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駐妻

今までのキャリアをすべてストップして駐妻として赴任する主人について行く。いろいろな方とお話をする中で私以外にもお悩みの方が非常に多いなと感じています。そんな中私は新たにこちらでビジネスを始めました。4歳の男の子と1歳の女の子の母であり、「ホームワーキングママ」という新しい女性の働くスタイルに挑戦している私の奮闘記です。

  • US dollar

    駐妻の憂鬱 ~駐在はお金持ちは本当?~

      こんにちは、かさまりです。   海外駐在は、お金持ちなのか? 旅行記の次にこんな内容かよ!という感じですが、 よく言われている都市伝説、「駐在は金持ちで羨ましい」に切り込んでみたいと思います。   結論から言いますと、 「海外で暮らせるだけのお金はもらえている。」   とは思います。   そりゃそうです、もらえてなかったら生きていけませんから。 会社都合で海外に行けと言っておいて、のたれ死ぬような生活になってしまっては困ります。   企業によって、またどの役職で駐在することになったか、にもよりますが、以下のものはサポートされていることが多いように思います。   家賃補助(上限あり。上限を絶対に超えてはならぬというところと、上限を超えたら自分で払え、というところがある。) 教育費補助、幼稚園代などの学校に通うための費用(大体3歳から。こちらの幼稚園は12時まででも10万円以上したりするので、補助がないと通えない。) (地域によって)車購入補助 車がないと会社のオフィスに行けない、スーパーにすら行けない地域もかなりありますので、車がないと生きて行けません。 引越し補助 さすがに引越し代は出してもらえます。また、日本でだいたい会社指定の倉庫があり、そこに持っていかない荷物は運んでくれます。 ただし!一度入れてしまったら帰ってくるまで出せないことがほとんど。なるべく持ってくることをお勧めします。(引越し関連のお話はまた別の機会にさせて頂きますね。) 家具レンタル費用 これは出るところとでないところがあるようです。   上記の補助について、出し方はそれぞれ。一括でどどーんともらって、その中から好きなように使いなさい、という企業もあるようですが、大体は家賃補助にいくら、幼稚園の補助にいくら、という感じで項目ごとに金額が決まっていて補助が出ます。   また、多くの会社は給料を日本円とアメリカドルである一定の比率で入れてくれるシステム。 そうすることで、帰国時に日本円がないとか日本で保険などに入っている場合に支払う原資がない、とならないように配慮してくれます。 ちなみにうちはボーナスも日本円です。   そういうわけで、様々な補助をしてもらえるので、生活基盤はありますし、のたれ死んでしまったら困ることもあり、日本でのお給料よりは手厚くもらえる感覚はあります。     割と手厚い補助。でも、、、   こうやって書いてみると、比較的優遇されていることは確かです。   しかし、問題が3点。   1.(アメリカの場合)物価が高い! アメリカって、安いものがたくさんあっていいなーという思い込みありませんか? 確かにオモチャ、衣料品やブランド品などは安いものもある。 ところが、日用品、食品、特に外食。メチャ高いです。 「日本って物価高いんでしょ?」と現地の人によく言われますが、とんでもない!アメリカの方が高いです。 日本と同じ品質を求めた日には、、、という感じ。   例をあげてみましょう。 マクドナルド。味は日本よりまずい。いわゆる普通のチーズバーガー、ポテト、ナゲット、コーラ、ハッピーセットで15ドルします。 15ドルなので、円換算すると1700円。   アボカド。2つで4ドル。つまり430円。 玉ねぎ。2つで3ドル。350円。   日本の天候が悪い時並みの値段じゃありませんか?   日用品。ジェル洗剤80個で15ドル。1700円。   一方でバスタオルは厚手の使いやすい大きなタオルでも7ドル(805円)だったりします。   ですが、バスタオルより、食費の方がやはり痛いですよね。 よっぽど安いスーパーに行かない限り、週2回の買い物でも1回あたり60ドルに抑えるのはかなり、大変。つまり1週間で120ドルはほぼ必ず行ってしまいます。これにビールやおやつなども一緒に買ったら、1回あたり100ドルコースです・・・。   外食はマックだけでもそれくらい、ちょっと良いところ、と言ってもピザ屋さん、パスタ屋さん程度ですが、それでも行くと、ランチでも50ドルを下回らせるのは難しいです。これに加えてチップも15%は払うので、日本円にすると7000円!   うちは4歳ハルと1歳半リコがいるので、外食の満足度を上げるのは至難の技。だいたい最後はかきこむことになるので、勿体無いので最近はいきません。。。     2. ダブルインカム→シングルインカムの壁 私たち夫婦は日本では二人ともフルタイムで働いていました。ですので、収入も倍とまではいきませんが、もちろん今より多かったのです。   フルタイムの時と比べて、外食などが減ったものの、それでも書いたように、ベースの物価が高い。   そして何より私に節約の習慣がない・・・。   これは実はかなりの痛手です。     3. アメリカにいるのだから、そこでしかできないことをしたい 3年~5年という期限付きの駐在。日本から行くととても遠くて高いし、行く気もしないけど、せっかくアメリカにいるんだから行ってみたいところは沢山あります。 フロリダしかり、ナイアガラしかり。カナダ、ロサンゼルス、ラスベガス、、、候補を挙げ始めたらキリがありません。 せっかくいるのだから、全部とまでは行かなくても、いくつかは行っておきたい。そう思うと、やはり手に有り余るほどのお金は、アメリカでは残念ながら残らないのではないでしょうか・・。     アメリカに来て始まった習慣 実は、アメリカに来た当初は会社に都合で全て日本円で給与をもらっていました。給与には出張手当は含まれていたものの、ドル換算の差額が入るという仕組みはありませんでした。 私たちが渡米して来た2014年は、円安で126円時代。渡米直後は100円くらいだったので、どんどん円安が進むと自動的に給与が2割減している感覚だったのです。   自分たちで送金しなくてはいけないということもあり、一体どれくらいの現金が手元にあるのか、把握するのがとても大変でした。   加えて、アメリカではほぼクレジットカード払い。 本当に一体いくら使って、いくら残っているのか、怖くて、家計簿と予算というのが毎月の習慣として始まりました。   ところが、この予算、給与が2割減ということもあり、本当に節約生活をして来なかった私には苦痛でした。   月末1週間前になると、主人から毎月一言。 「お前、あと10ドルしかないんだけど。どうやって暮らして行くつもり??」   もちろん主人は私の適当計算を知っているので、予算は厳しめ、クレジットカードからきっちり使った金額を家計簿に計上し、金額把握のために現金は持たせてもらえませんでした。ですので、10ドルと言われても、実際にはもっとあるのですが、予算オーバーで毎月怒られてました。   そんな主人のおかげでうちは破産せずに、貯金も人並みにはあって生活できているのですが、正直、超窮屈でした・・・。   窮屈だし、毎日の生活のためではあるけれども、お金を使うことしかできない自分が、それまでは働いていて、自分のお金、という感覚があっただけに辛かったです。落ち込んでいるときはお金を垂れ流すことしかできないダメ嫁と思ってしまうほど。   そんな自分の存在意義も欲しくて、アメリカにいる間に何かしよう、と安直に考えたのが「第二子」でした。   今考えるとさらにお金がかかるし、経済的なことを考えると安直すぎるんですけどね!! アメリカで海外出産を決意した話やその後の様々な経験は、「海外出産」のカテゴリでお伝えしていこうと思います。     では、本日の英語。 "McDonalds' is much more expensive than Japan." 「マクドナルドは日本より高い!」 現地の人と日本とアメリカについて話さないといけない時に使えますので、タクシーに乗った際にドライバーの方などに伝えてみましょう。   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • Manhattan

