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駐妻

今までのキャリアをすべてストップして駐妻として赴任する主人について行く。いろいろな方とお話をする中で私以外にもお悩みの方が非常に多いなと感じています。そんな中私は新たにこちらでビジネスを始めました。4歳の男の子と1歳の女の子の母であり、「ホームワーキングママ」という新しい女性の働くスタイルに挑戦している私の奮闘記です。

  • Launch new business

    専業主婦の私が起業?ピンとこない・・・というかなにそれっ!~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   最近、ちょっといらっとしていることがあります。 自分のしていることを話すと、周りに 「かさまり起業しちゃいなよ~」 と言われるのです。   いったいなんなんでしょうね、起業って。     起業っていう、肩に力が入った感じがイヤ   起業という言葉を見ると、意味は、 「生業を起こすこと、新しく事業を始めること」   生業っていう言葉を見ると、意味は 「生計を立てるための職業」   ふむ。   どうもピンとこないんですよ。   確かに、会社に属することなく、自分で月70万円稼いでいます。 お金の収支管理もしている。(正確にはガサツな性格なのでダンナさんがほぼやってくれている) そして、スタッフさんに色々お願いしながら仕事をしています。   でも、もともと 「よし起業してやるぜ!!やったるぜ!!!」 と思って始めたわけでは全くないし、 この自分で稼いでいる状況になったからといって、 「起業しようかな」 とか 「起業してるな」 とか思うこともなくて、ただただ家で働いている、お金を稼いでいる、それだけです。   社会のルールとして、開業届などは出さないといけないので、 世間としては「起業した」ということになるのでしょうが、 なーんかそう言われるととても違和感があるのです。   なぜかって、自分では一生懸命、自分がしたい生活をするために頑張っているだけだから。     お金を稼ぐというのに、自分も他人もあるのか?   いつも言われるたびにくすぐったい気分になるので、 ちょっとその正体について考えてみることにしました。   自分が一番違和感を感じるポイント、それは、 「お金を稼ぐのに、自分も他人もあるのか。」   そのことなのかもしれません。   確かに会社に勤めて一定のお給料をもらうというのと、 自分で何かビジネスをやって、自分で成果を作っていくというのは、 お金のもらう方法は違うかもしれません。   でも、 「自分の何かを売って、お金にしている」 という点では、変わらないと思うのです。   勤めている人は自分の時間と、身体的にいるべき場所を売って、一定のお金を稼いでいる。 私は、稼ぐために自分のできる時間と睡眠を売って、それで稼げるお金を稼いでいる。 どちらもサボったらお金は稼げないのです。   ダンナさんは現状、自分の朝から晩までの時間を会社に売って、会社のために働いて、その対価としてお金をもらっている。 私は、自分の睡眠時間と思考を売って、その対価としてお金をもらっている。   私にとって、起業云々はどうでもよくて、 自分の何を売って、お金を稼いでいるか、 そこをみているから、ちょっと興奮気味に、 「かさまり、それって起業してるってことじゃない?」 「起業しちゃいなよ~」 と言われると正直、痒いのです。     なぜお金を稼ぐのか?大事なものは何?   自宅で子供がいながらにして稼ぐ、このことについて、夢と目標を与えてくれた師匠が私にはいます。 自分よりも年下なのですが、敬愛してやまない、もう大大大好きな方なのですが、師匠に勧めたもらって 読んだ本があって、自分で稼いで目標を叶えよう、と強く決意させてくれました。   それがこちら、「世界一ふざけた夢の叶え方」   アメリカにいて、現地のママ友と話していてそれはもう毎日目から鱗が落ちまくっているのですが、 その中でも大きかったのは、この本の中でも語られている、 「どう生きたいかファーストな考え方」   どんなライフスタイルをしたいのか? どういった1年を過ごしたいのか? どうなったら一番ハッピーに過ごせるのか? 自分にとって大事なことは何か?   日本人は、本当に真面目! 真面目で忠誠心が強いから、仕事が生活の全て。   ダンナさんのアメリカの先輩でとても素敵な、業績をあげまくっている女性がいるのですが、 その方に言われたのはこんなこと。   「日本人のQuality Of Lifeへの意識は低すぎる!なんのために生きているのか? 私はとても楽しんで仕事をしているけれど、たまに苦しくなる。そんな時、ちょっとサボったら クビになるか、考えてみるけれど、大丈夫だから、そんな日はオフをとって好きなことするのよ。 でも日本人はそうじゃないわよね。単身赴任で家族との時間を犠牲にするなんて、最たる事例だわ。 なぜなの?」   考えてみたら、これに納得のいく答えはありません。 大体の人がいうのは、、、   「会社に言われたから。」   以上です。   我が家はそんな中でもけっこう日本人にしては破天荒で、単身で出張を命じられた最初の1年も勝手にくっついてきてしまったり 挙げ句の果てには妊娠して、現地ローカルの保険にも入っていなくてワタワタしましたが、 それでも私はついてきてかけがえのない時間を息子やダンナさんと過ごし、娘も生まれて大親友と呼べる友人もできました。 (ちなみに妊娠後でも保険は入れたので、保険に加入して娘は無事出産しました。笑)     夢?目標?専業主婦は持ってはいけないのか?   実は、小さい頃にアメリカに住んでいた私は、アメリカから帰国した後に産まれた妹がいたので、 決して留学は許されませんでした。 「あなたはもう経験したんだから、いくなら妹よ」   と。   でも自分自身の半分ルーツでもあるアメリカ。 絶対に戻ってきたかった。   「戻りたい戻りたい」   そう願っていたら、実現しました。 しかも、自分が昔住んでいた、メリーランド州のすぐお隣のバージニア、そしてなんとそのあとはニューヨークに! 祈願通天と私は呼んでいるのですが、強く強く願えば、そしてそれに向けて行動すれば、 自分の人生の舵は自分で切れるのです。   なんとなく自分で思っていたことではあったのですが、 この本にはもっと引き寄せるために何をしたらいいか、書いてありました。 私が特に影響を受けたのは、 「自分がなりたい未来を考えて、それが実現したと仮定していま乾杯しよう!」 「何が起きてもついてる!って思おう」 「ついてる!ついてる!」   という点。   自分の未来を思い描くこと、それも自由に! これって意外と難しいんですよね。   「あ、でもこれは無理かも。これも実現不可能だよね・・・」   みたいにすぐ思ってしまいがちなんです。   でも、そういうのは取っ払って考えるんです。 超ハッピーな、自分のなりたい未来を考えるのはタダ!お金かかりません。 やって失うものは妄想なんで、ないんです。   私は住みたい場所と、住みたい家を考えました。 季節のいい時は、ニューヨークで。 他の時期は西海岸のあったかいところで、海が見えるお家で、 子供達が海やプールで遊んでいるのをのんびり眺める。 パソコンを持って、気持ちものんびりしながら仕事をする。 外に置いてあるソファーに座ってバーベキューしながら、美味しいビールとワインを飲む。 あー今日も楽しかった!そう思いながら寝る。   そんなことできるわけないじゃん!   そう思いましたか?   今はできないかもしれません。 でもできないと決めつけたら、それこそそこで試合終了です。   「セカフザ」を読んでから、私はこんな目標を、バカかもしれませんが、本気で立てました。   でも、私には子供も、ダンナさんもいる。 私一人では叶えられません。   なので、2ヶ月かけてダンナさんにも読んでもらいました。 バカですが、本気で立てた目標なので、普段私が薦める本なんて絶対に読まないダンナさんにも どうしても読んでもらって、同じ夢、目標を持って、未来乾杯しないとダメ! そう思って粘り強く説得しました。   もうダメかなーあーあと思っていた、2ヶ月がたったある日。 仕事から帰宅したダンナさんが言いました。 「乾杯しよう!」 と!!   今、私が思い描いていた夢・目標はいまは夫婦の目標です。   アホだと思いますか?   多分、アホだと思います。笑   でもアホでもなんでも、夢をこうやって描くのはタダ! 睡眠時間がなくなって苦しくなった時、 お問い合わせでどうしようもないことが起きた時、 この夢をはっきり頭に思い浮かべるんです。   そうしたら頑張れる。   そして具体的に何をしたらいいのか、考えられるのです。   今の私の場合、駐在ですので、まずはそれを打破すること、つまり 「いつ日本に帰るのか」をビクビクしなくていい生活を手に入れること。 そのためにはダンナさんにももっと選択肢があるようにしていかなくてはいけない。 そうすると私もこれくらい稼げていると、自由度が増す。   ではそれを稼ぐためにはどうしたらいいのか・・・?   そんなことを考えるのです。   これって、話を戻すと起業がどうのこうのっていう話ではないんですよね。 自分がどうしたいのか。家族でどうしたいのか。   もうこれに尽きるのです。   夢を見るのは、妄想するのはただ!でもでも、というのをぜーんぶ取り除いて、 一度自由にどうやって暮らしたいのか、どうしたら最高にハッピーなのか、 考えてみるのはいかがでしょうか? 私は住みたいお家を絵心は全然ないのですが、設計図を書いて、最高に幸せな気分になりました笑   あーあの思い描いたお家に住みたい!   さ、そのためにも頑張ります!   セカフザ、もしこの記事をお読みの方でご興味があればぜひ読んでみてください。 世界一ふざけた夢の叶え方   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 1歳10ヶ月アメリカで断乳!断乳後のケアはどうするか?(後編)~駐妻の憂鬱

    こんにちは、かさまりです。   前回『1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱』では、 1歳10ヶ月のリコと、どうやって断乳したのか? そしてその後の親子関係はどうなったのか、 についてお伝えしました。   結果的にもう私たちのタイミングだったんだなーと、ハッピー断乳ができたと思っています。 (現在断乳してからちょうど1週間、娘は特にパイを欲しがることはありません。)   今回は、 「じゃあ断乳後のケア(処理)ってどうしたの?」 というお話です。   これは私が自分なりに痛みと戦いながら調べまくってとったセルフケア方法ですので、 正直これが正しいのかどうか、わかりません。 ただ、10日経った今はもうすっかり痛みはなく、母乳も絞ればちょろっと出ますが、母乳が張ることはありません。   専門家でない私がこのような情報を出すのはどうかな、とも考えたのですが、 私も本当に苦しんだので、いつかどなたかの参考になれば! という想いで今回は書かせていただきます。     アメリカでの断乳後のケア方法   リコと私はほぼいきなり断乳をしたのは前回書いた通り。 ですが、私のパイは1年10ヶ月経ってもまだまだ出るパイでした。   現在4歳半のハルの時から、実は私はかなり母乳の分泌量が多いパイでした。 シャワーのように出てしまって、母乳パッドは欠かせない、 そして最初は少し搾乳してあげないとむせてしまうくらいの量で、 それはそれで苦労しました。   (アメリカにも母乳パッドは売っていますので、同じ悩みがある方、ご心配なく! ちなみに電動搾乳機もあります。 州によっては保険会社がくれたりするので、是非とも保険会社の規約を見るか、聞いて見ましょう。 私も最新の電動搾乳機をバージニア州で無料でもらいました! しかも5個くらいから選べるというとても良いシステムでした♪)   母乳パッドはこちら 保険会社から頂いた電動搾乳機はこちら 電動搾乳機は強すぎてよろしくない、という話もありますが、 これは強さを自分で調整できて私はよかったです。 (乳腺炎の時や、新生児の時にあげる前に圧を抜いてあげるために使っていました。)     話が逸れました。   そんなかなり分泌量が多い母乳だったので、恐怖だったのは断乳後のパイ。 しかもいきなり断乳することにしたので、徐々に減らして分泌量を減らして・・・という手段もとりませんでした。   日本では桶谷式や、産院でケアを受けることができるかと思いますが、 アメリカではどんなに調べても何も出てきませんでした。   ママ友に聞いても、みんな全く覚えていない、というようなコメント! なぜ! むしろ8ヶ月とか、早い段階でやめているから、もっと母乳量が多い時期にやめたはずなのに、みんな覚えていないというのです。   しつこく掘り下げて聞いてみたところ、 ・普段から搾乳機、そしてミルクの併用していた ・やめると決めても搾乳機を使ってしばらく搾乳を継続、その期間を徐々に長くする   ということをやるようです。   自分である意味コントロールしていくということですね。   だからこそ、保険会社で配るくらい、搾乳機はアメリカに住むママたちにとっては欠かせない存在、ということなのかもしれません。     では、私はどうした??   先ほども書いたように、私とリコは突然やめることに決めました。   リコにとってはそれが受け入れやすいやり方だったのかな、 そして私の精神的にも受け入れやすかったな、と思うのですが、 このやり方を受け入れられなかったもの・・・それは私のパイ!   やめるその日の午前中まで、リコは好きな時に服をめくって飲んでいました。 それこそ家の中でも外でも。 抱っこ紐のエルゴは便利で、フードさえすれば、外でも授乳ができます。 これまで1度もあげていると気づかれたことはないです。 飲みたい時に飲ませていたので、回数は数えてませんが、夜寝ている間も含めて10回くらいは飲んでいたでしょうか。   そんなリコがよくすんなりやめられたね、とみんなにびっくりされますが、 一番びっくりしたのはきっと私のパイでしょう。   今までフル稼働だったのに、突然の業務停止。 でもミルクラインは止まらない!   というわけで、当日の夜からガッチガチのおいわさんになりました。 絆創膏にはうっすらシミができるほど少しずつ漏れ流程、パンパン。 そして、肩から脇にかけて全部痛く、触られるだけで叫び声を上げてしまうほどの激痛でした・・・。   痛すぎて思わず 「ニューヨーク 桶谷式」   と検索をかけたほど。 でも見つからないので、とにかくなんとかセルフケアをするしかありません。   とはいえ、リコに気づかれないようにケアをするのは至難の技。 キャベツ湿布がいい、などと言いますが、そんなものを作る余裕も、 貼っておく余裕もありません。   応急処置として私が行なったのは、手を冷水で冷やし、それをパイに当てる。 まずはこれを繰り返しました。   そうするとだいぶ痛みは一時しのぎではありますが、軽減されました。   そして、目からウロコ、あんまりにイタイイタイ言っていたら、 現地のママから一言。 「鎮痛剤飲めばいいじゃない」     その手があったかーーーー!   確かに授乳していないので別に飲めばいいんですよ。 というわけで、市販のタイレノールという鎮痛剤を飲みました。 これでだいぶ楽になりました。 もし苦しんでいる方がいるなら、もう遠慮なく飲みましょう。     残った母乳との戦い   痛みは鎮痛剤でなんとかなりましたが、とはいえガチガチおいわさんが 治ったわけではありません。 おまけに、鎮痛剤があっても、やはり触られたり上に乗られると息を飲んでしまうほどの痛み。 そして古い母乳=血がどんどんパイに溜まるので重たくてだるいのです。   でも、出産直後から母乳と戦ってきたみなさんならわかるでしょう。 そうです、母乳は出せばまた作られてしまうのです。 ですので、作られないようにするためには、出さないようにしなくてはならない。   それでも、矛盾することを言うようですが、溜めすぎてしまうと乳腺が詰まって下手すると乳腺炎、つまり高熱を出すことになります。 さらにはこの後この古い母乳を排出しなくてはいけないので、それはそれでものすごい痛みを伴います。   私はとてもよく出る母乳でしたので、多分乳腺炎一歩手前まできていました。 パイは熱を持っていましたし、触るだけで痛い、これって乳腺炎の症状ですよね。   私はあんまりに痛みがひどい時は洗面所やシャワーで少しだけ圧抜きをしました。特に元気な太い乳腺が痛みを伴っていたので、そこを集中的にケアしました。   ケアの方法は、 少しだけ乳輪付近を刺激して、母乳が出るようにする。 乳房全体を両手で包み込み、おにぎりを握る要領で手の平全体で押す(そうすると溜まりきっているぶんが出ます) 痛みが強い部分の乳腺を意識して、手の平全体を使って入林に向かってマッサージをする。外から内側に向かって手の平全てで押すイメージです。   と言う方法を、時間でいうと両方で5分ずつくらい、最初の3日は行いました。   そして色々と調べてみると、断乳3日目に一度全て排出してオッケーとのことだったので、 上記の要領で少しずつ、30分くらいかけてシャワーの中で排出しました。   リコに見つかりたくなかったので、早朝、みんなが寝静まっている時に一人でシャワーを浴びながら実行しました。 最初は乳腺炎の時に出てくる、どろっとしたものが、そして徐々に半透明の見慣れた母乳が出てきました。   あーでもこれはもう古い母乳なんだな、というかもはや白い血だな、と実感したのは、出てきた母乳の冷たさを感じたとき。   今までリコが飲んでいたときは体温ほどの暖かさのある、ぬくもり溢れる母乳だったのが、今出てきているものはとても冷たくて、ついでにパイも冷たい。 それを感じた時に、あーもうこれでリコが飲むことはないんだな、と少しだけ感傷に浸りました。   でも、それ以上にこの古い母乳を出してスッキリしたこと!!!   4日目以降、1週間まではまた圧抜き、1週間後にまた排出して、 だいたい終了しました。   2週間経った今、残ったのはしょぼくれたパイと、かぶれてしまった絆創膏跡です。     痛みはずっとは続かない!!   最初の3日、痛すぎてやっぱりあげたい、と思うことも正直何度かありました。 それくらい痛くて痛くてもうパイのこと以外何も考えられないくらい、辛かったです。 でも、最初の3日を耐えたら、大丈夫。痛みは引きます。 その3日間は乳腺炎と同じなので、なるべく脂っこいものは食べないこと、そして水分も摂りすぎないこと。 でも、その3日が終われば、お酒がフリーダムに飲める! これ、パイで出てきちゃうかな、とか、乳腺炎になっちゃうかな、と考えなくて済む!   そして何よりも新しい子供との関係が待ってる!   そう思ってどうか頑張ってください! 私ももし万が一、3人目ができて、同じく断乳する時には、この記事を自分自身で読み返そうと思います。   それくらい、この3日間は終わりがない気がすると思いますが、終わりますので!   10日経って、精神的な変化   さて、この10日間、やはり身体にとっても大きな変化だったのではないかと思います。   専門家ではないので、正確なことはわかりませんが、多分ホルモンバランスが変わったのではないかなーと思います。 私は実はまだ生理が戻ってきていないのですが、やめてからすぐに腰の痛み、重みがありました。 そして生理前の憂鬱な気分、ネガティブな気持ち、そういうものがありました。   でも、それもこれも今まで血を母乳に変えてくれていた体が、元に戻るためのもの。   そうやって自分の体、お疲れ様、という気持ちで過ごすことでやり過ごしています。(まだ少し現在進行形です)   そして何よりファッションが!!全然違う!! しょぼくれパイになったので、今まで来ていた服に猛烈な違和感を覚えています笑 でも、ここまで約5年もの間、役割を果たしてくれたパイ。   何はともあれ、お疲れ様。と言ってあげたいです。   何より、夜しっかり寝るようになったリコ、そして母乳を排出しない分、体力に余力が残るようになったので、この少しネガティブ期を抜けたら、いつも寝落ちしてしまって朝まで寝てしまっていたのが、少し夜更かしをして旦那と話したり、一緒に寝て早く起きて仕事をしたりするのが楽になる、それが楽しみで仕方ないです!   罪悪感なく飲むビールも美味しい〜♪   というわけで、私が本当に辛くて辛くて調べまくって実行したこの方法が、そして耐えたら終わるというこの情報が、誰かの役に立ちますように・・・!   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • Life Alert

