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 3年ぶりの日本一時帰国を前にドキドキする~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   実は、明日から日本にビザ更新のために一時帰国します! 2014年9月に渡米してから約3年、初めての帰国です。     帰りたいか?帰りたくないか?   私は旦那さんにくっついてL2ビザというビザできているので、3年で更新というのは決まっておりました。 なので、どんなに遅くても3年経ったら1回は日本へ帰れる。   でも一方で旦那さんはいつ帰国辞令が出てもおかしくない身の上。 通常会社的に3年というのが一区切りだし、何より旦那さんのポジションはもともと1年で帰国するポジションでした。 今までも何人も日本に帰る人を見送って来ました。 そんな中で神様が強烈な私の願いを叶えて来てくれて、ここまでアメリカに残れているので、 日本に一時帰国したいと思ってないわけではないのですが、 それよりもアメリカに残りたい! という方に気持ちが行っていて、日本に一時的に帰るというのは何となく自分的に遠い話でした。   そしてもろもろ他の人事異動があったようで、2週間前に確定した帰国日。   一気に、一時帰国が現実として押し寄せてきました。   まず向こうで誰に会うのか? お土産は? スケジュールは? どこに泊まるんだ? わーわーわーわーやっていたら、いつの間にか前日。   何とかお土産は買ったものの、まだトランクは空っぽ・・・。   そしてそのプロセスの中で、考えたんです。   「私、本当に帰国したいのかな?」   確かにどんどん歳をとって、 まだこちらで生まれたリコにもあってもらっていない祖母達 (子ども達にとってはひいおばあちゃん。ラッキーなことに全員元気です!) に曾孫をぜひ会わせたい!   でもそれ以外は・・・? お土産を買っていて、そして遅々として進まない自分の準備を振り返って、ふと思ったのです。     3年ぶりに会うって、ちょっと怖い   正直に言います。 私は3年ぶりの帰国、相当怖いです。 3年間会っていなかった人たちと会う。   価値観がすごくずれてて、空気の読めない発言ばかりしたらどうしよう。   自分で始めた色々なことを話すのか、話さないのか。   受け入れられない人もたくさんいるでしょう。   受け入れられないことに立ち向かうって、私的には勇気がいることです。 かといって、今の自分を隠しきれない気もします。   だからお土産だけは気合を入れて足りなくならないようにトランクに詰めてあります。 (でもお土産だけでトランク1個分、しかも重さがすでに重量オーバー! これから調節しなくてはなりません・・・)   それ以外の帰国準備が遅々として進まず、気づけば前夜。 今日1日寝たら明日、帰るんです。 さすがにこのまま何も持たずに帰国はできないので、やらなくてはいけないのですが、 どうにも気持ちが落ち着かなくてこれを書いています。     逆に、それだけ居心地が良くなった、今の居場所!   でもそう考えると、今アメリカでは随分と気楽に、 そして自由に生きられているんだなーと思いました。   家で働くことを応援してくれるママ友がたくさんいる。 一緒に仲間としてやりたいと言ってくれて、朝から晩まで一緒に過ごしてくれる仲間がいる。   なんて幸せなんだろう、と昨日ふと思いました。 夏休みが始まっていますが、毎日どこかで遊びたい、誰かと遊びたいとこうるさい4歳息子ハルともう魔の2歳児に突入している1歳娘リコがいるので、なかなか仕事は思うようにできないのですが、一緒にやってくれる仲間&その子供達のおかげで毎日賑やかです。   そして楽しい。明日からみんなとしばらく会えないかと思うとちょっと寂しいです。     好きな人と生きて何が悪い!   日本の美味しいものが食べたい!ずっと会えてない人たちに会いたい!そういう思いの一方で、何となく気持ちが重たいこの事実。   旦那さんは 「どうしてそんなに楽しみそうじゃないの??」 と。   理解不能のようなのですが、何でなんでしょうね。   きっと日本にいろんなしがらみを置いてきていて、それと向き合わないといけないこと、 そして本帰国のことが一気に現実味を帯びるのが嫌なのかもしれません。   そうなった時に思うのです。   「好きな場所で、好きな人と生きて何が悪い!」     少し話が変わりますが、最近やめたことがあります。 それは、息子が呼ばれた、お友達のお誕生日会で居残ること。娘も連れて行った時には仕方なく残ったり、話したいママがいれば残りますが、あとは大体ドロップオフして帰ります。   なぜなら、居心地が悪いから! 2時間も子供を横目に普段会いもしないママ達と話すことは私はありません・・・。   日本だったら許されないような気がします。 でもこちらはその選択肢だって、ありなんです。 別にしたくないことはあえてしなくていい、そういう文化は本当にストレスが少ないなーと思います。 2時間、誰と話そう?と必死に探すよりも、 子供がいない間に買い物をすませる。 カフェで仕事する。 よっぽどこちらの方が生産的です。 誰も咎める人はいません。(ま、正確には息子には文句を言われますが・・・)   そしてママ友。   大好きなみんなとだけ付き合えばいい。 応援してくれる人とだけ会えばいい。   これって、よく考えたら普通ですよね?   あえて自分を理解しようとしない人と本当は会わなくてもいいんです。 自分が苦手だなーと思う人と付き合う必要もないんです。   でも、日本だとそうもいかない。   不思議ですよね。狭いからなのでしょうか。 それとも、私だけ・・・?     「選ぶ」ことの基準、そして必要な力。   それでも、今のように考えられるようになったのは、 少しでも自分の意思で仕事をするようになり、稼げるようになったからだと思います。   自分で稼いでいる、自分の力で何かをしようとしている、それが自信となり、自分の心を支えるのです。 始める前の自分は、 「前に働いていた会社に正社員で戻ってはダメと言われたらどうしよう」 「他の人に嫌われたらどうしよう」 「こんなに散らかっている家を片付けられない、ダメ主婦」   そんなネガティブな不安だらけで、誰にでも、自分にすらおべっかを使っていた気がします。   でも今は、もちろん毎日必死ではありますが、少なくとも自分に正直に生きてもいいんだ、 そういう心は持てるようになった気がします。 「自分で稼ぐから、前の会社の仕事は自分がやりたくてやるんだ」 「自分が興味ない人に嫌われて何が問題がある?」 「散らかってる?クリーナーさんに手伝ってもらえばいい」   とても前向きになれました。   でも、が続きますが、でも。 日本ではまだまだきっとこういう考え方や、自分自身が浮いてしまう。 受け入れてもらえない気がする、今そんな気持ちと戦っております。   本帰国の時はさらに、もっと、戦うんでしょうね。 本帰国の後に、またアメリカに戻ってこられるように。 自分の好きな場所で、好きな人と自由に過ごせるように。 まずは稼ぐ!我が家はそこからです。   さて、ドキドキ帰国!どうなることやら! とりあえず、荷造り、始めます。   3年ぶりにみんなと会うということで、色々とお土産を試行錯誤したので、 それも次の記事で書きたいと思います! また、事務的なことですが、ビザ更新でも地味に写真が必要だったりなんだりしたので、 そのこともまとめたいと思っています。   シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • Classroom at kindergarten

    アメリカで4歳の息子がキンダーガーデンに行く準備が始まった 後編~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   前回の記事では、キンダーガーデンの情報の集め方や、登録、合同説明会について書きました。 ここでは学校見学、そしてドキドキのスクリーニングテストについて書こうと思います! さて、合同説明が一通り終わったら、今度は学校見学ツアーです。 私もアメリカに住んでいましたが、幼稚園と小学校が繋がった私立に通っていたので、公立の学校は初体験です。   私の大好きだったテレビドラマ、Gleeの世界に入り込んだような感じで、廊下に上の学年の子供たちはロッカーがあり、カフェテリアがあり、大きな講堂があり。内心大興奮のツアーでした。     カフェテリア事情~お金は持っていくの?~   さて、日本の小学校では普通はない、このカフェテリア。 どうなっているのか説明してくれました。 子供たちはお弁当を持ってきてもいいし、食堂で購入(バイランチ)をしてもいいそうです。   お金はあらかじめプリペイドのカードを親が持たせ、それでピっと支払い、 現代的ですね。 1食2ドル程度のようです。 Warm LunchとCold Lunchがあって、曜日ごとにだいたいメニューが決まってます。ランチ以外にもチップスやアイスが売られていました。   曜日によってバイランチしても、お弁当にしても良いようで、組み合わせ自由だそうです。   「でもチップスやアイスが売っていたらそればかり食べるのでは?」   私もそう思いましたが、さすがIT現代。   プリペイドのカードには全て情報が集約されていて、食堂のおばちゃんはそのカードをスキャンすると、ママたちからの情報を取得することができるようです。 ですので、「今週はもうチップスなし!」とメモを入れておくと、おばちゃんがチップスを売ってくれない仕組みなのです!!!   面白いですねー!   まだ使っていないのですが、お弁当作りが苦手な私はどれくらいハルがバイランチのメニューを食べられるか、今から楽しみです。     図書室とパソコンルーム   さて、もう一つ楽しそうな部屋がありました。 それは、パソコンルーム。   なんとキンダーガーデンから小さなプロジェクトを始めるようで、パワーポイントで動く何かを作る、などというのをやるようです。 この部屋は図書室の奥にあり、パソコンがずらりと並んでいて子供たちが真剣にやっていました。 「うちの子供、ipad慣れしすぎてマウスが使えないのですが・・・」 という質問が飛んでいましたが、キンダーガーデンの最初のパソコンの授業ではこのマウスの使い方から入るそうです。   日本の小学校は、いまではどんな感じなのでしょうかね?     幼稚園と小学校の合いの子のクラスルーム   さて、最後はクラスルームに案内されました。 キンダーガーデンとはいえ、小学校の敷地内にあるクラスルーム。 どんな感じなのだろう?と思ったら、雰囲気としては幼稚園と小学校の教室の合いの子、という感じでした。   でも日本の小学校とは違い、机はいつも給食の時のような、グループの形。 向かい合って勉強しています。 席替えは月に一回行うそうです。   ちなみに、クラスルームは先生と紐づいていて、この先生のクラスはこの教室、と決まっているようです。   奥にはipadとパソコンが並んだスペース。 あとは本を読むスペース、みんなで集まるサークルタイムを行うスペース、 となっていました。   とてもカラフルな教室で、来るだけでわくわくするような色使いでした!     ドキドキのスクリーニングテスト   さて、5月下旬。いよいよ息子ハルのスクリーニングテストの日。 このスクリーニングテストでは、先生たちと全生徒が会って、 今のいろいろなことのスキルを見てクラスの生徒のバランスを見ること、 そして英語の補助=ENLがどれくらい必要か、というのを見られます。   さすが移民の国、アメリカですね。 両親が英語ネイティブではない家庭向けに、英語の補助授業が予めプログラムとして用意されているんです。   息子が通う予定のキンダーガーデンではENLの段階はいくつかあるようなのですが、大きく分けてビギナーズとアドバンスド。 ビギナーズは、授業時間に別のENL専門の先生と別の教室で授業を受ける、 アドバンスドでは、別の教室には行かずにENLの先生の補助を受けて現地の子達と一緒に授業を受ける、 という感じのようです。 (ここはまだ実際に受けていないので違うかもしれませんが、説明を聞いて理解したざっくりとしたイメージです)   さて、このためのテスト、何があって、どれくらいの時間がかかるのか皆目検討つかずに行ったのですが、息子の場合は5名くらいの子供達が一緒に1時間くらい先生たちと過ごす、という手法でした。   親は別の空間でPTAの方から年間の行事の説明や質問タイム。   実は、私は勝手に15分くらいで、個別にやるのかと思っていたので、1歳のリコを連れて行ったのですが、それはそれは大変でした・・・。 飲まれていないコーヒーのKカップをゴミ箱に捨てたり、床に落書きしたり、置いてあるマットによじ登ったり・・・ですので、どのような面談なのか、事前に聞いて必要ならば下のお子さんはどこかに預けられるようにすることをお勧めします・・・。   その場でテストの結果は教えてもらえず、夏休みにクラス分けとともに郵送にて送られて来るようです。   ハルに聞いたら、はさみを使ったり、番号を言ったり、色を言ったり、先生の話が理解できるのか、みたいなことをやったようです。   さて結果はどうでしょうかね? おそらくビギナーズ(別教室でのENL)かと思いますが! 他のすでにキンダーガーデンに行っているお友だちは、どんどん英語が話せるようになっているので、楽しみにしています♪   このようにENLという仕組みがしっかりあって、授業についていけるように補習をしてくれるのは本当にありがたいですね。   セナで英語の授業を受けるようになって、子供の英語レベルに合わせて授業をしてくれるありがたさを痛感しているところなので、それが日常として組み込まれているのはとてもいいことだし、本人のレベルでちゃんとやってくれるのは本人の劣等感を最小限にする方法であるとも思いました。     大量にある、学校のイベント、ボランティア   ハルがテストを受けている間、私たちが受けていたのは行事の説明。 それはそれはたくさんありました・・・ 幼稚園ではそのようなイベントは校長がかなり主体的になってやってくれていたのと、 リコが小さくて夜のミーティングに参加できなくてほとんど何もできなかったのですが、 せっかくの憧れ!アメリカの小学校入学なので、少しでもできるといいなと思っています。   行事リストが渡されて、そこに名前と連絡先を書いておくと、グループ長から連絡が来てどんな感じなのか、教えてくれるようです。 最終的にその説明を聞いて参加するか決めてもいい模様だったので、私は一番盛り上がりそうな、ハロウィンとクリスマスイベントにサインして来ました!   今回はテストまでの経験を記事にしましたが、まだまだ体験していないことだらけの、未知の世界のキンダーガーデン&小学校。 完全に手探りで、私も何が何だかわかっていませんが、せっかくのまたとない初めてだらけの小学校生活、楽しみたいと思います。 9月からのキンダーガーデン生活、どんなでしょうね~?   その前にとりあえずは長い夏休み、乗り越えなくてはなりません・・・・。     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • Classroom at kindergarten

