駐妻の憂鬱 〜帰任か?残留か?〜

笠井まりこ

Category:
駐妻

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Cheering up girl
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こんにちは、かさまりです。

 

今日は、駐妻の憂鬱、番外編?むしろ本編ですね。

こちらに来てから、半年に一回悩まされる、大きな問題です。でした。

 

 

残留か?帰任か? 半年に1回の不機嫌期間

駐妻、駐在ファミリーの宿命、それは「いつかは日本へ帰る」です。

5年10ヶ月いた先輩夫婦にもある日突然帰任命令が。主人の会社は辞令後1ヶ月で帰任しなくてはいけないという、結構鬼な会社なので、きちんとお別れを言う間も無く帰国されました。

Facebookで奥様にご挨拶したら、

「まりさん、これが駐妻の宿命です。あなたにもいつか来ますよ。それまでアメリカライフをエンジョイしてくださいね。」

と。ずっしり心に響きました。

特にこの奥様はとてもアクティブで、就労許可証さえ取れば働ける私たちのビザ(L2です)の強みを生かして、某航空会社のお姉さまをされて、現地の方からも、日本人からもとても慕われていた、こちらの生活を満喫されていた方でした。もちろん旦那様(主人の先輩)もとても仕事のできる方で、だからこそ異例の6年弱、アメリカに住まれていました。そんな、すっかりこちらで馴染まれているご夫婦でも突然の帰任辞令が容赦なく来る、と帰任が一気に現実味を帯びた出来事でした。

主人の会社では、任期は3年が相場。と言うか、そもそも主人のポジションは1年の長期出張のみのはずだったので、赴任になったことも、そしてまさか任期が3年を超えることも、全て想定外、儲けもんです。

逆に、この3年間、ずーっと人事異動の前後はドキドキしていました

だいたい半年に1回なので、半年に1回、私も主人も超不機嫌期間が1ヶ月ほど・・・。私はなんだかんだとアメリカの生活がとても好きなので、とにかく帰りたくない。

 

 

現地の人から見た、帰任問題

現地の友人に話すと、揃って言われるのは

“That’s SOOOO crazy!!!!”

会社にそもそも住むところを決められる、しかも1ヶ月前までどうなるかわからないなんて信じがたい!!!と。

考えてみればそうなんですよね。

なぜ自分の住むところを、そんな急に変更させられなくてはいけないのか?しかも自分の要望関係なく。

自分で本来は住みたいところに住む、これが当たり前のことなのですが、日本では「辞令に伴って当然のごとく引っ越す、しかも言われた期日までに」これ、染み付いてますよね。

さらに話をしていたら、現地ママは単身赴任なんてありえない!と。夫婦円満で、幼い子供たちがいるのに、その成長を見られるのはわずかな期間なのに、わざわざ離れるという選択ができるのか!と。

“What is the most important thing in your life? Isn’t it where YOU want to stay? Isn’t it to spend with your family?”

あなたがどこで、何がしたいか、そして家族みんなで過ごすのが一番大事なことではないのか?

確かに、聞いてみるとこちらの人たちは必ず主語が自分たちです。

「住んでみたかったからフロリダに行ってみたけど、暑くて帰って来た」

「子供の学区があっちの方がいいから夏休みに引っ越すの」

「え?仕事?家でやってもいいし、別に探せばいいじゃないまた。」

と、まぁこんな感じです。

もう、目からウロコで、自分からなぜか欠落していた考え方だな、と思いました。

 

 

日本人の仕事に対する思い込みの強さ、怖さ

日本人、とくくってしまっていいのかわかりませんが、少なくとも私は、アメリカに来ると決まった時に真っ先に心配したのは再就職でした

家事が苦手な私は、主人と結婚する時に、働き続ける、と約束しました。

それは約束させられたのではなく、私の性格上、働くことこそが自己表現であり、幸せなので、働かない方が辛いからです。

ですが、ここでキャリアに穴が開く。

アメリカでしばらく主婦をやっていた、ただの駐妻の再就職。そんな私を雇ってくれるところなんてあるんだろうか?