    人生の目覚まし時計ってご存知ですか?~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   突然ですが、この「人生の目覚まし時計」というお話、ご存知でしょうか? 個人的にその目覚まし時計が鳴った、そしてエンジンがかかったタイミングが最近あったので、今日はそのことについて書きたいと思います。     人生の目覚まし時計のお話   目覚まし時計、もちろんこれは目を覚ますために使うものですよね。 では、人生の目覚まし時計とはなんのことか?   私が聞いた話の中では、これは死を意識するとき、鳴るものだ、 と出て来ました。   ある日、突然余命を宣告される。 ある日、突然会社をクビになる。 ある日、突然体が動かなくなる。   正直このようなことは、健康で、ホームワーキングスタイルをとっている私にはピンとこないというか、 いつか訪れる可能性があるということは認識しているものの、 自分事として捉えることができないものでした。     旦那の上司が変わった!   それが、先日、私の中で「ジリリリリリリリーー」と目覚まし時計が鳴った瞬間がありました。   ヘビーな時計ではないです。 そして私の目覚まし時計ですので、はたから見たらそんなことと一緒にするな!とお叱りの声もあるかもしれませんが、 私の中では確実に鳴ったのが聞こえたのです。   それは、旦那さんの大ボスが異動になるという出来事。 大ボスが変わる = 方針・体制が変わる = 旦那さんの日本帰国ももしかしたらあり得る   。。。そういうことなのです。   せっかくあと1年は安泰らしい、、、かなと思っていたのに!     時間は有限である、そのことの再認識   私の中で目覚ましが鳴ったと感じたのは、おそらく 「時間が有限だ!」 と強く感じたからです。     私がホームワーキングママを目指そう、最初にそう思ったのは、 旦那さんの帰国するかもしれないという状況になっていた、今から8ヶ月前。 その後の日本での暮らしを考えた時。 前の会社に戻るために今でもスタッフとして籍は残しているし、仕事も一緒にしているけれど、 本当にあの生活に戻りたいのか? 保育園に1番最初に連れて行き、1番最後にならないように走って送り迎えをする生活。 そこまでしてやっているのに、なかなか思った成果が出せなくて苦しい、やるせない生活。   おまけに今度は一人でなくて二人。   でも、会社は退職してしまっているので、履歴書的には3年の空白。 おまけに乳幼児の母。 こんな自分を新たに雇ってくれるところなどない・・・ 戻るしかないのか!!?でも嫌だ!   そう思った時に、アメリカにいる間に私が前の会社でもらっていたお給料よりも 稼げるようになったら。 そしたら保育園に走らなくていい!   もうその一心で始めました。     時間が有限なのはすぐに忘れてしまう   その一心で始めて、少し軌道に乗り出したところで運良く帰国は免れることが判明したのが3ヶ月前。 以降、一生懸命走って来たつもりではあるし、稼ぎも増え続けてはいるのですが、、、 なんとなく気持ちがだらけていました。 朝早く起きられる日も減っていたし、あーこれもやらなくちゃーでも明日でいっか、そう思う日も増えて来ていました。   あんなに強く思って始めたことなのに、なんとなく気持ちが薄れていたんですよね。   なんとなく、ずっとこのままここに住めるんじゃないか、 旦那が仕事を変えない限りはそんなことありえないことなのに、 なんとなくそう思ってしまっていたのです。   ですので、今回のこの大ボス交代事件は、私の目をまた覚ましてくれました。     人生の目覚まし時計の話の続き   この、時間は有限であるという教訓、実は続きがあります。 このお話を教えてくれた方が言っていたのは、 「もし最愛の人が病気であと半年しか生きられないと知った時、 その愛する人が持っている願いを叶えてあげられるか。 それはやっぱりお金があるかどうか、それで変わってくる。」     悔しいけれども、そうなんですよね。 こんなに大袈裟なことでなくても、お金がないと惨めに思うことがあります。 そして、何より窮屈。   自分が日本に帰るとき、どんな生活をしたいのか。 アメリカの大きな家に慣れてしまった自分はどこに住みたいのか。 旦那さんにどれくらい家にいて欲しいのか。 広い家に住みたいけれど、都会ではなかなか難しい、少し郊外に行くと通勤時間が長くなる。 都会が便利だけれど、お金がかかるから私も働かなくてはいけない。 でも果たして保育園があるのか・・・。   以前の私はこの「帰るかも」事件のたびに、帰ることに対して目を背けたい気分になっていました。 だって、考えたくないことが多すぎるから。   住むところ一つにしても、自分の願望を必ず何か犠牲にしなくてはいけない。 お金のことを考えると、自分も働きに行くしかない。 でも履歴書に3年間のブランクのある、1歳と4歳の子供を抱えたママを雇ってくれるところなんてあるのだろうか。   もう、ちょっと考えただけで憂鬱になるので、 「帰ることが決まってから考えよう」 と思考を止めていました。   でも、今回の「ジリリリリーーーー!」では、 単に、しまった、だらけてた、自分! このアメリカでの生活を無駄に過ごしていい時間なんて1分たりともない、そのことでした。   行動に出たおかげで、今回、自分の目覚まし時計への捉え方がずいぶん変わったなーと思ったのでありました。     私にとってのもう一つの目覚まし時計・・・   いつもこんなことを考えるとバカねーっとみんなに言われるのですが、実は私にはもう一つ、目覚まし時計があります。   それは、幼稚園への送り迎えでたまに通る道にある、高校の前を通る時に鳴ります。   アメリカでは、16歳から運転ができて、割とリッチな子供達が多いその高校では、多くの高校生が車を持って、運転しているんです。   車が運転できるようになると、子供達も色々と自分の力で遠くに行けるようになりますよね。   それを見るたびに、 「4歳半のハルと一緒に過ごせるのもあと12年か・・・・」 と考えてしまうんです。   ハルが生まれてからすでに4年経っているので、16歳まではすでに4分の1も経ってしまっているのです!!!!   リコは1歳ながらにしてとても自立心の強い子なので、もっと早くから巣立つかもしれません。   今は毎日とても狭い思いをして一緒の布団で、二人に寄り添われながら寝ているけれど、それが終わってしまうのはもう間も無くでしょう。   いつも高校の前を通るたびに、私の子育てやライフスタイルに対する目覚ましが鳴るのです。   私が子供たちとどう過ごしたいのか。   そんなことを考えるのです。   四六時中一緒にいるのは疲れることだけど、 一方で好きなだけ甘えさせてあげられて、 友達と遊ぶのを見ることができて、 なんてありがたいのだろう、 もっとありがたみを感じないといけないなーと思うのです。   やっぱり、 日本での保育園に走って迎えに行く生活と、アメリカに来てから四六時中子供と一緒にいる生活を両方経験して、 そして、このもう一つの有限の時間の考え。 どちらがいいか?と考えると、 やっぱり私は家族と、子供と一緒にいるライフスタイルを今は送りたい! そしてそれを選ぶために行動に出てよかった、と思うのです。   家事もきちんとするのも大の苦手なは私にとっては試練の毎日ですけどね!!   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。     ここ数日、実は体調不良で生きるのが精一杯でした。   何か・・・それは断乳によるパイの痛み!!   しかし、1週間経った今、ようやく落ち着きました。   私には2人の子供(いま4歳半の息子、ハルと1歳半の娘リコ)がおりますが、 今回(前編)では私と下の娘、リコの断乳のお話を中心に書こうと思います。 次回(後編)では、どうやって断乳後処理をしたのか、まとめますね。     断乳を決断した理由 私は上の息子ハルが産まれてから幸いなことによくお乳が出たので『完母(完全母乳)』、そして一貫して『卒乳派』でした。 と言うか、なんでも基本的には子供は本能で時期や必要なことを察知するだろう・・と言う考え方です。 ですので、公園でも子供たちがびしょ濡れになろうがなんだろうが遊びたいなら水の中へ、階段も登りたければちゃんと見張っている中でやらせる。 そうすることで危険を察知する力なども養われるんじゃないかなーと思っています。   なので、もうパイがいらない!と思う時期も自分で決めて欲しい、とハルのときから思っていました。   結果、ハルの卒乳は3歳半。 そうです、ずっと妊娠中もお腹が張らない限りはあげていました。 一時期、2人に同時にあげていたこともあります。 今考えると相当おかしな姿!しかもハルは人一倍大きいのに、3歳半まで。 なんとまー、異様な姿だっただろうと今になって思いますが、 それでもあげきった、と思えるパイ生活でした。   やめさせたきっかけはまだ小さいリコに風邪をどうしても移してしまうから。 それが耐えきれず、説得してやめました。     じゃあリコはいつやめる? 現在、1歳10ヶ月のリコ。 いつやめようか、1歳を過ぎてからずっと考えていました。 本来であればずっと本人がやめたいと思うまであげさせたい。   リコはご飯もかなりしっかり食べるし、走るし、ペットボトルでも水分が取れる。 いまやパイは完全に精神安定剤、口寂しさを紛らわらすもの、そして寝付くためのものでした。 正直、もはやなくても生きていけるもの。   でも、私にとっても、リコにとっても、授乳は至福の幸せだったりしました。   しかし。。。   幸せである一方で、夜も数度起きるたびに仕事が中断し私も寝落ちしてしまう、そしてソファーに座るたびに寄って来てめくってくる、外でも欲しがる・・・そのようなことにストレスを感じなかったわけではありません。   いや、ストレスを感じなかった、と言う言い方は嘘です。   ストレスでした。   それでも、私は卒乳させたいんだ、と心のかなりの部分で思い込んでいて、なかなか断乳に踏み込めませんでした。   ハルのときにたくさんの 「断乳ではなく、卒乳を!!」 という情報に触れ、もしかしたらある意味洗脳されていたのかもしれません。     やめるきっかけ~新生児とパイ~ 先日、生まれて1ヶ月の赤ちゃんに会いにいく機会がありました。   その赤ちゃんは小さくて、触っても壊れそうで。   その赤ちゃんが一生懸命パイを飲んでいました。   そんな中、リコはちょこっとやって来て、トレーナーの中に自ら入り、 ちょっとだけパイをして去って行きました。   それを見て、いや、もういいな、と思えたのです。   やめたくない、と思っていたのは私の方で、もうリコはいらんだろう、と心から思いました。     どうやって断乳したか? さて、説得断乳しかしていない私。   どうやって断乳したらいいかわかりません。 すぐにママ友に聞きました。   そうしたところ、、、 パイに顔を描いた、 絆創膏した、 予告して1ヶ月後にやめた。   いろいろ出て来ました。   リコとわたしの性格を考えて、私は予告なしでいきなりやめようと決めました。 リコは超がんこ!変えられるものは自分の力で変えてやる!タイプです。 私はこと育児に関しては「自分で決めさせる」以外にルールがない。 と言うわけで予告すると確実に負けるのです。   そこでとったのがでかい絆創膏作戦!   でかい絆創膏を片方はって見せました。 (両方貼りたかったのですが、やって来てバレてしまったので 慌ててまずは片方になりました・・・)   すごくびっくりしたリコ。   「こっちのパイ、なくなったんだって。」   そう伝えて、もう一方、貼っていない方を見せました。 そちらに少し来たものの、すぐにやめてどっかに行きました。   「(お、これは行けそう。。)」   そしてハルの友だちに夜ご飯まで一緒にしてもらい、 いざ就寝。 よっぽど疲れたのか、コテっと寝ました!     次の日の朝。 3時ごろにパイが欲しくて起きたものの、絆創膏を見て あーそうだった、と言う感じでまた寝ました。 朝5時。喉が渇いて起きて、やはりまさぐりましたが、 また、そういえばなかった、と言う感じで、   「カルピス飲む?」   と聞いたら立ち上がり、一緒に起き出して飲みに行って、そこから 起床。   その日、次の日とたまにパイを日中見に来ますが、基本的には欲しいと泣くことはなかったです。   困ったのは寝入り。 今まで添い乳でしか寝ていなかったので、昼寝はどうやって寝たらいいかわからない、夜も寝付くまで1時間ほど、ゴロゴロしたり、遊んだりしていますが、1週間経った今、ギリギリまでママのそばにいて、寝入る時に自ら離れる、と言うスタイルになりつつあります。 寝入るまでにかかる時間も1時間以上かかっていたところが、1週間経った今、30分くらいになっています。   最初の3日くらいは10分くらい、手をつけられないタイプの夜泣きをしていて、その時はもうどうしよう・・・と途方にくれましたが、1週間経った今はそれもなく、夜1度も起きないで寝ていてくれる日も。   断乳までは、1日に2、3回は当たり前のように起きて添い乳していたので、この変化にはびっくりです。     もう準備が整っていた、手放せなかったのは私の思い込み 1週間経った今、もうパイの絆創膏もいりません。 見に来ることもなくなりました。 晴れて卒業できたようです。   今までスキンシップといえばパイ、でしたが、むしろわざわざぎゅーしにきたり、私の上にゴロゴロしにきたり、スキンシップを目的に寄って来てくれるので、可愛くてメロメロです。   パイ、息子の時にはやめさせるのがとても遅かったです。 今回も、できるならしたくない、と自分が思っている、と思っていました。 そして娘もきっとそう思っている、と・・・。   私がパイ辞めたくなかった理由、深ーく深ーく考えると、実に自己中な思い込みだったように思います。   一つはあげれば寝せることができる、外でもおとなしくなる、と言う利便性。 本人もまだやめたくなさそうだからいいだろう、と言う気持ち。 そしてもう一つ。実は前ほどそばに寄って来てくれないのではないか、パイという繋がりがなくなったらママの役割は終わってしまうのではないか、、、はたから見たらそんなことは絶対ないと分かるのでしょうが、私は大真面目にそう思ってました。   だから、ママの存在意義を残しておきたい。   そう思って踏み込めなかったのです。   でも、それは完全な思い込みでした。   ママってもちろんパイだけのために存在するわけではないですよね。   パイの繋がりがなくなっても、リコはママを大好きでいてくれます。   そしてパパにもより一層懐くようになりました。   1つ手放して、たくさんのものを手に入れた気がします。   もうパイをあげながら目を合わせ合うことはないけれど、その分たくさん一緒に遊んで、ギューして、新しい関係が始まったのです。   わたしとリコには、この1歳10ヶ月のこの時期が、タイミングだったようです。     断乳、卒乳に正解はない 今、現役でパイをあげているお母さんたちも、いつか迎える、 パイを終える時期。   巷ではほんとにたーくさんの情報があったり、友人や親に色々とアドバイスをもらったりすることもあるでしょう。 私自身もたくさん調べたり、ママ友と情報交換したりしました。 その中で卒乳がいい気がする、と思い込んでいました。   でも、自分がこうして終えてみて思ったのは、これは「人それぞれ、それぞれのママと赤ちゃんの物語」、なのです。 ハルと私。 リコと私。 それぞれの終え方をしましたが、一番大事なのはママが納得した終わり方ができること。   終えてみて、とても体力が復活しました。いつも疲れていたのが、随分と元気になったように思います。 それだけ、命を削ってパイをあげていたんだな、と。   だからこそ、ママが決めればいい。 そして赤ちゃんとの間でお互いに納得できる終わり方、新しい関係を作ればいいんだな、と、パイは終わるけど、違う扉が開くんです。   薬を服用しないといけなくなってやめなくてはいけない人もいるでしょう。 噛まれて辛くなったり、出なくなってやめる人もいるでしょう。 普段は働いているから、帰った後、たっぷり甘えさせてあげたいからあげ続ける人もいるでしょう。   どれも、ママがそれでいい、それがいい、と思えばいいんだと思います。   逆に、辛くなってしまったら、もういい、と思うんだったら、そこでストップしてもいいんです。やめざるを得なかった場合も、そこがやめるタイミングだったんです、きっと。   こちらのママたちはパイに関しても考え方が多種多様、そしてそれぞれの考え方を否定することはありません。   「体を返して欲しかったから早くにやめたわ!」 「もっとあげようと思ってたけど、噛みまくって辛いからやめた!」 「じつはまだまだあげているのよ。」   どれもオッケーなんです。   ネットを見てしまうと、そして友人と話していると 「~~でなくてはならないのではないか!」 と思ってしまうことも多々ありますが、大事なのは自分がどうしたいか。   私にとって、この断乳体験はそんなことが気づくことができる ものとなりました。   さて、今回はリコとママという話を書きました。 後編では、いったいどうやってアメリカで断乳後の処理をしたのか? 断乳後の不安としてもう一つあったのは、「私のパイ、いったいどうなる?!!」でした。 長くなったので、後編では私の体験を書こうと思います!     『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • husband suddenly laid off..

    駐妻の憂鬱 ~夫がクビになった!?その時・・・~

      こんにちは、かさまりです。   4月から4歳半の息子、ハルの習い事が一気に始まり、送り迎えでバタバタ&シッターさんが今週お休みでどうにもこうにも身動きが取れません。   親に仕事があるように、子供は動き回って、遊ぶのが仕事。それに付き合わないというわけにいかず、なんだか振り回され感が半端ない今日この頃です。   でもニューヨークは一気に春が来て、気候がやや不安定なものの、一気に葉っぱが芽吹いて、裸だった木がどんどんフレッシュな緑を枝につけて来ていて、晴れた日はすごく爽やかで気持ちがいいです。 (花粉がね・・・すごいんですけどね・・・どの車も黄色いです。。。)     住み込みシッターさんがいるお家のお家騒動?! さて、以前、記事でハルの友だちで、住み込みのシッターさんがいるお宅の話を書きました。 「アメリカママのベビーシッター・家事代行事情 〜フルタイム在宅勤務編〜」   最近、そのお友だちのお迎え事情に変化が。   普段はママか必ずお迎えに来ていました。シッターさんは運転ができないから、シッターさんに1歳の娘を預けて、5歳と3歳の息子を迎えに来ていたのです。   ところが、4月に入ってから結構な頻度でパパ登場。   パパと話すと、ママは出張が増えて忙しいから自分がきているとのこと。   でもなー、結構忙しかったはず、パパも・・・。   ちょっと合点がいかないままに過ごしていたのですが、ある日、季節が良くなったので、ピクニックに誘われて、晩御飯ピクニックにその家族と行きました。   そうするとパパお手製のキンパが!   え??!   パパ料理したっけ・・・。   ママに 「パパ料理するんだねー!最近パパがいつもいていいね!」   と声をかけると、 "He got laid off.”   。。。はい、クビになったそうです。     アメリカでは、特に東海岸の雇用主と従業員の関係は、 『いつ辞めてもいいし、いつ辞めさせてもいい。』   「はい、明日からあなたは来ないでください。」 がふっつーにあり得ます。   日本では考えられないですが、逆もオッケー、つまり 「明日から転職先(もっと条件の良いオファー)が決まったので来ません。」   も普通にあるのです。主人の会社の現地採用の方でもどちらのパターンもあったんだ、という話を聞いていました。 そんなもんなんだな、と思っていたのですが、あまり自分ごとになってませんでした。   しかし、今回は3人の子供がいるご家庭でのお話。 日本人の私からするとヒョエーーー!です。 さすがに言葉に詰まりましたよ、そりゃ。   聞くと、ナニーはそれに伴い、さすがに雇えなくなった、と。 1歳の娘はパパが中心に見て、ママが家で働いているとのこと。   でもですね、明るいんですよ。 ピクニックも穏やかに一緒にできるほどに。 日本でこんな事態になったらきっと悲壮感漂いますよね。ピクニックなんてしてる場合じゃないでしょう。     いつクビになってもおかしくない、だから備える パパは、 「専業主夫は僕の夢の仕事さ!」   ママは、 「最初、絶対絶対専業主夫なんて彼にはできないと思ったけど、意外なほどに私より子供たちへの接し方も上手だし、料理はあんまりだけど他の家事はなんでも大丈夫なのよ。」   と余裕の話っぷりになんだか感動しました。   「シングルインカムになっちゃって不安じゃない?」   と聞いたら、   「そうねー。私が転職すればシングルでも行けなくはないけど、ホームワーキングスタイルができなくなるから、まだしばらくはダブルインカムの方がいいかなーでもパパが怒鳴らなくなって、すごい穏やかになったから、夏ぐらいまではこれでもいいかなと思って。」   とのこと。   ママは、自宅勤務というスタイルを取りたかったので、昨年一生懸命勉強をして資格を取っていました。土日に学校に行き、試験も受けて取得して、自分の専門性を高めていたのです。   この、ママの備え。 すごいですよね。     このお家が例外なのか?働くパパ事情   働いていた頃のようなストレスがなくなって穏やかになったパパ。それが嬉しいママ。   このお家がアメリカで特別なのか?   実はそうでもありません。   まず、ハルは英語の勉強のために日本人が一人もいない幼稚園を選んだのですが、お迎えのうち、3分の1くらいはパパです。パパを知らないお家はクラスの中で1組くらい。それくらい週のどこかでパパが迎えに来ます。残りの3分の1がおばあちゃん。そして3分の1がママ。 おかげで、ママ友よりもパパ友、ババ友の方が多いくらいです笑   あるパパは、お迎え以降の時間を子供と過ごすために転職、朝の3時から昼の11時まで働くスタイルに。   あるパパは出張の多いママを支えるためにホームワーキングパパに。   あるパパは木曜金曜は子供と過ごすために早上がりに。   仕事がなくてはお金が生まれないので、もちろん働かなくてはいけないのですが、 どんなライフスタイルがいいのか、 もっというとどんな風に子供たちと過ごしたいのか、 家族と過ごしたいのか、 自分がどうしたいのか、 考えてみれば当たり前の、自分の欲求、願望を中心に仕事も決めているのです。   自分の気持ちが最初に来るからこそ、いきなりクビになっても夫婦できちんと乗り越える備えがある。 そして家族でなんとかしよう、なんとかなる、と解決していくのです。     日本も超ゆっくりながらそうなる、そうなってほしい 2014年、私も日本を飛び出すことになるまでは完全に仕事が中心でした。主人は今でもそうです。 なぜか、それしかないと思っていたから。   そしてそうしないと自分の生活レベルを保てないと思ったから。   その後も主人が仕事を辞めてもいいなんて思えたことはありませんでした。   でも、どうして母が育児や家事に縛られなくてはいけないのでしょう? どうして父が働きに出なくてはいけないのでしょう? どうして仕事は外で、会社でしなくてはいけないのでしょう?   それがしたくて、楽しくてしょうがなかったらいいと思います。 もちろん、すぐに変えるのも無理でしょう、残念ながら。 お金がないと、死にますからね。   でも、『それしかないから仕方ないというのは思い込み』なんだなーと アメリカに来てつくづく思います。   今回見たように、会社は自分(従業員)を守ってくれないところです、アメリカでは。 だからこそ、自分がどうしたいか、めちゃ重要。 でも、日本もちょっとずつですが、そうなっていくような気がします。 というか、本当は今でもそうなのです。日本だって会社は自分を守ってはくれません。 自分を、そして家族を守れるのは自分自身なのです。   当たり前のことなのに、ついつい忘れてしまう、 そんなことを実感させられた、ニューヨークの春でした。   私も旦那が仕事を辞めたい!と言った時でも驚かずにどーんと構えられるように、 私も日々備えたいと思います。     『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • Depression of Chutsuma

    駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編)日本語教育はどうする?~

      こんにちは、かさまりです。   前回までで、4歳半のハルが現地の子供たちしかいない幼稚園で楽しく通いながらもどうして自分は英語が話せないのか、ポツンと私に聞いて来た話を前編、そしてふとしたきっかけでセナ(Cena)のESLに通うことにしたという話を中編で書きました。   今回は、では日本語はどうすることにしたのか?書こうと思います。   全3回 - 駐妻の憂鬱 英語アレルギーシリーズ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編) 英語教育はどうする?~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編) 日本語教育はどうする?~     私と主人の日本語教育に対する方針 方針、っていうと大袈裟なのですが、私と主人でアメリカに来た時からの方針として、 英語優先。 日本語は自分たちで教えればいい、文字の読み書きは日本に帰ってからでいいというのがありました。 それは、おそらく数年で日本に帰るから、それよりはこれからの国際社会で少しでも英語になじみを持てるように、とにかく英語に注力したい、という思いからでした。   しかし、思いとは裏腹にハルは英語アレルギー。 最初は私が友人を作るのに苦労するくらい、英語が大嫌いでした。   3歳ちょうどから現地の日本人のいない幼稚園に通い始め、先生の指示はわかるし、なぜか男子とはコミュニケーションがなんとなく取れているものの、傍目に見ても話せている、という状態からは程遠い。     一方で日本語はどうか?   他のお子さんもそうであると信じたい!のですが、うちのハルはとにかくYouTubeが何より大好き。 半端ない集中力を発揮するので、こちらが怒って止めさせるか、電源が切れるまで見続けます。 見るのは決まって日本語の動画。 おかげで、丁寧語まで完璧にマスターしていて、大人に話しかけるときはきちんと丁寧語で話しかけるので 褒められます・・・。   が、動画っ子なので、読みも書きもてんでだめ! それでもいいと思っていました。     自分の考えを反省した、セナ(Cena)での塾体験 ところが、私のこの読み書き、というか、教育に対するあまーいあまーい考え方を、セナの授業体験で深く反省しました。   セナの年中さんのためのクラスは「ミディクラス」と言って、50分授業です。 クラスの中では以下のことをします。 季節の学び(桜、春が来たの歌など) ひらがなの読み書き(そのひらがながつく文字を考える、ひらがなをなぞって書く) 工作(展開図や、数字のお勉強) 体を使った数字のお勉強 先生の読み聞かせ 宿題   50分の中で、かなりのことをやってくれます。 それを小さな机できちんと座って聞いたり、書いたり。 先生たちも飽きないようにきちんと工夫してくださいます。   ハルはというと・・・もう夢中です。 一生懸命机に向かって文字を書き、一生懸命先生の話を聞く。 考えて手を上げて発言して、先生に褒められて喜ぶ。 先生に注意されたらきちんと聞く。 (教室には小窓がついていて、中の様子をのぞけます。)   宿題もしっかりと出ます。 名前を書く練習に、絵日記、立体図を数える宿題に、その週習ったひらがながつくものを考える宿題。 これまた本当に楽しそうにやるのです!   私の中での記憶で、宿題が楽しかった思い出は正直ないです笑   ですが、勉強するということ自体が初めてのハルは宿題が楽しくて仕方がない。 セナが楽しくて仕方がない。   宿題の絵日記を一緒に書くときに、 「今週一番楽しかったことを書こうね。何にする?」 と聞いたら、迷わず、 「セナのことかく!」   それくらい、勉強をきちんとする体験はハルにとっては楽しくて仕方ないことだったのです。   今まで正直めんどくさいなー・・・いいよね、自然に任せれば! と思っていた私。   ごめん、ハル。ハルはもっと色々知りたかったんだね。 もっと色々吸収したかったんだね。   これだけ楽しく勉強ができる感覚。 それをしっかりとサポートしてくれるセナ。   この勉強が楽しいのはハルだけなのか??   ここまで書いて見ると、 「私のハル、天才でしょ、すごいでしょ?」   と言っているみたいで、嫌な感じですね笑   でも実は、セナに通うお子さん、かなりの確率でみんな宿題をやるのが大好きなんです。 というか、セナが大好きなんです。   そして親はそんな子供達を見て感動して、もっと通わせようと思う。   私はこれを勝手に「セナの魔力」と呼んでいます。   この親子でかかってしまう、セナの魔力。   なんなんでしょうか。     セナのすごいところ こうやって書いているとセナの回し者のようなのですが、でも本当に本当に感動して、 心からなんでもっと早く通わせなかったんだろう、と思っているので書きます笑   なんでこんなに子供たちが夢中になるのか、考えてみました。 きちんと座って行う授業が新鮮! アメリカの現地の幼稚園は基本的に床に座って何かを聞きます。机に座って図工などはしますが、それも自主的に行うと言った感じで、みんなで一緒に何か机に向かって一斉にやるということがありません。ですので、みんなで同じ文字を練習するという体験、先生にできた!と言って見てもらう体験が新鮮のようです。 何かを一生懸命やって褒められるのが新鮮! もちろん普段の幼稚園でも何かを一生懸命にやって褒めてもらうことはあると思いますが、座って一生懸命やってみたことを褒めてもらう、宿題でハナマルをもらうというのがとても新鮮で嬉しいようです。私も宿題を一緒にやって二重丸やハナマルをつけますが、二重丸の時はとても悔しそうで、ハナマルの時はとても嬉しそうです。 普段はわからない英語の中で生活しているから、わかる日本語をもっとわかるようになるのが楽しい これが一番大きいような気がしますが、普段は小さいながらに劣等感を感じているような気がします。基本がわからない、頑張ってニュアンスで理解する、友達に引っ張ってもらう。そんな日々です。それが、この日本語の授業は書くのは初めてでも、いうことはわかる、バッチリ褒められているのも、注意されるのもわかる。そしてなんとなく動画などでみてきた文字を理解できる。それが楽しくて仕方ないのではないのでしょうか?     親も戸惑っている、勉強の仕方 もう一つ、個人的にとてもよかったな、と思うこと。 それはズバリこの宿題です。   今までも、自分の名前くらいは書けるようになった方がいい、そろそろひらがなに興味を持ってもいいはず、 となんとなく教えてみたことがあります。 ところが、自主的にやるだけだと、お互いに興味も根気も続かない。 だって、誰に見せるわけでも、目標があるわけでもないですから。   でも、毎週宿題が出る。 そうすると何をしたらいいかが明確! やったら本人はママやパパに、先生に褒められる。 親は何をさせたらいいのか、きちんと決まっている。 これはまさにとてもありがたいことなのです。   まだ通い始めて2週間ですが、ハルはだいぶ自分の名前が書けるようになりました。 そして、今までできなかったしりとりが長く続くまでになりました。 これは、しりとりをひらがなを教える工程で先生がやってくれていること、 そしてひらがなの宿題で「その文字がつく言葉を考える」というものがあるからだと思います。   私だけがなんとなく教えていては、しりとりなんてまだまだ先だったと思います。 名前を書くのも、まずはローマ字でかけるところから!と必死で気が回らなかったと思います。   そういう意味できちんと英語も日本語も指針がある、これが本当にありがたいんです。   もしかしたら同じように駐在になったママはこれからどうしよう、となんとなく迷っていらっしゃるかもしれません。   この教育問題、本当にお子さんそれぞれだし、何より正解ってないんですよね。   だからこそ、いいかも、と思ったことは是非ともやってみていただきたい。 私はまだセナに通い始めたばかりですが、 「なんでもっと早く始めなかったのか!!!」 と毎日思うくらい、ハルにはこのやり方が合っていると感じます。   もっと早く始めていたら。 もうハルは幼稚園の大好きなお友だちとちゃんとコミュニケーションが取れていたかもしれない。 もうハルは日本語をもっと好きになっていたかもしれない。 なんとなく4歳半でそんなこと・・・と思っていた自分を殴ってやりたい気分です。   それでも、遅かったけれど、始めてよかった、セナに行くたびに思うのです。   子供によって合うやり方はそれぞれ、お子さんがいらっしゃる方はもしちょっとでもこれが合うかな? とか、この幼稚園、いいかもしれない・・・と思ったら是非とも一回飛び込んでみたらいいと思います。 私自身の実体感で新たな世界が何かしら広がっていると、言えるのです。   駐妻の憂鬱 シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • Depression of Chutsuma

    駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編)英語教育はどうする?~

      こんにちは、かさまりです。   前編では、4歳半のハルが現地の子供たちしかいない幼稚園で楽しく通いながらもどうして自分は英語が話せないのか、ポツンと私に聞いて来た話を書きました。   今回は、その解決策としてどうすることにしたのか、まだ現在進行形ではありますが書こうと思います。   全3回 - 駐妻の憂鬱 英語アレルギーシリーズ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編) 英語教育はどうする?~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編) 日本語教育はどうする?~     ニューヨークの幼稚園での英語教育事情 アメリカでは日本の年長さんに当たる年齢、つまり5歳からキンダーガーデンというところに基本的には通います。 (私立など、一部システムが違うところもありますが、公立を選択したら基本的にはそうなります。)   この5歳からのキンダー、もちろん全て英語です。   ですが、さすが移民の多いアメリカ、英語が母国語でない子供達も たくさんいます。   そのような子供達のための補習授業システムがESL(ENLに来年度から呼び名が変わるそうです。)です。 ESLの略は”English Second Language” (ENLは、”English New Language”)。 現地の子供達の国語(英語ですね)の時間などに別の教室に集められて特別授業を行ってくれます。   キンダーガーデンに入るときに、レベル分けのテストがあり、そのテストの結果により、このESLにどれくらい通わなくてはならないのかが決まります。   ハルは9月からキンダーですので、テストはこれから。 5月の下旬にあるので、今からドキドキです。   このように、キンダーガーデンでは比較的手厚い補習を受けることができるのですが、幼稚園(プリスクール)では残念ながらESLシステムははありません。   ですので、現地校にいったとしても、子供達の英語適応能力によって、大きく差が出てしまうのです。   子供の性格によっては、特に何も違和感なく過ごすことができる子もいるでしょう。   実は私が小さいときにアメリカに来た時はそうでした。 母曰く、あまり何も感じないで、気づいたら英語の読み書きができる、 という感じだったようです。   私の友人も私と同じ時期にアメリカに来ているのですが、 同じく4歳半の女の子がいます。   その子は、幼稚園に行って他の子達に英語で話しかけられて 開口一番、こう言ったそうです。 「あんた、何言ってるの??」   もちろん日本語、3歳児です。 この女の子はすぐにルー大柴のようになり、 今ではペラペラと英語を話すそうです。 先日会いましたが、日本語と英語を上手に使い分けていました。(むしろ英語寄り?)   一方のハルはかなりの慎重派。自分で理解ができていないことを、 とりあえずやってみるということが結構苦手なタイプです。   言語は理解できた、というふうに思えるようになるまでかなり時間がかかりますよね。   というわけで、現在進行形で本人も苦労しています。     英語と日本語の幼稚園や塾 ニューヨークは幸運なことに、日本語の幼稚園も、そして公文や英語を教えてくれる塾、そして家庭教師など、選択肢が豊富です。   日本語の幼稚園は私の住むニューヨーク ウェストチェスター付近は、 子どものくに幼稚園 さくら幼稚園 グリニッジ国際学園   などがあります。どこも友人のお子さんが通っていますが、それぞれの良さがありますので、 ぜひ興味のある方はホームページで確認したり、実際に見学に行ってみてください。   私は主人と話した結果、ここまで英語が苦手なハルが一度でもこのようなところに足を踏み入れたら、二度と現地の幼稚園に行きたいと言わないだろう、ということで体験もしないことに決めました。     英語アレルギー、ハルへの決断 というわけで現地校(幼稚園、プリスクール)にいっているハル。 もちろん日本人は一人もいません。 最初は幼稚園で毎日6時間も英語に触れているんだからこれ以上はいいのではないか、そして日本語は日本に戻れば読み書きも勉強せざるを得ないんだし、いいのではないか、と思っていました。   でも周りのキンダーに行っている友人たちのお子さんの苦労話、 そしてたまにもらう1歳年上の子供達からのお手紙・・・ちゃんとひらがなが書けている! だ、大丈夫かなハル・・・ と漠然としたモヤモヤがありました。   このままのほぼ放置の言語教育、いいのか!! いや、ダメじゃない!? 超遅ればせながらこの4月、幼稚園卒業2ヶ月前にして思ったのです。   とにかくまずは英語。 幼稚園の友達と少しでもちゃんとコミュニケーションをして卒業させてあげたい。 そしてキンダーに行った時に少しでも戸惑いが少ないように。   ということで、私が門戸を叩いたのは 「セナ(Cena)」でした。 https://ameblo.jp/cena-yb/     しっかりとした「塾」セナ(Cena) このセナは、日本でも塾展開をしているenaの幼稚部です。 Enaも併設されていて、勉強に来ている小学校高学年、中学生、高校生もいます。 いわゆる、「塾」、と言った感じですが、幼稚部は広いお部屋とマットレスなどの運動道具、そして小さな机や椅子があります。   こちらに興味を持った1番の理由。。。   それは友人たちがお子さんを日本語のために通わせていて、 子供達がとても喜んで通っていること、そして宿題もたっぷり出て、 お家で楽しくそれをやっているということを聞いたからでした。   春休み、やることないなーどうしようーと思っていたところに、 春期講習がある、そしていっぱいになりつつある、と聞いて、 慌てて行ってみたところ、   「明日普通授業の体験します?」   と言ってもらえたので、ふたつ返事でOK。試してみることにしました。   英語を教えてくれる「ESL」、 そして日本語を教えてくれる、「ミディクラス」。 どちらも無料で体験して良いということでしたので、両方受けることにしました。     初めての塾、ハルの反応は? さて、4歳半のハル、今まで一度も塾はおろか、習い事をしたこともほぼありません。(今までは、ママと一緒系のみ。)   出かける際に 「今日は、セナに行ってみるよ~」 と言うと、普通に車には乗ったものの、 いざ教室について離れようとした瞬間、号泣。 雰囲気に飲まれて、ママがそばにいないことが不安だったようです。   優しいセナの教室長がそばについてくれて、ESL、英語のクラス開始。 ドア越しに様子を見ることができたので、ハルに悟られないようにそっとみていました。   英語のクラスは現地の明るいお姉さんが先生、生徒は5人、全員日本人です。 カリキュラムとしては、 英語の挨拶 本を読みながらその日は色の勉強 その日の文字の勉強 体を使いながら先生の指示に従う習い事 先生の質問に答える形での自己紹介   最初は不安そうに教室長のそばにちょこんと座っていたハルも、超優しくて明るい先生、 そしてみんな日本人だけど英語を話す、という環境に10分くらいで慣れて、そのうち教室長がそっと離れても気づかないくらい楽しんでいました。   ここがポイント。 「同じ日本人が習う、英語教室」 とにかくスピードが違うのです。そしてきちんと1つのセンテンスを言うまで待ってくれる。 ひとつひとつの文字と、言葉をゆっくりと丁寧に教えてくれる。   これは目から鱗体験! 現地校で決定的に足りなかった、ハルに必要な補習でした。 生まれた時から英語しか聞いていない人と、だいたい日本語の基礎部分ができてからアメリカに来たハル。 家でも英語が行き交う人と、家では100%日本語のハル。(一時期英語に切り替えようとしたのですが、ハルの激しい抵抗と戦うのに疲れてやめました・・・)   こうやって考えるとハルは現地校では追いつきようがなかったのです。   必要なのは、ゆっくり丁寧にセンテンスを教えてもらって、復唱できる環境。そしてそれができて褒めてもらえる雰囲気。英語ができた!という感覚でした。     ハルの気になる英語の成果は? 母感動 ハルは行った初日から、センテンスが話せるようになりました。 今までは単語だけだったのに。 簡単なセンテンス、   “My favorite food is icecream.”   はい、簡単なセンテンスです。 でも、このセンテンス、私は一生忘れないくらい感動しました。   この2年半、ずーーーっと悩んでましたから!   もちろん、入ることはすぐに決めました。 授業料は月に96ドル。安くはないですが、宿題もきちんとでて、 センテンスも話せるようになるなら、良い投資だと思います。     何より、ハルがとっても楽しそう! 一緒に通う子たちと同じレベルで英語が学べる。 自分が話せる英語が「全然ダメな英語」ではなくて、 「褒められる英語」という体験。   ちょっとずつ自信にもなっていると思います。   長くなって来たので、日本語教育については後編にてお伝えさせて頂きます。   駐妻の憂鬱 シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • Depression of Chutsuma

    駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~

      こんにちは、かさまりです。   「子供だから、現地(英語圏)に行けば英語慣れるの早いでしょ。」   これ。多くの方が考えていることだと思いますが、そうでもないんです。 2012年9月にアメリカに来てから、ずっと悩んでいました。 これ、正解がないと思うのですが、ズバリ、タイトルの通り、当時2歳、現在4歳半のハルの語学教育です。   2歳から1年以上、英語アレルギーでした 最初の赴任先はバージニア州、レストン。 こちらは本当に日本人がいない! レストンに日本語を教えてくれる公立の小学校があるのですが、 それでも街歩いててもほぼ日本人に出会うことはありません。   コンビニのお兄さんに聞いてみたら、 「うーん、インド人はたくさんみるけど日本人は見たことないな」   と言われるレベルで日本人いませんでした。   2歳のハル、来た当時の日本語はというと、全然話しませんでした。 こちらのいうことはほぼわかる、でも喋らない。ひいおばあちゃんにそろそろ病院で診てもらったほうがいいのでは?と心配されるレベルでした。 正確にいうと、一文字会話をしていました。 アンパンマン→「ア」 ばいきんまん→「ば」 アンパンマンの主題歌(そうだ、恐れないで、みんなのために、、、) →「そ・・お・・み・・・た・・・」   ウケることに意外とこれで親子ですと会話が成り立ってしまうんですよね。   そんな日本語レベルでした。   つまり、ちょうど日本語というものを認識し、理解し、自分で活用しようとしているレベル。   そんな中で英語だらけの世界に来たので、パニックになっていました。 まぁ、大人でも全然知らない言語の中にいきなり放り込まれたらびっくりしますよね。   ハルは幼いながらに論理的?頭で理解しないといけないタイプで、積み木は積むのが好きなタイプ。(ちなみに1歳半のリコは破壊専門です。)   言語の遅いのも、自分で納得できるレベルになるまでアウトプットしないからなのではないか、と親なのでいい風に解釈していますが、そんな性格なので、本人の中では、 「(え?ええ??)」 という感じだったのだと思います。   とにかく英語が嫌で、でも英語しかない。児童館に行っても英語しか聞こえてこない。   結果、ハルは児童館に行ってもおもちゃの家に一人で入ったきりでてこない。一緒に遊ぼうと入ってきた子たちを渾身の勢いで威嚇する。 せめて音楽だけでも、と児童館でやっていた音楽教室に行っても逃亡。 私が英語で他のお母さんたちと話しているとワーワー泣きわめき、そのお母さんたちから引き離そうと引っ張る。   私まで友達ができなくて本当にノイローゼになりそうでした。   それを救ってくれたのは日本人とドイツ人のハーフのママで、 見た目が日本人、しかも日本語が少し話せる、ということでハルもなつき、 ぎりぎりレストンのコミュニティに入っていけましたが。     無理やり英語の世界?それとも日本語の世界? この壁は、幼児を抱えたどのお母さんも悩んでいたように思います。 無理やり英語の世界にどっぷりにするのか、そんなに嫌ならばと日本語に向かうのか。 バージニアもワシントンDCが近いこともあり、日本語の幼稚園もありました。 そちらに通っているお母さんたちの話も聞いたりしました。   悩んだ末、バージニアでは、『外では英語、家では日本語』としていました。 ニューヨークに来た今も、基本的にはその方針は変えていません。   やはり小さいとはいえ、立派な人格のある一人の人間です。 ハルの性格上、どこかで気が抜けるポイントを作ってあげたい、 そう思って家では日本語としています。     こだわった幼稚園選び その代わり、幼稚園は朝の9時から15時まで、一人も日本人のいない(英語だけの)環境です。 実は幼稚園は本当に探しに探しました。 バージニアでは7件、ニューヨークではなんと11件見に行きました。   最初のバージニアでの幼稚園はモンテッソーリ。お兄さんやお姉さんがいる異年齢教育がハルにはいいかな、と思ったからです。 実際に3歳当時、最も仲よかったのは5歳の男の子。とてもよく面倒を見てくれて、楽しく通ってくれていました。   ニューヨークでは予算や雰囲気がハマると思えるモンテッソーリがなかったので、こだわったのは ・ここでもやはり日本人がいないこと、 ・そして広い園庭があって、 ・外での遊び時間が長いこと。   ニューヨークに引っ越して来た時のハルの英語レベルは、なんとかギリギリ先生の指示はわかる程度。たまに先生の指示の真似はしますが、自分の感情を自由に表現できるなんてまだまだでした。(今もなのですが、それはまた後編で!)   ですので、直感的に必要だと思ったのが、外遊び。外で走り回る分にはまだ4歳、特に男の子なので言葉はあまり要らないかなと。   バージニアからニューヨークに移っていくつか幼稚園を見学する中でびっくりしたのが、『園庭の狭さ』でした。 遊具がきちんとある幼稚園はまずとても少なく、それどころか、50人以上の幼稚園児がいるのに園庭が10人も入ったらいっぱいになるようなサイズのところばかり。走り回るところもない、というところがとても多かったのです。 やはりニューヨーク、土地が田舎といえどバージニアより高いし、狭いんですね。   もう一点、こだわったのはとにかく毎日、なるべく長く通うことができること。 家で英語を使う習慣がない分、幼稚園にいる時間を長くすることで、慣れさせたいと思ったのです。   結果的に、今の幼稚園にして本当に良かったと思います。 先生自身も移民だったことから、言葉の壁があることに対してとても理解がある。そして思いっきり外遊びをさせてくれる。 外遊びがあれば、やはり言葉はいらないようで、男の子たちでワイワイと遊んでいます。   さすが移民の国、お母さんたちも子供たちが純粋に 「なんでハルは英語話せないの?」   と聞いてくるようなのですが、   「ハルは日本という国から来たのよ。今勉強している最中なの。 わからなかったら助けてあげてね。」   と言ってくれていて、男の子たちも理解をして一緒に遊んでくれたり、 日本語をハルから習ったりしてくれています。   幼稚園が大好きで、毎日とても楽しく通っていて、私も見ていてホッとしています。   しかし!!!   問題はここから。 そんなこんなで、ものすごい英語アレルギーからは脱したものの、アメリカに来て早2年半。幼稚園に通いだしてから1年半。 まだハル、ぜんっぜん英語を話さないのです。 指示は理解できていて、先生からの問いに対して答える「イエス、ノー」はあっている。 単語も言える。(数字や色、動物など) でも、如何せん文章として話せないのです。   まだ、何かハルの中で英語がピンと来ていない、そんな感覚なんです。     ある日、ポツンとハルに言われた忘れられない一言 ハルは毎日楽しそうに幼稚園に通っていて、現地の親友も二人います。 とても楽しそうな一方で、放課後残って一緒に遊んでいても、 英語でのコミュニケーションは全くできません。 ‘This Haru’ ‘And Haru’ ‘No’ ‘Yes’ これだけで会話をしているのです。   すごいなーそれだけで会話できてー不便じゃないのかな?   となんとなーく思っていましたが、 元来「まいっか」とすぐに思ってしまう私は、 そこで思考が止まっていました。   ところが、ある休日の朝。 起きて来たハルが寝ぼけながらポツンと言ったのです。 「ねぇ、ぼくはどうして英語が話せないの?」   もう、衝撃的でした!!   頭をガーーンと殴られる感じ、というのはこういうことなのでしょう。 泣きながら、とか、そういうのではなく、 寝ぼけながらポツンと言われたのが尚更に切なくて、、、   今思い出してもまた悲しくなる一言でした。   ごめんね、私がもっとちゃんと心を鬼にして早い段階で 英語を教えてあげていれば・・・ なんで徐々に馴染むようにもっと上手くできなかったんだろう。 英語教育について、手を抜きすぎていたのではないか。   そんな考えがぐるぐると回っていました。   周りのママ友は家庭教師をつけたり、公文に行かせたりしていて、 でも、私はどうしよう?   もうすごくショックだったのに、なかなか行動に移せませんでした。 毎日6時間も英語の環境においていて、これ以上なにができるのか、わからなかったし、 毎日わからない中で頑張っているハルに家でも英語を使え!としたくない。 かと言って私が英語が話せるのにどこかに通わせるなんて、なんかサボっているみたいで 主人にも反対されそう。   でも一番の理由。ズバリお金。   もちろん生活に足るお金は会社からもらっているものの、 残りのお金をどう使うのか。   うちのそれまでの方針は、 『みんなで思い出を作るために使う』   ですので、ハル一人のために使うという発想が主人にも、そして私にもどうしてもピンとこなかったのです。 主人とも喧嘩になる、というか相手にもされず、一人モヤモヤするだけだと思っていたので、相談もできませんでした。   あー私にお金があれば!!!   ずっとモヤモヤしていました。特に周りの人たちはなにかしら通わせている。それなのにうちは何もやっていない、やれない。   ハルの一言から、ずっと頭の片隅から離れませんでした。 でも。でも。でも。 そんなモヤモヤを抱えて日々を過ごしていました。   でも、先日、やっと事態が動きだしました。     長くなって来たので、 どんな補助教育をすることにしたのか、続きは中編・後編でお伝えしたいと思います。   全3回 - 駐妻の憂鬱 英語アレルギーシリーズ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編) 英語教育はどうする?~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編) 日本語教育はどうする?~   駐妻の憂鬱 シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 ~ネットビジネスで自分の月収を超えた日~

      こんにちは、かさまりです。   少し更新が途絶えてました。 3月はあーこれは厄月なんだ、と振り返ると思うしかないくらい、大変なひと月でした、、 ノロ系胃腸炎が2回、車の故障が2回(タイヤのパンクとスターター故障でエンジンがかからない!)。 毎週事件がある感じで気が休まることなし!   挙げ句の果てに日本から遊びに来てくれた友達になんとその胃腸炎をうつすという、、ひどすぎる、、   まぁ、そんなこんなで心身疲れはててました。   でも4月に入りましたし、厄月は終わったということで!またいろんな新しいことをやっていきたいなと思っています。     3月ノロ、そして車の故障の厄月、ビジネスはどうした? そんな毎週のように何か降りかかる状況でしたが、お仕事は自分がトップなので、止めるわけにはいきません。 最低限の行動にはなってしまいましたが、毎日お問い合わせや買付けや、スタッフさんへお願い事はしてました。     よく、   「何時間くらいやってるの?」   と聞かれますが、測ってないのでわかりません。 できるときにできるかぎりやってます。 家事が上手な方って、無意識にちゃちゃちゃっと片付けたり拭いたりが習慣ですよね。 同じことで、常に考える、授乳中も探し物をする、子供がテレビ見ててくれたらパソコンに向かう。もう当たり前になって来てるので何時間、と言えないんです。   まぁ、それでもフルタイムのサラリーマンよりは短くなってしまいます。すごく集中してパソコンに向かえるのは2時間くらいでしょうか。   夜は起きてられないので、朝3時くらいから起きてやってますが、さすがにバタバタの3月はなかなか起きられませんでした。     そんな厄月3月でしたが、なんと前職の額面月収を超えました! うちのお金の計算のサイクルは月末締めです。 毎日計算はしますが、スタッフさんへの支払いなど全部計算して確定するのが5日ごろ。   はい、今日です。   私にとって、本日はプチ記念日。   はじめて前職の額面月収を超え、57万円の利益を達成しました!   前職はベンチャー企業のコンサルタント営業でしたので、年齢の割にはもらっていたお給料。それでも入った年次が若く、会社内では営業成績トップなのに給料はドベでした。 また、ベンチャー企業でしたので、年俸制。それこそ何時間働く、という概念もなく働いてました。   給料は貢献度で決まるので、出産後の復帰時は給料も月5万円くらいのカット。月収5万円減です。 会社側からすると貢献してないんだから当たり前と言えば当たり前なのですが、どうですか? 5万円カットされて、モチベーション保てますかね?   貢献できてないとレッテルを貼られたのに、毎日保育園まで当時1歳のハルを迎えに走る。走っても最後の2人は当たり前でした。 なんとか最後の1人にしないために走る走る。   そんなフラフラな生活をしてたので、ハルを送った後に重たい電動自転車ごと倒れて、ぶつけてしまった右膝は、今でも調子が悪いと痛みます。     もちろん悪い会社ではない。   子供なしで働くには楽しい会社でした。   でも、1人の子供だけで満身創痍になったのに、2人もいて、次は私1人の怪我ではすまないかもしれない、何より精神的にもう無理。。。   それでも他に戻るところがない、こんなアメリカの駐在帰りの奥さんなんて雇ってくれるところがないかも、、、     でもでも!   どうしても戻りたくなくて、 「前の会社より稼ぐ!」   と始めたのが今のネットビジネス(バイマ、メルカリ)です。 ついに、こんなにウケほどいろいろなことが起こった厄月の3月に、達成しました。   感無量です。     決してラクではない主婦がビジネスをやるということ 在宅でフルタイムママをしながら働く、正直ラクではありません。 仕事が集中してできるのは明け方、子供達が寝ている時間だけ。 毎日9時くらいに子供達と寝て、早ければ1時、遅くとも4時には起きて仕事をします。   まだ1歳半のリコはママべったりのまだ授乳中。夜中も2、3回おきます。 ママがいないと大泣きしておきてしまうので、 苦肉の策で寝室のクローゼットに机をいれてそこで仕事、 ふにゃふにゃ言い出したら急いで布団に戻る、睡魔に負けないようにしながら、寝たらまた机に戻る。   そんな毎日です。   子供達が起きてしまったら集中時間はおしまい。 着替えさせ、朝ごはんを食べさせ、主人を送り、ハルを送り、 洗濯をして・・・主婦タイムが来ますが、まだ仕事もやりたいことは 山積み。 お客様に送るための荷物も梱包しなくてはなりません。   絶賛イヤイヤ期中のリコは、裸ん坊大好き、オムツ大嫌い。 おむつを替えるたびに大泣きされて、そうこうしているうちに昼ごはん。 またおむつ替えに格闘して、昼寝をしそうでしないリコは不機嫌、 そうこうしているうちにハルのお迎え。 おもちゃおもちゃと騒ぐハルをかわしつつ、アイスで釣って 買い物中はリコの監視をさせ、帰宅。 帰ったら晩御飯の支度・・・   起きている時間はほとんど何もできません。 だからコウモリのように夜やっています。 キラキラ?いや、キラキラはしてません。     でもなぜやるのか? 私の場合は、お金を稼ぐこと、それはきっと自分を認めてもらえること なのだと思います。 自分のやったことに対しての対価をもらえる。 それが生きがいなのです。   育児は子供達の成長が対価。 大変ですが、少しずつ成長するのを見るだけで楽しい。   では家事は? 逃げ恥の最終回。超共感したみくりちゃんの、 「仕事だからきっちりできたんです。本当は四角い部屋を少し丸く掃いたって死にやしないしいいかって思うタイプです。」   わかる~~~!   家事が好きな方はいいんです。   でも私は苦手で、正直頑張っても四角い部屋は丸くしか掃けない。 だから頑張っても誰も褒めてくれない、お金にもならない。 そんな毎日がこれまた辛かったんです。   そして日本帰国を考えた時に、どんな生活がしたいのか? また走って保育園まで迎えに行きたいのか?   これまたノー。       人生は選択の連続、よりベターな道に 何をやって、何をやらないか。 何がしたくて、何がしたくないのか。   私の場合は、 お金はダブルインカムと言えるだけ欲しい。 日本帰国時に自信と仕事を持っていたい 家事はどうしても苦手だから他のことで家に貢献したい(そして家事は外注化したい!) 保育園に走りたくない   並べて見ると超わがまま!笑   でも別に自分に控え目である必要も、嘘をつく必要もないですね。 これが私の願望でした。   それを叶えるために、やり始めたこと。それがバイマとメルカリです。   書いたように決してラクではない。でも楽しいです。 自分が稼いでいる実感もある、保育園に走らなくていい。 そして念願の家事外注も出来始めている。   自転車事故を起こすほどボロボロ、第2子なんて考えられなかった日本での生活、 そしてアメリカに来てからのダメ主婦ぶりに自分で自分に落胆する生活。 それに比べたら、楽しいです。 キラキラではないけど、ギラギラはしているかもしれません笑   そんなギラギラに疲れることもあって、実際に3月のようにボロッとすることもあります。   でも、じゃあ前の自分と比べたらどうか?   うん、楽しい、そして頑張っている、 お金という形で自分の頑張りも評価できる。   やっていてよかったな、そしてもっと頑張ろう、 そう思った、3月締め終わりのかさまりでした。 駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。   駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます!   ページトップへ戻る  

  • girl into depression

    駐妻の憂鬱 ~Time is Money. あなたの時間を何に使う?~

      こんにちは、かさまりです。   季節の変わり目で強風がビュービューと吹き、重い花粉症持ちの私は朝起きると目が腫れあがっています・・・。     さて。本日のお話は「時間」についてのお話です。     結構忘れがち、時間は有限 自戒も込めてなのですが、特に子供に追われて生活していると、1日ってあっという間に過ぎませんか? 特に家事が得意でない私は、他のママたちは一体いつ家を綺麗にしているのだろう?と未だに不思議です。   「えーお仕事しているからでしょ?」   と言われるのですが、残念ながら始める前も始めた後も家の散らかりっぷりはほとんど変わりません。 本当に苦手なんですよね・・・。     今日も友人の家にお邪魔してきたのですが、   「散らかっててごめんね」   と言いつつ、 いやいや床に何もおっこってないyo! 私の前でそれをいうのは嫌味かい!笑 という感じでした。   主婦力の高いママたち、本当に羨ましい。。。     話が逸れました。     あっという間に時間は過ぎてしまう。 でも、時間は有限なのです。 一人に与えられた1日の時間は24時間。 それは日本であろうと、アメリカであろうとそうですよね。   でも、このアメリカで過ごせる期間、これはさらに駐妻にとっては有限なのです。     母の一言の重み 自己紹介でも少し触れた気がしますが、 私自身、3歳から7歳までアメリカのメリーランド州に住んでいました。   それはそれは楽しい思い出ばかりです。小さかったので、そのような思い出しか残らなかったということや、母のアルバムに楽しそうな私しかいないから、というのもあるでしょう。   でも純粋に楽しかった、ハッピーな思い出しかありません。 アメリカにいたときの年齢が小さかったので、全てを鮮明に覚えているわけではありませんが、なんていうのでしょうか?思い出すと、何ってわけではないけれどニコニコできてしまう、そんな記憶です。   ですから、今それくらいの年齢のお子さんがいて、こちらに駐在に来ているママたちを見ると、とってもお子さんたちが羨ましいです。(うちは1歳半と4歳なので、どうかなー覚えてるかなーいや・・という年齢なので)     それから約25年。先日うちの母と話していて私に突き刺さった言葉がありました。   「あのアメリカでの4年間があるから、今まで人生歩んでこれたようなものよ」 と。   アメリカでの幸せな4年間があったから、その後私が激しい思春期を迎えようとも、子供たちが同時に大学と結婚で家を出ようとも、父が転職しようとも、今現在介護で大変でも乗り越えられている、と。     すごい重たい言葉じゃないですか?     私の母がアメリカでスーパーハッピーに生活していたか、というと、実はそうでもありません。 母の時代はもっとヒエラルキーが厳しく、さらにメリーランドという日本人が1箇所に集中している地域でしたので、結構人間関係で苦労したと聞きます。     それでも、本当に幸せだったと。 私の中でも確かに、たくさんの思い出がキラキラしています。   今、私は幸運にもその真っ只中にいるのです。     何をするのか、何をしないのか。選択肢は自分の中に。 駐妻の宿命、それはいつか帰ること。 前のブログでも書いたと思います。   それまでの時間、あなたはどうやって過ごしたいですか?   私はたくさんの旅行がしたい。日本からだったら行かないようなところにたくさん行きたい。   そして日本に帰ってから自分の就職の不安がないようにしたい。   ずっと付き合いたいと思える友だちに出会いたい。   これが私の目標です。 これに子供たちをどう過ごさせてあげたい、というのが入るのですが、今は私の話をします。   まずお友だちのことから。自分をさらけ出しても笑って許してくれる、そんな友だちに出会えていて、幸せだと思います。現地の友だちも、日本人の友だちも。 これからキンダーに上がり、さらに地域のつながりが密接になった時に、おそらく私のように自分で何かをやろうとしている人間はつまはじきにあうでしょう。 でも、それでも時間は有限。 その人たちと付き合うことを考えるくらいなら、大好きな仲間との時間を大事にしたいと思います。   そして旅行と就職不安。これはどちらもはっきりというと、お金の話になります。 たくさん旅行がしたい、でも4人家族、そして主人の休みを考えるとやっぱりお金が必要。 そして就職。そもそもお金が溢れるほどあったら心配しなくていいのでしょうが、残念ながら溢れるほどはありません。 そして個人は、自分で稼いだお金で遊べるほうが気持ちいいのです。 この就職の不安って、日本の就職のことを考えているから、漠然と不安でもアメリカにいる間に解消するってかなり難しいんですよね・・・。でもただ不安でいても、精神衛生上良くない。 何ができるでしょうか?   私のある友だちは、教育関係の何かがしたいとモンテッソーリ教育の通信講座を始めました。ある人はマクロビの勉強を。そしてある人は教員としてのインターを。 不安に思っていても仕方がないので、こうやって行動することが、今は答えにならなくても漠然と不安に思っているよりずっと精神衛生上いいですよね。   私は特技も、やりたいこともなかったのですが、とにかく日本では前の会社に正社員として戻りたくない、と思っていたので、まずはその頃のお給料分をなんとか稼げないかなーということで、バイマとメルカリの物販(転売)を始めました。 結果、買い物は大好きだけど、所有欲はない(散らかった家がさらに散らかる!)私にとってはとても楽しいお仕事です。 しかも、携帯とパソコンがあればどこでもできる! フロリダでディズニーを満喫しながらもホテルでお仕事していました。   自分のしたいこと、ありたい未来、したくないこと。 ちょっと考えて、行動して、子供が寝ている時間が活動時間なので、正直キラキラーー!という感じでは全くありませんが、 総じて考えると、前より良い。散らかった部屋を眺めながら   「あー私ってダメ主婦・・・」   って思っていた時よりずっと精神衛生上気分がいいです。     私は無宗教ですが、なんとなく頭の上に神様がいる気がしています笑   その神様がくれた、万人ができるわけではない、駐在という経験。 あなたは何がしたいですか? 人生の1ページとしてみた時に、どう振り返りたいですか?     今日のワンフレーズ "How did you potty train your child?” 「トイレトレーニングはどうやった?」   はい、全然今日の記事と関係ないです笑 リコ、1歳半。超脱ぎ魔なんですよ。 油断するとパンツ式オムツも全部脱いでて、 おとといは4回床にされました。 キーーー!と言っていても仕方ないので、現地ママに 聞いて回ったフレーズです。 「ガムテープで止めれば?」と言われたりしましたが笑 一番良さそうなのは、すぐにトイレトレーニング。 おまるにしなさい!というとおまるを投げつけてきた聞かん坊、 リコですが、友達の助言でお菓子で釣る、というのがあったので、 試しに「できたらチョコあげるよ」と言ったら、 座って一生懸命しようとしてます。   さて、早めのオムツ卒業、なるでしょうか?!!   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。   https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。   駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます!   ページトップへ戻る  