    アメリカで4歳の息子がキンダーガーデンに行く準備が始まった 前編~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   アメリカの夏休みは6月の初めから、9月の初めまで。 丸々3ヶ月あるので、今からどうしようと毎日悩んでおります。   とりあえず、通称「ママキャンプ=ママがプロデュースするサマーキャンプ」のネタと遊んでくれる相手をいつも探しております。   さて、こちらに来た当初はまさかこんなに長くいるとは思わなかったアメリカ生活。 2歳の時に渡米した息子、ハルも気づけば8月には5歳。6月にプリスクール(幼稚園)は卒業して9月にはキンダーガーデンに上がります。     キンダーガーデン(Kindergarten)ってなに??   キンダーガーデンはアメリカにおいて義務教育の始まりです。一般的なアメリカの子供は、小学校に上がる前の準備期間として、プリスクール(PreSchool:日本で言う幼稚園)を卒業してキンダーガーデンに通います。 公立のキンダーは、基本的に小学校と同じ建物に併設されています。 通う年齢は子供の成長に応じてずらしたり延ばしたりすることも可能なようですが、一般的には日本で言うところの幼稚園年中さんの途中(9月)から年長さんの途中(6月)までです。     どこのキンダーガーデン・小学校に行くの?   日本の東京が、区によって違いが出てきているように、アメリカでも住む地区によってキンダーガーデン、小学校の割り振りの仕方が異なります。 お隣の地区はどこのキンダーガーデンに行くかについて、希望が出せる希望制、私たちの地区はゾーン制と言って、住んでいる地区によって行けるキンダーガーデン、小学校が決まっています。   ちなみに、小学校から高校まで、アメリカの公立は全てレートがつけられていて、不動産の価値も決めるくらい重要なものです。 現地の物件情報サイトに行くと、その地区の小学校から高校までのレートが見られますし、こちらのサイトでも確認できます。 http://www.greatschools.org/     もしこれから引っ越される予定のある方は確認すると良いかもしれません。   自分のお子さんが入る可能性のある小学校のレートはもちろん、他にも見るといいかなと思うのが、ハイスクールのレート。小さいお子さんがいらっしゃる方は関係ないと思われるかもしれませんが、意外とその地区の雰囲気を左右したりしますので、一つの目安として見るといいでしょう。     どうやってキンダーガーデンと連絡を取るの?   通う予定のキンダーガーデンと同じ地区の幼稚園に行っている場合、 次にキンダーガーデンに行くお子さんがいるということを幼稚園から連絡してくれて、キンダーガーデンの案内が来ることが多いようです。   次に、すでにキンダーガーデン、小学校にすでに通っている人からのクチコミによる案内送付。12月から1月ごろに、「次にキンダーガーデンに上がる知り合いはいないか?」と聞かれるようです。   私はたまたま隣の地区の幼稚園に行っており、その時期に家族で旅行に行っており、周りから忘れられていたので、3月の時点でキンダーガーデンに登録されておりませんでした。   これはまずい!ということでキンダーガーデンに電話して、登録用の資料一式を送ってもらいました。 (こういうケースでも快くやってくれるので、引っ越してきたばかりの方もご安心を!一般的には3月に登録がありますが、もちろん直前まで登録可能ですので、夏休み中に引っ越す方も引っ越してきたら最寄りのキンダーガーデンに連絡すれば大丈夫です。)   登録資料には、本人の情報、家族の情報、などおそらく日本の小学校でも聞かれることを書いていきます。 違う点といえば、「母国語は何か?」と聞かれる用紙があること。 その際に英語のレベルと母国語のレベルについて聞かれます。 これを元に、ENL(旧ESL。English New Languageの略)のクラスを受ける必要があるかどうかを判断するテストを本格的に受ける必要があるか、ということを見るようです。     登録後は人事と面談!   登録した後は、まずは保護者が人事の方と面談があり、 その際に合同説明会と、ENLのためのスクリーニングテストがある旨が伝えられます。   合同説明会は基本的には親のみ(でも連れてきている人もいました)、テストは子供と親で行きます。   最初の人事との面談は15分ほどのあっさりとしたもので、主に上記の説明の他に、9月までに健康診断と歯科検診に行って結果を出せるようにしておくことを言われます。   ここで驚きだったのが、校長への嘆願書についての説明があったこと。 何か、お願いや疑問、不安などがあれば、直接校長にメールにて伝えていい旨を言われます。   例えばクラスの構成についてなど、採用されるかどうかはわかりませんが、希望を出していいというのです。日本人がなるべく多いクラスにして欲しいとか、そういうことですね。 聞いてもらえる保証はないですが、そのように意見を伝えられる場があるのはいいですよね。     いざ、合同説明会へ!!   3月下旬の面談ののち、ハルの学校では5月の初めに校長や保健室の先生、そしてキンダーガーデン担当の先生との顔合わせの説明会がありました。   私たちの学区では、先生は「学年付き」です。 つまり、キンダーガーデンの先生はずっとキンダーガーデンの先生です。 日本だとクラスの担任って、1、2年で同じ先生、クラス替えのタイミングで先生も入れ替えではありませんでしたか? 私の学校は少なくともそうでした。 ですので、この学年に紐づいた先生、というのは面白いなーと思いました。   今年、1人退官されるそうなのですが、同じ学区のキンダーガーデンの先生が来る、と言っていました。つまり学校の中で補填されるのではなく、キンダーガーデン専門の先生を学区の中で探すのだそうです。   これはキンダーガーデンだけでなく、他の学年も同じのようで、同じく人数が増えすぎてクラスが増える学年は、やはりその学年担当の先生を探すとのこと。   私たちの地区の考え方は、クラスの担当、というより、学年の担当、ということで、キンダーガーデンで習うべきことを専門に特化して教える先生、という考え方のようです。   先生が毎年変わるのは少し寂しい気もしますが、言ってみれば小学校に上がる前の子供達の専門家。安心して任せられる感じがします。   さて、こちらで一通りの説明を受けた後、小さなグループに分かれて学校の中の見学ツアーをいたしました。 と、長くなってきたので、この続きは後編で!       First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 1歳と4歳の子供を旦那に預け、サンフランシスコに一人旅してみた!~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   我ながら超大胆なことをしたな、と思いますが、 タイトルの通り、 1歳の娘リコと4歳の息子ハルをダンナさんに預けて、2泊3日で西海岸のサンフランシスコへ行ってきました! ニューヨークからサンフランシスコまでは飛行機で約6時間。 しかも、ダンナさんは下の娘、リコが生まれてから、子供2人をひとりで預かったことはありません。 それがいきなり2泊3日!   私がそこまでして行きたかった理由は、 どうしても会いたい人が日本からサンフランシスコに来るから。   ということで、勢いに任せて飛行機の切符を取ったものの、 決行の日にちが近づくに連れて不安でたまらなくなり、 色々なことが手につかないほどでした。   それでも、どうしても会いたかった私の尊敬してやまない方々。   便利な時代になったもので、実際にお会いしたことがなくてもいつでもチャットやスカイプ、その他の方法で連絡を取り合うことはできます。 それでも、やはり実際に会って話してみたかった!     結論から言います。大丈夫でした!   もうそれはそれは心配した、ダンナさんと子供たちだけの3日間の生活。。。   この日のために、実はリコの断乳を決行しました。 私以外の人と寝ることができるようにしておくためには、パイなしでも寝付けることができるように。 そしてたくさんご飯が食べられるようにしておいてあげること。 これが私のミッションだと思いました。   ちょうど私も正直、授乳の毎日に疲れきっていたので、神様がくれたタイミングだったのだと思います。   周りからはリコは大丈夫か?という心配のお声をいただいていたのですが、私は実は上の息子、ハルの方が心配でした。   リコは1歳ながらにかなり自立しており、自己主張もしっかりとできるタイプ。 ですので、ママがいなかったらいないで、パパにやりたいことや食べたいものをしっかりと主張することだろう、と思っていたのです。   一方で、4歳のハルはかなり根が優しいタイプ。 やんちゃですが、慎重派でとにかく安定、平和志向。 日常と違うことが起こるのを最も嫌います。   ですので、ハルには 超楽しみにしていたおもちゃを(私がいない間に)パパと一緒に開けること、 そして1ヶ月前からママは3日間いないけど必ず帰る、 と伝えていました。   結果、ダンナさんも二人の子供も、私がいない3人だけの時間を楽しんでくれたようです。 リコは帰ってきた後にようやく異変に気付いた感じでママストーカーにしばらくなりましたが、 私がサンフランシスコにいる間はパパっ子に、 ハルは最初は泣いたものの、帰ってきたらパパと過ごして楽しかった! と言っていました。     事前準備は?   さて、断乳という大きな準備以外にしたことを書いておこうと思います。   リコとハルの好きなお菓子を準備する パパが買い物に出なくてもいいように買い物を済ませておく 夜ご飯用のカレーの仕込み お出かけ用のリュックの完備 早朝のフライトにして、子供たちが寝ている間に出発 パパに食べ物に関するメモ、緊急連絡先のメモ、いない間に行われるイベントやしておかないといけないことのメモを冷蔵庫の見えるところに貼っておく 洗濯物は済ませておく   ざっと羅列してみましたが、こんなことをしてみました。   ママにとっては当たり前のことでも、初めて子供と過ごすダンナさんにとってはどれも未知、 そしてやってみるとめんどくさかったり、どこに何があるのか理解できなかったり。 それでイラつきそうなことを事前に潰しておくイメージで準備しました。笑   まずは買い物。 私ですら、毎回リコとハルを連れての買い物は一苦労です。 なので、食材は行く前日に、想定されるご飯を考えながら多めに調達。 そしてカレーであればチーズをかけたり、うどんにしたり、少しオーブンで焼けばカレードリアにしたり・・・とバリエーションができるので、前日に多めに用意しました。 本当はママ友のお勧めでお好み焼きを冷凍しておこうと思ったのですが、時間切れ。 材料のありかだけ伝えておきました。   加えて、ダンナさん1人で子供2人を連れてマンハッタンまで電車で行く、という用事がありました。 いまビザの更新のための準備中なのですが、息子ハルのパスポートが切れかけていたため、先週慌てて領事館に更新申請に行きました。 が、パスポートの受け取りの際はなんと本人(ハル)も行く必要がある。 次の週にはダンナさんが出張でいないので、どうしても私がいないその日(平日の金曜日)に取りに行かないといけなかったのです。 そこで、40分の電車旅を耐えられるようにおやつと飲み物の準備、そしてオムツやらお着替えやらをすべてお出かけ用のリュックに入れておきました。   最後に、フライトは子供達が起きる前に家を出なくていけないものにしました。 これは、より長くサンフランシスコに居たかったから、というのもあるのですが、 なるべく子供たちのショックを和らげるためにもそうしました。 やはり、別れというのは子供にとって辛いもの。 でも予告して朝いないというのは意外と受け入れられるのでは?ということでそうしました。   あと、病院情報や保険証なども用意して、これで何がおきても平気。   ダンナさんには 「そこまでいらなくね?何もおきないよ」 と言われましたが、用心には用心を重ねて。 実際に3日間子供達と1人で過ごしてみて、こういう準備こそ必要だ、 ということを何もなかったものの感じてくれたようです。     さて、実際の3日間はどうだったか?   結論をもう書いたので、お分かりかと思うのですが、 まぁ、大丈夫でした笑   ハルは心配していた通り、朝ニューヨークの空港に着くなりさっそくFacetimeがかかってきて、泣きまくっている顔が大写しになりましたが、 「ほら、もうおもちゃ開けていいんだよ!」 というとしばらくして落ち着いて、 隠しておいたおもちゃをダンナさんと探しに行き、気持ちをうまく切り替えてくれたようです。 探さなくちゃ!というふうにしておいたのも良かった!   リコに至っては、特に何もなく、ご機嫌に起きてご機嫌にご飯を食べ、 みんなでパスポート受け取りに出かけたようです。   出かけている間、ママがいないので、兄妹の仲がいい!   当日30度近くあったのに長袖を着せたのはご愛嬌、電車が寒かったということで。。。 (次回は着替えも用意して行きます・・・)   寝るときも3人で寄り添って寝て、むしろダンナさんは普段ママに子供達が寄っていってしまう分、ラブラブに過ごせて楽しかったようです。     私はというと・・・   さて、私は。。。 アメリカに来てからこのかた、ほとんどなかった一人時間を満喫しました。 会いたかった方達と何をしたか、というのはまた後日まとめますが、 子供たちがいないフライトのなんと短いこと! やりたかった作業を一気にやれて、本もゆっくり読めて。 ハードカバーの本なんて、どれくらいぶりに読んだことでしょう。   そしてご飯が美味しい! こんなにゆっくり食べられたのはいつぶりでしょうか。   普段はもはやご飯が楽しめず、ただでさえ高いアメリカの外食は究極的にコスパが悪く感じられるので、ほとんどテイクアウトなのですが、ゆっくりとご飯を食べるとこんなに美味しいんだ~~~と。   そしてホテルでも誰にも邪魔されずに熟睡できる!10時過ぎに寝て、 「あーよく寝た!」と起きたらまだ朝の2時でした笑   せっかくもらったこの機会を満喫、使い切らないともったいない、という気持ちで使いました。       ひとり旅のビフォーアフター   今回、我が家にとって大きな挑戦となった、ママ不在の3日間。   ダンナさんは少しは主婦の大変さがわかってくれたようです。 主婦は本当に評価されない仕事。 でも、仕事なのです。   むしろ、お金をもらう仕事よりも代わりがいないし、お金という評価がない分、私は大変に感じます。 仕事というのは、誰に言われなくても雇われている、やるということになっている以上、やらなくてはいけないことだと、解釈しています。 主婦の家事や育児もそうですよね。 自分がやらなくては回らない、基本はそういうものです。   一方で、全部自分でやってみないと、主婦の仕事がどのようなものか、なかなか理解できないものでもあると思うのです。 実際に、私は今自分の母に土下座して謝りたいと思いますが、子供だった当時は 「家にいるのに、何が大変なの??」 と思っていました。 当事者になってみないとわからないものです。   ダンナさん曰く、 「子供たちは思ったよりもいい子達で大変ではなかったけど、食事を必ず3食作ったり、着替えさせて、オムツを替えて。そういうルーティンが大変なんだな」 と。   そうなんですよ!!!!   今までダンナさんは飲んだビールの缶はそのまま、食べたら食べっぱなし、 先に寝てしまう私が起きてテーブルの上のものを片付けるのが当たり前でした。 ダンナさんにとっては 「たかだか、一手間だろう」 という気持ちだったかと思うのですが、 その一手間がいくつも主婦をしているとあるのだ、そこに気づいてくれたようです。 私も自分が母にお世話になっていた時には気づきませんでした。 ごめんなさい、お母さん!   そこに気がついてくれただけでも大進歩!   そして子供たちはというと。 ハルは変わらずにいい子ですが、ママはいなくなっても帰ってくる、そこの信頼感が増した気がします。 リコのリコを産む時に入院したのがとても印象が強いらしく、その時ももちろん退院したのですが、ママは一回いなくなると帰ってこないかもしれない、という漠然とした不安を持っていたようなのですが、そこがなくなったようです。   リコは、少し聞き分けが良くなり、主張のバリエーションが増えました。 今まで服を家でなかなか着てくれなかったのですが、着てくれるように笑 そして帰ってきたらうなづけるようになっていました! 可愛すぎて何回も質問してしまいます。   そして、何よりダンナさんと子供たちの仲が明らかに良くなりました。 信頼関係が深まったような、そんな感じがします。     やるまでは不安、でもやってみたら不安はただの不安だった   今回、本当に今までまったく預けたことのないところからの2泊3日だったので、最初にも書いたように不安で不安でたまりませんでした。   でも、やってみたらなんてことはなかった。   むしろ、私はリフレッシュできてまた子供たちと一生懸命向き合おうと思えたし、 ちょっと寄ってきすぎて疲れるなぁと思っていたのも、 また愛おしく思えるようになりました。   何よりも、 預けても大丈夫なのだ! と思えるようになったことは、大きな進歩ですし、安心です。 アメリカにいると、やはり親族がいないので、いざ!という時にどうしようという不安が常につきまといます。 ダンナさんはもちろんいるのですが、今までいかんせんやったことがないのでなんとなく不安。 同じ親なので、大変失礼な気持ちではあるのですが、どうしてもそう思ってしまうところがあるのです。   でも、これでもう大丈夫。 自分が万が一入院とかしても頼る先がある、これはとても大きなことです。   現地、アメリカ人のママ友に前から 「パパと子供たちだけで過ごさせるのがいいよ!なんでやらないの、絶対にやるべき!!」 と何度も言われていました。   でもなんとなくできないんじゃないか、そう言ってやってこなかったんです。   でもやっていたらなんてことはなかった。むしろ、この新しい挑戦は我が家の人間関係も少し良くしてくれる、そんなものになりました。   日本人のママたちに話すと、みんな一様に 「エーーーー!(だいじょうぶなの??)」 という驚きの反応だった、今回の挑戦。   それだけ日本人の私たち、主婦である私たちにとってはかなり難しいことである、できないという思い込みのあることだったと思います。     おうちに少し変化が欲しいというママ。 子供に優しくできない、ダンナさんが全然理解がなくて悩んでる。 自分時間、欲しいヨォォォォと思っているママ。   是非とも、えいやっとやってみてください! 事前準備をちゃんとしさえすれば、大丈夫なはずです♪ きっとみんなにとって新鮮な経験が得られますよ♪   駐妻の憂鬱、記事一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