それが不安で仕方なくて、帰任したら正社員として戻るために元々いた会社のスタッフとして残りました。

元々いた会社がその辺りは柔軟で私はそれでもラッキーなケースだと思うのですが、でも、前の会社に戻りたいかと言われたら、正直わかりません。と言うか、戻りたくありませんでした。(詳しくは、『駐妻の憂鬱 前編』へ)

 

人事異動の時期、一番自分を不機嫌にする理由はここです。

もちろんこの楽しいアメリカ生活が終わるのが寂しいと言うのもありますが、日本帰国後の自分を想像して、ゾッとしておりました。

実際にはそんなに悪くはないのでしょうが、毎日また保育園まで走る生活。そしてきっと言われるであろう、「ではの神様」(アメリカでは、とばかり言う帰任駐妻の悪口です・・・)

自分はこの駐在生活の間に、一体何をしたのだろうか?何をしたと言えるのか?帰任後、この生活はなかったかのように日本で暮らすのか??

そればかり考えてしまうのです。

そんな時、上で紹介した、現地の友人の言葉。

本当は主語は自分であるべき!!

そうだ、駐妻であろうが、なんだろうが、ここは変わらないはず・・・嫌なら、もっとポジティブに、楽しく、いや、辛くても楽しくできることがあるんじゃなかろうか?そう言うことを考えなくてはいけない、と思ったんです。

そこで私が選んだ道。それが、

自分で何かをやってみる

でした。

 

 

自分でやってみる、はじめの一歩で得られたもの

元々かなりのミーハーで、買い物好き。そんな私を知っている友人が一言、メッセンジャーでくれたのがヒントになりました。

バイヤーでもやってみれば?

そう、ここはアメリカ。自分が日本に住んでいた時にめちゃ欲しかったものが手に入る国でした。

私と同じように、欲しいけど買えない人たちのために何かやる・・・楽しそう!

主人も、あんまりに一喜一憂している私を見かねて、やれ、と後押ししてくれました。まずは少しずつ。でも帰るまでに前に勤めていた頃と同じだけ稼げれば、あの、保育園に走る生活に戻らなくていい!!!

そう言うわけで、2016年9月、私はbuymaとメルカリを始めました

その詳しい話はおいおいしますが、結果、帰るのが怖くなくなりました

いや、帰りたくはないです。まだまだ帰りたくない。

でも、「どうしよう・・・」と言う漠然とした不安はなくなったんです。

今にして思うと、どうしてあんなにも「会社に勤めるしかない」と思っていたのか、不思議です。結局、強い強い思い込みなんですよね。

駐妻に来ているということは、それなりにご主人に信頼があるということ。ということは、逆に妻はある意味自由なんです。会社に勤めても、勤めなくてもいい。

でも、そういう妻だからこそ選択肢はあんまりないと思っていませんか?

ママだって、妻だって、もっともっと自分でいたい。

自分でいる、これは人それぞれ定義があると思います。

私の場合は、働いている実感、お金を作っている実感でした。

ずっと勤めていたので、主人のお給料で暮らすのは罪悪感がありました。そして、何よりも家事が苦手な私は家事で達成感が得られない。でもお金もとてもあるわけではないし、リコもいるので習い事ができるわけでもない。

勉強も正直好きじゃない。

そんな自分に何ができるのか・・・となると、やはり働いて、お金を作って、そのお金で楽しいことをするのが一番だったんです。

お金を作るのに、どうして外で勤めなくてはいけないのでしょう?それは誰が決めたルールですか?家でだって仕事ができる、そしてアメリカでだって、どこでだって仕事ができるんです。

 

それに気がついた今は、主人が別の国にこの先、異動になっても、喜んでついていくことができます。もう前の会社にすがる必要もありません。気持ちが本当に自由です。

この自信が、ずっと私に欠けていて、不安の原因でした。

「私のキャリアは・・・?」

「このまま、ただの駐在帰りのママになるの?」

と。

 

今は、帰国?嫌だけど、どんとこい!です。

好きなことで、どこででも暮らせることがわかりましたから。

詳しい話は長くなって来たのでまた今度!

 

 

本日の英語ワンフレーズ。

“What do YOU want to do?”

「あなたが本当にしたいことは何?」Youに力を入れるのがポイント笑

 

駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。

シリーズ一覧:駐妻の憂鬱

 

First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように!

今回もお読みいただきどうもありがとうございました。

 

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