    シリーズ一覧:駐妻の憂鬱

    『駐妻の憂鬱』シリーズの一覧です。 駐妻の憂鬱 前編 駐妻の憂鬱 中編 駐妻の憂鬱 後編 駐妻の憂鬱 〜帰任か残留か?〜 駐妻にとって主人の帰任時期がいつになるのかはいつも悩みの種です。自分自身のキャリアの不安、日本で新たに生活を始める不安。。。 ママだって、妻だって、もっともっと自分でいたい!私がこちらで決断したことをご紹介します。 アメリカママのベビーシッター・家事代行事情 〜フルタイム在宅勤務編〜 アメリカでフルタイム在宅勤務で働くママのご家庭のベビーシッター・家事代行事情について、私がママ友から聞いた話を元にお伝えします。アメリカは日本以上に共働き家庭の家事外注化(代行)が進んでおり、働いていても自分の時間を確保するため、多くのかたが当然のようにこれらのサービスを利用しています。 駐妻の憂鬱 ~駐在はお金持ちは本当?~ (公開中) 駐在がお金持ちって本当でしょうか。それは海外で生活できるだけのお金は会社からもらっていますが、我が家の場合、ダブルインカムからシングルインカムになった変化のほうが大きく日々のやりくりにいろいろと苦慮しておりました。アメリカ生活が始まってからの経済面での生活の変化についてお伝えします。 駐妻の憂鬱 ~Time is Money. あなたの時間を何に使う?~(公開中) すべての人の時間は有限です。そんなあたりまえなことも時に人は忘れてしまいがちですが、駐妻という、いつかは日本へ帰国する身でいると、さらにそのことを強く意識します。何をするのか、何をしないのか。選択肢は自分の中に。私の中で取捨選択したことを今回はお伝えしたいと思います。 駐妻の憂鬱 ~ネットビジネスで自分の月収を超えた日~(公開中) 3月はノロ系胃腸炎が2回、車の故障が2回と毎週事件がある感じで気が休まることなしな1ヶ月でした。そんな中ついにネットビジネスの月利益が前職の月収を超えました!私のビジネスにかける想いを綴らせていただきます。 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~ 「子供だから、現地(英語圏)に行けば英語慣れるの早いでしょ。」これ。多くの方が考えていることだと思いますが、そうでもないんです。私の息子もずいぶん長い間英語アレルギーで悩まされています。家庭の中でこの問題とどう向き合ったのか?幼稚園選びの方針は?英語の補助教育は?今回はその前編です。 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編) 英語教育はどうする?~ 中編では英語教育についてどうしたかお伝えします。 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編) 日本語教育はどうする?~ 後編では日本語教育についてどうしたかお伝えします。 駐妻の憂鬱 ~夫がクビになった!?その時・・・~ 例えばある日。夫が会社をクビになったと言って帰って来たらあなたはどうしますか?アメリカでそんな場面に遭遇しました!?その家庭は、悲壮感満載なのでしょうか。いえいえちゃんと備えているのでそんなことはないのです。詳しくお伝えします。 1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱 母乳をあげるのをやめるタイミングは本当に悩みますよね。上の息子とは今回違う方法で下の娘に臨みました。その方法とは!? 卒乳・断乳は、「それぞれのママと赤ちゃんの物語」だといまは考えています。 人生の目覚まし時計ってご存知ですか?~駐妻の憂鬱 人生の目覚まし時計が最近「ジリリリリ〜」と私の中で鳴ったんです。そのことについてお話しします。 1歳10ヶ月アメリカで断乳!断乳後のケアはどうするか?(後編)~駐妻の憂鬱 アメリカでの断乳後のケア、たいへんでした!相談する病院もなく自己流ですがその方法お伝えします。 専業主婦の私が起業?ピンとこない・・・というかなにそれっ!~駐妻の憂鬱 最近周りからよく言われる「起業」という言葉。どうもピンと来ません、というかたまにイラっとします。専業主婦の私でも夢や目標を自由に持ってそれを叶えたいんです! 1歳と4歳の子供を旦那に預け、サンフランシスコに一人旅してみた!~駐妻の憂鬱 私がどーしても会いたかった尊敬する方々に会うため、ダンナに子供2人預けて一人サンフランシスコへ! 3年ぶりの日本一時帰国を前にドキドキする~駐妻の憂鬱 3年ぶりの日本へ一時帰国。でも、なんか気乗りしません。。。 久々の東京(日本)での衝撃!ストレスが溢れている。。~駐妻の憂鬱 東京ってストレスが溢れていますね。。。アメリカから3年ぶりに帰国したときに感じたことを今回はお伝えします。 日本で、アメリカ駐在になって恋しいものを堪能してきた~駐妻の憂鬱 美味しい和食、特に卵かけご飯。そして温泉。久々の日本で堪能して来ました! 駐妻の憂鬱~自由人=変人でなくなってきた!?~ 大好きな友人が帰任決定!?また忘れてた、時間は有限という事実~駐妻の憂鬱 私の大好きな友人、日本人ママの帰任が決定しました。本当にショックです。でもこのことをきっかけに、「時間は有限」という事実を改めて思い出しました。 夫婦で目標を持つってダメなこと?駐在会社員の憂鬱?! 毎日会社に通う旦那さんどう思っているのだろう。。。今回はだんなさんの気持ちになってちょっとかんがえてみました。 Coming soon...       First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • Cheering up girl

    駐妻の憂鬱 〜帰任か?残留か?〜

      こんにちは、かさまりです。   今日は、駐妻の憂鬱、番外編?むしろ本編ですね。 こちらに来てから、半年に一回悩まされる、大きな問題です。でした。     残留か?帰任か? 半年に1回の不機嫌期間 駐妻、駐在ファミリーの宿命、それは「いつかは日本へ帰る」です。 5年10ヶ月いた先輩夫婦にもある日突然帰任命令が。主人の会社は辞令後1ヶ月で帰任しなくてはいけないという、結構鬼な会社なので、きちんとお別れを言う間も無く帰国されました。 Facebookで奥様にご挨拶したら、 「まりさん、これが駐妻の宿命です。あなたにもいつか来ますよ。それまでアメリカライフをエンジョイしてくださいね。」 と。ずっしり心に響きました。 特にこの奥様はとてもアクティブで、就労許可証さえ取れば働ける私たちのビザ(L2です)の強みを生かして、某航空会社のお姉さまをされて、現地の方からも、日本人からもとても慕われていた、こちらの生活を満喫されていた方でした。もちろん旦那様(主人の先輩)もとても仕事のできる方で、だからこそ異例の6年弱、アメリカに住まれていました。そんな、すっかりこちらで馴染まれているご夫婦でも突然の帰任辞令が容赦なく来る、と帰任が一気に現実味を帯びた出来事でした。 主人の会社では、任期は3年が相場。と言うか、そもそも主人のポジションは1年の長期出張のみのはずだったので、赴任になったことも、そしてまさか任期が3年を超えることも、全て想定外、儲けもんです。 逆に、この3年間、ずーっと人事異動の前後はドキドキしていました。 だいたい半年に1回なので、半年に1回、私も主人も超不機嫌期間が1ヶ月ほど・・・。私はなんだかんだとアメリカの生活がとても好きなので、とにかく帰りたくない。     現地の人から見た、帰任問題 現地の友人に話すと、揃って言われるのは "That's SOOOO crazy!!!!" 会社にそもそも住むところを決められる、しかも1ヶ月前までどうなるかわからないなんて信じがたい!!!と。 考えてみればそうなんですよね。 なぜ自分の住むところを、そんな急に変更させられなくてはいけないのか?しかも自分の要望関係なく。 自分で本来は住みたいところに住む、これが当たり前のことなのですが、日本では「辞令に伴って当然のごとく引っ越す、しかも言われた期日までに」これ、染み付いてますよね。 さらに話をしていたら、現地ママは単身赴任なんてありえない!と。夫婦円満で、幼い子供たちがいるのに、その成長を見られるのはわずかな期間なのに、わざわざ離れるという選択ができるのか!と。 "What is the most important thing in your life? Isn't it where YOU want to stay? Isn't it to spend with your family?" あなたがどこで、何がしたいか、そして家族みんなで過ごすのが一番大事なことではないのか? 確かに、聞いてみるとこちらの人たちは必ず主語が自分たちです。 「住んでみたかったからフロリダに行ってみたけど、暑くて帰って来た」 「子供の学区があっちの方がいいから夏休みに引っ越すの」 「え?仕事?家でやってもいいし、別に探せばいいじゃないまた。」 と、まぁこんな感じです。 もう、目からウロコで、自分からなぜか欠落していた考え方だな、と思いました。     日本人の仕事に対する思い込みの強さ、怖さ 日本人、とくくってしまっていいのかわかりませんが、少なくとも私は、アメリカに来ると決まった時に真っ先に心配したのは再就職でした。 家事が苦手な私は、主人と結婚する時に、働き続ける、と約束しました。 それは約束させられたのではなく、私の性格上、働くことこそが自己表現であり、幸せなので、働かない方が辛いからです。 ですが、ここでキャリアに穴が開く。 アメリカでしばらく主婦をやっていた、ただの駐妻の再就職。そんな私を雇ってくれるところなんてあるんだろうか? それが不安で仕方なくて、帰任したら正社員として戻るために元々いた会社のスタッフとして残りました。 元々いた会社がその辺りは柔軟で私はそれでもラッキーなケースだと思うのですが、でも、前の会社に戻りたいかと言われたら、正直わかりません。と言うか、戻りたくありませんでした。(詳しくは、『駐妻の憂鬱 前編』へ)   人事異動の時期、一番自分を不機嫌にする理由はここです。 もちろんこの楽しいアメリカ生活が終わるのが寂しいと言うのもありますが、日本帰国後の自分を想像して、ゾッとしておりました。 実際にはそんなに悪くはないのでしょうが、毎日また保育園まで走る生活。そしてきっと言われるであろう、「ではの神様」(アメリカでは、とばかり言う帰任駐妻の悪口です・・・) 自分はこの駐在生活の間に、一体何をしたのだろうか?何をしたと言えるのか?帰任後、この生活はなかったかのように日本で暮らすのか?? そればかり考えてしまうのです。 そんな時、上で紹介した、現地の友人の言葉。 「本当は主語は自分であるべき!!」 そうだ、駐妻であろうが、なんだろうが、ここは変わらないはず・・・嫌なら、もっとポジティブに、楽しく、いや、辛くても楽しくできることがあるんじゃなかろうか?そう言うことを考えなくてはいけない、と思ったんです。 そこで私が選んだ道。それが、 「自分で何かをやってみる」 でした。     自分でやってみる、はじめの一歩で得られたもの 元々かなりのミーハーで、買い物好き。そんな私を知っている友人が一言、メッセンジャーでくれたのがヒントになりました。 「バイヤーでもやってみれば?」 そう、ここはアメリカ。自分が日本に住んでいた時にめちゃ欲しかったものが手に入る国でした。 私と同じように、欲しいけど買えない人たちのために何かやる・・・楽しそう! 主人も、あんまりに一喜一憂している私を見かねて、やれ、と後押ししてくれました。まずは少しずつ。でも帰るまでに前に勤めていた頃と同じだけ稼げれば、あの、保育園に走る生活に戻らなくていい!!! そう言うわけで、2016年9月、私はbuymaとメルカリを始めました。 その詳しい話はおいおいしますが、結果、帰るのが怖くなくなりました。 いや、帰りたくはないです。まだまだ帰りたくない。 でも、「どうしよう・・・」と言う漠然とした不安はなくなったんです。 今にして思うと、どうしてあんなにも「会社に勤めるしかない」と思っていたのか、不思議です。結局、強い強い思い込みなんですよね。 駐妻に来ているということは、それなりにご主人に信頼があるということ。ということは、逆に妻はある意味自由なんです。会社に勤めても、勤めなくてもいい。 でも、そういう妻だからこそ選択肢はあんまりないと思っていませんか? ママだって、妻だって、もっともっと自分でいたい。 自分でいる、これは人それぞれ定義があると思います。 私の場合は、働いている実感、お金を作っている実感でした。 ずっと勤めていたので、主人のお給料で暮らすのは罪悪感がありました。そして、何よりも家事が苦手な私は家事で達成感が得られない。でもお金もとてもあるわけではないし、リコもいるので習い事ができるわけでもない。 勉強も正直好きじゃない。 そんな自分に何ができるのか・・・となると、やはり働いて、お金を作って、そのお金で楽しいことをするのが一番だったんです。 お金を作るのに、どうして外で勤めなくてはいけないのでしょう?それは誰が決めたルールですか?家でだって仕事ができる、そしてアメリカでだって、どこでだって仕事ができるんです。   それに気がついた今は、主人が別の国にこの先、異動になっても、喜んでついていくことができます。もう前の会社にすがる必要もありません。気持ちが本当に自由です。 この自信が、ずっと私に欠けていて、不安の原因でした。 「私のキャリアは・・・?」 「このまま、ただの駐在帰りのママになるの?」 と。   今は、帰国?嫌だけど、どんとこい!です。 好きなことで、どこででも暮らせることがわかりましたから。 詳しい話は長くなって来たのでまた今度!     本日の英語ワンフレーズ。 "What do YOU want to do?" 「あなたが本当にしたいことは何?」Youに力を入れるのがポイント笑   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • baby and mom