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    専業主婦の私が起業?ピンとこない・・・というかなにそれっ!~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   最近、ちょっといらっとしていることがあります。 自分のしていることを話すと、周りに 「かさまり起業しちゃいなよ~」 と言われるのです。   いったいなんなんでしょうね、起業って。     起業っていう、肩に力が入った感じがイヤ   起業という言葉を見ると、意味は、 「生業を起こすこと、新しく事業を始めること」   生業っていう言葉を見ると、意味は 「生計を立てるための職業」   ふむ。   どうもピンとこないんですよ。   確かに、会社に属することなく、自分で月70万円稼いでいます。 お金の収支管理もしている。(正確にはガサツな性格なのでダンナさんがほぼやってくれている) そして、スタッフさんに色々お願いしながら仕事をしています。   でも、もともと 「よし起業してやるぜ!!やったるぜ!!!」 と思って始めたわけでは全くないし、 この自分で稼いでいる状況になったからといって、 「起業しようかな」 とか 「起業してるな」 とか思うこともなくて、ただただ家で働いている、お金を稼いでいる、それだけです。   社会のルールとして、開業届などは出さないといけないので、 世間としては「起業した」ということになるのでしょうが、 なーんかそう言われるととても違和感があるのです。   なぜかって、自分では一生懸命、自分がしたい生活をするために頑張っているだけだから。     お金を稼ぐというのに、自分も他人もあるのか?   いつも言われるたびにくすぐったい気分になるので、 ちょっとその正体について考えてみることにしました。   自分が一番違和感を感じるポイント、それは、 「お金を稼ぐのに、自分も他人もあるのか。」   そのことなのかもしれません。   確かに会社に勤めて一定のお給料をもらうというのと、 自分で何かビジネスをやって、自分で成果を作っていくというのは、 お金のもらう方法は違うかもしれません。   でも、 「自分の何かを売って、お金にしている」 という点では、変わらないと思うのです。   勤めている人は自分の時間と、身体的にいるべき場所を売って、一定のお金を稼いでいる。 私は、稼ぐために自分のできる時間と睡眠を売って、それで稼げるお金を稼いでいる。 どちらもサボったらお金は稼げないのです。   ダンナさんは現状、自分の朝から晩までの時間を会社に売って、会社のために働いて、その対価としてお金をもらっている。 私は、自分の睡眠時間と思考を売って、その対価としてお金をもらっている。   私にとって、起業云々はどうでもよくて、 自分の何を売って、お金を稼いでいるか、 そこをみているから、ちょっと興奮気味に、 「かさまり、それって起業してるってことじゃない?」 「起業しちゃいなよ~」 と言われると正直、痒いのです。     なぜお金を稼ぐのか?大事なものは何?   自宅で子供がいながらにして稼ぐ、このことについて、夢と目標を与えてくれた師匠が私にはいます。 自分よりも年下なのですが、敬愛してやまない、もう大大大好きな方なのですが、師匠に勧めたもらって 読んだ本があって、自分で稼いで目標を叶えよう、と強く決意させてくれました。   それがこちら、「世界一ふざけた夢の叶え方」   アメリカにいて、現地のママ友と話していてそれはもう毎日目から鱗が落ちまくっているのですが、 その中でも大きかったのは、この本の中でも語られている、 「どう生きたいかファーストな考え方」   どんなライフスタイルをしたいのか? どういった1年を過ごしたいのか? どうなったら一番ハッピーに過ごせるのか? 自分にとって大事なことは何か?   日本人は、本当に真面目! 真面目で忠誠心が強いから、仕事が生活の全て。   ダンナさんのアメリカの先輩でとても素敵な、業績をあげまくっている女性がいるのですが、 その方に言われたのはこんなこと。   「日本人のQuality Of Lifeへの意識は低すぎる!なんのために生きているのか? 私はとても楽しんで仕事をしているけれど、たまに苦しくなる。そんな時、ちょっとサボったら クビになるか、考えてみるけれど、大丈夫だから、そんな日はオフをとって好きなことするのよ。 でも日本人はそうじゃないわよね。単身赴任で家族との時間を犠牲にするなんて、最たる事例だわ。 なぜなの?」   考えてみたら、これに納得のいく答えはありません。 大体の人がいうのは、、、   「会社に言われたから。」   以上です。   我が家はそんな中でもけっこう日本人にしては破天荒で、単身で出張を命じられた最初の1年も勝手にくっついてきてしまったり 挙げ句の果てには妊娠して、現地ローカルの保険にも入っていなくてワタワタしましたが、 それでも私はついてきてかけがえのない時間を息子やダンナさんと過ごし、娘も生まれて大親友と呼べる友人もできました。 (ちなみに妊娠後でも保険は入れたので、保険に加入して娘は無事出産しました。笑)     夢?目標?専業主婦は持ってはいけないのか?   実は、小さい頃にアメリカに住んでいた私は、アメリカから帰国した後に産まれた妹がいたので、 決して留学は許されませんでした。 「あなたはもう経験したんだから、いくなら妹よ」   と。   でも自分自身の半分ルーツでもあるアメリカ。 絶対に戻ってきたかった。   「戻りたい戻りたい」   そう願っていたら、実現しました。 しかも、自分が昔住んでいた、メリーランド州のすぐお隣のバージニア、そしてなんとそのあとはニューヨークに! 祈願通天と私は呼んでいるのですが、強く強く願えば、そしてそれに向けて行動すれば、 自分の人生の舵は自分で切れるのです。   なんとなく自分で思っていたことではあったのですが、 この本にはもっと引き寄せるために何をしたらいいか、書いてありました。 私が特に影響を受けたのは、 「自分がなりたい未来を考えて、それが実現したと仮定していま乾杯しよう!」 「何が起きてもついてる!って思おう」 「ついてる!ついてる!」   という点。   自分の未来を思い描くこと、それも自由に! これって意外と難しいんですよね。   「あ、でもこれは無理かも。これも実現不可能だよね・・・」   みたいにすぐ思ってしまいがちなんです。   でも、そういうのは取っ払って考えるんです。 超ハッピーな、自分のなりたい未来を考えるのはタダ!お金かかりません。 やって失うものは妄想なんで、ないんです。   私は住みたい場所と、住みたい家を考えました。 季節のいい時は、ニューヨークで。 他の時期は西海岸のあったかいところで、海が見えるお家で、 子供達が海やプールで遊んでいるのをのんびり眺める。 パソコンを持って、気持ちものんびりしながら仕事をする。 外に置いてあるソファーに座ってバーベキューしながら、美味しいビールとワインを飲む。 あー今日も楽しかった!そう思いながら寝る。   そんなことできるわけないじゃん!   そう思いましたか?   今はできないかもしれません。 でもできないと決めつけたら、それこそそこで試合終了です。   「セカフザ」を読んでから、私はこんな目標を、バカかもしれませんが、本気で立てました。   でも、私には子供も、ダンナさんもいる。 私一人では叶えられません。   なので、2ヶ月かけてダンナさんにも読んでもらいました。 バカですが、本気で立てた目標なので、普段私が薦める本なんて絶対に読まないダンナさんにも どうしても読んでもらって、同じ夢、目標を持って、未来乾杯しないとダメ! そう思って粘り強く説得しました。   もうダメかなーあーあと思っていた、2ヶ月がたったある日。 仕事から帰宅したダンナさんが言いました。 「乾杯しよう!」 と!!   今、私が思い描いていた夢・目標はいまは夫婦の目標です。   アホだと思いますか?   多分、アホだと思います。笑   でもアホでもなんでも、夢をこうやって描くのはタダ! 睡眠時間がなくなって苦しくなった時、 お問い合わせでどうしようもないことが起きた時、 この夢をはっきり頭に思い浮かべるんです。   そうしたら頑張れる。   そして具体的に何をしたらいいのか、考えられるのです。   今の私の場合、駐在ですので、まずはそれを打破すること、つまり 「いつ日本に帰るのか」をビクビクしなくていい生活を手に入れること。 そのためにはダンナさんにももっと選択肢があるようにしていかなくてはいけない。 そうすると私もこれくらい稼げていると、自由度が増す。   ではそれを稼ぐためにはどうしたらいいのか・・・?   そんなことを考えるのです。   これって、話を戻すと起業がどうのこうのっていう話ではないんですよね。 自分がどうしたいのか。家族でどうしたいのか。   もうこれに尽きるのです。   夢を見るのは、妄想するのはただ!でもでも、というのをぜーんぶ取り除いて、 一度自由にどうやって暮らしたいのか、どうしたら最高にハッピーなのか、 考えてみるのはいかがでしょうか? 私は住みたいお家を絵心は全然ないのですが、設計図を書いて、最高に幸せな気分になりました笑   あーあの思い描いたお家に住みたい!   さ、そのためにも頑張ります!   セカフザ、もしこの記事をお読みの方でご興味があればぜひ読んでみてください。 世界一ふざけた夢の叶え方   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 1歳10ヶ月アメリカで断乳!断乳後のケアはどうするか?(後編)~駐妻の憂鬱

    こんにちは、かさまりです。   前回『1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱』では、 1歳10ヶ月のリコと、どうやって断乳したのか? そしてその後の親子関係はどうなったのか、 についてお伝えしました。   結果的にもう私たちのタイミングだったんだなーと、ハッピー断乳ができたと思っています。 (現在断乳してからちょうど1週間、娘は特にパイを欲しがることはありません。)   今回は、 「じゃあ断乳後のケア(処理)ってどうしたの?」 というお話です。   これは私が自分なりに痛みと戦いながら調べまくってとったセルフケア方法ですので、 正直これが正しいのかどうか、わかりません。 ただ、10日経った今はもうすっかり痛みはなく、母乳も絞ればちょろっと出ますが、母乳が張ることはありません。   専門家でない私がこのような情報を出すのはどうかな、とも考えたのですが、 私も本当に苦しんだので、いつかどなたかの参考になれば! という想いで今回は書かせていただきます。     アメリカでの断乳後のケア方法   リコと私はほぼいきなり断乳をしたのは前回書いた通り。 ですが、私のパイは1年10ヶ月経ってもまだまだ出るパイでした。   現在4歳半のハルの時から、実は私はかなり母乳の分泌量が多いパイでした。 シャワーのように出てしまって、母乳パッドは欠かせない、 そして最初は少し搾乳してあげないとむせてしまうくらいの量で、 それはそれで苦労しました。   (アメリカにも母乳パッドは売っていますので、同じ悩みがある方、ご心配なく! ちなみに電動搾乳機もあります。 州によっては保険会社がくれたりするので、是非とも保険会社の規約を見るか、聞いて見ましょう。 私も最新の電動搾乳機をバージニア州で無料でもらいました! しかも5個くらいから選べるというとても良いシステムでした♪)   母乳パッドはこちら 保険会社から頂いた電動搾乳機はこちら 電動搾乳機は強すぎてよろしくない、という話もありますが、 これは強さを自分で調整できて私はよかったです。 (乳腺炎の時や、新生児の時にあげる前に圧を抜いてあげるために使っていました。)     話が逸れました。   そんなかなり分泌量が多い母乳だったので、恐怖だったのは断乳後のパイ。 しかもいきなり断乳することにしたので、徐々に減らして分泌量を減らして・・・という手段もとりませんでした。   日本では桶谷式や、産院でケアを受けることができるかと思いますが、 アメリカではどんなに調べても何も出てきませんでした。   ママ友に聞いても、みんな全く覚えていない、というようなコメント! なぜ! むしろ8ヶ月とか、早い段階でやめているから、もっと母乳量が多い時期にやめたはずなのに、みんな覚えていないというのです。   しつこく掘り下げて聞いてみたところ、 ・普段から搾乳機、そしてミルクの併用していた ・やめると決めても搾乳機を使ってしばらく搾乳を継続、その期間を徐々に長くする   ということをやるようです。   自分である意味コントロールしていくということですね。   だからこそ、保険会社で配るくらい、搾乳機はアメリカに住むママたちにとっては欠かせない存在、ということなのかもしれません。     では、私はどうした??   先ほども書いたように、私とリコは突然やめることに決めました。   リコにとってはそれが受け入れやすいやり方だったのかな、 そして私の精神的にも受け入れやすかったな、と思うのですが、 このやり方を受け入れられなかったもの・・・それは私のパイ!   やめるその日の午前中まで、リコは好きな時に服をめくって飲んでいました。 それこそ家の中でも外でも。 抱っこ紐のエルゴは便利で、フードさえすれば、外でも授乳ができます。 これまで1度もあげていると気づかれたことはないです。 飲みたい時に飲ませていたので、回数は数えてませんが、夜寝ている間も含めて10回くらいは飲んでいたでしょうか。   そんなリコがよくすんなりやめられたね、とみんなにびっくりされますが、 一番びっくりしたのはきっと私のパイでしょう。   今までフル稼働だったのに、突然の業務停止。 でもミルクラインは止まらない!   というわけで、当日の夜からガッチガチのおいわさんになりました。 絆創膏にはうっすらシミができるほど少しずつ漏れ流程、パンパン。 そして、肩から脇にかけて全部痛く、触られるだけで叫び声を上げてしまうほどの激痛でした・・・。   痛すぎて思わず 「ニューヨーク 桶谷式」   と検索をかけたほど。 でも見つからないので、とにかくなんとかセルフケアをするしかありません。   とはいえ、リコに気づかれないようにケアをするのは至難の技。 キャベツ湿布がいい、などと言いますが、そんなものを作る余裕も、 貼っておく余裕もありません。   応急処置として私が行なったのは、手を冷水で冷やし、それをパイに当てる。 まずはこれを繰り返しました。   そうするとだいぶ痛みは一時しのぎではありますが、軽減されました。   