  • 専業主婦の私が起業?ピンとこない・・・というかなにそれっ!~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   最近、ちょっといらっとしていることがあります。 自分のしていることを話すと、周りに 「かさまり起業しちゃいなよ~」 と言われるのです。   いったいなんなんでしょうね、起業って。     起業っていう、肩に力が入った感じがイヤ   起業という言葉を見ると、意味は、 「生業を起こすこと、新しく事業を始めること」   生業っていう言葉を見ると、意味は 「生計を立てるための職業」   ふむ。   どうもピンとこないんですよ。   確かに、会社に属することなく、自分で月70万円稼いでいます。 お金の収支管理もしている。(正確にはガサツな性格なのでダンナさんがほぼやってくれている) そして、スタッフさんに色々お願いしながら仕事をしています。   でも、もともと 「よし起業してやるぜ!!やったるぜ!!!」 と思って始めたわけでは全くないし、 この自分で稼いでいる状況になったからといって、 「起業しようかな」 とか 「起業してるな」 とか思うこともなくて、ただただ家で働いている、お金を稼いでいる、それだけです。   社会のルールとして、開業届などは出さないといけないので、 世間としては「起業した」ということになるのでしょうが、 なーんかそう言われるととても違和感があるのです。   なぜかって、自分では一生懸命、自分がしたい生活をするために頑張っているだけだから。     お金を稼ぐというのに、自分も他人もあるのか?   いつも言われるたびにくすぐったい気分になるので、 ちょっとその正体について考えてみることにしました。   自分が一番違和感を感じるポイント、それは、 「お金を稼ぐのに、自分も他人もあるのか。」   そのことなのかもしれません。   確かに会社に勤めて一定のお給料をもらうというのと、 自分で何かビジネスをやって、自分で成果を作っていくというのは、 お金のもらう方法は違うかもしれません。   でも、 「自分の何かを売って、お金にしている」 という点では、変わらないと思うのです。   勤めている人は自分の時間と、身体的にいるべき場所を売って、一定のお金を稼いでいる。 私は、稼ぐために自分のできる時間と睡眠を売って、それで稼げるお金を稼いでいる。 どちらもサボったらお金は稼げないのです。   ダンナさんは現状、自分の朝から晩までの時間を会社に売って、会社のために働いて、その対価としてお金をもらっている。 私は、自分の睡眠時間と思考を売って、その対価としてお金をもらっている。   私にとって、起業云々はどうでもよくて、 自分の何を売って、お金を稼いでいるか、 そこをみているから、ちょっと興奮気味に、 「かさまり、それって起業してるってことじゃない?」 「起業しちゃいなよ~」 と言われると正直、痒いのです。     なぜお金を稼ぐのか?大事なものは何?   自宅で子供がいながらにして稼ぐ、このことについて、夢と目標を与えてくれた師匠が私にはいます。 自分よりも年下なのですが、敬愛してやまない、もう大大大好きな方なのですが、師匠に勧めたもらって 読んだ本があって、自分で稼いで目標を叶えよう、と強く決意させてくれました。   それがこちら、「世界一ふざけた夢の叶え方」   アメリカにいて、現地のママ友と話していてそれはもう毎日目から鱗が落ちまくっているのですが、 その中でも大きかったのは、この本の中でも語られている、 「どう生きたいかファーストな考え方」   どんなライフスタイルをしたいのか? どういった1年を過ごしたいのか? どうなったら一番ハッピーに過ごせるのか? 自分にとって大事なことは何か?   日本人は、本当に真面目! 真面目で忠誠心が強いから、仕事が生活の全て。   ダンナさんのアメリカの先輩でとても素敵な、業績をあげまくっている女性がいるのですが、 その方に言われたのはこんなこと。   「日本人のQuality Of Lifeへの意識は低すぎる!なんのために生きているのか? 私はとても楽しんで仕事をしているけれど、たまに苦しくなる。そんな時、ちょっとサボったら クビになるか、考えてみるけれど、大丈夫だから、そんな日はオフをとって好きなことするのよ。 でも日本人はそうじゃないわよね。単身赴任で家族との時間を犠牲にするなんて、最たる事例だわ。 なぜなの?」   考えてみたら、これに納得のいく答えはありません。 大体の人がいうのは、、、   「会社に言われたから。」   以上です。   我が家はそんな中でもけっこう日本人にしては破天荒で、単身で出張を命じられた最初の1年も勝手にくっついてきてしまったり 挙げ句の果てには妊娠して、現地ローカルの保険にも入っていなくてワタワタしましたが、 それでも私はついてきてかけがえのない時間を息子やダンナさんと過ごし、娘も生まれて大親友と呼べる友人もできました。 (ちなみに妊娠後でも保険は入れたので、保険に加入して娘は無事出産しました。笑)     夢?目標?専業主婦は持ってはいけないのか?   実は、小さい頃にアメリカに住んでいた私は、アメリカから帰国した後に産まれた妹がいたので、 決して留学は許されませんでした。 「あなたはもう経験したんだから、いくなら妹よ」   と。   でも自分自身の半分ルーツでもあるアメリカ。 絶対に戻ってきたかった。   「戻りたい戻りたい」   そう願っていたら、実現しました。 しかも、自分が昔住んでいた、メリーランド州のすぐお隣のバージニア、そしてなんとそのあとはニューヨークに! 祈願通天と私は呼んでいるのですが、強く強く願えば、そしてそれに向けて行動すれば、 自分の人生の舵は自分で切れるのです。   なんとなく自分で思っていたことではあったのですが、 この本にはもっと引き寄せるために何をしたらいいか、書いてありました。 私が特に影響を受けたのは、 「自分がなりたい未来を考えて、それが実現したと仮定していま乾杯しよう!」 「何が起きてもついてる!って思おう」 「ついてる!ついてる!」   という点。   自分の未来を思い描くこと、それも自由に! これって意外と難しいんですよね。   「あ、でもこれは無理かも。これも実現不可能だよね・・・」   みたいにすぐ思ってしまいがちなんです。   でも、そういうのは取っ払って考えるんです。 超ハッピーな、自分のなりたい未来を考えるのはタダ!お金かかりません。 やって失うものは妄想なんで、ないんです。   私は住みたい場所と、住みたい家を考えました。 季節のいい時は、ニューヨークで。 他の時期は西海岸のあったかいところで、海が見えるお家で、 子供達が海やプールで遊んでいるのをのんびり眺める。 パソコンを持って、気持ちものんびりしながら仕事をする。 外に置いてあるソファーに座ってバーベキューしながら、美味しいビールとワインを飲む。 あー今日も楽しかった!そう思いながら寝る。   そんなことできるわけないじゃん!   そう思いましたか?   今はできないかもしれません。 でもできないと決めつけたら、それこそそこで試合終了です。   「セカフザ」を読んでから、私はこんな目標を、バカかもしれませんが、本気で立てました。   でも、私には子供も、ダンナさんもいる。 私一人では叶えられません。   なので、2ヶ月かけてダンナさんにも読んでもらいました。 バカですが、本気で立てた目標なので、普段私が薦める本なんて絶対に読まないダンナさんにも どうしても読んでもらって、同じ夢、目標を持って、未来乾杯しないとダメ! そう思って粘り強く説得しました。   もうダメかなーあーあと思っていた、2ヶ月がたったある日。 仕事から帰宅したダンナさんが言いました。 「乾杯しよう!」 と!!   今、私が思い描いていた夢・目標はいまは夫婦の目標です。   アホだと思いますか?   多分、アホだと思います。笑   でもアホでもなんでも、夢をこうやって描くのはタダ! 睡眠時間がなくなって苦しくなった時、 お問い合わせでどうしようもないことが起きた時、 この夢をはっきり頭に思い浮かべるんです。   そうしたら頑張れる。   そして具体的に何をしたらいいのか、考えられるのです。   今の私の場合、駐在ですので、まずはそれを打破すること、つまり 「いつ日本に帰るのか」をビクビクしなくていい生活を手に入れること。 そのためにはダンナさんにももっと選択肢があるようにしていかなくてはいけない。 そうすると私もこれくらい稼げていると、自由度が増す。   ではそれを稼ぐためにはどうしたらいいのか・・・?   そんなことを考えるのです。   これって、話を戻すと起業がどうのこうのっていう話ではないんですよね。 自分がどうしたいのか。家族でどうしたいのか。   もうこれに尽きるのです。   夢を見るのは、妄想するのはただ!でもでも、というのをぜーんぶ取り除いて、 一度自由にどうやって暮らしたいのか、どうしたら最高にハッピーなのか、 考えてみるのはいかがでしょうか? 私は住みたいお家を絵心は全然ないのですが、設計図を書いて、最高に幸せな気分になりました笑   あーあの思い描いたお家に住みたい!   さ、そのためにも頑張ります!   セカフザ、もしこの記事をお読みの方でご興味があればぜひ読んでみてください。 世界一ふざけた夢の叶え方   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 1歳10ヶ月アメリカで断乳!断乳後のケアはどうするか?(後編)~駐妻の憂鬱

    こんにちは、かさまりです。   前回『1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱』では、 1歳10ヶ月のリコと、どうやって断乳したのか? そしてその後の親子関係はどうなったのか、 についてお伝えしました。   結果的にもう私たちのタイミングだったんだなーと、ハッピー断乳ができたと思っています。 (現在断乳してからちょうど1週間、娘は特にパイを欲しがることはありません。)   今回は、 「じゃあ断乳後のケア(処理)ってどうしたの?」 というお話です。   これは私が自分なりに痛みと戦いながら調べまくってとったセルフケア方法ですので、 正直これが正しいのかどうか、わかりません。 ただ、10日経った今はもうすっかり痛みはなく、母乳も絞ればちょろっと出ますが、母乳が張ることはありません。   専門家でない私がこのような情報を出すのはどうかな、とも考えたのですが、 私も本当に苦しんだので、いつかどなたかの参考になれば! という想いで今回は書かせていただきます。     アメリカでの断乳後のケア方法   リコと私はほぼいきなり断乳をしたのは前回書いた通り。 ですが、私のパイは1年10ヶ月経ってもまだまだ出るパイでした。   現在4歳半のハルの時から、実は私はかなり母乳の分泌量が多いパイでした。 シャワーのように出てしまって、母乳パッドは欠かせない、 そして最初は少し搾乳してあげないとむせてしまうくらいの量で、 それはそれで苦労しました。   (アメリカにも母乳パッドは売っていますので、同じ悩みがある方、ご心配なく! ちなみに電動搾乳機もあります。 州によっては保険会社がくれたりするので、是非とも保険会社の規約を見るか、聞いて見ましょう。 私も最新の電動搾乳機をバージニア州で無料でもらいました! しかも5個くらいから選べるというとても良いシステムでした♪)   母乳パッドはこちら 保険会社から頂いた電動搾乳機はこちら 電動搾乳機は強すぎてよろしくない、という話もありますが、 これは強さを自分で調整できて私はよかったです。 (乳腺炎の時や、新生児の時にあげる前に圧を抜いてあげるために使っていました。)     話が逸れました。   そんなかなり分泌量が多い母乳だったので、恐怖だったのは断乳後のパイ。 しかもいきなり断乳することにしたので、徐々に減らして分泌量を減らして・・・という手段もとりませんでした。   日本では桶谷式や、産院でケアを受けることができるかと思いますが、 アメリカではどんなに調べても何も出てきませんでした。   ママ友に聞いても、みんな全く覚えていない、というようなコメント! なぜ! むしろ8ヶ月とか、早い段階でやめているから、もっと母乳量が多い時期にやめたはずなのに、みんな覚えていないというのです。   しつこく掘り下げて聞いてみたところ、 ・普段から搾乳機、そしてミルクの併用していた ・やめると決めても搾乳機を使ってしばらく搾乳を継続、その期間を徐々に長くする   ということをやるようです。   自分である意味コントロールしていくということですね。   だからこそ、保険会社で配るくらい、搾乳機はアメリカに住むママたちにとっては欠かせない存在、ということなのかもしれません。     では、私はどうした??   先ほども書いたように、私とリコは突然やめることに決めました。   リコにとってはそれが受け入れやすいやり方だったのかな、 そして私の精神的にも受け入れやすかったな、と思うのですが、 このやり方を受け入れられなかったもの・・・それは私のパイ!   やめるその日の午前中まで、リコは好きな時に服をめくって飲んでいました。 それこそ家の中でも外でも。 抱っこ紐のエルゴは便利で、フードさえすれば、外でも授乳ができます。 これまで1度もあげていると気づかれたことはないです。 飲みたい時に飲ませていたので、回数は数えてませんが、夜寝ている間も含めて10回くらいは飲んでいたでしょうか。   そんなリコがよくすんなりやめられたね、とみんなにびっくりされますが、 一番びっくりしたのはきっと私のパイでしょう。   今までフル稼働だったのに、突然の業務停止。 でもミルクラインは止まらない!   というわけで、当日の夜からガッチガチのおいわさんになりました。 絆創膏にはうっすらシミができるほど少しずつ漏れ流程、パンパン。 そして、肩から脇にかけて全部痛く、触られるだけで叫び声を上げてしまうほどの激痛でした・・・。   痛すぎて思わず 「ニューヨーク 桶谷式」   と検索をかけたほど。 でも見つからないので、とにかくなんとかセルフケアをするしかありません。   とはいえ、リコに気づかれないようにケアをするのは至難の技。 キャベツ湿布がいい、などと言いますが、そんなものを作る余裕も、 貼っておく余裕もありません。   応急処置として私が行なったのは、手を冷水で冷やし、それをパイに当てる。 まずはこれを繰り返しました。   そうするとだいぶ痛みは一時しのぎではありますが、軽減されました。   そして、目からウロコ、あんまりにイタイイタイ言っていたら、 現地のママから一言。 「鎮痛剤飲めばいいじゃない」     その手があったかーーーー!   確かに授乳していないので別に飲めばいいんですよ。 というわけで、市販のタイレノールという鎮痛剤を飲みました。 これでだいぶ楽になりました。 もし苦しんでいる方がいるなら、もう遠慮なく飲みましょう。     残った母乳との戦い   痛みは鎮痛剤でなんとかなりましたが、とはいえガチガチおいわさんが 治ったわけではありません。 おまけに、鎮痛剤があっても、やはり触られたり上に乗られると息を飲んでしまうほどの痛み。 そして古い母乳=血がどんどんパイに溜まるので重たくてだるいのです。   でも、出産直後から母乳と戦ってきたみなさんならわかるでしょう。 そうです、母乳は出せばまた作られてしまうのです。 ですので、作られないようにするためには、出さないようにしなくてはならない。   それでも、矛盾することを言うようですが、溜めすぎてしまうと乳腺が詰まって下手すると乳腺炎、つまり高熱を出すことになります。 さらにはこの後この古い母乳を排出しなくてはいけないので、それはそれでものすごい痛みを伴います。   私はとてもよく出る母乳でしたので、多分乳腺炎一歩手前まできていました。 パイは熱を持っていましたし、触るだけで痛い、これって乳腺炎の症状ですよね。   私はあんまりに痛みがひどい時は洗面所やシャワーで少しだけ圧抜きをしました。特に元気な太い乳腺が痛みを伴っていたので、そこを集中的にケアしました。   ケアの方法は、 少しだけ乳輪付近を刺激して、母乳が出るようにする。 乳房全体を両手で包み込み、おにぎりを握る要領で手の平全体で押す(そうすると溜まりきっているぶんが出ます) 痛みが強い部分の乳腺を意識して、手の平全体を使って入林に向かってマッサージをする。外から内側に向かって手の平全てで押すイメージです。   と言う方法を、時間でいうと両方で5分ずつくらい、最初の3日は行いました。   そして色々と調べてみると、断乳3日目に一度全て排出してオッケーとのことだったので、 上記の要領で少しずつ、30分くらいかけてシャワーの中で排出しました。   リコに見つかりたくなかったので、早朝、みんなが寝静まっている時に一人でシャワーを浴びながら実行しました。 最初は乳腺炎の時に出てくる、どろっとしたものが、そして徐々に半透明の見慣れた母乳が出てきました。   あーでもこれはもう古い母乳なんだな、というかもはや白い血だな、と実感したのは、出てきた母乳の冷たさを感じたとき。   今までリコが飲んでいたときは体温ほどの暖かさのある、ぬくもり溢れる母乳だったのが、今出てきているものはとても冷たくて、ついでにパイも冷たい。 それを感じた時に、あーもうこれでリコが飲むことはないんだな、と少しだけ感傷に浸りました。   でも、それ以上にこの古い母乳を出してスッキリしたこと!!!   4日目以降、1週間まではまた圧抜き、1週間後にまた排出して、 だいたい終了しました。   2週間経った今、残ったのはしょぼくれたパイと、かぶれてしまった絆創膏跡です。     痛みはずっとは続かない!!   最初の3日、痛すぎてやっぱりあげたい、と思うことも正直何度かありました。 それくらい痛くて痛くてもうパイのこと以外何も考えられないくらい、辛かったです。 でも、最初の3日を耐えたら、大丈夫。痛みは引きます。 その3日間は乳腺炎と同じなので、なるべく脂っこいものは食べないこと、そして水分も摂りすぎないこと。 でも、その3日が終われば、お酒がフリーダムに飲める! これ、パイで出てきちゃうかな、とか、乳腺炎になっちゃうかな、と考えなくて済む!   そして何よりも新しい子供との関係が待ってる!   そう思ってどうか頑張ってください! 私ももし万が一、3人目ができて、同じく断乳する時には、この記事を自分自身で読み返そうと思います。   それくらい、この3日間は終わりがない気がすると思いますが、終わりますので!   10日経って、精神的な変化   さて、この10日間、やはり身体にとっても大きな変化だったのではないかと思います。   専門家ではないので、正確なことはわかりませんが、多分ホルモンバランスが変わったのではないかなーと思います。 私は実はまだ生理が戻ってきていないのですが、やめてからすぐに腰の痛み、重みがありました。 そして生理前の憂鬱な気分、ネガティブな気持ち、そういうものがありました。   でも、それもこれも今まで血を母乳に変えてくれていた体が、元に戻るためのもの。   そうやって自分の体、お疲れ様、という気持ちで過ごすことでやり過ごしています。(まだ少し現在進行形です)   そして何よりファッションが!!全然違う!! しょぼくれパイになったので、今まで来ていた服に猛烈な違和感を覚えています笑 でも、ここまで約5年もの間、役割を果たしてくれたパイ。   何はともあれ、お疲れ様。と言ってあげたいです。   何より、夜しっかり寝るようになったリコ、そして母乳を排出しない分、体力に余力が残るようになったので、この少しネガティブ期を抜けたら、いつも寝落ちしてしまって朝まで寝てしまっていたのが、少し夜更かしをして旦那と話したり、一緒に寝て早く起きて仕事をしたりするのが楽になる、それが楽しみで仕方ないです!   罪悪感なく飲むビールも美味しい〜♪   というわけで、私が本当に辛くて辛くて調べまくって実行したこの方法が、そして耐えたら終わるというこの情報が、誰かの役に立ちますように・・・!   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 人生の目覚まし時計ってご存知ですか?~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。   突然ですが、この「人生の目覚まし時計」というお話、ご存知でしょうか? 個人的にその目覚まし時計が鳴った、そしてエンジンがかかったタイミングが最近あったので、今日はそのことについて書きたいと思います。     人生の目覚まし時計のお話   目覚まし時計、もちろんこれは目を覚ますために使うものですよね。 では、人生の目覚まし時計とはなんのことか?   私が聞いた話の中では、これは死を意識するとき、鳴るものだ、 と出て来ました。   ある日、突然余命を宣告される。 ある日、突然会社をクビになる。 ある日、突然体が動かなくなる。   正直このようなことは、健康で、ホームワーキングスタイルをとっている私にはピンとこないというか、 いつか訪れる可能性があるということは認識しているものの、 自分事として捉えることができないものでした。     旦那の上司が変わった!   それが、先日、私の中で「ジリリリリリリリーー」と目覚まし時計が鳴った瞬間がありました。   ヘビーな時計ではないです。 そして私の目覚まし時計ですので、はたから見たらそんなことと一緒にするな!とお叱りの声もあるかもしれませんが、 私の中では確実に鳴ったのが聞こえたのです。   それは、旦那さんの大ボスが異動になるという出来事。 大ボスが変わる = 方針・体制が変わる = 旦那さんの日本帰国ももしかしたらあり得る   。。。そういうことなのです。   せっかくあと1年は安泰らしい、、、かなと思っていたのに!     時間は有限である、そのことの再認識   私の中で目覚ましが鳴ったと感じたのは、おそらく 「時間が有限だ!」 と強く感じたからです。     私がホームワーキングママを目指そう、最初にそう思ったのは、 旦那さんの帰国するかもしれないという状況になっていた、今から8ヶ月前。 その後の日本での暮らしを考えた時。 前の会社に戻るために今でもスタッフとして籍は残しているし、仕事も一緒にしているけれど、 本当にあの生活に戻りたいのか? 保育園に1番最初に連れて行き、1番最後にならないように走って送り迎えをする生活。 そこまでしてやっているのに、なかなか思った成果が出せなくて苦しい、やるせない生活。   おまけに今度は一人でなくて二人。   でも、会社は退職してしまっているので、履歴書的には3年の空白。 おまけに乳幼児の母。 こんな自分を新たに雇ってくれるところなどない・・・ 戻るしかないのか!!?でも嫌だ!   そう思った時に、アメリカにいる間に私が前の会社でもらっていたお給料よりも 稼げるようになったら。 そしたら保育園に走らなくていい!   もうその一心で始めました。     時間が有限なのはすぐに忘れてしまう   その一心で始めて、少し軌道に乗り出したところで運良く帰国は免れることが判明したのが3ヶ月前。 以降、一生懸命走って来たつもりではあるし、稼ぎも増え続けてはいるのですが、、、 なんとなく気持ちがだらけていました。 朝早く起きられる日も減っていたし、あーこれもやらなくちゃーでも明日でいっか、そう思う日も増えて来ていました。   あんなに強く思って始めたことなのに、なんとなく気持ちが薄れていたんですよね。   なんとなく、ずっとこのままここに住めるんじゃないか、 旦那が仕事を変えない限りはそんなことありえないことなのに、 なんとなくそう思ってしまっていたのです。   ですので、今回のこの大ボス交代事件は、私の目をまた覚ましてくれました。     人生の目覚まし時計の話の続き   この、時間は有限であるという教訓、実は続きがあります。 このお話を教えてくれた方が言っていたのは、 「もし最愛の人が病気であと半年しか生きられないと知った時、 その愛する人が持っている願いを叶えてあげられるか。 それはやっぱりお金があるかどうか、それで変わってくる。」     悔しいけれども、そうなんですよね。 こんなに大袈裟なことでなくても、お金がないと惨めに思うことがあります。 そして、何より窮屈。   自分が日本に帰るとき、どんな生活をしたいのか。 アメリカの大きな家に慣れてしまった自分はどこに住みたいのか。 旦那さんにどれくらい家にいて欲しいのか。 広い家に住みたいけれど、都会ではなかなか難しい、少し郊外に行くと通勤時間が長くなる。 都会が便利だけれど、お金がかかるから私も働かなくてはいけない。 でも果たして保育園があるのか・・・。   以前の私はこの「帰るかも」事件のたびに、帰ることに対して目を背けたい気分になっていました。 だって、考えたくないことが多すぎるから。   住むところ一つにしても、自分の願望を必ず何か犠牲にしなくてはいけない。 お金のことを考えると、自分も働きに行くしかない。 でも履歴書に3年間のブランクのある、1歳と4歳の子供を抱えたママを雇ってくれるところなんてあるのだろうか。   もう、ちょっと考えただけで憂鬱になるので、 「帰ることが決まってから考えよう」 と思考を止めていました。   でも、今回の「ジリリリリーーーー!」では、 単に、しまった、だらけてた、自分! このアメリカでの生活を無駄に過ごしていい時間なんて1分たりともない、そのことでした。   行動に出たおかげで、今回、自分の目覚まし時計への捉え方がずいぶん変わったなーと思ったのでありました。     私にとってのもう一つの目覚まし時計・・・   いつもこんなことを考えるとバカねーっとみんなに言われるのですが、実は私にはもう一つ、目覚まし時計があります。   それは、幼稚園への送り迎えでたまに通る道にある、高校の前を通る時に鳴ります。   アメリカでは、16歳から運転ができて、割とリッチな子供達が多いその高校では、多くの高校生が車を持って、運転しているんです。   車が運転できるようになると、子供達も色々と自分の力で遠くに行けるようになりますよね。   それを見るたびに、 「4歳半のハルと一緒に過ごせるのもあと12年か・・・・」 と考えてしまうんです。   ハルが生まれてからすでに4年経っているので、16歳まではすでに4分の1も経ってしまっているのです!!!!   リコは1歳ながらにしてとても自立心の強い子なので、もっと早くから巣立つかもしれません。   今は毎日とても狭い思いをして一緒の布団で、二人に寄り添われながら寝ているけれど、それが終わってしまうのはもう間も無くでしょう。   いつも高校の前を通るたびに、私の子育てやライフスタイルに対する目覚ましが鳴るのです。   私が子供たちとどう過ごしたいのか。   そんなことを考えるのです。   四六時中一緒にいるのは疲れることだけど、 一方で好きなだけ甘えさせてあげられて、 友達と遊ぶのを見ることができて、 なんてありがたいのだろう、 もっとありがたみを感じないといけないなーと思うのです。   やっぱり、 日本での保育園に走って迎えに行く生活と、アメリカに来てから四六時中子供と一緒にいる生活を両方経験して、 そして、このもう一つの有限の時間の考え。 どちらがいいか?と考えると、 やっぱり私は家族と、子供と一緒にいるライフスタイルを今は送りたい! そしてそれを選ぶために行動に出てよかった、と思うのです。   家事もきちんとするのも大の苦手なは私にとっては試練の毎日ですけどね!!   『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱

      こんにちは、かさまりです。     ここ数日、実は体調不良で生きるのが精一杯でした。   何か・・・それは断乳によるパイの痛み!!   しかし、1週間経った今、ようやく落ち着きました。   私には2人の子供(いま4歳半の息子、ハルと1歳半の娘リコ)がおりますが、 今回(前編)では私と下の娘、リコの断乳のお話を中心に書こうと思います。 次回(後編)では、どうやって断乳後処理をしたのか、まとめますね。     断乳を決断した理由 私は上の息子ハルが産まれてから幸いなことによくお乳が出たので『完母(完全母乳)』、そして一貫して『卒乳派』でした。 と言うか、なんでも基本的には子供は本能で時期や必要なことを察知するだろう・・と言う考え方です。 ですので、公園でも子供たちがびしょ濡れになろうがなんだろうが遊びたいなら水の中へ、階段も登りたければちゃんと見張っている中でやらせる。 そうすることで危険を察知する力なども養われるんじゃないかなーと思っています。   なので、もうパイがいらない!と思う時期も自分で決めて欲しい、とハルのときから思っていました。   結果、ハルの卒乳は3歳半。 そうです、ずっと妊娠中もお腹が張らない限りはあげていました。 一時期、2人に同時にあげていたこともあります。 今考えると相当おかしな姿!しかもハルは人一倍大きいのに、3歳半まで。 なんとまー、異様な姿だっただろうと今になって思いますが、 それでもあげきった、と思えるパイ生活でした。   やめさせたきっかけはまだ小さいリコに風邪をどうしても移してしまうから。 それが耐えきれず、説得してやめました。     じゃあリコはいつやめる? 現在、1歳10ヶ月のリコ。 いつやめようか、1歳を過ぎてからずっと考えていました。 本来であればずっと本人がやめたいと思うまであげさせたい。   リコはご飯もかなりしっかり食べるし、走るし、ペットボトルでも水分が取れる。 いまやパイは完全に精神安定剤、口寂しさを紛らわらすもの、そして寝付くためのものでした。 正直、もはやなくても生きていけるもの。   でも、私にとっても、リコにとっても、授乳は至福の幸せだったりしました。   しかし。。。   幸せである一方で、夜も数度起きるたびに仕事が中断し私も寝落ちしてしまう、そしてソファーに座るたびに寄って来てめくってくる、外でも欲しがる・・・そのようなことにストレスを感じなかったわけではありません。   いや、ストレスを感じなかった、と言う言い方は嘘です。   ストレスでした。   それでも、私は卒乳させたいんだ、と心のかなりの部分で思い込んでいて、なかなか断乳に踏み込めませんでした。   ハルのときにたくさんの 「断乳ではなく、卒乳を!!」 という情報に触れ、もしかしたらある意味洗脳されていたのかもしれません。     やめるきっかけ~新生児とパイ~ 先日、生まれて1ヶ月の赤ちゃんに会いにいく機会がありました。   その赤ちゃんは小さくて、触っても壊れそうで。   その赤ちゃんが一生懸命パイを飲んでいました。   そんな中、リコはちょこっとやって来て、トレーナーの中に自ら入り、 ちょっとだけパイをして去って行きました。   それを見て、いや、もういいな、と思えたのです。   やめたくない、と思っていたのは私の方で、もうリコはいらんだろう、と心から思いました。     どうやって断乳したか? さて、説得断乳しかしていない私。   どうやって断乳したらいいかわかりません。 すぐにママ友に聞きました。   そうしたところ、、、 パイに顔を描いた、 絆創膏した、 予告して1ヶ月後にやめた。   いろいろ出て来ました。   リコとわたしの性格を考えて、私は予告なしでいきなりやめようと決めました。 リコは超がんこ!変えられるものは自分の力で変えてやる!タイプです。 私はこと育児に関しては「自分で決めさせる」以外にルールがない。 と言うわけで予告すると確実に負けるのです。   そこでとったのがでかい絆創膏作戦!   でかい絆創膏を片方はって見せました。 (両方貼りたかったのですが、やって来てバレてしまったので 慌ててまずは片方になりました・・・)   すごくびっくりしたリコ。   「こっちのパイ、なくなったんだって。」   そう伝えて、もう一方、貼っていない方を見せました。 そちらに少し来たものの、すぐにやめてどっかに行きました。   「(お、これは行けそう。。)」   そしてハルの友だちに夜ご飯まで一緒にしてもらい、 いざ就寝。 よっぽど疲れたのか、コテっと寝ました!     次の日の朝。 3時ごろにパイが欲しくて起きたものの、絆創膏を見て あーそうだった、と言う感じでまた寝ました。 朝5時。喉が渇いて起きて、やはりまさぐりましたが、 また、そういえばなかった、と言う感じで、   「カルピス飲む?」   と聞いたら立ち上がり、一緒に起き出して飲みに行って、そこから 起床。   その日、次の日とたまにパイを日中見に来ますが、基本的には欲しいと泣くことはなかったです。   困ったのは寝入り。 今まで添い乳でしか寝ていなかったので、昼寝はどうやって寝たらいいかわからない、夜も寝付くまで1時間ほど、ゴロゴロしたり、遊んだりしていますが、1週間経った今、ギリギリまでママのそばにいて、寝入る時に自ら離れる、と言うスタイルになりつつあります。 寝入るまでにかかる時間も1時間以上かかっていたところが、1週間経った今、30分くらいになっています。   最初の3日くらいは10分くらい、手をつけられないタイプの夜泣きをしていて、その時はもうどうしよう・・・と途方にくれましたが、1週間経った今はそれもなく、夜1度も起きないで寝ていてくれる日も。   断乳までは、1日に2、3回は当たり前のように起きて添い乳していたので、この変化にはびっくりです。     もう準備が整っていた、手放せなかったのは私の思い込み 1週間経った今、もうパイの絆創膏もいりません。 見に来ることもなくなりました。 晴れて卒業できたようです。   今までスキンシップといえばパイ、でしたが、むしろわざわざぎゅーしにきたり、私の上にゴロゴロしにきたり、スキンシップを目的に寄って来てくれるので、可愛くてメロメロです。   パイ、息子の時にはやめさせるのがとても遅かったです。 今回も、できるならしたくない、と自分が思っている、と思っていました。 そして娘もきっとそう思っている、と・・・。   私がパイ辞めたくなかった理由、深ーく深ーく考えると、実に自己中な思い込みだったように思います。   一つはあげれば寝せることができる、外でもおとなしくなる、と言う利便性。 本人もまだやめたくなさそうだからいいだろう、と言う気持ち。 そしてもう一つ。実は前ほどそばに寄って来てくれないのではないか、パイという繋がりがなくなったらママの役割は終わってしまうのではないか、、、はたから見たらそんなことは絶対ないと分かるのでしょうが、私は大真面目にそう思ってました。   だから、ママの存在意義を残しておきたい。   そう思って踏み込めなかったのです。   でも、それは完全な思い込みでした。   ママってもちろんパイだけのために存在するわけではないですよね。   パイの繋がりがなくなっても、リコはママを大好きでいてくれます。   そしてパパにもより一層懐くようになりました。   1つ手放して、たくさんのものを手に入れた気がします。   もうパイをあげながら目を合わせ合うことはないけれど、その分たくさん一緒に遊んで、ギューして、新しい関係が始まったのです。   わたしとリコには、この1歳10ヶ月のこの時期が、タイミングだったようです。     断乳、卒乳に正解はない 今、現役でパイをあげているお母さんたちも、いつか迎える、 パイを終える時期。   巷ではほんとにたーくさんの情報があったり、友人や親に色々とアドバイスをもらったりすることもあるでしょう。 私自身もたくさん調べたり、ママ友と情報交換したりしました。 その中で卒乳がいい気がする、と思い込んでいました。   でも、自分がこうして終えてみて思ったのは、これは「人それぞれ、それぞれのママと赤ちゃんの物語」、なのです。 ハルと私。 リコと私。 それぞれの終え方をしましたが、一番大事なのはママが納得した終わり方ができること。   終えてみて、とても体力が復活しました。いつも疲れていたのが、随分と元気になったように思います。 それだけ、命を削ってパイをあげていたんだな、と。   だからこそ、ママが決めればいい。 そして赤ちゃんとの間でお互いに納得できる終わり方、新しい関係を作ればいいんだな、と、パイは終わるけど、違う扉が開くんです。   薬を服用しないといけなくなってやめなくてはいけない人もいるでしょう。 噛まれて辛くなったり、出なくなってやめる人もいるでしょう。 普段は働いているから、帰った後、たっぷり甘えさせてあげたいからあげ続ける人もいるでしょう。   どれも、ママがそれでいい、それがいい、と思えばいいんだと思います。   逆に、辛くなってしまったら、もういい、と思うんだったら、そこでストップしてもいいんです。やめざるを得なかった場合も、そこがやめるタイミングだったんです、きっと。   こちらのママたちはパイに関しても考え方が多種多様、そしてそれぞれの考え方を否定することはありません。   「体を返して欲しかったから早くにやめたわ!」 「もっとあげようと思ってたけど、噛みまくって辛いからやめた!」 「じつはまだまだあげているのよ。」   どれもオッケーなんです。   ネットを見てしまうと、そして友人と話していると 「~~でなくてはならないのではないか!」 と思ってしまうことも多々ありますが、大事なのは自分がどうしたいか。   私にとって、この断乳体験はそんなことが気づくことができる ものとなりました。   さて、今回はリコとママという話を書きました。 後編では、いったいどうやってアメリカで断乳後の処理をしたのか? 断乳後の不安としてもう一つあったのは、「私のパイ、いったいどうなる?!!」でした。 長くなったので、後編では私の体験を書こうと思います!     『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 ~夫がクビになった!?その時・・・~

      こんにちは、かさまりです。   4月から4歳半の息子、ハルの習い事が一気に始まり、送り迎えでバタバタ&シッターさんが今週お休みでどうにもこうにも身動きが取れません。   親に仕事があるように、子供は動き回って、遊ぶのが仕事。それに付き合わないというわけにいかず、なんだか振り回され感が半端ない今日この頃です。   でもニューヨークは一気に春が来て、気候がやや不安定なものの、一気に葉っぱが芽吹いて、裸だった木がどんどんフレッシュな緑を枝につけて来ていて、晴れた日はすごく爽やかで気持ちがいいです。 (花粉がね・・・すごいんですけどね・・・どの車も黄色いです。。。)     住み込みシッターさんがいるお家のお家騒動?! さて、以前、記事でハルの友だちで、住み込みのシッターさんがいるお宅の話を書きました。 「アメリカママのベビーシッター・家事代行事情 〜フルタイム在宅勤務編〜」   最近、そのお友だちのお迎え事情に変化が。   普段はママか必ずお迎えに来ていました。シッターさんは運転ができないから、シッターさんに1歳の娘を預けて、5歳と3歳の息子を迎えに来ていたのです。   ところが、4月に入ってから結構な頻度でパパ登場。   パパと話すと、ママは出張が増えて忙しいから自分がきているとのこと。   でもなー、結構忙しかったはず、パパも・・・。   ちょっと合点がいかないままに過ごしていたのですが、ある日、季節が良くなったので、ピクニックに誘われて、晩御飯ピクニックにその家族と行きました。   そうするとパパお手製のキンパが!   え??!   パパ料理したっけ・・・。   ママに 「パパ料理するんだねー!最近パパがいつもいていいね!」   と声をかけると、 "He got laid off.”   。。。はい、クビになったそうです。     アメリカでは、特に東海岸の雇用主と従業員の関係は、 『いつ辞めてもいいし、いつ辞めさせてもいい。』   「はい、明日からあなたは来ないでください。」 がふっつーにあり得ます。   日本では考えられないですが、逆もオッケー、つまり 「明日から転職先(もっと条件の良いオファー)が決まったので来ません。」   も普通にあるのです。主人の会社の現地採用の方でもどちらのパターンもあったんだ、という話を聞いていました。 そんなもんなんだな、と思っていたのですが、あまり自分ごとになってませんでした。   しかし、今回は3人の子供がいるご家庭でのお話。 日本人の私からするとヒョエーーー!です。 さすがに言葉に詰まりましたよ、そりゃ。   聞くと、ナニーはそれに伴い、さすがに雇えなくなった、と。 1歳の娘はパパが中心に見て、ママが家で働いているとのこと。   でもですね、明るいんですよ。 ピクニックも穏やかに一緒にできるほどに。 日本でこんな事態になったらきっと悲壮感漂いますよね。ピクニックなんてしてる場合じゃないでしょう。     いつクビになってもおかしくない、だから備える パパは、 「専業主夫は僕の夢の仕事さ!」   ママは、 「最初、絶対絶対専業主夫なんて彼にはできないと思ったけど、意外なほどに私より子供たちへの接し方も上手だし、料理はあんまりだけど他の家事はなんでも大丈夫なのよ。」   と余裕の話っぷりになんだか感動しました。   「シングルインカムになっちゃって不安じゃない?」   と聞いたら、   「そうねー。私が転職すればシングルでも行けなくはないけど、ホームワーキングスタイルができなくなるから、まだしばらくはダブルインカムの方がいいかなーでもパパが怒鳴らなくなって、すごい穏やかになったから、夏ぐらいまではこれでもいいかなと思って。」   とのこと。   ママは、自宅勤務というスタイルを取りたかったので、昨年一生懸命勉強をして資格を取っていました。土日に学校に行き、試験も受けて取得して、自分の専門性を高めていたのです。   この、ママの備え。 すごいですよね。     このお家が例外なのか?働くパパ事情   働いていた頃のようなストレスがなくなって穏やかになったパパ。それが嬉しいママ。   このお家がアメリカで特別なのか?   実はそうでもありません。   まず、ハルは英語の勉強のために日本人が一人もいない幼稚園を選んだのですが、お迎えのうち、3分の1くらいはパパです。パパを知らないお家はクラスの中で1組くらい。それくらい週のどこかでパパが迎えに来ます。残りの3分の1がおばあちゃん。そして3分の1がママ。 おかげで、ママ友よりもパパ友、ババ友の方が多いくらいです笑   あるパパは、お迎え以降の時間を子供と過ごすために転職、朝の3時から昼の11時まで働くスタイルに。   あるパパは出張の多いママを支えるためにホームワーキングパパに。   あるパパは木曜金曜は子供と過ごすために早上がりに。   仕事がなくてはお金が生まれないので、もちろん働かなくてはいけないのですが、 どんなライフスタイルがいいのか、 もっというとどんな風に子供たちと過ごしたいのか、 家族と過ごしたいのか、 自分がどうしたいのか、 考えてみれば当たり前の、自分の欲求、願望を中心に仕事も決めているのです。   自分の気持ちが最初に来るからこそ、いきなりクビになっても夫婦できちんと乗り越える備えがある。 そして家族でなんとかしよう、なんとかなる、と解決していくのです。     日本も超ゆっくりながらそうなる、そうなってほしい 2014年、私も日本を飛び出すことになるまでは完全に仕事が中心でした。主人は今でもそうです。 なぜか、それしかないと思っていたから。   そしてそうしないと自分の生活レベルを保てないと思ったから。   その後も主人が仕事を辞めてもいいなんて思えたことはありませんでした。   でも、どうして母が育児や家事に縛られなくてはいけないのでしょう? どうして父が働きに出なくてはいけないのでしょう? どうして仕事は外で、会社でしなくてはいけないのでしょう?   それがしたくて、楽しくてしょうがなかったらいいと思います。 もちろん、すぐに変えるのも無理でしょう、残念ながら。 お金がないと、死にますからね。   でも、『それしかないから仕方ないというのは思い込み』なんだなーと アメリカに来てつくづく思います。   今回見たように、会社は自分(従業員)を守ってくれないところです、アメリカでは。 だからこそ、自分がどうしたいか、めちゃ重要。 でも、日本もちょっとずつですが、そうなっていくような気がします。 というか、本当は今でもそうなのです。日本だって会社は自分を守ってはくれません。 自分を、そして家族を守れるのは自分自身なのです。   当たり前のことなのに、ついつい忘れてしまう、 そんなことを実感させられた、ニューヨークの春でした。   私も旦那が仕事を辞めたい!と言った時でも驚かずにどーんと構えられるように、 私も日々備えたいと思います。     『駐妻の憂鬱』シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/ First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編)日本語教育はどうする?~