    アメリカママのベビーシッター・家事代行事情 〜フルタイム在宅勤務編〜

    こんにちは。かさまりです。   先週はニューヨークではWinter Recessと言って、まぁ、冬休みでした。 これはアメリカでも地域によってあったりなかったりするようでして、ポートランドに住む友人はそんなものはないと言っていました。   下の娘リコがアメリカで産まれて2ヶ月、上の息子ハルが3歳の時に幼稚園に行き始めました。 幼稚園に通い始めるまでは平日の子供あり、旦那なし、超大変でした・・・。やりたいことがやれないって本当にストレス。昼ごはんをどうしよう、晩御飯は?と考えるのも家事苦手な私には拷問です。   そんな時に助けてくれるのはやはりママ友!ビバ、ママ友! 平日5日間中3日は一緒に遊びました。   そんなママ友たちとどこに行ったかなどの話はおいおいするとして、今日は一番仲良しのママ友の家に呼ばれて目から鱗だったよ体験を書きたいと思います。     ▼目次 平日住み込みのフルタイム ベビーシッター! はたして、そのお値段は・・・? 一緒に住むことに対する抵抗は? アメリカの女性の自由度を垣間見る おわりに   平日住み込みのフルタイム ベビーシッター! このママは、5歳の時に中国からアメリカへ家族で移住して来た中国人。パパはもともとアメリカ生まれの中国人。子供は4歳男子、3歳男子、1歳女子の3人います。 パパは普通に外で会社勤務、ママはなんと、フルタイムの在宅勤務で人事担当の仕事をしています。   そもそも人事担当がフルタイム在宅勤務って相当面白いというか、人事の仕事すら在宅でいいんだ!と新しい発見でした。 アメリカの会社は自宅から働く在宅勤務(ホームオフィス)の人もかなり多く、顧客との打ち合わせも電話会議が主流ということは、主人の会社の話を聞いて知っていたのですが。やはり在宅勤務が多い理由は、アメリカは国土が広いからですかね。日本(特に東京)も早くそうなれば地方がもっと活性化するのでは、とよく思います。そうすれば、満員電車に揺られた長時間通勤の時間もなくなりますしね。 が、ここからがさらにすごい!   おうちに招かれて遊びに行ったのですが、そこにはさらに両親以外の2人の大人が! 1人は平日の住み込みナニー(ベビーシッター)。主に1歳の娘ちゃんのお世話と、幼稚園から帰宅した男の子たちのお世話をして、ご飯、洗濯まで担当だそうです。年齢は60歳くらいの方で、英語は全く話せず中国語のみ。子供たちに中国語で話す機会をより作るためにあえてそういう方を選んだそうです。 でも面白いのが、この方は掃除はしない。簡単な片付けはするが、掃除機はやらない、という取り決めだそうで、掃除は別の方が月に2回来ているんです! ちょうど私が遊びに行った日はお掃除の日で、掃除の方がピカピカにトイレから床から全てしていました。   私はリコのお昼寝の関係で3時半くらいに遊びに行ったのですが、 「晩御飯食べて行きなよ、ナニーが作るから大丈夫。」   と言われて、かっこいい・・・!   家事全般が苦手、料理以外は嫌いな私にとっては羨ましい限りでした。     はたして、そのお値段は・・・? 1歳の娘ちゃんはナニーに任せ、男の子2人、そしてうちのキッズを連れて公園に行ったので、早速根掘り葉掘り聞きました。 まずは気になるお値段。人一人を平日のみとはいえ住み込みで雇うので、さぞかし高いのかと思ったら、1ヶ月に2000ドル、日本円で22万円くらいだそうです。 思ったよりは高くない?その理由を聞いたら、やはり住み込みというのが大きいようで、ご飯代その他は全てこちらで持つから、だそうです。 通常、フルタイム・ナニーの相場は3000ドルはするので、それと比べると安いとのこと。     一緒に住むことに対する抵抗は? 「一緒に住むのはどうなのよ?」と聞いてみましたが、長男が1歳半の時からずっとそうなので、おばあちゃんが一緒に住んでくれているような感覚で、特になんとも思わないそうです。 むしろ、本物のおばあちゃん(どちらかのお母さん)よりも金銭の授受がある分、気分が楽だと言っていました。 実は、私の現地のママ友でもう一人、住み込みで雇っている人がいます。その人は元々はフィリピン出身、香港からアメリカニューヨークに移り住んでいるのですが、なんとフィリピンから雇って、ニューヨークにまで連れてきています。 まさに、みんな自分のお金で時間を買っているんですね!     アメリカの女性の自由度を垣間見る バージニアという田舎と、ニューヨークという都会。その両方を期せずして体験していますが、どちらとも住んでみて思うのは、アメリカの女性の自由度。 日本では、「家事も育児も母親の仕事。それができないのは『できない』母。なんなら、これに加えて働く。」というのが当たり前ですよね。 なので、私は日本に住んでいるときフルタイムで働くことによって、できない家事を隠していました。 「家事ができないのは働いているから。」 と。 そうでなければ、劣等感しかないんですもん。 頑張っても、四角い部屋を丸くしか掃除できないんです。 洗濯物たたむのは遅いんです。 埃とか、気づいたら溜めちゃうんです。 逆に、アメリカに来て、専業主婦になってしまって、困りました。言い訳がなくなってしまいましたから。 ですので、来て2ヶ月で妊娠して心の中でガッツポーズしました。 なぜなら家事ができてなくてもいいわけがあるから!!! 主人は半ば諦めてますのでいいのですが、誰に言い訳しないとかって、友達と、何より自分自身です。   ところがアメリカに来てみて、よくよく聞いてみると、家事の外注化は別に専業主婦も当たり前のようにしていました。 バージニアでも、良いハウスクリーナーがいたら、値段と連絡先を共有するのは当たり前。2週間に1回くらいはやってもらうという人も結構いました。 そしてニューヨーク。共働きの家庭も多い分、ナニーもハウスキーパーも当たり前です。 使うかどうかは家庭の方針。共働きしながらも、「他の人の手を借りるほどは仕事しない」というママ。 「私家事苦手だから、人に頼んだ方が綺麗になるでしょ!」とあっけらかんというママ。 「ママだって一人で買い物したいときあるじゃない」と、ベビーシッターを不定期に頼んでいるママ。   あーこうやって人の手を借りてもいいんだ、苦手でもいいんだ、と救われました。   だって、苦手なものは苦手なんですもん。   でも、雇うにはもちろんお金が必要ですよね。 実は、私もいま自宅で働いており、ベビーシッターを探しているところです。 駐妻でありながら働くことについて、今後書いていこうと思います。     おわりに 今日の英語ワンフレーズ。 “How did you find your baby sitter?” 「ベビーシッターはどうやって見つけたの?」 何か方法を聞くときに使ってくださいね。 駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ▲目次にもどる ページトップへ戻る