そして、目からウロコ、あんまりにイタイイタイ言っていたら、 現地のママから一言。 「鎮痛剤飲めばいいじゃない」     その手があったかーーーー!   確かに授乳していないので別に飲めばいいんですよ。 というわけで、市販のタイレノールという鎮痛剤を飲みました。 これでだいぶ楽になりました。 もし苦しんでいる方がいるなら、もう遠慮なく飲みましょう。     残った母乳との戦い   痛みは鎮痛剤でなんとかなりましたが、とはいえガチガチおいわさんが 治ったわけではありません。 おまけに、鎮痛剤があっても、やはり触られたり上に乗られると息を飲んでしまうほどの痛み。 そして古い母乳=血がどんどんパイに溜まるので重たくてだるいのです。   でも、出産直後から母乳と戦ってきたみなさんならわかるでしょう。 そうです、母乳は出せばまた作られてしまうのです。 ですので、作られないようにするためには、出さないようにしなくてはならない。   それでも、矛盾することを言うようですが、溜めすぎてしまうと乳腺が詰まって下手すると乳腺炎、つまり高熱を出すことになります。 さらにはこの後この古い母乳を排出しなくてはいけないので、それはそれでものすごい痛みを伴います。   私はとてもよく出る母乳でしたので、多分乳腺炎一歩手前まできていました。 パイは熱を持っていましたし、触るだけで痛い、これって乳腺炎の症状ですよね。   私はあんまりに痛みがひどい時は洗面所やシャワーで少しだけ圧抜きをしました。特に元気な太い乳腺が痛みを伴っていたので、そこを集中的にケアしました。   ケアの方法は、 少しだけ乳輪付近を刺激して、母乳が出るようにする。 乳房全体を両手で包み込み、おにぎりを握る要領で手の平全体で押す(そうすると溜まりきっているぶんが出ます) 痛みが強い部分の乳腺を意識して、手の平全体を使って入林に向かってマッサージをする。外から内側に向かって手の平全てで押すイメージです。   と言う方法を、時間でいうと両方で5分ずつくらい、最初の3日は行いました。   そして色々と調べてみると、断乳3日目に一度全て排出してオッケーとのことだったので、 上記の要領で少しずつ、30分くらいかけてシャワーの中で排出しました。   リコに見つかりたくなかったので、早朝、みんなが寝静まっている時に一人でシャワーを浴びながら実行しました。 最初は乳腺炎の時に出てくる、どろっとしたものが、そして徐々に半透明の見慣れた母乳が出てきました。   あーでもこれはもう古い母乳なんだな、というかもはや白い血だな、と実感したのは、出てきた母乳の冷たさを感じたとき。   今までリコが飲んでいたときは体温ほどの暖かさのある、ぬくもり溢れる母乳だったのが、今出てきているものはとても冷たくて、ついでにパイも冷たい。 それを感じた時に、あーもうこれでリコが飲むことはないんだな、と少しだけ感傷に浸りました。   でも、それ以上にこの古い母乳を出してスッキリしたこと!!!   4日目以降、1週間まではまた圧抜き、1週間後にまた排出して、 だいたい終了しました。   2週間経った今、残ったのはしょぼくれたパイと、かぶれてしまった絆創膏跡です。     痛みはずっとは続かない!!   最初の3日、痛すぎてやっぱりあげたい、と思うことも正直何度かありました。 それくらい痛くて痛くてもうパイのこと以外何も考えられないくらい、辛かったです。 でも、最初の3日を耐えたら、大丈夫。痛みは引きます。 その3日間は乳腺炎と同じなので、なるべく脂っこいものは食べないこと、そして水分も摂りすぎないこと。 でも、その3日が終われば、お酒がフリーダムに飲める! これ、パイで出てきちゃうかな、とか、乳腺炎になっちゃうかな、と考えなくて済む!   そして何よりも新しい子供との関係が待ってる!   そう思ってどうか頑張ってください! 私ももし万が一、3人目ができて、同じく断乳する時には、この記事を自分自身で読み返そうと思います。   それくらい、この3日間は終わりがない気がすると思いますが、終わりますので!   10日経って、精神的な変化   さて、この10日間、やはり身体にとっても大きな変化だったのではないかと思います。   専門家ではないので、正確なことはわかりませんが、多分ホルモンバランスが変わったのではないかなーと思います。 私は実はまだ生理が戻ってきていないのですが、やめてからすぐに腰の痛み、重みがありました。 そして生理前の憂鬱な気分、ネガティブな気持ち、そういうものがありました。   でも、それもこれも今まで血を母乳に変えてくれていた体が、元に戻るためのもの。   そうやって自分の体、お疲れ様、という気持ちで過ごすことでやり過ごしています。(まだ少し現在進行形です)   そして何よりファッションが!!全然違う!! しょぼくれパイになったので、今まで来ていた服に猛烈な違和感を覚えています笑 でも、ここまで約5年もの間、役割を果たしてくれたパイ。   何はともあれ、お疲れ様。と言ってあげたいです。   何より、夜しっかり寝るようになったリコ、そして母乳を排出しない分、体力に余力が残るようになったので、この少しネガティブ期を抜けたら、いつも寝落ちしてしまって朝まで寝てしまっていたのが、少し夜更かしをして旦那と話したり、一緒に寝て早く起きて仕事をしたりするのが楽になる、それが楽しみで仕方ないです!   罪悪感なく飲むビールも美味しい〜♪   というわけで、私が本当に辛くて辛くて調べまくって実行したこの方法が、そして耐えたら終わるというこの情報が、誰かの役に立ちますように・・・!   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 留学希望者必見!カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でお散歩して来ました!

    こんにちは、かさまりです。   アメリカ西海岸、ロサンゼルスに来ています。   7月ももう後半ですが、ロサンゼルスの気温は現在25℃、天気は快晴。 この時期、雨が降ることはほとんどないですし、湿度も低くて毎日とても清々しい気候です。 6月後半に帰った東京は、すでに梅雨入りでかなり蒸し暑く過ごしにくかったのですし、 ニューヨークもすでに連日30℃を超えているので、 やっぱりカリフォルニアの気候は最高ですね!   週末の今日はお散歩がてら、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA: University of California, Los Angeles)まで足を伸ばしてみました。   UCLAは、ロサンゼルスのダウンタウンから西の方角、ロサンゼルス空港(LAX)の北側にあり、空港からですと道が混んでいなければ車で約20分くらいで着きます。   10あるカリフォルニア大学(州立大学)の一つで1868年に設立されました。 カリフォルニア大学というと、他にバークレー校やサンディエゴ校が有名ですね。   アメリカの他の大学と同じく広々としたキャンパスで、いろいろな場所を散歩しながら歩いきました。 それぞれの場所での様子を写真を交えて、今回はご紹介したいと思います。   まず、UCLAは100周年なんですね。キャンパスを歩いていると記念の旗がいたるところで見られました。     ディクソン広場(Dickson Court)から見える景色 ここからの景色が、UCLAで一番アイコニックな場所です。 休日かつ大学が夏休み期間だったので人もまばらでしたが、ここにはたくさん観光客が集まって写真を撮っていました。   ロイス・ホール(Royce Holl) 広場の北側には、「ロイス・ホール(Royce Holl)」。劇場があります。       パウエル図書館(Powell Library) 広場の南側にはパウエル図書館があります。 800万冊以上の蔵書を抱える全米でも最大級の図書館です。 残念ながら日曜日の今日はお休みで中に入ることができませんでした。。。 中に入りたい方はWebサイトで開館時間を事前に確認することをおすすめします。 UCLA図書館の開館時間(英語)   広場の東を見た景色 広場の西を見た景色 遠くまで見渡せて素敵ですねー 噴水の先は、谷になっていて階段で降りると運動場が広がっています。     法科大学院(School of Law) ディクソン広場から東へ少し移動すると、法科大学院のキャンパスを見ることができます。 ここにも法学専門の図書館があります。(訪れた日曜日はやはり閉館していましたが。。)     理工学部(Henry Samueli School of Engineering and Applied Science (HSSEAS)) パウエル図書館を南に下ると、理工学部のキャンパスがあります。   理工学部キャンパスの外観です。   なんと!建物の中に入ることができたので入ってみることに! 夏休み期間中ですが、いくつかの部屋では子供を呼んで、学生が科学実験教室をしていました。 あと、いくつかの研究室では学生が来てなにやら実験をしているのを見ることができました。   研究成果を説明したポスターですね。なにが書いてあるのかさっぱりでしたが。笑   医学・歯学・看護系のキャンパス 写真で見える大きな建物が看護系(School of Nursing)のキャンパスが入った建物です。 地図で見ると、そのビルの隣には病院があって、医学(David Geffen School of Medicine)・歯学(School of Dentistry)系のキャンパスが広がっています。   芸術系のキャンパス(School of the Arts and Architecture) UCLAには美術(School of the Arts and Architecture)・音楽(Herb Alpert School of Music)・映像(School of Theater, Film and Television)など芸術系の学科もあるんです。 場所は先ほど訪れたディクソン広場の北側に広がっています。     ここには、「フランクリン D. マーフィー スカルプチャーガーデン」という広場があり、作品が並べられています。   いかがでしたのでしょうか。 とても広いので、歩いて散歩をするとけっこうな運動量になります。笑 キャンパス散策していると様々な発見がありますし、学生がキャンパスツアーをしていたりしますので、 ぜひロサンゼルスにお越しの際は行ってみてくださいね。     場所情報 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA: University of California, Los Angeles)       First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱~自由人=変人でなくなってきた!?~

    こんにちは、かさまりです。   日本滞在も折り返し地点、いやむしろあと残すところ数日。 あっという間ですね!   連日色々な人に会って、それはそれは有意義な日本滞在。 自分たちのために時間を割いて下さった皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。   でも不思議なのは、ほとんどの人が3年ぶりかそれ以上なのに、全然そんな感じがしないこと。 みんな元気で、バリバリしたり、ほんわかしたりしていました。   でもその中で一つだけ、時の流れを感じた出来事・・・   それは社会人になって、結婚するまでずっと週末、情熱を向けていた英語を使った演劇のクラスで一緒だった女子4人と会った時のお話。   まぁ、演劇を、英語で、しかも社会人になっても週末を使ってやっていた仲間ですから、少し一般的に見たら変わっている集まりかもしれません。   私たちの感覚としては、情熱を傾けられる趣味を、毎週末一緒にやっていた仲間です。 それがゴルフの人もいれば、ランニングの人もいる。 それと同じように私たちは英語劇を一生懸命やっていた、という感じです。   妊娠してからはさすがにできなくなってしまったのですが、 6年前に一緒にやっていた ある仲間は作業療法士。 ある仲間は派遣社員。 ある仲間は助産師。 私はフルタイム営業。 みんな何かに「属する」仕事を持っていました。   ところが! 3年ぶりに会ったみんなは、 作業療法士→デトックストレーナーの卵 派遣社員→超人気ピラティストレーナー 助産師→1児のママで、大学の研究員 私→バイヤー   なんだかすごく自由な感じになりました。     どんな人生を送るか、自由だ! みんな結婚したり、同棲していたり、子供がいたり、パートナーや家族がいたり、状況はそれぞれけれど、 自由でした!   以前もみんな週末を削って、歌ったり、踊ったり、演じたり、と今から思うとかなりパワフルでしたが、 その時にも増して、強くてキラキラな眼差しを持ちながらも 少しだけ大人の階段を登った雰囲気を纏っていてかっこよかったです。   実際にみんなで会ったのもド平日、金曜日の昼間。普通に会社員として働いていたら会うことができない時間帯です。   おかげでデパートは空いていて、ワイワイとしながらランチを選び、ゆったりと過ごすことができました。   会社に行きたい?行きたくない?   みんなに 「なんで辞めたの?」   と聞いたら、声を揃えて 「満員電車が嫌になったから!」 「朝決まった時間に行くのも疲れた!」   わかるわかる!です。   私もそもそも自宅で何かできないか、と思い始めたのはそんなことが理由でした。 今は旦那さんの駐在に同行してアメリカで主婦をしていてもいいけれど、日本に帰ったらそうもいかない。 でも、大汗かきながら自転車をかっ飛ばして保育園に迎えに行くのも、 これまた汗をかきながら満員電車に乗って営業先に行くのも、 無機質な白い会社のデスクで、向かい合わせの人ともほとんどおしゃべりもしないで、怖い顔をしながらパソコンに向かうのも。   ・・・考えるだけで嫌になってしまった。   でも以前の私であればそこに戻るしかなかった。戻りたくないのに。   そこから、奮起して一歩を踏み出せて本当に良かった。 今はたくさんの人の力を借りながらですが、こうやって日本に滞在していても自分のビジネスは回っている。   この記事も、名古屋の一人旅から山梨県の義理の実家に向かう、特急ふじかわという電車の中で書いています。 走る特急の窓からは富士山が見えます。たくさんの田んぼや山々が見えます。 そんな中でも仕事ができるのです。   少し前までは、私のこの選んだ道は、 「大丈夫なの、それ?」 「またかさまり、変なこと始めたよ」   と言われたことかもしれません。でも、確実に時代は進んでいる。   「へぇ面白いね!稼げる?」 「今やってるそれってどう?いいの?」 「次会うとき、私たちまたどうなってるか超楽しみだね!」   そんな会話が、数年前は作業療法士、派遣社員、助産師、そして会社員の私たちの間で繰り広げられたのです。   女性だって、男性だって。 ママだって、パパだって。 20代だって30代だって40代だって!   人生は一度きり。   嫌なこと、我慢できないことを どうしたら切り離せるのか、 それが会社員をやめるという選択だって、 もし自分で稼ぐ力があれば許される時代になってきたようです。   もちろん、自分でそうやって生きるという選択肢は楽なことばかりではありません。   でも、そんなときよく私の演劇の師匠が言っていたことを思い出します。   「人生は旅だ。本当にやりたいことにたどり着いても、99%は辛いことが待っている。でもその辛さを乗り越えた、1%の喜びや達成感を味わうと、また次の99%に立ち向かえるんだよ。本当にやりたいことならね!」   駐妻の憂鬱、記事一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 日本で、アメリカ駐在になって恋しいものを堪能してきた~駐妻の憂鬱