      こんにちは、かさまりです。   前回までで、4歳半のハルが現地の子供たちしかいない幼稚園で楽しく通いながらもどうして自分は英語が話せないのか、ポツンと私に聞いて来た話を前編、そしてふとしたきっかけでセナ(Cena)のESLに通うことにしたという話を中編で書きました。   今回は、では日本語はどうすることにしたのか?書こうと思います。   全3回 - 駐妻の憂鬱 英語アレルギーシリーズ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編) 英語教育はどうする?~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編) 日本語教育はどうする?~     私と主人の日本語教育に対する方針 方針、っていうと大袈裟なのですが、私と主人でアメリカに来た時からの方針として、 英語優先。 日本語は自分たちで教えればいい、文字の読み書きは日本に帰ってからでいいというのがありました。 それは、おそらく数年で日本に帰るから、それよりはこれからの国際社会で少しでも英語になじみを持てるように、とにかく英語に注力したい、という思いからでした。   しかし、思いとは裏腹にハルは英語アレルギー。 最初は私が友人を作るのに苦労するくらい、英語が大嫌いでした。   3歳ちょうどから現地の日本人のいない幼稚園に通い始め、先生の指示はわかるし、なぜか男子とはコミュニケーションがなんとなく取れているものの、傍目に見ても話せている、という状態からは程遠い。     一方で日本語はどうか?   他のお子さんもそうであると信じたい!のですが、うちのハルはとにかくYouTubeが何より大好き。 半端ない集中力を発揮するので、こちらが怒って止めさせるか、電源が切れるまで見続けます。 見るのは決まって日本語の動画。 おかげで、丁寧語まで完璧にマスターしていて、大人に話しかけるときはきちんと丁寧語で話しかけるので 褒められます・・・。   が、動画っ子なので、読みも書きもてんでだめ! それでもいいと思っていました。     自分の考えを反省した、セナ(Cena)での塾体験 ところが、私のこの読み書き、というか、教育に対するあまーいあまーい考え方を、セナの授業体験で深く反省しました。   セナの年中さんのためのクラスは「ミディクラス」と言って、50分授業です。 クラスの中では以下のことをします。 季節の学び(桜、春が来たの歌など) ひらがなの読み書き(そのひらがながつく文字を考える、ひらがなをなぞって書く) 工作(展開図や、数字のお勉強) 体を使った数字のお勉強 先生の読み聞かせ 宿題   50分の中で、かなりのことをやってくれます。 それを小さな机できちんと座って聞いたり、書いたり。 先生たちも飽きないようにきちんと工夫してくださいます。   ハルはというと・・・もう夢中です。 一生懸命机に向かって文字を書き、一生懸命先生の話を聞く。 考えて手を上げて発言して、先生に褒められて喜ぶ。 先生に注意されたらきちんと聞く。 (教室には小窓がついていて、中の様子をのぞけます。)   宿題もしっかりと出ます。 名前を書く練習に、絵日記、立体図を数える宿題に、その週習ったひらがながつくものを考える宿題。 これまた本当に楽しそうにやるのです!   私の中での記憶で、宿題が楽しかった思い出は正直ないです笑   ですが、勉強するということ自体が初めてのハルは宿題が楽しくて仕方がない。 セナが楽しくて仕方がない。   宿題の絵日記を一緒に書くときに、 「今週一番楽しかったことを書こうね。何にする?」 と聞いたら、迷わず、 「セナのことかく!」   それくらい、勉強をきちんとする体験はハルにとっては楽しくて仕方ないことだったのです。   今まで正直めんどくさいなー・・・いいよね、自然に任せれば! と思っていた私。   ごめん、ハル。ハルはもっと色々知りたかったんだね。 もっと色々吸収したかったんだね。   これだけ楽しく勉強ができる感覚。 それをしっかりとサポートしてくれるセナ。   この勉強が楽しいのはハルだけなのか??   ここまで書いて見ると、 「私のハル、天才でしょ、すごいでしょ?」   と言っているみたいで、嫌な感じですね笑   でも実は、セナに通うお子さん、かなりの確率でみんな宿題をやるのが大好きなんです。 というか、セナが大好きなんです。   そして親はそんな子供達を見て感動して、もっと通わせようと思う。   私はこれを勝手に「セナの魔力」と呼んでいます。   この親子でかかってしまう、セナの魔力。   なんなんでしょうか。     セナのすごいところ こうやって書いているとセナの回し者のようなのですが、でも本当に本当に感動して、 心からなんでもっと早く通わせなかったんだろう、と思っているので書きます笑   なんでこんなに子供たちが夢中になるのか、考えてみました。 きちんと座って行う授業が新鮮! アメリカの現地の幼稚園は基本的に床に座って何かを聞きます。机に座って図工などはしますが、それも自主的に行うと言った感じで、みんなで一緒に何か机に向かって一斉にやるということがありません。ですので、みんなで同じ文字を練習するという体験、先生にできた!と言って見てもらう体験が新鮮のようです。 何かを一生懸命やって褒められるのが新鮮! もちろん普段の幼稚園でも何かを一生懸命にやって褒めてもらうことはあると思いますが、座って一生懸命やってみたことを褒めてもらう、宿題でハナマルをもらうというのがとても新鮮で嬉しいようです。私も宿題を一緒にやって二重丸やハナマルをつけますが、二重丸の時はとても悔しそうで、ハナマルの時はとても嬉しそうです。 普段はわからない英語の中で生活しているから、わかる日本語をもっとわかるようになるのが楽しい これが一番大きいような気がしますが、普段は小さいながらに劣等感を感じているような気がします。基本がわからない、頑張ってニュアンスで理解する、友達に引っ張ってもらう。そんな日々です。それが、この日本語の授業は書くのは初めてでも、いうことはわかる、バッチリ褒められているのも、注意されるのもわかる。そしてなんとなく動画などでみてきた文字を理解できる。それが楽しくて仕方ないのではないのでしょうか?     親も戸惑っている、勉強の仕方 もう一つ、個人的にとてもよかったな、と思うこと。 それはズバリこの宿題です。   今までも、自分の名前くらいは書けるようになった方がいい、そろそろひらがなに興味を持ってもいいはず、 となんとなく教えてみたことがあります。 ところが、自主的にやるだけだと、お互いに興味も根気も続かない。 だって、誰に見せるわけでも、目標があるわけでもないですから。   でも、毎週宿題が出る。 そうすると何をしたらいいかが明確! やったら本人はママやパパに、先生に褒められる。 親は何をさせたらいいのか、きちんと決まっている。 これはまさにとてもありがたいことなのです。   まだ通い始めて2週間ですが、ハルはだいぶ自分の名前が書けるようになりました。 そして、今までできなかったしりとりが長く続くまでになりました。 これは、しりとりをひらがなを教える工程で先生がやってくれていること、 そしてひらがなの宿題で「その文字がつく言葉を考える」というものがあるからだと思います。   私だけがなんとなく教えていては、しりとりなんてまだまだ先だったと思います。 名前を書くのも、まずはローマ字でかけるところから!と必死で気が回らなかったと思います。   そういう意味できちんと英語も日本語も指針がある、これが本当にありがたいんです。   もしかしたら同じように駐在になったママはこれからどうしよう、となんとなく迷っていらっしゃるかもしれません。   この教育問題、本当にお子さんそれぞれだし、何より正解ってないんですよね。   だからこそ、いいかも、と思ったことは是非ともやってみていただきたい。 私はまだセナに通い始めたばかりですが、 「なんでもっと早く始めなかったのか!!!」 と毎日思うくらい、ハルにはこのやり方が合っていると感じます。   もっと早く始めていたら。 もうハルは幼稚園の大好きなお友だちとちゃんとコミュニケーションが取れていたかもしれない。 もうハルは日本語をもっと好きになっていたかもしれない。 なんとなく4歳半でそんなこと・・・と思っていた自分を殴ってやりたい気分です。   それでも、遅かったけれど、始めてよかった、セナに行くたびに思うのです。   子供によって合うやり方はそれぞれ、お子さんがいらっしゃる方はもしちょっとでもこれが合うかな? とか、この幼稚園、いいかもしれない・・・と思ったら是非とも一回飛び込んでみたらいいと思います。 私自身の実体感で新たな世界が何かしら広がっていると、言えるのです。   駐妻の憂鬱 シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編)英語教育はどうする?~

      こんにちは、かさまりです。   前編では、4歳半のハルが現地の子供たちしかいない幼稚園で楽しく通いながらもどうして自分は英語が話せないのか、ポツンと私に聞いて来た話を書きました。   今回は、その解決策としてどうすることにしたのか、まだ現在進行形ではありますが書こうと思います。   全3回 - 駐妻の憂鬱 英語アレルギーシリーズ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編) 英語教育はどうする?~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編) 日本語教育はどうする?~     ニューヨークの幼稚園での英語教育事情 アメリカでは日本の年長さんに当たる年齢、つまり5歳からキンダーガーデンというところに基本的には通います。 (私立など、一部システムが違うところもありますが、公立を選択したら基本的にはそうなります。)   この5歳からのキンダー、もちろん全て英語です。   ですが、さすが移民の多いアメリカ、英語が母国語でない子供達も たくさんいます。   そのような子供達のための補習授業システムがESL(ENLに来年度から呼び名が変わるそうです。)です。 ESLの略は”English Second Language” (ENLは、”English New Language”)。 現地の子供達の国語(英語ですね)の時間などに別の教室に集められて特別授業を行ってくれます。   キンダーガーデンに入るときに、レベル分けのテストがあり、そのテストの結果により、このESLにどれくらい通わなくてはならないのかが決まります。   ハルは9月からキンダーですので、テストはこれから。 5月の下旬にあるので、今からドキドキです。   このように、キンダーガーデンでは比較的手厚い補習を受けることができるのですが、幼稚園(プリスクール)では残念ながらESLシステムははありません。   ですので、現地校にいったとしても、子供達の英語適応能力によって、大きく差が出てしまうのです。   子供の性格によっては、特に何も違和感なく過ごすことができる子もいるでしょう。   実は私が小さいときにアメリカに来た時はそうでした。 母曰く、あまり何も感じないで、気づいたら英語の読み書きができる、 という感じだったようです。   私の友人も私と同じ時期にアメリカに来ているのですが、 同じく4歳半の女の子がいます。   その子は、幼稚園に行って他の子達に英語で話しかけられて 開口一番、こう言ったそうです。 「あんた、何言ってるの??」   もちろん日本語、3歳児です。 この女の子はすぐにルー大柴のようになり、 今ではペラペラと英語を話すそうです。 先日会いましたが、日本語と英語を上手に使い分けていました。(むしろ英語寄り?)   一方のハルはかなりの慎重派。自分で理解ができていないことを、 とりあえずやってみるということが結構苦手なタイプです。   言語は理解できた、というふうに思えるようになるまでかなり時間がかかりますよね。   というわけで、現在進行形で本人も苦労しています。     英語と日本語の幼稚園や塾 ニューヨークは幸運なことに、日本語の幼稚園も、そして公文や英語を教えてくれる塾、そして家庭教師など、選択肢が豊富です。   日本語の幼稚園は私の住むニューヨーク ウェストチェスター付近は、 子どものくに幼稚園 さくら幼稚園 グリニッジ国際学園   などがあります。どこも友人のお子さんが通っていますが、それぞれの良さがありますので、 ぜひ興味のある方はホームページで確認したり、実際に見学に行ってみてください。   私は主人と話した結果、ここまで英語が苦手なハルが一度でもこのようなところに足を踏み入れたら、二度と現地の幼稚園に行きたいと言わないだろう、ということで体験もしないことに決めました。     英語アレルギー、ハルへの決断 というわけで現地校(幼稚園、プリスクール)にいっているハル。 もちろん日本人は一人もいません。 最初は幼稚園で毎日6時間も英語に触れているんだからこれ以上はいいのではないか、そして日本語は日本に戻れば読み書きも勉強せざるを得ないんだし、いいのではないか、と思っていました。   でも周りのキンダーに行っている友人たちのお子さんの苦労話、 そしてたまにもらう1歳年上の子供達からのお手紙・・・ちゃんとひらがなが書けている! だ、大丈夫かなハル・・・ と漠然としたモヤモヤがありました。   このままのほぼ放置の言語教育、いいのか!! いや、ダメじゃない!? 超遅ればせながらこの4月、幼稚園卒業2ヶ月前にして思ったのです。   とにかくまずは英語。 幼稚園の友達と少しでもちゃんとコミュニケーションをして卒業させてあげたい。 そしてキンダーに行った時に少しでも戸惑いが少ないように。   ということで、私が門戸を叩いたのは 「セナ(Cena)」でした。 https://ameblo.jp/cena-yb/     しっかりとした「塾」セナ(Cena) このセナは、日本でも塾展開をしているenaの幼稚部です。 Enaも併設されていて、勉強に来ている小学校高学年、中学生、高校生もいます。 いわゆる、「塾」、と言った感じですが、幼稚部は広いお部屋とマットレスなどの運動道具、そして小さな机や椅子があります。   こちらに興味を持った1番の理由。。。   それは友人たちがお子さんを日本語のために通わせていて、 子供達がとても喜んで通っていること、そして宿題もたっぷり出て、 お家で楽しくそれをやっているということを聞いたからでした。   春休み、やることないなーどうしようーと思っていたところに、 春期講習がある、そしていっぱいになりつつある、と聞いて、 慌てて行ってみたところ、   「明日普通授業の体験します?」   と言ってもらえたので、ふたつ返事でOK。試してみることにしました。   英語を教えてくれる「ESL」、 そして日本語を教えてくれる、「ミディクラス」。 どちらも無料で体験して良いということでしたので、両方受けることにしました。     初めての塾、ハルの反応は? さて、4歳半のハル、今まで一度も塾はおろか、習い事をしたこともほぼありません。(今までは、ママと一緒系のみ。)   出かける際に 「今日は、セナに行ってみるよ~」 と言うと、普通に車には乗ったものの、 いざ教室について離れようとした瞬間、号泣。 雰囲気に飲まれて、ママがそばにいないことが不安だったようです。   優しいセナの教室長がそばについてくれて、ESL、英語のクラス開始。 ドア越しに様子を見ることができたので、ハルに悟られないようにそっとみていました。   英語のクラスは現地の明るいお姉さんが先生、生徒は5人、全員日本人です。 カリキュラムとしては、 英語の挨拶 本を読みながらその日は色の勉強 その日の文字の勉強 体を使いながら先生の指示に従う習い事 先生の質問に答える形での自己紹介   最初は不安そうに教室長のそばにちょこんと座っていたハルも、超優しくて明るい先生、 そしてみんな日本人だけど英語を話す、という環境に10分くらいで慣れて、そのうち教室長がそっと離れても気づかないくらい楽しんでいました。   ここがポイント。 「同じ日本人が習う、英語教室」 とにかくスピードが違うのです。そしてきちんと1つのセンテンスを言うまで待ってくれる。 ひとつひとつの文字と、言葉をゆっくりと丁寧に教えてくれる。   これは目から鱗体験! 現地校で決定的に足りなかった、ハルに必要な補習でした。 生まれた時から英語しか聞いていない人と、だいたい日本語の基礎部分ができてからアメリカに来たハル。 家でも英語が行き交う人と、家では100%日本語のハル。(一時期英語に切り替えようとしたのですが、ハルの激しい抵抗と戦うのに疲れてやめました・・・)   こうやって考えるとハルは現地校では追いつきようがなかったのです。   必要なのは、ゆっくり丁寧にセンテンスを教えてもらって、復唱できる環境。そしてそれができて褒めてもらえる雰囲気。英語ができた!という感覚でした。     ハルの気になる英語の成果は? 母感動 ハルは行った初日から、センテンスが話せるようになりました。 今までは単語だけだったのに。 簡単なセンテンス、   “My favorite food is icecream.”   はい、簡単なセンテンスです。 でも、このセンテンス、私は一生忘れないくらい感動しました。   この2年半、ずーーーっと悩んでましたから!   もちろん、入ることはすぐに決めました。 授業料は月に96ドル。安くはないですが、宿題もきちんとでて、 センテンスも話せるようになるなら、良い投資だと思います。     何より、ハルがとっても楽しそう! 一緒に通う子たちと同じレベルで英語が学べる。 自分が話せる英語が「全然ダメな英語」ではなくて、 「褒められる英語」という体験。   ちょっとずつ自信にもなっていると思います。   長くなって来たので、日本語教育については後編にてお伝えさせて頂きます。   駐妻の憂鬱 シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~