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    駐妻の憂鬱 後編

    こんにちは。かさまりです。さて、プロローグ最終章です。   前編はこちら、中編はこちら。   前回は、車の運転ができなくて、出かけられなくて泣いた話を書きました。   泣いた事件、もうかさい家にとっては私が泣くのは事件です。 旦那は見なかったことにしてしまうくらい、普段は起こらない、大事件です。   そんな旦那も無視できなかった、ひとりキッチンで泣いた理由。   それは、ズバリ人間関係。   駐妻といえば、ピラミッド構造、とよく耳にしませんか? 日本人がほとんどいない中なので、とても密な関係になる。その中のヒエラルキー・・・。   先に言ってしまうと、ラッキーにも私はそういうことに巻き込まれたことは2回の引越しを経てもありません。 うちは日本の伝統的な会社の駐在で来ており、まず上司の奥様方とは、バージニアではよく会っていましたが、とても楽しくてよくバーベキューをしたり、みんなでハロウィンをしたり。うちがパーティ大好きなので、よく集まっていました。 ニューヨークは会社の繋がりよりも、地域のつながり。私の住んでいるウェストチェスター、ハリソン地域はたくさん日本人がいます。もう、ここは日本か!というくらい。公園に行っても日本語しか聞こえなくて最初はビビりました。   ニューヨークはさすが都会、いろいろなお仕事の方とその奥様、お子様がいらっしゃいます。省庁、銀行、保険会社、メーカー・・・本当に様々です。 でも、まだ1歳と4歳の子供しかいない私は、小学校の課外活動などないので、しがらみ?などのようなものは皆無。のびのびとやらせてもらっています。   こちらで関係性の肝は3点。 いつきたか? 英語ができるか? 子供が小学生以上か?   この3点がメインのように思います。 どれもコントロールが難しいものですが、日本人が多い地域に赴任で住まれる方は、まずは同じくらいの時期に来た人を探してみるといいと思います。   図書館、旦那の同僚、幼稚園、不動産屋さんの紹介・・・ちなみに私はニューヨークでの最初のお友だちはスーパーの前の信号でナンパしました! このような積極性も大事です。 基本的に日本人がいるとはいえ、みんな友達を欲しています。特に来たばかりの人たちは欲しているというよりも求めていますので、勇気を持って声をかけてみて大丈夫です、よっぽどのことがない限り、邪険にはされません♪   さて、話を戻します。   では自分の人間関係じゃなかったら、何で泣いたのか??   それはズバリ、子供の人間関係・・・というか人間関係を拒否した息子くんに悩んだのです。   ハルがアメリカに渡米したのは、2歳になって間もなく。フルタイムで働いていたので、日本でも1年ほど保育園に通っていました。 保育園に最初は入れなかったので最初は月謝が高かったですが近くの私立保育園に、4月からは転園して公立の保育園に通っていました。   日本語はほとんど話しませんでしたが、(なぜか全てを1文字で表していました。アンパンマンなら「あ」など。歌も「そ・・・お・・・み・・・た・・・」とアンパンマンの歌を歌っていました)理解はほぼできるという状況でした。   そんな中、いきなりほとんど日本語のない世界に行きました。 本人の気持ちになってみれば、パニックです。ようやく覚えてきた言語がほぼなくなり、知らない言語、言語という認識すらなかったでしょうから、何か、が突然耳に飛び込んでくる。こわかったことでしょう。   結果、ようやく見つけた児童館のクラスからは毎回逃亡か、部屋の片隅に置いてあるおもちゃの家に閉じこもったきりでてこない。 おもちゃを取られたら泣き叫ぶ。 逃亡したのを無理やり戻してはまた泣き叫ぶ。   友だちを作ろうとして入った音楽のクラスも、プレ幼稚園のクラスも、もうハルも私も友達どころの騒ぎではなく、行くのもやっと、行っても大変すぎて終わったあとは二人ともぐったり。   そんな中で渡米後最初の2ヶ月が過ぎました。   その日はプレ幼稚園の日。プレ幼稚園といっても、児童館がやっている1時間の歌ったり踊ったり粘土したり・・・を親子でやるクラスです。 毎週これを意固地になって通っていたのですが、その日も逃亡・・・どころか教室に入ってくれませんでした。外の廊下にあった、机の下に隠れて出てきません。 その前の週は少し良くて、粘土遊びはしてくれたので、少し希望を持っていただけに、この日の私の落ち込みは半端なかったです。   こうやって振り返ってみると、本当にハルは嫌だったんだなーとわかるのですが、その時は自分の主人以外の大人と話したくて、早くハルの友だちを見つけたくて必死でした。   そして、泣きました。   あんなに来たかったアメリカなのに、、、やっと仕事も辞めて自由になったはずなのに、、、孤独でした。     ハルにはテレビでアンパンマンを見せて、キッチンで一人ご飯を作りながら泣きました。   どうしてこうなっちゃったんだろう、、、と。   駐在ママは、最初はこういう孤独があるかもしれません。 特に言語が話せないともっと感じるかもしれません。 よく他のママが、スーパーに行くのも怖いといっていました。   アメリカの店員さんはよく話しかけてきますが、それが嫌だと。 単なる会話で聞き返すのも変だし、でも何をいっているかわからないし、 スーパーに行くのが憂鬱でたまらないと。   では、今はどうか??   渡米して約3年。   今は母子ともにかなりハッピーです! ニューヨークは住むところをきちんと選べば、日本人もいるし、日本の幼稚園もあります。ですので、英語に徐々に慣れて行くことができます! 日本人がいない地域の方は、恐れずにまずは教会などのESLに行ってください。 同じくらい話せない海外からの人がいっぱいいます。   そして、子供がいる皆さん。恐れずに児童館に行ってください。図書館に行ってみてください!   私もハルも楽しくなったきっかけは、やはり友達ができたからです。 児童館でいつものように、ハルを追っかけ回していたある日。 「日本人ですか?」   と声をかけてくれたママがいました。   その人は日本人とドイツ人のハーフのママでした。 日本に住んでいた経験もあり、日本語に馴染みがあったので、悪戦苦闘している私に声をかけてくれたのです。   そこからそのママの導きで、友達が増えていきました。 ハルもそのママは日本語が通じるのでなつき、私が英語を話すのは2年間嫌がりましたが、他のママやお友達が英語なのは渋々受け入れていきました。   私があそこで諦めて、児童館に通うのをやめていたら、会えませんでした。   今思うとハルには辛い思いをさせてしまって、反省ばかりですが、それでも通うのをやめなかったことだけはその当時の自分を褒めてあげたいです!   ぜひ引っ越したら、「community center」や「library」をGoogleマップで探してみてください。そこにきっと素敵な出会いがあると思います! 自分の地域になくても、お隣のところにはあるかもしれません。 その隣も。自分に合うところに出かけてみてください。   最初の一歩は怖いです。でも、怖くて引きこもっていたら何も変わりません。 せっかくのアメリカでの生活、是非とも一歩を踏み出してみてください♪     ついでに、今の4歳のハルはどうかというと・・・英語アレルギーは無くなりました!まだまだペラペラには程遠いですが、家でも少しずつ英語を話すようになってきました。何が彼を変えたか、それはズバリ幼稚園だと思います。この幼稚園選び、かなり頑張ったので、この話はまた今度。   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように!     駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