    こんにちは、かさまりです。   日本の湿気と暑さにすっかりやられております。   あまり「アメリカでは」というと、「ではの神」と言われてしまいますが、あえて言います。   アメリカではもっと冷房が効いてるぞ~~~! 熱中症で死ぬ人なんていないぞ~~~!   スッキリしました。   ※ではの神とは・・・ 何かというと「アメリカでは~」「フランスでは~」と欧米を例に挙げて日本は遅れているとけなす日本人をいう。 引用元:コトバンク     なんて美味しい!卵かけご飯! さて、すっかり日本の食事に毒されています。つまり体重が順調に増えております。。。 持ってきた、いつも履いているジーンズがきついです。   お寿司 焼き鳥 焼肉 うなぎ ラーメン 天そば   なんて美味しいんでしょう!   しかも安い! たらふく食べても二人で4000円いかないなんて。 すごすぎます!!   でもですね、実は感動しすぎて食べずにはいられないもの。それは、、、   TKG! そうです、 卵かけご飯!   なんであんなに美味しいんですか!   実家に行った時も母が作ってくれたご飯もそこそこに卵かけご飯を食す私。 そんな私に完全にご立腹でございました・・・。   だって美味しいんですもの~~♪     私にとっては3年ぶり、夢にまでみたソウルフード、卵かけご飯。 私は卵の黄身と白身を醤油や薬味をよーく混ぜて、まずはご飯にかけるだけで食べる。半分ほど食べ進んだら、全部をモリモリと混ぜて楽しむタイプ。 納豆があったら、それも最初に混ぜてしまいます。 でも粘りはそんなに出してはダメ!ちょい混ぜで豆感が残った状態で食べたい派です。   旦那さんは卵の混ぜはそこそこ、ご飯にかけた後に醤油を垂らす派。 納豆があったら、納豆は卵と混ぜずに別々にご飯に乗せる派。   こんなに奥が深い卵かけご飯なのに、アメリカでは食べられません・・・。 そもそも卵の賞味期限が異様に長いアメリカ。 普通に3週間とか平気、ということになっています。 しかし、その卵たちはサルモネラ菌処理がきちんとされていないのです。 なので、生で食すことができない(生食を前提として卵が流通していない)・・・ つまりアメリカで基本的に卵かけご飯は食べられないのです!!!   (正確には、サルモネラ菌処理がされている卵も売ってはいます。サルモネラ菌処理がされていて生でオッケーな卵はこんなマークがついてます。でも!賞味期限は処理されていないものと同じく長く、一度どうしても食べたくて買ってみたものの、黄身がぷっくりしていなくてクターッとしていて、ちょっと私は試す気にはなれませんでした・・・。すき焼きなどにはいいかもしれません。)   そんなわけで、現在卵かけご飯中毒になっております。     もう一つ味わえないもの・・・温泉!畳!万歳! もう一つ、なかなかアメリカに行ってしまうと味わえないもの、それは温泉!!   というわけで、義理の実家に移動する前に、一泊で熱海へ。 6月という梅雨シーズンで雨か、もしくは暑すぎて入る気にれないか・・・ どちらかを想像していたのですが、幸運にも適度に涼しく、雨も傘がいらない程度。 ラッキー!   今回行ったのは熱海のサンミ倶楽部というところ。 実はANAマイレージがかなり貯まっていたのですが、アメリカに住んでいるとなかなか使い道がなく、 期限切れになりそうなポイントがあったので、ポイントを利用して泊まれるところを探してここにしました。   演歌歌手の三橋美智也さんが建てられたもので、今は万葉の湯系列のこちらの温泉。   建物はかなり古かったのですが、部屋が20畳と広々ででオーシャンビュー!   ずっと東京のせまーいホテルに家族4人で泊まっていたので、この広さは本当にありがたかったです。   4歳の息子は3年ぶり、娘は初めての畳に大興奮で走り回り、押入れのの中に隠れたり。   温泉は残念ながら家族風呂はなく、広さも普通だったのですが、それでも洗い場があって、泳げるほどの大きなお風呂。 全身の疲れが溶けていくようで、汗とともに悪いものが出ていってくれた気がしました。   おかげで、大切な東京での週末に扁桃炎になって、予定を狂わせまくった旦那さんにも、 「でも頑張って働いたってことだよな」   と許す心が芽生えました笑   そして浴衣のまま座敷で食べることができる食事! こういう贅沢って、アメリカだとなかなかない気がします。     どこかに駐在が決まっている皆さん、駐在中みんなが口を揃えて恋しいというのは「美味しい和食」と「温泉」です! たっぷり堪能してから出国しましょう。 私も後何回食べられるかな~?   駐妻の憂鬱、記事一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 久々の東京(日本)での衝撃!ストレスが溢れている。。~駐妻の憂鬱

    こんにちは、かさまりです。   3年ぶりに日本に帰ってきて、約1週間が経ちました。 帰ってきてよかったな、と思うのは、3年間会えていなかった祖母に会えたこと。 4歳ハルと1歳リコにとっては曽祖母。 幸運なことに、曽祖母は全員ご健在! 今回の帰国の目的はもちろんビザ更新なのですが、 それとともに外せない、やらなくてはいけないことは この曽祖母たちにハルとリコを会わせることでした。   しっかし、色々と衝撃的な洗礼を受けて、そうか、3年前はこれが当たり前だったのか・・・ と自分の感覚の変化と、そして日本をちょっと客観的に見た時のヤバさを憂いました。     ホテルからコンビニに行った時の洗礼 13時間ほどのフライトを経て日本の夜に到着したのですが、ホテルに食料が何もないので子供たちを連れてホテル近くにあるコンビニへ。 10時半過ぎても明るい、そしてたくさんの人がいる東京、さすが!と思って歩いていると、駅の付近を通った時に罵声が。。。 おじさんらしき声と警備員さんらしき声が。 「オラー●×▲◆※・・・」 「それは困るんですって!!!」 そんな声が駅構内中に響き渡り、思わず恐くなって子供たちを引き寄せてしまいました。   普段は夜、外出することも少ないのですが、 日本だったら安全だし、いいか、コンビニまでだし! 久しぶりの日本の空気を吸いたいし! と思って子連れで外出して恐い思いをしました。。。 日本も恐いのですね。   コンビニでは・・・ 今回は交通の便を考慮して東京のど真ん中に滞在することにしたのですが、 コンビニの店員さんが見事に全員、外人さん! そしてみなさん日本語も流暢でお上手!! きっと日本で稼ごうと頑張って勉強されているのでしょうね。 それでも、一人も日本人がいないコンビニ、びっくりしました。 ついでに、ホテルの掃除スタッフもかなりの確率で外人さん。 アメリカでは英語をあまり話せない人たちが付く職業として、 ほとんどのホテルではヒスパニックもしくは黒人さんが掃除スタッフなのですが、 日本のビジネスホテルもそうなっているのにびっくりです。   確実に国際化の波が来ているんですね。 日本語があまり話せなくてもできる職業、一定の日本語ができればできる職業であれば こうやってどんどん外人さんに取られるんだろうなーとそれを見ながら思いました。     スターウォーズのクローン軍団を彷彿とさせる通勤姿 私の滞在しているホテルでは、みなさんが駅から会社に向かう姿を見ることができます。 それをふと見てみると、 ザッザッ・・・ と音が聞こえるかのように、みんなおなじスーツを着て、歩道橋の階段を規則正しく登っていく。 逆向きに降ることは許されず、みんな一様に同じペースで上に向かって歩いていました。 駅から歩道橋に吸い込まれるように、なんの意思もなく歩いているかのように見えるその姿は、まるでスターウォーズのクローン兵さながら。 正直、ゾワっとしました。     ストレスだらけの電車・・・ ビザ更新でアメリカ大使館に行くため、どうしても朝の通勤時間真っ只中の電車に乗る必要がありました。 始発だからなんとかなるだろうと思ったのが間違いで、大混雑!? 2本ほど電車をやり過ごしたのですが、間に合わないと困るので仕方なく乗ることに。 幸い、ぎゅーぎゅー詰めではなかったのですが、座ることはできませんでした。 大使館には飲食もiPadも持ち込んではいけないので、何も持っていなかった私たち。 子供たちはどうしてもフラフラしてしまいます。 リコは抱っこし、ハルも良く言い聞かせていましたが、どうしても電車の揺れに合わせて体が少しフーラフラ。 前には、ちょっとイケメンの、プラダのバッグを持ったサラリーマン風の男性が。 その人が、迷惑そうに思いっきりハルをにらみ、下を向いて、足をそこまでやらなくていいだろー!ぐらいに避けていく。 本当に申し訳ない気持ちになりました。   その後も電車移動が続いていますが、とにかく電車の中が暑い!! そして自分の立つ場所も確保できないほどぎゅーぎゅーの時間がある! もう、信じがたいです・・・ これが社会人になってから、アメリカに行くまでの約10年当たり前だったのがびっくりします。   こう書くと、 「アメリカに住んでるやつの上から目線かよ!」   と思われるかもしれませんが、 いやいや、異常ですよ、 あの混み具合と、 暑さと、 乗っている人たちの表情の疲れ具合。 というか、あんな電車に必ず乗らないといけないっていうのはストレス以外の何物でもないですね。 母にそう話すと 「慣れてるから全然平気、なんとも思わないわ」 と言っていましたが、 慣れている、 というか麻痺している、 仕方なく麻痺させていると思います。 人間としての最低限必要な距離感もない。 しかも汗が吹き出るほどの暑さ。 汗が吹き出ている他人の顔のそばに自分の顔がある。 汗が吹き出ている自分の顔のそばに他人の顔がある。 もう一度言います、ストレス以外の何物でもなくないですか??   そんな環境の中では、フーラフラしている4歳の子供を 「チッ」 と思っても仕方ないなとも思いました。   でも私たちもビザ更新という絶対外せないことのために電車に乗っています。   よく日本では「子連れは混んでる時間に乗るんじゃねぇ」って 議論があるかと思いますが、 確かに子供もかわいそうですし、そう思いますが、 こうやって外せないことに向かっている人もいるんです。   でも、そもそもそんなにストレスフルな手段が通勤のメインの手段でしかない、というのが問題なような気がします。 乗っている通勤の皆さんの顔も楽しそうじゃない。 下を向いている、スマホを見てる、朝なのにまた寝ている・・・ おしゃべりなんて許されない雰囲気。 あー苦しかったです。     逆に感謝の気持ちも芽生えました でも、そんな衝撃の後だったからこそ、感じた優しさも。 旦那さんはビザ更新の日以外は仕事で会社。 私の母は東京にいますが、介護で忙しいのであまり頼りすぎては申し訳ないので、基本的に平日の昼間は子供二人と私一人で動いていました。 どうしても一人抱えて、一人は歩かせる、という感じで乗らなくてはいけない電車。 だいたい混んでいたり、乗る際にモタモタしていて席は空いていない。 そんな時に、すっと席を譲ってくださるサラリーマン風の男性、おばさま、おばあさま。   本当にありがたさが心に沁みました!   私も絶対にそういうことがスマートにできる、困っている人がいる時に目を伏せてしまうような人にならないように、子供たちを育てようと心に決めたのでした。   と、ちょっとばかり辛口の記事になってしまいました・・・。 でもおもしろ楽しいこともたくさんありました。   それはまた次回以降、お伝えしようと思います。   駐妻の憂鬱、シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 3年ぶりの日本一時帰国を前にドキドキする~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   実は、明日から日本にビザ更新のために一時帰国します! 2014年9月に渡米してから約3年、初めての帰国です。     帰りたいか?帰りたくないか?   私は旦那さんにくっついてL2ビザというビザできているので、3年で更新というのは決まっておりました。 なので、どんなに遅くても3年経ったら1回は日本へ帰れる。   でも一方で旦那さんはいつ帰国辞令が出てもおかしくない身の上。 通常会社的に3年というのが一区切りだし、何より旦那さんのポジションはもともと1年で帰国するポジションでした。 今までも何人も日本に帰る人を見送って来ました。 そんな中で神様が強烈な私の願いを叶えて来てくれて、ここまでアメリカに残れているので、 日本に一時帰国したいと思ってないわけではないのですが、 それよりもアメリカに残りたい! という方に気持ちが行っていて、日本に一時的に帰るというのは何となく自分的に遠い話でした。   そしてもろもろ他の人事異動があったようで、2週間前に確定した帰国日。   一気に、一時帰国が現実として押し寄せてきました。   まず向こうで誰に会うのか? お土産は? スケジュールは? どこに泊まるんだ? わーわーわーわーやっていたら、いつの間にか前日。   何とかお土産は買ったものの、まだトランクは空っぽ・・・。   そしてそのプロセスの中で、考えたんです。   「私、本当に帰国したいのかな?」   確かにどんどん歳をとって、 まだこちらで生まれたリコにもあってもらっていない祖母達 (子ども達にとってはひいおばあちゃん。ラッキーなことに全員元気です!) に曾孫をぜひ会わせたい!   でもそれ以外は・・・? お土産を買っていて、そして遅々として進まない自分の準備を振り返って、ふと思ったのです。     3年ぶりに会うって、ちょっと怖い   正直に言います。 私は3年ぶりの帰国、相当怖いです。 3年間会っていなかった人たちと会う。   価値観がすごくずれてて、空気の読めない発言ばかりしたらどうしよう。   自分で始めた色々なことを話すのか、話さないのか。   受け入れられない人もたくさんいるでしょう。   受け入れられないことに立ち向かうって、私的には勇気がいることです。 かといって、今の自分を隠しきれない気もします。   だからお土産だけは気合を入れて足りなくならないようにトランクに詰めてあります。 (でもお土産だけでトランク1個分、しかも重さがすでに重量オーバー! これから調節しなくてはなりません・・・)   それ以外の帰国準備が遅々として進まず、気づけば前夜。 今日1日寝たら明日、帰るんです。 さすがにこのまま何も持たずに帰国はできないので、やらなくてはいけないのですが、 どうにも気持ちが落ち着かなくてこれを書いています。     逆に、それだけ居心地が良くなった、今の居場所!   でもそう考えると、今アメリカでは随分と気楽に、 そして自由に生きられているんだなーと思いました。   家で働くことを応援してくれるママ友がたくさんいる。 一緒に仲間としてやりたいと言ってくれて、朝から晩まで一緒に過ごしてくれる仲間がいる。   なんて幸せなんだろう、と昨日ふと思いました。 夏休みが始まっていますが、毎日どこかで遊びたい、誰かと遊びたいとこうるさい4歳息子ハルともう魔の2歳児に突入している1歳娘リコがいるので、なかなか仕事は思うようにできないのですが、一緒にやってくれる仲間&その子供達のおかげで毎日賑やかです。   そして楽しい。明日からみんなとしばらく会えないかと思うとちょっと寂しいです。     好きな人と生きて何が悪い!   日本の美味しいものが食べたい!ずっと会えてない人たちに会いたい!そういう思いの一方で、何となく気持ちが重たいこの事実。   旦那さんは 「どうしてそんなに楽しみそうじゃないの??」 と。   理解不能のようなのですが、何でなんでしょうね。   きっと日本にいろんなしがらみを置いてきていて、それと向き合わないといけないこと、 そして本帰国のことが一気に現実味を帯びるのが嫌なのかもしれません。   そうなった時に思うのです。   「好きな場所で、好きな人と生きて何が悪い!」     少し話が変わりますが、最近やめたことがあります。 それは、息子が呼ばれた、お友達のお誕生日会で居残ること。娘も連れて行った時には仕方なく残ったり、話したいママがいれば残りますが、あとは大体ドロップオフして帰ります。   なぜなら、居心地が悪いから! 2時間も子供を横目に普段会いもしないママ達と話すことは私はありません・・・。   日本だったら許されないような気がします。 でもこちらはその選択肢だって、ありなんです。 別にしたくないことはあえてしなくていい、そういう文化は本当にストレスが少ないなーと思います。 2時間、誰と話そう?と必死に探すよりも、 子供がいない間に買い物をすませる。 カフェで仕事する。 よっぽどこちらの方が生産的です。 誰も咎める人はいません。(ま、正確には息子には文句を言われますが・・・)   そしてママ友。   大好きなみんなとだけ付き合えばいい。 