      こんにちは、かさまりです。   「子供だから、現地(英語圏)に行けば英語慣れるの早いでしょ。」   これ。多くの方が考えていることだと思いますが、そうでもないんです。 2012年9月にアメリカに来てから、ずっと悩んでいました。 これ、正解がないと思うのですが、ズバリ、タイトルの通り、当時2歳、現在4歳半のハルの語学教育です。   2歳から1年以上、英語アレルギーでした 最初の赴任先はバージニア州、レストン。 こちらは本当に日本人がいない! レストンに日本語を教えてくれる公立の小学校があるのですが、 それでも街歩いててもほぼ日本人に出会うことはありません。   コンビニのお兄さんに聞いてみたら、 「うーん、インド人はたくさんみるけど日本人は見たことないな」   と言われるレベルで日本人いませんでした。   2歳のハル、来た当時の日本語はというと、全然話しませんでした。 こちらのいうことはほぼわかる、でも喋らない。ひいおばあちゃんにそろそろ病院で診てもらったほうがいいのでは?と心配されるレベルでした。 正確にいうと、一文字会話をしていました。 アンパンマン→「ア」 ばいきんまん→「ば」 アンパンマンの主題歌(そうだ、恐れないで、みんなのために、、、) →「そ・・お・・み・・・た・・・」   ウケることに意外とこれで親子ですと会話が成り立ってしまうんですよね。   そんな日本語レベルでした。   つまり、ちょうど日本語というものを認識し、理解し、自分で活用しようとしているレベル。   そんな中で英語だらけの世界に来たので、パニックになっていました。 まぁ、大人でも全然知らない言語の中にいきなり放り込まれたらびっくりしますよね。   ハルは幼いながらに論理的?頭で理解しないといけないタイプで、積み木は積むのが好きなタイプ。(ちなみに1歳半のリコは破壊専門です。)   言語の遅いのも、自分で納得できるレベルになるまでアウトプットしないからなのではないか、と親なのでいい風に解釈していますが、そんな性格なので、本人の中では、 「(え?ええ??)」 という感じだったのだと思います。   とにかく英語が嫌で、でも英語しかない。児童館に行っても英語しか聞こえてこない。   結果、ハルは児童館に行ってもおもちゃの家に一人で入ったきりでてこない。一緒に遊ぼうと入ってきた子たちを渾身の勢いで威嚇する。 せめて音楽だけでも、と児童館でやっていた音楽教室に行っても逃亡。 私が英語で他のお母さんたちと話しているとワーワー泣きわめき、そのお母さんたちから引き離そうと引っ張る。   私まで友達ができなくて本当にノイローゼになりそうでした。   それを救ってくれたのは日本人とドイツ人のハーフのママで、 見た目が日本人、しかも日本語が少し話せる、ということでハルもなつき、 ぎりぎりレストンのコミュニティに入っていけましたが。     無理やり英語の世界?それとも日本語の世界? この壁は、幼児を抱えたどのお母さんも悩んでいたように思います。 無理やり英語の世界にどっぷりにするのか、そんなに嫌ならばと日本語に向かうのか。 バージニアもワシントンDCが近いこともあり、日本語の幼稚園もありました。 そちらに通っているお母さんたちの話も聞いたりしました。   悩んだ末、バージニアでは、『外では英語、家では日本語』としていました。 ニューヨークに来た今も、基本的にはその方針は変えていません。   やはり小さいとはいえ、立派な人格のある一人の人間です。 ハルの性格上、どこかで気が抜けるポイントを作ってあげたい、 そう思って家では日本語としています。     こだわった幼稚園選び その代わり、幼稚園は朝の9時から15時まで、一人も日本人のいない(英語だけの)環境です。 実は幼稚園は本当に探しに探しました。 バージニアでは7件、ニューヨークではなんと11件見に行きました。   最初のバージニアでの幼稚園はモンテッソーリ。お兄さんやお姉さんがいる異年齢教育がハルにはいいかな、と思ったからです。 実際に3歳当時、最も仲よかったのは5歳の男の子。とてもよく面倒を見てくれて、楽しく通ってくれていました。   ニューヨークでは予算や雰囲気がハマると思えるモンテッソーリがなかったので、こだわったのは ・ここでもやはり日本人がいないこと、 ・そして広い園庭があって、 ・外での遊び時間が長いこと。   ニューヨークに引っ越して来た時のハルの英語レベルは、なんとかギリギリ先生の指示はわかる程度。たまに先生の指示の真似はしますが、自分の感情を自由に表現できるなんてまだまだでした。(今もなのですが、それはまた後編で!)   ですので、直感的に必要だと思ったのが、外遊び。外で走り回る分にはまだ4歳、特に男の子なので言葉はあまり要らないかなと。   バージニアからニューヨークに移っていくつか幼稚園を見学する中でびっくりしたのが、『園庭の狭さ』でした。 遊具がきちんとある幼稚園はまずとても少なく、それどころか、50人以上の幼稚園児がいるのに園庭が10人も入ったらいっぱいになるようなサイズのところばかり。走り回るところもない、というところがとても多かったのです。 やはりニューヨーク、土地が田舎といえどバージニアより高いし、狭いんですね。   もう一点、こだわったのはとにかく毎日、なるべく長く通うことができること。 家で英語を使う習慣がない分、幼稚園にいる時間を長くすることで、慣れさせたいと思ったのです。   結果的に、今の幼稚園にして本当に良かったと思います。 先生自身も移民だったことから、言葉の壁があることに対してとても理解がある。そして思いっきり外遊びをさせてくれる。 外遊びがあれば、やはり言葉はいらないようで、男の子たちでワイワイと遊んでいます。   さすが移民の国、お母さんたちも子供たちが純粋に 「なんでハルは英語話せないの?」   と聞いてくるようなのですが、   「ハルは日本という国から来たのよ。今勉強している最中なの。 わからなかったら助けてあげてね。」   と言ってくれていて、男の子たちも理解をして一緒に遊んでくれたり、 日本語をハルから習ったりしてくれています。   幼稚園が大好きで、毎日とても楽しく通っていて、私も見ていてホッとしています。   しかし!!!   問題はここから。 そんなこんなで、ものすごい英語アレルギーからは脱したものの、アメリカに来て早2年半。幼稚園に通いだしてから1年半。 まだハル、ぜんっぜん英語を話さないのです。 指示は理解できていて、先生からの問いに対して答える「イエス、ノー」はあっている。 単語も言える。(数字や色、動物など) でも、如何せん文章として話せないのです。   まだ、何かハルの中で英語がピンと来ていない、そんな感覚なんです。     ある日、ポツンとハルに言われた忘れられない一言 ハルは毎日楽しそうに幼稚園に通っていて、現地の親友も二人います。 とても楽しそうな一方で、放課後残って一緒に遊んでいても、 英語でのコミュニケーションは全くできません。 ‘This Haru’ ‘And Haru’ ‘No’ ‘Yes’ これだけで会話をしているのです。   すごいなーそれだけで会話できてー不便じゃないのかな?   となんとなーく思っていましたが、 元来「まいっか」とすぐに思ってしまう私は、 そこで思考が止まっていました。   ところが、ある休日の朝。 起きて来たハルが寝ぼけながらポツンと言ったのです。 「ねぇ、ぼくはどうして英語が話せないの?」   もう、衝撃的でした!!   頭をガーーンと殴られる感じ、というのはこういうことなのでしょう。 泣きながら、とか、そういうのではなく、 寝ぼけながらポツンと言われたのが尚更に切なくて、、、   今思い出してもまた悲しくなる一言でした。   ごめんね、私がもっとちゃんと心を鬼にして早い段階で 英語を教えてあげていれば・・・ なんで徐々に馴染むようにもっと上手くできなかったんだろう。 英語教育について、手を抜きすぎていたのではないか。   そんな考えがぐるぐると回っていました。   周りのママ友は家庭教師をつけたり、公文に行かせたりしていて、 でも、私はどうしよう?   もうすごくショックだったのに、なかなか行動に移せませんでした。 毎日6時間も英語の環境においていて、これ以上なにができるのか、わからなかったし、 毎日わからない中で頑張っているハルに家でも英語を使え!としたくない。 かと言って私が英語が話せるのにどこかに通わせるなんて、なんかサボっているみたいで 主人にも反対されそう。   でも一番の理由。ズバリお金。   もちろん生活に足るお金は会社からもらっているものの、 残りのお金をどう使うのか。   うちのそれまでの方針は、 『みんなで思い出を作るために使う』   ですので、ハル一人のために使うという発想が主人にも、そして私にもどうしてもピンとこなかったのです。 主人とも喧嘩になる、というか相手にもされず、一人モヤモヤするだけだと思っていたので、相談もできませんでした。   あー私にお金があれば!!!   ずっとモヤモヤしていました。特に周りの人たちはなにかしら通わせている。それなのにうちは何もやっていない、やれない。   ハルの一言から、ずっと頭の片隅から離れませんでした。 でも。でも。でも。 そんなモヤモヤを抱えて日々を過ごしていました。   でも、先日、やっと事態が動きだしました。     長くなって来たので、 どんな補助教育をすることにしたのか、続きは中編・後編でお伝えしたいと思います。   全3回 - 駐妻の憂鬱 英語アレルギーシリーズ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編) 英語教育はどうする?~ 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編) 日本語教育はどうする?~   駐妻の憂鬱 シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 ~ネットビジネスで自分の月収を超えた日~

      こんにちは、かさまりです。   少し更新が途絶えてました。 3月はあーこれは厄月なんだ、と振り返ると思うしかないくらい、大変なひと月でした、、 ノロ系胃腸炎が2回、車の故障が2回(タイヤのパンクとスターター故障でエンジンがかからない!)。 毎週事件がある感じで気が休まることなし!   挙げ句の果てに日本から遊びに来てくれた友達になんとその胃腸炎をうつすという、、ひどすぎる、、   まぁ、そんなこんなで心身疲れはててました。   でも4月に入りましたし、厄月は終わったということで!またいろんな新しいことをやっていきたいなと思っています。     3月ノロ、そして車の故障の厄月、ビジネスはどうした? そんな毎週のように何か降りかかる状況でしたが、お仕事は自分がトップなので、止めるわけにはいきません。 最低限の行動にはなってしまいましたが、毎日お問い合わせや買付けや、スタッフさんへお願い事はしてました。     よく、   「何時間くらいやってるの?」   と聞かれますが、測ってないのでわかりません。 できるときにできるかぎりやってます。 家事が上手な方って、無意識にちゃちゃちゃっと片付けたり拭いたりが習慣ですよね。 同じことで、常に考える、授乳中も探し物をする、子供がテレビ見ててくれたらパソコンに向かう。もう当たり前になって来てるので何時間、と言えないんです。   まぁ、それでもフルタイムのサラリーマンよりは短くなってしまいます。すごく集中してパソコンに向かえるのは2時間くらいでしょうか。   夜は起きてられないので、朝3時くらいから起きてやってますが、さすがにバタバタの3月はなかなか起きられませんでした。     そんな厄月3月でしたが、なんと前職の額面月収を超えました! うちのお金の計算のサイクルは月末締めです。 毎日計算はしますが、スタッフさんへの支払いなど全部計算して確定するのが5日ごろ。   はい、今日です。   私にとって、本日はプチ記念日。   はじめて前職の額面月収を超え、57万円の利益を達成しました!   前職はベンチャー企業のコンサルタント営業でしたので、年齢の割にはもらっていたお給料。それでも入った年次が若く、会社内では営業成績トップなのに給料はドベでした。 また、ベンチャー企業でしたので、年俸制。それこそ何時間働く、という概念もなく働いてました。   給料は貢献度で決まるので、出産後の復帰時は給料も月5万円くらいのカット。月収5万円減です。 会社側からすると貢献してないんだから当たり前と言えば当たり前なのですが、どうですか? 5万円カットされて、モチベーション保てますかね?   貢献できてないとレッテルを貼られたのに、毎日保育園まで当時1歳のハルを迎えに走る。走っても最後の2人は当たり前でした。 なんとか最後の1人にしないために走る走る。   そんなフラフラな生活をしてたので、ハルを送った後に重たい電動自転車ごと倒れて、ぶつけてしまった右膝は、今でも調子が悪いと痛みます。     もちろん悪い会社ではない。   子供なしで働くには楽しい会社でした。   でも、1人の子供だけで満身創痍になったのに、2人もいて、次は私1人の怪我ではすまないかもしれない、何より精神的にもう無理。。。   それでも他に戻るところがない、こんなアメリカの駐在帰りの奥さんなんて雇ってくれるところがないかも、、、     でもでも!   どうしても戻りたくなくて、 「前の会社より稼ぐ!」   と始めたのが今のネットビジネス(バイマ、メルカリ)です。 ついに、こんなにウケほどいろいろなことが起こった厄月の3月に、達成しました。   感無量です。     決してラクではない主婦がビジネスをやるということ 在宅でフルタイムママをしながら働く、正直ラクではありません。 仕事が集中してできるのは明け方、子供達が寝ている時間だけ。 毎日9時くらいに子供達と寝て、早ければ1時、遅くとも4時には起きて仕事をします。   まだ1歳半のリコはママべったりのまだ授乳中。夜中も2、3回おきます。 ママがいないと大泣きしておきてしまうので、 苦肉の策で寝室のクローゼットに机をいれてそこで仕事、 ふにゃふにゃ言い出したら急いで布団に戻る、睡魔に負けないようにしながら、寝たらまた机に戻る。   そんな毎日です。   子供達が起きてしまったら集中時間はおしまい。 着替えさせ、朝ごはんを食べさせ、主人を送り、ハルを送り、 洗濯をして・・・主婦タイムが来ますが、まだ仕事もやりたいことは 山積み。 お客様に送るための荷物も梱包しなくてはなりません。   絶賛イヤイヤ期中のリコは、裸ん坊大好き、オムツ大嫌い。 おむつを替えるたびに大泣きされて、そうこうしているうちに昼ごはん。 またおむつ替えに格闘して、昼寝をしそうでしないリコは不機嫌、 そうこうしているうちにハルのお迎え。 おもちゃおもちゃと騒ぐハルをかわしつつ、アイスで釣って 買い物中はリコの監視をさせ、帰宅。 帰ったら晩御飯の支度・・・   起きている時間はほとんど何もできません。 だからコウモリのように夜やっています。 キラキラ?いや、キラキラはしてません。     でもなぜやるのか? 私の場合は、お金を稼ぐこと、それはきっと自分を認めてもらえること なのだと思います。 自分のやったことに対しての対価をもらえる。 それが生きがいなのです。   育児は子供達の成長が対価。 大変ですが、少しずつ成長するのを見るだけで楽しい。   では家事は? 逃げ恥の最終回。超共感したみくりちゃんの、 「仕事だからきっちりできたんです。本当は四角い部屋を少し丸く掃いたって死にやしないしいいかって思うタイプです。」   わかる~~~!   家事が好きな方はいいんです。   でも私は苦手で、正直頑張っても四角い部屋は丸くしか掃けない。 だから頑張っても誰も褒めてくれない、お金にもならない。 そんな毎日がこれまた辛かったんです。   そして日本帰国を考えた時に、どんな生活がしたいのか? また走って保育園まで迎えに行きたいのか?   これまたノー。       人生は選択の連続、よりベターな道に 何をやって、何をやらないか。 何がしたくて、何がしたくないのか。   私の場合は、 お金はダブルインカムと言えるだけ欲しい。 日本帰国時に自信と仕事を持っていたい 家事はどうしても苦手だから他のことで家に貢献したい(そして家事は外注化したい!) 保育園に走りたくない   並べて見ると超わがまま!笑   でも別に自分に控え目である必要も、嘘をつく必要もないですね。 これが私の願望でした。   それを叶えるために、やり始めたこと。それがバイマとメルカリです。   書いたように決してラクではない。でも楽しいです。 自分が稼いでいる実感もある、保育園に走らなくていい。 そして念願の家事外注も出来始めている。   自転車事故を起こすほどボロボロ、第2子なんて考えられなかった日本での生活、 そしてアメリカに来てからのダメ主婦ぶりに自分で自分に落胆する生活。 それに比べたら、楽しいです。 キラキラではないけど、ギラギラはしているかもしれません笑   そんなギラギラに疲れることもあって、実際に3月のようにボロッとすることもあります。   でも、じゃあ前の自分と比べたらどうか?   うん、楽しい、そして頑張っている、 お金という形で自分の頑張りも評価できる。   やっていてよかったな、そしてもっと頑張ろう、 そう思った、3月締め終わりのかさまりでした。 駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。   駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます!   ページトップへ戻る  

  • 駐妻の憂鬱 ~Time is Money. あなたの時間を何に使う?~

      こんにちは、かさまりです。   季節の変わり目で強風がビュービューと吹き、重い花粉症持ちの私は朝起きると目が腫れあがっています・・・。     さて。本日のお話は「時間」についてのお話です。     結構忘れがち、時間は有限 自戒も込めてなのですが、特に子供に追われて生活していると、1日ってあっという間に過ぎませんか? 特に家事が得意でない私は、他のママたちは一体いつ家を綺麗にしているのだろう?と未だに不思議です。   「えーお仕事しているからでしょ?」   と言われるのですが、残念ながら始める前も始めた後も家の散らかりっぷりはほとんど変わりません。 本当に苦手なんですよね・・・。     今日も友人の家にお邪魔してきたのですが、   「散らかっててごめんね」   と言いつつ、 いやいや床に何もおっこってないyo! 私の前でそれをいうのは嫌味かい!笑 という感じでした。   主婦力の高いママたち、本当に羨ましい。。。     話が逸れました。     あっという間に時間は過ぎてしまう。 でも、時間は有限なのです。 一人に与えられた1日の時間は24時間。 それは日本であろうと、アメリカであろうとそうですよね。   でも、このアメリカで過ごせる期間、これはさらに駐妻にとっては有限なのです。     母の一言の重み 自己紹介でも少し触れた気がしますが、 私自身、3歳から7歳までアメリカのメリーランド州に住んでいました。   それはそれは楽しい思い出ばかりです。小さかったので、そのような思い出しか残らなかったということや、母のアルバムに楽しそうな私しかいないから、というのもあるでしょう。   でも純粋に楽しかった、ハッピーな思い出しかありません。 アメリカにいたときの年齢が小さかったので、全てを鮮明に覚えているわけではありませんが、なんていうのでしょうか?思い出すと、何ってわけではないけれどニコニコできてしまう、そんな記憶です。   ですから、今それくらいの年齢のお子さんがいて、こちらに駐在に来ているママたちを見ると、とってもお子さんたちが羨ましいです。(うちは1歳半と4歳なので、どうかなー覚えてるかなーいや・・という年齢なので)     それから約25年。先日うちの母と話していて私に突き刺さった言葉がありました。   「あのアメリカでの4年間があるから、今まで人生歩んでこれたようなものよ」 と。   アメリカでの幸せな4年間があったから、その後私が激しい思春期を迎えようとも、子供たちが同時に大学と結婚で家を出ようとも、父が転職しようとも、今現在介護で大変でも乗り越えられている、と。     すごい重たい言葉じゃないですか?     私の母がアメリカでスーパーハッピーに生活していたか、というと、実はそうでもありません。 母の時代はもっとヒエラルキーが厳しく、さらにメリーランドという日本人が1箇所に集中している地域でしたので、結構人間関係で苦労したと聞きます。     それでも、本当に幸せだったと。 私の中でも確かに、たくさんの思い出がキラキラしています。   今、私は幸運にもその真っ只中にいるのです。     何をするのか、何をしないのか。選択肢は自分の中に。 駐妻の宿命、それはいつか帰ること。 前のブログでも書いたと思います。   それまでの時間、あなたはどうやって過ごしたいですか?   私はたくさんの旅行がしたい。日本からだったら行かないようなところにたくさん行きたい。   そして日本に帰ってから自分の就職の不安がないようにしたい。   ずっと付き合いたいと思える友だちに出会いたい。   これが私の目標です。 これに子供たちをどう過ごさせてあげたい、というのが入るのですが、今は私の話をします。   まずお友だちのことから。自分をさらけ出しても笑って許してくれる、そんな友だちに出会えていて、幸せだと思います。現地の友だちも、日本人の友だちも。 これからキンダーに上がり、さらに地域のつながりが密接になった時に、おそらく私のように自分で何かをやろうとしている人間はつまはじきにあうでしょう。 でも、それでも時間は有限。 その人たちと付き合うことを考えるくらいなら、大好きな仲間との時間を大事にしたいと思います。   そして旅行と就職不安。これはどちらもはっきりというと、お金の話になります。 たくさん旅行がしたい、でも4人家族、そして主人の休みを考えるとやっぱりお金が必要。 そして就職。そもそもお金が溢れるほどあったら心配しなくていいのでしょうが、残念ながら溢れるほどはありません。 そして個人は、自分で稼いだお金で遊べるほうが気持ちいいのです。 この就職の不安って、日本の就職のことを考えているから、漠然と不安でもアメリカにいる間に解消するってかなり難しいんですよね・・・。でもただ不安でいても、精神衛生上良くない。 何ができるでしょうか?   私のある友だちは、教育関係の何かがしたいとモンテッソーリ教育の通信講座を始めました。ある人はマクロビの勉強を。そしてある人は教員としてのインターを。 不安に思っていても仕方がないので、こうやって行動することが、今は答えにならなくても漠然と不安に思っているよりずっと精神衛生上いいですよね。   私は特技も、やりたいこともなかったのですが、とにかく日本では前の会社に正社員として戻りたくない、と思っていたので、まずはその頃のお給料分をなんとか稼げないかなーということで、バイマとメルカリの物販(転売)を始めました。 結果、買い物は大好きだけど、所有欲はない(散らかった家がさらに散らかる!)私にとってはとても楽しいお仕事です。 しかも、携帯とパソコンがあればどこでもできる! フロリダでディズニーを満喫しながらもホテルでお仕事していました。   自分のしたいこと、ありたい未来、したくないこと。 ちょっと考えて、行動して、子供が寝ている時間が活動時間なので、正直キラキラーー!という感じでは全くありませんが、 総じて考えると、前より良い。散らかった部屋を眺めながら   「あー私ってダメ主婦・・・」   って思っていた時よりずっと精神衛生上気分がいいです。     私は無宗教ですが、なんとなく頭の上に神様がいる気がしています笑   その神様がくれた、万人ができるわけではない、駐在という経験。 あなたは何がしたいですか? 人生の1ページとしてみた時に、どう振り返りたいですか?     今日のワンフレーズ "How did you potty train your child?” 「トイレトレーニングはどうやった?」   はい、全然今日の記事と関係ないです笑 リコ、1歳半。超脱ぎ魔なんですよ。 油断するとパンツ式オムツも全部脱いでて、 おとといは4回床にされました。 キーーー!と言っていても仕方ないので、現地ママに 聞いて回ったフレーズです。 「ガムテープで止めれば?」と言われたりしましたが笑 一番良さそうなのは、すぐにトイレトレーニング。 おまるにしなさい!というとおまるを投げつけてきた聞かん坊、 リコですが、友達の助言でお菓子で釣る、というのがあったので、 試しに「できたらチョコあげるよ」と言ったら、 座って一生懸命しようとしてます。   さて、早めのオムツ卒業、なるでしょうか?!!   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。   https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   記事に対するコメントやお問い合わせもお待ちしておりますのでいつでもご連絡ください。   駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます!   ページトップへ戻る