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    駐妻の憂鬱 中編

    こんにちは。かさまりです。   前編はこちら   私は滅多なことでは泣きません。上司に残念がられた時も、心では泣きましたが、涙となって出ることはなかったです。 なんとなく、泣いたら負け感が自分の中であります。別に泣けば浄化されてスッキリするの、知ってるんですけどね。 子供たちがエンエーンと泣くのを見るとちょっぴり羨ましく思います。 でも泣けないものは泣けない、あえてなく必要もないと思っています。   そんな私ですが、アメリカに来て、2回ほど泣きました。それも来て最初の2ヶ月で。     理由その1 運転ができなくてどこも行けない!!!   これは、もう激しくこれから来る人にお伝えしたいです!特に電車があまりない地域に行く方!是非ともきちんと運転ができるように、ペーパードライバーの方は初心者講習を日本で受けてきてください!! 何を隠そう私も10年のペーパードライバーで、免許を取ってからほぼ1度も車を運転することなく日本を脱出しました。4回だけ初心者講習を気持ちばかり受けて。 アメリカは基本的に車社会。私が最初に住んだバージニア州レストンは電車がありますが、駅に行くまでにも車が必要です。 バスもありますが、日本のように親切ではなくて、「どこ行き」はいギリギリ書いてありますが、どこを通る、などはありません。調べ方はアプリか、配布されている工程表を確認するしかありません。 乗るのにもかなり勇気がいります。バスを使うのは、正直「車が持てない人たち」です。ですので、やはりとても治安がいい、という感じではありません・・・。しかもドライバーさんもアメリカ人ではないので、行き先を聞いても、何を言っているか聞き取るのも大変・・・。   しかも、だいたい定期的にバスを使う人たちなので、回数券のようなものが使用のメイン。現金で支払う場合は、ぴったり運賃を出さないといけなく、お釣りが出ません。このため何度も余計に支払いました。 こうなるとバスに乗るのも億劫、運転もできない、なので引きこもるしかなくなります。   でもどうしても引きこもりたくなかったので、私は主人にお願いして週末は運転の練習(鬼コーチで本当に怖かった・・・)、平日は支援センターまで朝送ってもらい、帰りはバスで帰る(何度も間違えました)を繰り返しました。 最寄りのスーパーも歩いて25分。しかも当時2歳の息子と一緒。なのでベビーカーに乗るだけのものを買って帰る、買い物だけで2時間かかる、という感じでした。   主人が朝急いでいると、どこにも行けない、そうすると2歳児の1日淡々と過ごすだけ・・・   もともと家事がそんなに得意でない私にとってはかなりの地獄でした。   これで爆発して1回目の泣き。   そのあと必死で免許を取得!足があるだけでずいぶん気持ちが軽くなりました。   ちなみに、バージニアの免許はアメリカ以外の免許があれば筆記テストと実技のみです。 筆記テストは日本語が選択できず英語で受ける必要がありますが、バージニア州公式のテキストと模擬試験のアプリがありますので、これで練習しまくってください! 私と主人が使ったテキストとアプリはこちら ↓ 公式テキスト(バージニア州) 模擬試験アプリ(iPhone用)   筆記試験(実際にはコンピュータ試験ですが)の最初の10問は標識に関する問題です。全問正解である必要があります。ここで1問でも間違えると試験は強制的に終了してしまいます。筆記試験の後半30問は8割で合格でした。引っ掛け的英語もあるので、アプリで何回か模擬試験を解いて表現などに慣れておくといいと思います。   実技試験で、日本と大きく違うのは自分の車を試験会場に持って行って試験を受けることです。大きな間違い(左折時に別の車線に入ってしまうとか)の一発アウトと、細かい間違い5ポイントで、もう一度になります。 最初は、駐車場でライトを点灯させる、ワイパーを動かす、ギアをバックに入れる(実際には”Reverse”と言われて最初よくわかりませんでしたが。。。)、ハザードをたくといった基本的な車の操作を試験官の指示の元に行い、その後、10-15分くらいの路上での試験になります。 私はなんとか4ポイントマイナス(ギリギリ)で一発合格!免許を持てて、運転に少し自信がつき、あとは一生懸命外に出て練習しました。   ちなみに、ニューヨークは仮免許制です。 筆記に合格すると、仮免許が発行されます。その後5時間の講習を受けた後、実技テストがあります。 日本の免許を持っていても、必ず現地の免許を持っている人と実技テストの会場まで行かないといけないので注意してくださいね。 でも、筆記は日本語で受けられるようです。   またニューヨークの実技試験ではバージニアにはない、縦列駐車やスリーバック切り返しのテストもあります。 私は未だに縦列駐車はかなり苦手なのでバージニアで取れてよかった! すでにバージニアで免許を持っていた私は、バージニア州からニューヨーク州への免許変更は紙手続きのみでした。 ニューヨークの免許会場(DMV)はとーーーっても混んでいるます。事前にオンラインで予約できるので、是非とも予約していくことをお勧めします。 (バージニアもとっても混んでいますが、この仕組み、ありません・・・)   とにかく、「車は足!」ということで、来られる方は絶対に絶対に運転の練習をして、速やかに嫌がらずに免許を取ること!です!   でないともっと面倒くさいバスの仕組みなどを覚えたり、引きこもらざるをえなくなったり・・・。   もしどうしても運転に自信のない方は、 スーパーに歩いていける (お子様がいる方は)公園がある 小児科が近くにある   これだけは住居を決めるときに絶対だんなさんに押さえてもらいましょう!   さて、また長くなりました。   後半はいよいよ泣いた理由その2、人間関係です。   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。     駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