応援してくれる人とだけ会えばいい。   これって、よく考えたら普通ですよね?   あえて自分を理解しようとしない人と本当は会わなくてもいいんです。 自分が苦手だなーと思う人と付き合う必要もないんです。   でも、日本だとそうもいかない。   不思議ですよね。狭いからなのでしょうか。 それとも、私だけ・・・?     「選ぶ」ことの基準、そして必要な力。   それでも、今のように考えられるようになったのは、 少しでも自分の意思で仕事をするようになり、稼げるようになったからだと思います。   自分で稼いでいる、自分の力で何かをしようとしている、それが自信となり、自分の心を支えるのです。 始める前の自分は、 「前に働いていた会社に正社員で戻ってはダメと言われたらどうしよう」 「他の人に嫌われたらどうしよう」 「こんなに散らかっている家を片付けられない、ダメ主婦」   そんなネガティブな不安だらけで、誰にでも、自分にすらおべっかを使っていた気がします。   でも今は、もちろん毎日必死ではありますが、少なくとも自分に正直に生きてもいいんだ、 そういう心は持てるようになった気がします。 「自分で稼ぐから、前の会社の仕事は自分がやりたくてやるんだ」 「自分が興味ない人に嫌われて何が問題がある?」 「散らかってる?クリーナーさんに手伝ってもらえばいい」   とても前向きになれました。   でも、が続きますが、でも。 日本ではまだまだきっとこういう考え方や、自分自身が浮いてしまう。 受け入れてもらえない気がする、今そんな気持ちと戦っております。   本帰国の時はさらに、もっと、戦うんでしょうね。 本帰国の後に、またアメリカに戻ってこられるように。 自分の好きな場所で、好きな人と自由に過ごせるように。 まずは稼ぐ!我が家はそこからです。   さて、ドキドキ帰国!どうなることやら! とりあえず、荷造り、始めます。   3年ぶりにみんなと会うということで、色々とお土産を試行錯誤したので、 それも次の記事で書きたいと思います! また、事務的なことですが、ビザ更新でも地味に写真が必要だったりなんだりしたので、 そのこともまとめたいと思っています。   シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • アメリカで4歳の息子がキンダーガーデンに行く準備が始まった 後編~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   前回の記事では、キンダーガーデンの情報の集め方や、登録、合同説明会について書きました。 ここでは学校見学、そしてドキドキのスクリーニングテストについて書こうと思います! さて、合同説明が一通り終わったら、今度は学校見学ツアーです。 私もアメリカに住んでいましたが、幼稚園と小学校が繋がった私立に通っていたので、公立の学校は初体験です。   私の大好きだったテレビドラマ、Gleeの世界に入り込んだような感じで、廊下に上の学年の子供たちはロッカーがあり、カフェテリアがあり、大きな講堂があり。内心大興奮のツアーでした。     カフェテリア事情~お金は持っていくの?~   さて、日本の小学校では普通はない、このカフェテリア。 どうなっているのか説明してくれました。 子供たちはお弁当を持ってきてもいいし、食堂で購入(バイランチ)をしてもいいそうです。   お金はあらかじめプリペイドのカードを親が持たせ、それでピっと支払い、 現代的ですね。 1食2ドル程度のようです。 Warm LunchとCold Lunchがあって、曜日ごとにだいたいメニューが決まってます。ランチ以外にもチップスやアイスが売られていました。   曜日によってバイランチしても、お弁当にしても良いようで、組み合わせ自由だそうです。   「でもチップスやアイスが売っていたらそればかり食べるのでは?」   私もそう思いましたが、さすがIT現代。   プリペイドのカードには全て情報が集約されていて、食堂のおばちゃんはそのカードをスキャンすると、ママたちからの情報を取得することができるようです。 ですので、「今週はもうチップスなし!」とメモを入れておくと、おばちゃんがチップスを売ってくれない仕組みなのです!!!   面白いですねー!   まだ使っていないのですが、お弁当作りが苦手な私はどれくらいハルがバイランチのメニューを食べられるか、今から楽しみです。     図書室とパソコンルーム   さて、もう一つ楽しそうな部屋がありました。 それは、パソコンルーム。   なんとキンダーガーデンから小さなプロジェクトを始めるようで、パワーポイントで動く何かを作る、などというのをやるようです。 この部屋は図書室の奥にあり、パソコンがずらりと並んでいて子供たちが真剣にやっていました。 「うちの子供、ipad慣れしすぎてマウスが使えないのですが・・・」 という質問が飛んでいましたが、キンダーガーデンの最初のパソコンの授業ではこのマウスの使い方から入るそうです。   日本の小学校は、いまではどんな感じなのでしょうかね?     幼稚園と小学校の合いの子のクラスルーム   さて、最後はクラスルームに案内されました。 キンダーガーデンとはいえ、小学校の敷地内にあるクラスルーム。 どんな感じなのだろう?と思ったら、雰囲気としては幼稚園と小学校の教室の合いの子、という感じでした。   でも日本の小学校とは違い、机はいつも給食の時のような、グループの形。 向かい合って勉強しています。 席替えは月に一回行うそうです。   ちなみに、クラスルームは先生と紐づいていて、この先生のクラスはこの教室、と決まっているようです。   奥にはipadとパソコンが並んだスペース。 あとは本を読むスペース、みんなで集まるサークルタイムを行うスペース、 となっていました。   とてもカラフルな教室で、来るだけでわくわくするような色使いでした!     ドキドキのスクリーニングテスト   さて、5月下旬。いよいよ息子ハルのスクリーニングテストの日。 このスクリーニングテストでは、先生たちと全生徒が会って、 今のいろいろなことのスキルを見てクラスの生徒のバランスを見ること、 そして英語の補助=ENLがどれくらい必要か、というのを見られます。   さすが移民の国、アメリカですね。 両親が英語ネイティブではない家庭向けに、英語の補助授業が予めプログラムとして用意されているんです。   息子が通う予定のキンダーガーデンではENLの段階はいくつかあるようなのですが、大きく分けてビギナーズとアドバンスド。 ビギナーズは、授業時間に別のENL専門の先生と別の教室で授業を受ける、 アドバンスドでは、別の教室には行かずにENLの先生の補助を受けて現地の子達と一緒に授業を受ける、 という感じのようです。 (ここはまだ実際に受けていないので違うかもしれませんが、説明を聞いて理解したざっくりとしたイメージです)   さて、このためのテスト、何があって、どれくらいの時間がかかるのか皆目検討つかずに行ったのですが、息子の場合は5名くらいの子供達が一緒に1時間くらい先生たちと過ごす、という手法でした。   親は別の空間でPTAの方から年間の行事の説明や質問タイム。   実は、私は勝手に15分くらいで、個別にやるのかと思っていたので、1歳のリコを連れて行ったのですが、それはそれは大変でした・・・。 飲まれていないコーヒーのKカップをゴミ箱に捨てたり、床に落書きしたり、置いてあるマットによじ登ったり・・・ですので、どのような面談なのか、事前に聞いて必要ならば下のお子さんはどこかに預けられるようにすることをお勧めします・・・。   その場でテストの結果は教えてもらえず、夏休みにクラス分けとともに郵送にて送られて来るようです。   ハルに聞いたら、はさみを使ったり、番号を言ったり、色を言ったり、先生の話が理解できるのか、みたいなことをやったようです。   さて結果はどうでしょうかね? おそらくビギナーズ(別教室でのENL)かと思いますが! 他のすでにキンダーガーデンに行っているお友だちは、どんどん英語が話せるようになっているので、楽しみにしています♪   このようにENLという仕組みがしっかりあって、授業についていけるように補習をしてくれるのは本当にありがたいですね。   セナで英語の授業を受けるようになって、子供の英語レベルに合わせて授業をしてくれるありがたさを痛感しているところなので、それが日常として組み込まれているのはとてもいいことだし、本人のレベルでちゃんとやってくれるのは本人の劣等感を最小限にする方法であるとも思いました。     大量にある、学校のイベント、ボランティア   ハルがテストを受けている間、私たちが受けていたのは行事の説明。 それはそれはたくさんありました・・・ 幼稚園ではそのようなイベントは校長がかなり主体的になってやってくれていたのと、 リコが小さくて夜のミーティングに参加できなくてほとんど何もできなかったのですが、 せっかくの憧れ!アメリカの小学校入学なので、少しでもできるといいなと思っています。   行事リストが渡されて、そこに名前と連絡先を書いておくと、グループ長から連絡が来てどんな感じなのか、教えてくれるようです。 最終的にその説明を聞いて参加するか決めてもいい模様だったので、私は一番盛り上がりそうな、ハロウィンとクリスマスイベントにサインして来ました!   今回はテストまでの経験を記事にしましたが、まだまだ体験していないことだらけの、未知の世界のキンダーガーデン&小学校。 完全に手探りで、私も何が何だかわかっていませんが、せっかくのまたとない初めてだらけの小学校生活、楽しみたいと思います。 9月からのキンダーガーデン生活、どんなでしょうね~?   その前にとりあえずは長い夏休み、乗り越えなくてはなりません・・・・。     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • アメリカで4歳の息子がキンダーガーデンに行く準備が始まった 前編~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   アメリカの夏休みは6月の初めから、9月の初めまで。 丸々3ヶ月あるので、今からどうしようと毎日悩んでおります。   とりあえず、通称「ママキャンプ=ママがプロデュースするサマーキャンプ」のネタと遊んでくれる相手をいつも探しております。   さて、こちらに来た当初はまさかこんなに長くいるとは思わなかったアメリカ生活。 2歳の時に渡米した息子、ハルも気づけば8月には5歳。6月にプリスクール(幼稚園)は卒業して9月にはキンダーガーデンに上がります。     キンダーガーデン(Kindergarten)ってなに??   キンダーガーデンはアメリカにおいて義務教育の始まりです。一般的なアメリカの子供は、小学校に上がる前の準備期間として、プリスクール(PreSchool:日本で言う幼稚園)を卒業してキンダーガーデンに通います。 公立のキンダーは、基本的に小学校と同じ建物に併設されています。 通う年齢は子供の成長に応じてずらしたり延ばしたりすることも可能なようですが、一般的には日本で言うところの幼稚園年中さんの途中(9月)から年長さんの途中(6月)までです。     どこのキンダーガーデン・小学校に行くの?   日本の東京が、区によって違いが出てきているように、アメリカでも住む地区によってキンダーガーデン、小学校の割り振りの仕方が異なります。 お隣の地区はどこのキンダーガーデンに行くかについて、希望が出せる希望制、私たちの地区はゾーン制と言って、住んでいる地区によって行けるキンダーガーデン、小学校が決まっています。   ちなみに、小学校から高校まで、アメリカの公立は全てレートがつけられていて、不動産の価値も決めるくらい重要なものです。 現地の物件情報サイトに行くと、その地区の小学校から高校までのレートが見られますし、こちらのサイトでも確認できます。 http://www.greatschools.org/     もしこれから引っ越される予定のある方は確認すると良いかもしれません。   自分のお子さんが入る可能性のある小学校のレートはもちろん、他にも見るといいかなと思うのが、ハイスクールのレート。小さいお子さんがいらっしゃる方は関係ないと思われるかもしれませんが、意外とその地区の雰囲気を左右したりしますので、一つの目安として見るといいでしょう。     どうやってキンダーガーデンと連絡を取るの?   通う予定のキンダーガーデンと同じ地区の幼稚園に行っている場合、 次にキンダーガーデンに行くお子さんがいるということを幼稚園から連絡してくれて、キンダーガーデンの案内が来ることが多いようです。   次に、すでにキンダーガーデン、小学校にすでに通っている人からのクチコミによる案内送付。12月から1月ごろに、「次にキンダーガーデンに上がる知り合いはいないか?」と聞かれるようです。   私はたまたま隣の地区の幼稚園に行っており、その時期に家族で旅行に行っており、周りから忘れられていたので、3月の時点でキンダーガーデンに登録されておりませんでした。   これはまずい!ということでキンダーガーデンに電話して、登録用の資料一式を送ってもらいました。 (こういうケースでも快くやってくれるので、引っ越してきたばかりの方もご安心を!一般的には3月に登録がありますが、もちろん直前まで登録可能ですので、夏休み中に引っ越す方も引っ越してきたら最寄りのキンダーガーデンに連絡すれば大丈夫です。)   登録資料には、本人の情報、家族の情報、などおそらく日本の小学校でも聞かれることを書いていきます。 違う点といえば、「母国語は何か?」と聞かれる用紙があること。 その際に英語のレベルと母国語のレベルについて聞かれます。 これを元に、ENL(旧ESL。English New Languageの略)のクラスを受ける必要があるかどうかを判断するテストを本格的に受ける必要があるか、ということを見るようです。     登録後は人事と面談!   登録した後は、まずは保護者が人事の方と面談があり、 その際に合同説明会と、ENLのためのスクリーニングテストがある旨が伝えられます。   合同説明会は基本的には親のみ(でも連れてきている人もいました)、テストは子供と親で行きます。   最初の人事との面談は15分ほどのあっさりとしたもので、主に上記の説明の他に、9月までに健康診断と歯科検診に行って結果を出せるようにしておくことを言われます。   ここで驚きだったのが、校長への嘆願書についての説明があったこと。 何か、お願いや疑問、不安などがあれば、直接校長にメールにて伝えていい旨を言われます。   例えばクラスの構成についてなど、採用されるかどうかはわかりませんが、希望を出していいというのです。日本人がなるべく多いクラスにして欲しいとか、そういうことですね。 聞いてもらえる保証はないですが、そのように意見を伝えられる場があるのはいいですよね。     いざ、合同説明会へ!!   3月下旬の面談ののち、ハルの学校では5月の初めに校長や保健室の先生、そしてキンダーガーデン担当の先生との顔合わせの説明会がありました。   私たちの学区では、先生は「学年付き」です。 つまり、キンダーガーデンの先生はずっとキンダーガーデンの先生です。 日本だとクラスの担任って、1、2年で同じ先生、クラス替えのタイミングで先生も入れ替えではありませんでしたか? 私の学校は少なくともそうでした。 ですので、この学年に紐づいた先生、というのは面白いなーと思いました。   今年、1人退官されるそうなのですが、同じ学区のキンダーガーデンの先生が来る、と言っていました。つまり学校の中で補填されるのではなく、キンダーガーデン専門の先生を学区の中で探すのだそうです。   これはキンダーガーデンだけでなく、他の学年も同じのようで、同じく人数が増えすぎてクラスが増える学年は、やはりその学年担当の先生を探すとのこと。   私たちの地区の考え方は、クラスの担当、というより、学年の担当、ということで、キンダーガーデンで習うべきことを専門に特化して教える先生、という考え方のようです。   先生が毎年変わるのは少し寂しい気もしますが、言ってみれば小学校に上がる前の子供達の専門家。安心して任せられる感じがします。   さて、こちらで一通りの説明を受けた後、小さなグループに分かれて学校の中の見学ツアーをいたしました。 と、長くなってきたので、この続きは後編で!       First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 1歳と4歳の子供を旦那に預け、サンフランシスコに一人旅してみた!~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   我ながら超大胆なことをしたな、と思いますが、 タイトルの通り、 1歳の娘リコと4歳の息子ハルをダンナさんに預けて、2泊3日で西海岸のサンフランシスコへ行ってきました! ニューヨークからサンフランシスコまでは飛行機で約6時間。 しかも、ダンナさんは下の娘、リコが生まれてから、子供2人をひとりで預かったことはありません。 それがいきなり2泊3日!   私がそこまでして行きたかった理由は、 どうしても会いたい人が日本からサンフランシスコに来るから。   ということで、勢いに任せて飛行機の切符を取ったものの、 決行の日にちが近づくに連れて不安でたまらなくなり、 色々なことが手につかないほどでした。   それでも、どうしても会いたかった私の尊敬してやまない方々。   便利な時代になったもので、実際にお会いしたことがなくてもいつでもチャットやスカイプ、その他の方法で連絡を取り合うことはできます。 それでも、やはり実際に会って話してみたかった!     結論から言います。大丈夫でした!   もうそれはそれは心配した、ダンナさんと子供たちだけの3日間の生活。。。   この日のために、実はリコの断乳を決行しました。 私以外の人と寝ることができるようにしておくためには、パイなしでも寝付けることができるように。 そしてたくさんご飯が食べられるようにしておいてあげること。 これが私のミッションだと思いました。   ちょうど私も正直、授乳の毎日に疲れきっていたので、神様がくれたタイミングだったのだと思います。   周りからはリコは大丈夫か?という心配のお声をいただいていたのですが、私は実は上の息子、ハルの方が心配でした。   リコは1歳ながらにかなり自立しており、自己主張もしっかりとできるタイプ。 ですので、ママがいなかったらいないで、パパにやりたいことや食べたいものをしっかりと主張することだろう、と思っていたのです。   一方で、4歳のハルはかなり根が優しいタイプ。 やんちゃですが、慎重派でとにかく安定、平和志向。 日常と違うことが起こるのを最も嫌います。   ですので、ハルには 超楽しみにしていたおもちゃを(私がいない間に)パパと一緒に開けること、 そして1ヶ月前からママは3日間いないけど必ず帰る、 と伝えていました。   結果、ダンナさんも二人の子供も、私がいない3人だけの時間を楽しんでくれたようです。 リコは帰ってきた後にようやく異変に気付いた感じでママストーカーにしばらくなりましたが、 私がサンフランシスコにいる間はパパっ子に、 ハルは最初は泣いたものの、帰ってきたらパパと過ごして楽しかった! と言っていました。     事前準備は?   さて、断乳という大きな準備以外にしたことを書いておこうと思います。   リコとハルの好きなお菓子を準備する パパが買い物に出なくてもいいように買い物を済ませておく 夜ご飯用のカレーの仕込み お出かけ用のリュックの完備 早朝のフライトにして、子供たちが寝ている間に出発 パパに食べ物に関するメモ、緊急連絡先のメモ、いない間に行われるイベントやしておかないといけないことのメモを冷蔵庫の見えるところに貼っておく 洗濯物は済ませておく   ざっと羅列してみましたが、こんなことをしてみました。   ママにとっては当たり前のことでも、初めて子供と過ごすダンナさんにとってはどれも未知、 そしてやってみるとめんどくさかったり、どこに何があるのか理解できなかったり。 それでイラつきそうなことを事前に潰しておくイメージで準備しました。笑   まずは買い物。 私ですら、毎回リコとハルを連れての買い物は一苦労です。 なので、食材は行く前日に、想定されるご飯を考えながら多めに調達。 そしてカレーであればチーズをかけたり、うどんにしたり、少しオーブンで焼けばカレードリアにしたり・・・とバリエーションができるので、前日に多めに用意しました。 本当はママ友のお勧めでお好み焼きを冷凍しておこうと思ったのですが、時間切れ。 材料のありかだけ伝えておきました。   加えて、ダンナさん1人で子供2人を連れてマンハッタンまで電車で行く、という用事がありました。 いまビザの更新のための準備中なのですが、息子ハルのパスポートが切れかけていたため、先週慌てて領事館に更新申請に行きました。 が、パスポートの受け取りの際はなんと本人(ハル)も行く必要がある。 次の週にはダンナさんが出張でいないので、どうしても私がいないその日(平日の金曜日)に取りに行かないといけなかったのです。 そこで、40分の電車旅を耐えられるようにおやつと飲み物の準備、そしてオムツやらお着替えやらをすべてお出かけ用のリュックに入れておきました。   最後に、フライトは子供達が起きる前に家を出なくていけないものにしました。 これは、より長くサンフランシスコに居たかったから、というのもあるのですが、 なるべく子供たちのショックを和らげるためにもそうしました。 やはり、別れというのは子供にとって辛いもの。 でも予告して朝いないというのは意外と受け入れられるのでは?ということでそうしました。   あと、病院情報や保険証なども用意して、これで何がおきても平気。   ダンナさんには 「そこまでいらなくね?何もおきないよ」 と言われましたが、用心には用心を重ねて。 実際に3日間子供達と1人で過ごしてみて、こういう準備こそ必要だ、 ということを何もなかったものの感じてくれたようです。     さて、実際の3日間はどうだったか?   結論をもう書いたので、お分かりかと思うのですが、 まぁ、大丈夫でした笑   ハルは心配していた通り、朝ニューヨークの空港に着くなりさっそくFacetimeがかかってきて、泣きまくっている顔が大写しになりましたが、 「ほら、もうおもちゃ開けていいんだよ!」 というとしばらくして落ち着いて、 隠しておいたおもちゃをダンナさんと探しに行き、気持ちをうまく切り替えてくれたようです。 探さなくちゃ!というふうにしておいたのも良かった!   リコに至っては、特に何もなく、ご機嫌に起きてご機嫌にご飯を食べ、 みんなでパスポート受け取りに出かけたようです。   出かけている間、ママがいないので、兄妹の仲がいい!   当日30度近くあったのに長袖を着せたのはご愛嬌、電車が寒かったということで。。。 (次回は着替えも用意して行きます・・・)   寝るときも3人で寄り添って寝て、むしろダンナさんは普段ママに子供達が寄っていってしまう分、ラブラブに過ごせて楽しかったようです。     私はというと・・・   さて、私は。。。 アメリカに来てからこのかた、ほとんどなかった一人時間を満喫しました。 会いたかった方達と何をしたか、というのはまた後日まとめますが、 子供たちがいないフライトのなんと短いこと! やりたかった作業を一気にやれて、本もゆっくり読めて。 ハードカバーの本なんて、どれくらいぶりに読んだことでしょう。   そしてご飯が美味しい! こんなにゆっくり食べられたのはいつぶりでしょうか。   普段はもはやご飯が楽しめず、ただでさえ高いアメリカの外食は究極的にコスパが悪く感じられるので、ほとんどテイクアウトなのですが、ゆっくりとご飯を食べるとこんなに美味しいんだ~~~と。   そしてホテルでも誰にも邪魔されずに熟睡できる!10時過ぎに寝て、 「あーよく寝た!」と起きたらまだ朝の2時でした笑   せっかくもらったこの機会を満喫、使い切らないともったいない、という気持ちで使いました。       ひとり旅のビフォーアフター   今回、我が家にとって大きな挑戦となった、ママ不在の3日間。   ダンナさんは少しは主婦の大変さがわかってくれたようです。 主婦は本当に評価されない仕事。 でも、仕事なのです。   むしろ、お金をもらう仕事よりも代わりがいないし、お金という評価がない分、私は大変に感じます。 仕事というのは、誰に言われなくても雇われている、やるということになっている以上、やらなくてはいけないことだと、解釈しています。 主婦の家事や育児もそうですよね。 自分がやらなくては回らない、基本はそういうものです。   一方で、全部自分でやってみないと、主婦の仕事がどのようなものか、なかなか理解できないものでもあると思うのです。 実際に、私は今自分の母に土下座して謝りたいと思いますが、子供だった当時は 「家にいるのに、何が大変なの??」 と思っていました。 当事者になってみないとわからないものです。   ダンナさん曰く、 「子供たちは思ったよりもいい子達で大変ではなかったけど、食事を必ず3食作ったり、着替えさせて、オムツを替えて。そういうルーティンが大変なんだな」 と。   そうなんですよ!!!!   今までダンナさんは飲んだビールの缶はそのまま、食べたら食べっぱなし、 先に寝てしまう私が起きてテーブルの上のものを片付けるのが当たり前でした。 ダンナさんにとっては 「たかだか、一手間だろう」 という気持ちだったかと思うのですが、 その一手間がいくつも主婦をしているとあるのだ、そこに気づいてくれたようです。 私も自分が母にお世話になっていた時には気づきませんでした。 ごめんなさい、お母さん!   そこに気がついてくれただけでも大進歩!   そして子供たちはというと。 ハルは変わらずにいい子ですが、ママはいなくなっても帰ってくる、そこの信頼感が増した気がします。 リコのリコを産む時に入院したのがとても印象が強いらしく、その時ももちろん退院したのですが、ママは一回いなくなると帰ってこないかもしれない、という漠然とした不安を持っていたようなのですが、そこがなくなったようです。   リコは、少し聞き分けが良くなり、主張のバリエーションが増えました。 今まで服を家でなかなか着てくれなかったのですが、着てくれるように笑 そして帰ってきたらうなづけるようになっていました! 可愛すぎて何回も質問してしまいます。   そして、何よりダンナさんと子供たちの仲が明らかに良くなりました。 信頼関係が深まったような、そんな感じがします。     やるまでは不安、でもやってみたら不安はただの不安だった   今回、本当に今までまったく預けたことのないところからの2泊3日だったので、最初にも書いたように不安で不安でたまりませんでした。   でも、やってみたらなんてことはなかった。   むしろ、私はリフレッシュできてまた子供たちと一生懸命向き合おうと思えたし、 ちょっと寄ってきすぎて疲れるなぁと思っていたのも、 また愛おしく思えるようになりました。   何よりも、 預けても大丈夫なのだ! と思えるようになったことは、大きな進歩ですし、安心です。 アメリカにいると、やはり親族がいないので、いざ!という時にどうしようという不安が常につきまといます。 ダンナさんはもちろんいるのですが、今までいかんせんやったことがないのでなんとなく不安。 同じ親なので、大変失礼な気持ちではあるのですが、どうしてもそう思ってしまうところがあるのです。   でも、これでもう大丈夫。 自分が万が一入院とかしても頼る先がある、これはとても大きなことです。   現地、アメリカ人のママ友に前から 「パパと子供たちだけで過ごさせるのがいいよ!なんでやらないの、絶対にやるべき!!」 と何度も言われていました。   でもなんとなくできないんじゃないか、そう言ってやってこなかったんです。   でもやっていたらなんてことはなかった。むしろ、この新しい挑戦は我が家の人間関係も少し良くしてくれる、そんなものになりました。   日本人のママたちに話すと、みんな一様に 「エーーーー!(だいじょうぶなの??)」 という驚きの反応だった、今回の挑戦。   それだけ日本人の私たち、主婦である私たちにとってはかなり難しいことである、できないという思い込みのあることだったと思います。     おうちに少し変化が欲しいというママ。 子供に優しくできない、ダンナさんが全然理解がなくて悩んでる。 自分時間、欲しいヨォォォォと思っているママ。   是非とも、えいやっとやってみてください! 事前準備をちゃんとしさえすれば、大丈夫なはずです♪ きっとみんなにとって新鮮な経験が得られますよ♪   駐妻の憂鬱、記事一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 専業主婦の私が起業?ピンとこない・・・というかなにそれっ!~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   最近、ちょっといらっとしていることがあります。 自分のしていることを話すと、周りに 「かさまり起業しちゃいなよ~」 と言われるのです。   いったいなんなんでしょうね、起業って。     起業っていう、肩に力が入った感じがイヤ   起業という言葉を見ると、意味は、 「生業を起こすこと、新しく事業を始めること」   生業っていう言葉を見ると、意味は 「生計を立てるための職業」   ふむ。   どうもピンとこないんですよ。   確かに、会社に属することなく、自分で月70万円稼いでいます。 お金の収支管理もしている。(正確にはガサツな性格なのでダンナさんがほぼやってくれている) そして、スタッフさんに色々お願いしながら仕事をしています。   でも、もともと 「よし起業してやるぜ!!やったるぜ!!!」 と思って始めたわけでは全くないし、 この自分で稼いでいる状況になったからといって、 「起業しようかな」 とか 「起業してるな」 とか思うこともなくて、ただただ家で働いている、お金を稼いでいる、それだけです。   社会のルールとして、開業届などは出さないといけないので、 世間としては「起業した」ということになるのでしょうが、 なーんかそう言われるととても違和感があるのです。   なぜかって、自分では一生懸命、自分がしたい生活をするために頑張っているだけだから。     お金を稼ぐというのに、自分も他人もあるのか?   いつも言われるたびにくすぐったい気分になるので、 ちょっとその正体について考えてみることにしました。   自分が一番違和感を感じるポイント、それは、 「お金を稼ぐのに、自分も他人もあるのか。」   そのことなのかもしれません。   確かに会社に勤めて一定のお給料をもらうというのと、 自分で何かビジネスをやって、自分で成果を作っていくというのは、 お金のもらう方法は違うかもしれません。   でも、 「自分の何かを売って、お金にしている」 という点では、変わらないと思うのです。   勤めている人は自分の時間と、身体的にいるべき場所を売って、一定のお金を稼いでいる。 私は、稼ぐために自分のできる時間と睡眠を売って、それで稼げるお金を稼いでいる。 どちらもサボったらお金は稼げないのです。   ダンナさんは現状、自分の朝から晩までの時間を会社に売って、会社のために働いて、その対価としてお金をもらっている。 私は、自分の睡眠時間と思考を売って、その対価としてお金をもらっている。   私にとって、起業云々はどうでもよくて、 自分の何を売って、お金を稼いでいるか、 そこをみているから、ちょっと興奮気味に、 「かさまり、それって起業してるってことじゃない?」 「起業しちゃいなよ~」 と言われると正直、痒いのです。     なぜお金を稼ぐのか?大事なものは何?   自宅で子供がいながらにして稼ぐ、このことについて、夢と目標を与えてくれた師匠が私にはいます。 自分よりも年下なのですが、敬愛してやまない、もう大大大好きな方なのですが、師匠に勧めたもらって 読んだ本があって、自分で稼いで目標を叶えよう、と強く決意させてくれました。   それがこちら、「世界一ふざけた夢の叶え方」   アメリカにいて、現地のママ友と話していてそれはもう毎日目から鱗が落ちまくっているのですが、 その中でも大きかったのは、この本の中でも語られている、 「どう生きたいかファーストな考え方」   どんなライフスタイルをしたいのか? どういった1年を過ごしたいのか? どうなったら一番ハッピーに過ごせるのか? 自分にとって大事なことは何か?   日本人は、本当に真面目! 真面目で忠誠心が強いから、仕事が生活の全て。   