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    駐妻の憂鬱 前編

    はじめまして、かさいまりこです。 2014年9月、今から2年半前、私の肩書きは「駐妻」になりました。 アメリカに来て2年半、引っ越し、出産、また引っ越し、そして起業。 書き出してみると結構いろいろとやっているようです。 一つ一つ何かが起きるたびにたくさんインターネットを検索して調べたり、 人に聞いてきたりしたのですが、ひょっとして自分のこの経験も、 誰かのお役に立てるかもしれない、そう思って、ブログに書いてみることにしました。     まずは、自己紹介がてら、私が駐妻になる前後のお話を最初に書かせていただこうと思います。   6月の半ばのある日、主人から電話で「アメリカ行きが決まった」と連絡が入りました。   仕事をしていた私は、正直、狂喜乱舞、心の中で小躍りしました!   「この辛い、フルタイムワークと家事育児の両立から逃れられる!!」   さらに遡ること2012年8月。第1子のはるとが生まれました。   それまでの私は60人規模のベンチャー企業でコンサルタントという名の営業、 部署のリーダーも任されて、仕事にやりがいを感じ、自分の存在価値を 仕事に見出していました。 年間トップセールスは当たり前。10億円規模の会社で、2億円ほどの 売上げを作っていました。   仕事が楽しいので、4時間睡眠は当たり前、土日にゴロゴロと寝溜めして、 家事もまとめて土日に。 平日は洗濯物が山になってようが、埃がいろんなところに溜まってようが、 主人も私も帰ってくるのは夜遅く、晩御飯も外食が普通だったので、 特に気にもとめませんでした。   それくらい、仕事大好き人間だったのです。 認められているのが楽しくて仕方なかったのです。   でも。     バリバリ働いていて、働いている自分が好きだった女性はもしかしたら みんな通る道かもしれません。   妊娠して、子どもが出来る。   1年間育休を取って復帰する。   待っているのはなんでしょうか?   まずは容赦ない「時間制限」。 今までは好きなだけ働いていられたのに、 それができない。特に営業だった私は、昼間は営業先を回り、 夕方~早朝にかけて提案資料を作る、動いている案件を回す、 これが当たり前でした。   でも、子供ができたら。 どんなに遅くとも、6時がデッドラインです。 4時まで営業先を回っていると、帰社が5時。 そうするとお迎えまでもう1時間もありません。 じゃあ家でやればいいって?   待っているのは、子供の世話、ご飯、お風呂、洗濯、寝かしつけ。 寝かしつけってしんどいんですよね。 何がって、自分も横になるわけです。 疲れているのに、寝ちゃいけない。 拷問です。   あれ?今まで資料を作っていたはずの時間がありません! そうです、資料を作る時間も、案件を回す時間もないのです。 夜泣きと授乳で疲れた体をひっぱたいて、朝起きてやる。 でも効率が上がらない。   そんなこんな、復帰してから2ヶ月。   もう一つの待っているもの。それは、 「周りから残念がられる、疎まれる」試練。     「かさいってもうちょっと出来るやつだと思ってたんだけどな」   取締役から言われた一言。       悲しくて涙が出ました。 3年経った今も言われた場面を鮮明に思い出します。   でも、何が一番悔しいって、自分が自分に一番悔しかったんです。 毎日毎日必死でやろうとしても、妊娠前のクオリティも量も足元にも及ばない。 自分の期待に応えられない自分が本当に泣けてきました。     何か変えたい、もうこんな自分やだ!! と思っていた時に、決まったのが、そう! アメリカ駐在! 「今は逃げていい時!環境変えるの万歳!」   カモンアメリカ!!   実は3歳から7歳までアメリカに住んでいたので、 英語には不自由しない。 不自由なのは車の運転くらいですが、それは練習すればなんとかなる。   喜び勇んで向かったのは、アメリカの首都、ワシントンDCのほど近く、 バージニア州でした。   でも、ここでまた試練到来です。 さて、世に言う、「駐妻ヒエラルキー」の問題でしょうか?   長くなってきたので、続きは中編で!   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。     駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 ~駐在はお金持ちは本当?~

      こんにちは、かさまりです。   海外駐在は、お金持ちなのか? 旅行記の次にこんな内容かよ!という感じですが、 よく言われている都市伝説、「駐在は金持ちで羨ましい」に切り込んでみたいと思います。   結論から言いますと、 「海外で暮らせるだけのお金はもらえている。」   とは思います。   そりゃそうです、もらえてなかったら生きていけませんから。 会社都合で海外に行けと言っておいて、のたれ死ぬような生活になってしまっては困ります。   企業によって、またどの役職で駐在することになったか、にもよりますが、以下のものはサポートされていることが多いように思います。   家賃補助(上限あり。上限を絶対に超えてはならぬというところと、上限を超えたら自分で払え、というところがある。) 教育費補助、幼稚園代などの学校に通うための費用(大体3歳から。こちらの幼稚園は12時まででも10万円以上したりするので、補助がないと通えない。) (地域によって)車購入補助 車がないと会社のオフィスに行けない、スーパーにすら行けない地域もかなりありますので、車がないと生きて行けません。 引越し補助 さすがに引越し代は出してもらえます。また、日本でだいたい会社指定の倉庫があり、そこに持っていかない荷物は運んでくれます。 ただし!一度入れてしまったら帰ってくるまで出せないことがほとんど。なるべく持ってくることをお勧めします。(引越し関連のお話はまた別の機会にさせて頂きますね。) 家具レンタル費用 これは出るところとでないところがあるようです。   上記の補助について、出し方はそれぞれ。一括でどどーんともらって、その中から好きなように使いなさい、という企業もあるようですが、大体は家賃補助にいくら、幼稚園の補助にいくら、という感じで項目ごとに金額が決まっていて補助が出ます。   また、多くの会社は給料を日本円とアメリカドルである一定の比率で入れてくれるシステム。 そうすることで、帰国時に日本円がないとか日本で保険などに入っている場合に支払う原資がない、とならないように配慮してくれます。 ちなみにうちはボーナスも日本円です。   そういうわけで、様々な補助をしてもらえるので、生活基盤はありますし、のたれ死んでしまったら困ることもあり、日本でのお給料よりは手厚くもらえる感覚はあります。     割と手厚い補助。でも、、、   こうやって書いてみると、比較的優遇されていることは確かです。   しかし、問題が3点。   1.(アメリカの場合)物価が高い! アメリカって、安いものがたくさんあっていいなーという思い込みありませんか? 確かにオモチャ、衣料品やブランド品などは安いものもある。 ところが、日用品、食品、特に外食。メチャ高いです。 「日本って物価高いんでしょ?」と現地の人によく言われますが、とんでもない!アメリカの方が高いです。 日本と同じ品質を求めた日には、、、という感じ。   例をあげてみましょう。 マクドナルド。味は日本よりまずい。いわゆる普通のチーズバーガー、ポテト、ナゲット、コーラ、ハッピーセットで15ドルします。 15ドルなので、円換算すると1700円。   アボカド。2つで4ドル。つまり430円。 玉ねぎ。2つで3ドル。350円。   日本の天候が悪い時並みの値段じゃありませんか?   日用品。ジェル洗剤80個で15ドル。1700円。   一方でバスタオルは厚手の使いやすい大きなタオルでも7ドル(805円)だったりします。   ですが、バスタオルより、食費の方がやはり痛いですよね。 よっぽど安いスーパーに行かない限り、週2回の買い物でも1回あたり60ドルに抑えるのはかなり、大変。つまり1週間で120ドルはほぼ必ず行ってしまいます。これにビールやおやつなども一緒に買ったら、1回あたり100ドルコースです・・・。   外食はマックだけでもそれくらい、ちょっと良いところ、と言ってもピザ屋さん、パスタ屋さん程度ですが、それでも行くと、ランチでも50ドルを下回らせるのは難しいです。これに加えてチップも15%は払うので、日本円にすると7000円!   うちは4歳ハルと1歳半リコがいるので、外食の満足度を上げるのは至難の技。だいたい最後はかきこむことになるので、勿体無いので最近はいきません。。。     2. ダブルインカム→シングルインカムの壁 私たち夫婦は日本では二人ともフルタイムで働いていました。ですので、収入も倍とまではいきませんが、もちろん今より多かったのです。   フルタイムの時と比べて、外食などが減ったものの、それでも書いたように、ベースの物価が高い。   そして何より私に節約の習慣がない・・・。   これは実はかなりの痛手です。     3. アメリカにいるのだから、そこでしかできないことをしたい 3年~5年という期限付きの駐在。日本から行くととても遠くて高いし、行く気もしないけど、せっかくアメリカにいるんだから行ってみたいところは沢山あります。 フロリダしかり、ナイアガラしかり。カナダ、ロサンゼルス、ラスベガス、、、候補を挙げ始めたらキリがありません。 せっかくいるのだから、全部とまでは行かなくても、いくつかは行っておきたい。そう思うと、やはり手に有り余るほどのお金は、アメリカでは残念ながら残らないのではないでしょうか・・。     アメリカに来て始まった習慣 実は、アメリカに来た当初は会社に都合で全て日本円で給与をもらっていました。給与には出張手当は含まれていたものの、ドル換算の差額が入るという仕組みはありませんでした。 私たちが渡米して来た2014年は、円安で126円時代。渡米直後は100円くらいだったので、どんどん円安が進むと自動的に給与が2割減している感覚だったのです。   自分たちで送金しなくてはいけないということもあり、一体どれくらいの現金が手元にあるのか、把握するのがとても大変でした。   加えて、アメリカではほぼクレジットカード払い。 本当に一体いくら使って、いくら残っているのか、怖くて、家計簿と予算というのが毎月の習慣として始まりました。   ところが、この予算、給与が2割減ということもあり、本当に節約生活をして来なかった私には苦痛でした。   月末1週間前になると、主人から毎月一言。 「お前、あと10ドルしかないんだけど。どうやって暮らして行くつもり??」   もちろん主人は私の適当計算を知っているので、予算は厳しめ、クレジットカードからきっちり使った金額を家計簿に計上し、金額把握のために現金は持たせてもらえませんでした。ですので、10ドルと言われても、実際にはもっとあるのですが、予算オーバーで毎月怒られてました。   そんな主人のおかげでうちは破産せずに、貯金も人並みにはあって生活できているのですが、正直、超窮屈でした・・・。   窮屈だし、毎日の生活のためではあるけれども、お金を使うことしかできない自分が、それまでは働いていて、自分のお金、という感覚があっただけに辛かったです。落ち込んでいるときはお金を垂れ流すことしかできないダメ嫁と思ってしまうほど。   そんな自分の存在意義も欲しくて、アメリカにいる間に何かしよう、と安直に考えたのが「第二子」でした。   今考えるとさらにお金がかかるし、経済的なことを考えると安直すぎるんですけどね!! アメリカで海外出産を決意した話やその後の様々な経験は、「海外出産」のカテゴリでお伝えしていこうと思います。     では、本日の英語。 "McDonalds' is much more expensive than Japan." 「マクドナルドは日本より高い!」 現地の人と日本とアメリカについて話さないといけない時に使えますので、タクシーに乗った際にドライバーの方などに伝えてみましょう。   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • シリーズ一覧:駐妻の憂鬱