ダンナさんのアメリカの先輩でとても素敵な、業績をあげまくっている女性がいるのですが、 その方に言われたのはこんなこと。   「日本人のQuality Of Lifeへの意識は低すぎる!なんのために生きているのか? 私はとても楽しんで仕事をしているけれど、たまに苦しくなる。そんな時、ちょっとサボったら クビになるか、考えてみるけれど、大丈夫だから、そんな日はオフをとって好きなことするのよ。 でも日本人はそうじゃないわよね。単身赴任で家族との時間を犠牲にするなんて、最たる事例だわ。 なぜなの?」   考えてみたら、これに納得のいく答えはありません。 大体の人がいうのは、、、   「会社に言われたから。」   以上です。   我が家はそんな中でもけっこう日本人にしては破天荒で、単身で出張を命じられた最初の1年も勝手にくっついてきてしまったり 挙げ句の果てには妊娠して、現地ローカルの保険にも入っていなくてワタワタしましたが、 それでも私はついてきてかけがえのない時間を息子やダンナさんと過ごし、娘も生まれて大親友と呼べる友人もできました。 (ちなみに妊娠後でも保険は入れたので、保険に加入して娘は無事出産しました。笑)     夢?目標?専業主婦は持ってはいけないのか?   実は、小さい頃にアメリカに住んでいた私は、アメリカから帰国した後に産まれた妹がいたので、 決して留学は許されませんでした。 「あなたはもう経験したんだから、いくなら妹よ」   と。   でも自分自身の半分ルーツでもあるアメリカ。 絶対に戻ってきたかった。   「戻りたい戻りたい」   そう願っていたら、実現しました。 しかも、自分が昔住んでいた、メリーランド州のすぐお隣のバージニア、そしてなんとそのあとはニューヨークに! 祈願通天と私は呼んでいるのですが、強く強く願えば、そしてそれに向けて行動すれば、 自分の人生の舵は自分で切れるのです。   なんとなく自分で思っていたことではあったのですが、 この本にはもっと引き寄せるために何をしたらいいか、書いてありました。 私が特に影響を受けたのは、 「自分がなりたい未来を考えて、それが実現したと仮定していま乾杯しよう!」 「何が起きてもついてる!って思おう」 「ついてる!ついてる!」   という点。   自分の未来を思い描くこと、それも自由に! これって意外と難しいんですよね。   「あ、でもこれは無理かも。これも実現不可能だよね・・・」   みたいにすぐ思ってしまいがちなんです。   でも、そういうのは取っ払って考えるんです。 超ハッピーな、自分のなりたい未来を考えるのはタダ!お金かかりません。 やって失うものは妄想なんで、ないんです。   私は住みたい場所と、住みたい家を考えました。 季節のいい時は、ニューヨークで。 他の時期は西海岸のあったかいところで、海が見えるお家で、 子供達が海やプールで遊んでいるのをのんびり眺める。 パソコンを持って、気持ちものんびりしながら仕事をする。 外に置いてあるソファーに座ってバーベキューしながら、美味しいビールとワインを飲む。 あー今日も楽しかった!そう思いながら寝る。   そんなことできるわけないじゃん!   そう思いましたか?   今はできないかもしれません。 でもできないと決めつけたら、それこそそこで試合終了です。   「セカフザ」を読んでから、私はこんな目標を、バカかもしれませんが、本気で立てました。   でも、私には子供も、ダンナさんもいる。 私一人では叶えられません。   なので、2ヶ月かけてダンナさんにも読んでもらいました。 バカですが、本気で立てた目標なので、普段私が薦める本なんて絶対に読まないダンナさんにも どうしても読んでもらって、同じ夢、目標を持って、未来乾杯しないとダメ! そう思って粘り強く説得しました。   もうダメかなーあーあと思っていた、2ヶ月がたったある日。 仕事から帰宅したダンナさんが言いました。 「乾杯しよう!」 と!!   今、私が思い描いていた夢・目標はいまは夫婦の目標です。   アホだと思いますか?   多分、アホだと思います。笑   でもアホでもなんでも、夢をこうやって描くのはタダ! 睡眠時間がなくなって苦しくなった時、 お問い合わせでどうしようもないことが起きた時、 この夢をはっきり頭に思い浮かべるんです。   そうしたら頑張れる。   そして具体的に何をしたらいいのか、考えられるのです。   今の私の場合、駐在ですので、まずはそれを打破すること、つまり 「いつ日本に帰るのか」をビクビクしなくていい生活を手に入れること。 そのためにはダンナさんにももっと選択肢があるようにしていかなくてはいけない。 そうすると私もこれくらい稼げていると、自由度が増す。   ではそれを稼ぐためにはどうしたらいいのか・・・?   そんなことを考えるのです。   これって、話を戻すと起業がどうのこうのっていう話ではないんですよね。 自分がどうしたいのか。家族でどうしたいのか。   もうこれに尽きるのです。   夢を見るのは、妄想するのはただ!でもでも、というのをぜーんぶ取り除いて、 一度自由にどうやって暮らしたいのか、どうしたら最高にハッピーなのか、 考えてみるのはいかがでしょうか? 私は住みたいお家を絵心は全然ないのですが、設計図を書いて、最高に幸せな気分になりました笑   あーあの思い描いたお家に住みたい!   さ、そのためにも頑張ります!   セカフザ、もしこの記事をお読みの方でご興味があればぜひ読んでみてください。 世界一ふざけた夢の叶え方   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 1歳10ヶ月アメリカで断乳!断乳後のケアはどうするか?(後編)~駐妻の憂鬱

    こんにちは、かさまりです。   前回『1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱』では、 1歳10ヶ月のリコと、どうやって断乳したのか? そしてその後の親子関係はどうなったのか、 についてお伝えしました。   結果的にもう私たちのタイミングだったんだなーと、ハッピー断乳ができたと思っています。 (現在断乳してからちょうど1週間、娘は特にパイを欲しがることはありません。)   今回は、 「じゃあ断乳後のケア(処理)ってどうしたの?」 というお話です。   これは私が自分なりに痛みと戦いながら調べまくってとったセルフケア方法ですので、 正直これが正しいのかどうか、わかりません。 ただ、10日経った今はもうすっかり痛みはなく、母乳も絞ればちょろっと出ますが、母乳が張ることはありません。   専門家でない私がこのような情報を出すのはどうかな、とも考えたのですが、 私も本当に苦しんだので、いつかどなたかの参考になれば! という想いで今回は書かせていただきます。     アメリカでの断乳後のケア方法   リコと私はほぼいきなり断乳をしたのは前回書いた通り。 ですが、私のパイは1年10ヶ月経ってもまだまだ出るパイでした。   現在4歳半のハルの時から、実は私はかなり母乳の分泌量が多いパイでした。 シャワーのように出てしまって、母乳パッドは欠かせない、 そして最初は少し搾乳してあげないとむせてしまうくらいの量で、 それはそれで苦労しました。   (アメリカにも母乳パッドは売っていますので、同じ悩みがある方、ご心配なく! ちなみに電動搾乳機もあります。 州によっては保険会社がくれたりするので、是非とも保険会社の規約を見るか、聞いて見ましょう。 私も最新の電動搾乳機をバージニア州で無料でもらいました! しかも5個くらいから選べるというとても良いシステムでした♪)   母乳パッドはこちら 保険会社から頂いた電動搾乳機はこちら 電動搾乳機は強すぎてよろしくない、という話もありますが、 これは強さを自分で調整できて私はよかったです。 (乳腺炎の時や、新生児の時にあげる前に圧を抜いてあげるために使っていました。)     話が逸れました。   そんなかなり分泌量が多い母乳だったので、恐怖だったのは断乳後のパイ。 しかもいきなり断乳することにしたので、徐々に減らして分泌量を減らして・・・という手段もとりませんでした。   日本では桶谷式や、産院でケアを受けることができるかと思いますが、 アメリカではどんなに調べても何も出てきませんでした。   ママ友に聞いても、みんな全く覚えていない、というようなコメント! なぜ! むしろ8ヶ月とか、早い段階でやめているから、もっと母乳量が多い時期にやめたはずなのに、みんな覚えていないというのです。   しつこく掘り下げて聞いてみたところ、 ・普段から搾乳機、そしてミルクの併用していた ・やめると決めても搾乳機を使ってしばらく搾乳を継続、その期間を徐々に長くする   ということをやるようです。   自分である意味コントロールしていくということですね。   だからこそ、保険会社で配るくらい、搾乳機はアメリカに住むママたちにとっては欠かせない存在、ということなのかもしれません。     では、私はどうした??   先ほども書いたように、私とリコは突然やめることに決めました。   リコにとってはそれが受け入れやすいやり方だったのかな、 そして私の精神的にも受け入れやすかったな、と思うのですが、 このやり方を受け入れられなかったもの・・・それは私のパイ!   やめるその日の午前中まで、リコは好きな時に服をめくって飲んでいました。 それこそ家の中でも外でも。 抱っこ紐のエルゴは便利で、フードさえすれば、外でも授乳ができます。 これまで1度もあげていると気づかれたことはないです。 飲みたい時に飲ませていたので、回数は数えてませんが、夜寝ている間も含めて10回くらいは飲んでいたでしょうか。   そんなリコがよくすんなりやめられたね、とみんなにびっくりされますが、 一番びっくりしたのはきっと私のパイでしょう。   今までフル稼働だったのに、突然の業務停止。 でもミルクラインは止まらない!   というわけで、当日の夜からガッチガチのおいわさんになりました。 絆創膏にはうっすらシミができるほど少しずつ漏れ流程、パンパン。 そして、肩から脇にかけて全部痛く、触られるだけで叫び声を上げてしまうほどの激痛でした・・・。   痛すぎて思わず 「ニューヨーク 桶谷式」   と検索をかけたほど。 でも見つからないので、とにかくなんとかセルフケアをするしかありません。   とはいえ、リコに気づかれないようにケアをするのは至難の技。 キャベツ湿布がいい、などと言いますが、そんなものを作る余裕も、 貼っておく余裕もありません。   応急処置として私が行なったのは、手を冷水で冷やし、それをパイに当てる。 まずはこれを繰り返しました。   そうするとだいぶ痛みは一時しのぎではありますが、軽減されました。   そして、目からウロコ、あんまりにイタイイタイ言っていたら、 現地のママから一言。 「鎮痛剤飲めばいいじゃない」     その手があったかーーーー!   確かに授乳していないので別に飲めばいいんですよ。 というわけで、市販のタイレノールという鎮痛剤を飲みました。 これでだいぶ楽になりました。 もし苦しんでいる方がいるなら、もう遠慮なく飲みましょう。     残った母乳との戦い   痛みは鎮痛剤でなんとかなりましたが、とはいえガチガチおいわさんが 治ったわけではありません。 おまけに、鎮痛剤があっても、やはり触られたり上に乗られると息を飲んでしまうほどの痛み。 そして古い母乳=血がどんどんパイに溜まるので重たくてだるいのです。   でも、出産直後から母乳と戦ってきたみなさんならわかるでしょう。 そうです、母乳は出せばまた作られてしまうのです。 ですので、作られないようにするためには、出さないようにしなくてはならない。   それでも、矛盾することを言うようですが、溜めすぎてしまうと乳腺が詰まって下手すると乳腺炎、つまり高熱を出すことになります。 さらにはこの後この古い母乳を排出しなくてはいけないので、それはそれでものすごい痛みを伴います。   私はとてもよく出る母乳でしたので、多分乳腺炎一歩手前まできていました。 パイは熱を持っていましたし、触るだけで痛い、これって乳腺炎の症状ですよね。   私はあんまりに痛みがひどい時は洗面所やシャワーで少しだけ圧抜きをしました。特に元気な太い乳腺が痛みを伴っていたので、そこを集中的にケアしました。   ケアの方法は、 少しだけ乳輪付近を刺激して、母乳が出るようにする。 乳房全体を両手で包み込み、おにぎりを握る要領で手の平全体で押す(そうすると溜まりきっているぶんが出ます) 痛みが強い部分の乳腺を意識して、手の平全体を使って入林に向かってマッサージをする。外から内側に向かって手の平全てで押すイメージです。   と言う方法を、時間でいうと両方で5分ずつくらい、最初の3日は行いました。   そして色々と調べてみると、断乳3日目に一度全て排出してオッケーとのことだったので、 上記の要領で少しずつ、30分くらいかけてシャワーの中で排出しました。   リコに見つかりたくなかったので、早朝、みんなが寝静まっている時に一人でシャワーを浴びながら実行しました。 最初は乳腺炎の時に出てくる、どろっとしたものが、そして徐々に半透明の見慣れた母乳が出てきました。   あーでもこれはもう古い母乳なんだな、というかもはや白い血だな、と実感したのは、出てきた母乳の冷たさを感じたとき。   今までリコが飲んでいたときは体温ほどの暖かさのある、ぬくもり溢れる母乳だったのが、今出てきているものはとても冷たくて、ついでにパイも冷たい。 それを感じた時に、あーもうこれでリコが飲むことはないんだな、と少しだけ感傷に浸りました。   でも、それ以上にこの古い母乳を出してスッキリしたこと!!!   4日目以降、1週間まではまた圧抜き、1週間後にまた排出して、 だいたい終了しました。   2週間経った今、残ったのはしょぼくれたパイと、かぶれてしまった絆創膏跡です。     痛みはずっとは続かない!!   最初の3日、痛すぎてやっぱりあげたい、と思うことも正直何度かありました。 それくらい痛くて痛くてもうパイのこと以外何も考えられないくらい、辛かったです。 でも、最初の3日を耐えたら、大丈夫。痛みは引きます。 その3日間は乳腺炎と同じなので、なるべく脂っこいものは食べないこと、そして水分も摂りすぎないこと。 でも、その3日が終われば、お酒がフリーダムに飲める! これ、パイで出てきちゃうかな、とか、乳腺炎になっちゃうかな、と考えなくて済む!   そして何よりも新しい子供との関係が待ってる!   そう思ってどうか頑張ってください! 私ももし万が一、3人目ができて、同じく断乳する時には、この記事を自分自身で読み返そうと思います。   それくらい、この3日間は終わりがない気がすると思いますが、終わりますので!   10日経って、精神的な変化   さて、この10日間、やはり身体にとっても大きな変化だったのではないかと思います。   専門家ではないので、正確なことはわかりませんが、多分ホルモンバランスが変わったのではないかなーと思います。 私は実はまだ生理が戻ってきていないのですが、やめてからすぐに腰の痛み、重みがありました。 そして生理前の憂鬱な気分、ネガティブな気持ち、そういうものがありました。   でも、それもこれも今まで血を母乳に変えてくれていた体が、元に戻るためのもの。   そうやって自分の体、お疲れ様、という気持ちで過ごすことでやり過ごしています。(まだ少し現在進行形です)   そして何よりファッションが!!全然違う!! しょぼくれパイになったので、今まで来ていた服に猛烈な違和感を覚えています笑 でも、ここまで約5年もの間、役割を果たしてくれたパイ。   何はともあれ、お疲れ様。と言ってあげたいです。   何より、夜しっかり寝るようになったリコ、そして母乳を排出しない分、体力に余力が残るようになったので、この少しネガティブ期を抜けたら、いつも寝落ちしてしまって朝まで寝てしまっていたのが、少し夜更かしをして旦那と話したり、一緒に寝て早く起きて仕事をしたりするのが楽になる、それが楽しみで仕方ないです!   罪悪感なく飲むビールも美味しい〜♪   というわけで、私が本当に辛くて辛くて調べまくって実行したこの方法が、そして耐えたら終わるというこの情報が、誰かの役に立ちますように・・・!   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る