    『駐妻の憂鬱』シリーズの一覧です。 駐妻の憂鬱 前編 駐妻の憂鬱 中編 駐妻の憂鬱 後編 駐妻の憂鬱 〜帰任か残留か?〜 駐妻にとって主人の帰任時期がいつになるのかはいつも悩みの種です。自分自身のキャリアの不安、日本で新たに生活を始める不安。。。 ママだって、妻だって、もっともっと自分でいたい!私がこちらで決断したことをご紹介します。 アメリカママのベビーシッター・家事代行事情 〜フルタイム在宅勤務編〜 アメリカでフルタイム在宅勤務で働くママのご家庭のベビーシッター・家事代行事情について、私がママ友から聞いた話を元にお伝えします。アメリカは日本以上に共働き家庭の家事外注化(代行)が進んでおり、働いていても自分の時間を確保するため、多くのかたが当然のようにこれらのサービスを利用しています。 駐妻の憂鬱 ~駐在はお金持ちは本当?~ (公開中) 駐在がお金持ちって本当でしょうか。それは海外で生活できるだけのお金は会社からもらっていますが、我が家の場合、ダブルインカムからシングルインカムになった変化のほうが大きく日々のやりくりにいろいろと苦慮しておりました。アメリカ生活が始まってからの経済面での生活の変化についてお伝えします。 駐妻の憂鬱 ~Time is Money. あなたの時間を何に使う?~(公開中) すべての人の時間は有限です。そんなあたりまえなことも時に人は忘れてしまいがちですが、駐妻という、いつかは日本へ帰国する身でいると、さらにそのことを強く意識します。何をするのか、何をしないのか。選択肢は自分の中に。私の中で取捨選択したことを今回はお伝えしたいと思います。 駐妻の憂鬱 ~ネットビジネスで自分の月収を超えた日~(公開中) 3月はノロ系胃腸炎が2回、車の故障が2回と毎週事件がある感じで気が休まることなしな1ヶ月でした。そんな中ついにネットビジネスの月利益が前職の月収を超えました!私のビジネスにかける想いを綴らせていただきます。 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(前編)~ 「子供だから、現地(英語圏)に行けば英語慣れるの早いでしょ。」これ。多くの方が考えていることだと思いますが、そうでもないんです。私の息子もずいぶん長い間英語アレルギーで悩まされています。家庭の中でこの問題とどう向き合ったのか?幼稚園選びの方針は?英語の補助教育は?今回はその前編です。 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(中編) 英語教育はどうする?~ 中編では英語教育についてどうしたかお伝えします。 駐妻の憂鬱 ~幼稚園児の英語アレルギーにどう向き合う?(後編) 日本語教育はどうする?~ 後編では日本語教育についてどうしたかお伝えします。 駐妻の憂鬱 ~夫がクビになった!?その時・・・~ 例えばある日。夫が会社をクビになったと言って帰って来たらあなたはどうしますか?アメリカでそんな場面に遭遇しました!?その家庭は、悲壮感満載なのでしょうか。いえいえちゃんと備えているのでそんなことはないのです。詳しくお伝えします。 1歳10ヶ月アメリカで断乳!そのとき娘の反応は?(前編)~駐妻の憂鬱 母乳をあげるのをやめるタイミングは本当に悩みますよね。上の息子とは今回違う方法で下の娘に臨みました。その方法とは!? 卒乳・断乳は、「それぞれのママと赤ちゃんの物語」だといまは考えています。 人生の目覚まし時計ってご存知ですか?~駐妻の憂鬱 人生の目覚まし時計が最近「ジリリリリ〜」と私の中で鳴ったんです。そのことについてお話しします。 1歳10ヶ月アメリカで断乳!断乳後のケアはどうするか?(後編)~駐妻の憂鬱 アメリカでの断乳後のケア、たいへんでした!相談する病院もなく自己流ですがその方法お伝えします。 専業主婦の私が起業?ピンとこない・・・というかなにそれっ!~駐妻の憂鬱 最近周りからよく言われる「起業」という言葉。どうもピンと来ません、というかたまにイラっとします。専業主婦の私でも夢や目標を自由に持ってそれを叶えたいんです! 1歳と4歳の子供を旦那に預け、サンフランシスコに一人旅してみた!~駐妻の憂鬱 私がどーしても会いたかった尊敬する方々に会うため、ダンナに子供2人預けて一人サンフランシスコへ! 3年ぶりの日本一時帰国を前にドキドキする~駐妻の憂鬱 3年ぶりの日本へ一時帰国。でも、なんか気乗りしません。。。 久々の東京(日本)での衝撃!ストレスが溢れている。。~駐妻の憂鬱 東京ってストレスが溢れていますね。。。アメリカから3年ぶりに帰国したときに感じたことを今回はお伝えします。 日本で、アメリカ駐在になって恋しいものを堪能してきた~駐妻の憂鬱 美味しい和食、特に卵かけご飯。そして温泉。久々の日本で堪能して来ました! 駐妻の憂鬱~自由人=変人でなくなってきた!?~ 大好きな友人が帰任決定!?また忘れてた、時間は有限という事実~駐妻の憂鬱 私の大好きな友人、日本人ママの帰任が決定しました。本当にショックです。でもこのことをきっかけに、「時間は有限」という事実を改めて思い出しました。 夫婦で目標を持つってダメなこと?駐在会社員の憂鬱?! 毎日会社に通う旦那さんどう思っているのだろう。。。今回はだんなさんの気持ちになってちょっとかんがえてみました。 Coming soon...       First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 〜帰任か?残留か?〜

      こんにちは、かさまりです。   今日は、駐妻の憂鬱、番外編?むしろ本編ですね。 こちらに来てから、半年に一回悩まされる、大きな問題です。でした。     残留か?帰任か? 半年に1回の不機嫌期間 駐妻、駐在ファミリーの宿命、それは「いつかは日本へ帰る」です。 5年10ヶ月いた先輩夫婦にもある日突然帰任命令が。主人の会社は辞令後1ヶ月で帰任しなくてはいけないという、結構鬼な会社なので、きちんとお別れを言う間も無く帰国されました。 Facebookで奥様にご挨拶したら、 「まりさん、これが駐妻の宿命です。あなたにもいつか来ますよ。それまでアメリカライフをエンジョイしてくださいね。」 と。ずっしり心に響きました。 特にこの奥様はとてもアクティブで、就労許可証さえ取れば働ける私たちのビザ(L2です)の強みを生かして、某航空会社のお姉さまをされて、現地の方からも、日本人からもとても慕われていた、こちらの生活を満喫されていた方でした。もちろん旦那様(主人の先輩)もとても仕事のできる方で、だからこそ異例の6年弱、アメリカに住まれていました。そんな、すっかりこちらで馴染まれているご夫婦でも突然の帰任辞令が容赦なく来る、と帰任が一気に現実味を帯びた出来事でした。 主人の会社では、任期は3年が相場。と言うか、そもそも主人のポジションは1年の長期出張のみのはずだったので、赴任になったことも、そしてまさか任期が3年を超えることも、全て想定外、儲けもんです。 逆に、この3年間、ずーっと人事異動の前後はドキドキしていました。 だいたい半年に1回なので、半年に1回、私も主人も超不機嫌期間が1ヶ月ほど・・・。私はなんだかんだとアメリカの生活がとても好きなので、とにかく帰りたくない。     現地の人から見た、帰任問題 現地の友人に話すと、揃って言われるのは "That's SOOOO crazy!!!!" 会社にそもそも住むところを決められる、しかも1ヶ月前までどうなるかわからないなんて信じがたい!!!と。 考えてみればそうなんですよね。 なぜ自分の住むところを、そんな急に変更させられなくてはいけないのか?しかも自分の要望関係なく。 自分で本来は住みたいところに住む、これが当たり前のことなのですが、日本では「辞令に伴って当然のごとく引っ越す、しかも言われた期日までに」これ、染み付いてますよね。 さらに話をしていたら、現地ママは単身赴任なんてありえない!と。夫婦円満で、幼い子供たちがいるのに、その成長を見られるのはわずかな期間なのに、わざわざ離れるという選択ができるのか!と。 "What is the most important thing in your life? Isn't it where YOU want to stay? Isn't it to spend with your family?" あなたがどこで、何がしたいか、そして家族みんなで過ごすのが一番大事なことではないのか? 確かに、聞いてみるとこちらの人たちは必ず主語が自分たちです。 「住んでみたかったからフロリダに行ってみたけど、暑くて帰って来た」 「子供の学区があっちの方がいいから夏休みに引っ越すの」 「え?仕事?家でやってもいいし、別に探せばいいじゃないまた。」 と、まぁこんな感じです。 もう、目からウロコで、自分からなぜか欠落していた考え方だな、と思いました。     日本人の仕事に対する思い込みの強さ、怖さ 日本人、とくくってしまっていいのかわかりませんが、少なくとも私は、アメリカに来ると決まった時に真っ先に心配したのは再就職でした。 家事が苦手な私は、主人と結婚する時に、働き続ける、と約束しました。 それは約束させられたのではなく、私の性格上、働くことこそが自己表現であり、幸せなので、働かない方が辛いからです。 ですが、ここでキャリアに穴が開く。 アメリカでしばらく主婦をやっていた、ただの駐妻の再就職。そんな私を雇ってくれるところなんてあるんだろうか? それが不安で仕方なくて、帰任したら正社員として戻るために元々いた会社のスタッフとして残りました。 元々いた会社がその辺りは柔軟で私はそれでもラッキーなケースだと思うのですが、でも、前の会社に戻りたいかと言われたら、正直わかりません。と言うか、戻りたくありませんでした。(詳しくは、『駐妻の憂鬱 前編』へ)   人事異動の時期、一番自分を不機嫌にする理由はここです。 もちろんこの楽しいアメリカ生活が終わるのが寂しいと言うのもありますが、日本帰国後の自分を想像して、ゾッとしておりました。 実際にはそんなに悪くはないのでしょうが、毎日また保育園まで走る生活。そしてきっと言われるであろう、「ではの神様」(アメリカでは、とばかり言う帰任駐妻の悪口です・・・) 自分はこの駐在生活の間に、一体何をしたのだろうか?何をしたと言えるのか?帰任後、この生活はなかったかのように日本で暮らすのか?? そればかり考えてしまうのです。 そんな時、上で紹介した、現地の友人の言葉。 「本当は主語は自分であるべき!!」 そうだ、駐妻であろうが、なんだろうが、ここは変わらないはず・・・嫌なら、もっとポジティブに、楽しく、いや、辛くても楽しくできることがあるんじゃなかろうか?そう言うことを考えなくてはいけない、と思ったんです。 そこで私が選んだ道。それが、 「自分で何かをやってみる」 でした。     自分でやってみる、はじめの一歩で得られたもの 元々かなりのミーハーで、買い物好き。そんな私を知っている友人が一言、メッセンジャーでくれたのがヒントになりました。 「バイヤーでもやってみれば?」 そう、ここはアメリカ。自分が日本に住んでいた時にめちゃ欲しかったものが手に入る国でした。 私と同じように、欲しいけど買えない人たちのために何かやる・・・楽しそう! 主人も、あんまりに一喜一憂している私を見かねて、やれ、と後押ししてくれました。まずは少しずつ。でも帰るまでに前に勤めていた頃と同じだけ稼げれば、あの、保育園に走る生活に戻らなくていい!!! そう言うわけで、2016年9月、私はbuymaとメルカリを始めました。 その詳しい話はおいおいしますが、結果、帰るのが怖くなくなりました。 いや、帰りたくはないです。まだまだ帰りたくない。 でも、「どうしよう・・・」と言う漠然とした不安はなくなったんです。 今にして思うと、どうしてあんなにも「会社に勤めるしかない」と思っていたのか、不思議です。結局、強い強い思い込みなんですよね。 駐妻に来ているということは、それなりにご主人に信頼があるということ。ということは、逆に妻はある意味自由なんです。会社に勤めても、勤めなくてもいい。 でも、そういう妻だからこそ選択肢はあんまりないと思っていませんか? ママだって、妻だって、もっともっと自分でいたい。 自分でいる、これは人それぞれ定義があると思います。 私の場合は、働いている実感、お金を作っている実感でした。 ずっと勤めていたので、主人のお給料で暮らすのは罪悪感がありました。そして、何よりも家事が苦手な私は家事で達成感が得られない。でもお金もとてもあるわけではないし、リコもいるので習い事ができるわけでもない。 勉強も正直好きじゃない。 そんな自分に何ができるのか・・・となると、やはり働いて、お金を作って、そのお金で楽しいことをするのが一番だったんです。 お金を作るのに、どうして外で勤めなくてはいけないのでしょう?それは誰が決めたルールですか?家でだって仕事ができる、そしてアメリカでだって、どこでだって仕事ができるんです。   それに気がついた今は、主人が別の国にこの先、異動になっても、喜んでついていくことができます。もう前の会社にすがる必要もありません。気持ちが本当に自由です。 この自信が、ずっと私に欠けていて、不安の原因でした。 「私のキャリアは・・・?」 「このまま、ただの駐在帰りのママになるの?」 と。   今は、帰国?嫌だけど、どんとこい!です。 好きなことで、どこででも暮らせることがわかりましたから。 詳しい話は長くなって来たのでまた今度!     本日の英語ワンフレーズ。 "What do YOU want to do?" 「あなたが本当にしたいことは何?」Youに力を入れるのがポイント笑   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。   駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • アメリカママのベビーシッター・家事代行事情 〜フルタイム在宅勤務編〜

    こんにちは。かさまりです。   先週はニューヨークではWinter Recessと言って、まぁ、冬休みでした。 これはアメリカでも地域によってあったりなかったりするようでして、ポートランドに住む友人はそんなものはないと言っていました。   下の娘リコがアメリカで産まれて2ヶ月、上の息子ハルが3歳の時に幼稚園に行き始めました。 幼稚園に通い始めるまでは平日の子供あり、旦那なし、超大変でした・・・。やりたいことがやれないって本当にストレス。昼ごはんをどうしよう、晩御飯は?と考えるのも家事苦手な私には拷問です。   そんな時に助けてくれるのはやはりママ友!ビバ、ママ友! 平日5日間中3日は一緒に遊びました。   そんなママ友たちとどこに行ったかなどの話はおいおいするとして、今日は一番仲良しのママ友の家に呼ばれて目から鱗だったよ体験を書きたいと思います。     ▼目次 平日住み込みのフルタイム ベビーシッター! はたして、そのお値段は・・・? 一緒に住むことに対する抵抗は? アメリカの女性の自由度を垣間見る おわりに   平日住み込みのフルタイム ベビーシッター! このママは、5歳の時に中国からアメリカへ家族で移住して来た中国人。パパはもともとアメリカ生まれの中国人。子供は4歳男子、3歳男子、1歳女子の3人います。 パパは普通に外で会社勤務、ママはなんと、フルタイムの在宅勤務で人事担当の仕事をしています。   そもそも人事担当がフルタイム在宅勤務って相当面白いというか、人事の仕事すら在宅でいいんだ!と新しい発見でした。 アメリカの会社は自宅から働く在宅勤務(ホームオフィス)の人もかなり多く、顧客との打ち合わせも電話会議が主流ということは、主人の会社の話を聞いて知っていたのですが。やはり在宅勤務が多い理由は、アメリカは国土が広いからですかね。日本(特に東京)も早くそうなれば地方がもっと活性化するのでは、とよく思います。そうすれば、満員電車に揺られた長時間通勤の時間もなくなりますしね。 が、ここからがさらにすごい!   おうちに招かれて遊びに行ったのですが、そこにはさらに両親以外の2人の大人が! 1人は平日の住み込みナニー(ベビーシッター)。主に1歳の娘ちゃんのお世話と、幼稚園から帰宅した男の子たちのお世話をして、ご飯、洗濯まで担当だそうです。年齢は60歳くらいの方で、英語は全く話せず中国語のみ。子供たちに中国語で話す機会をより作るためにあえてそういう方を選んだそうです。 でも面白いのが、この方は掃除はしない。簡単な片付けはするが、掃除機はやらない、という取り決めだそうで、掃除は別の方が月に2回来ているんです! ちょうど私が遊びに行った日はお掃除の日で、掃除の方がピカピカにトイレから床から全てしていました。   私はリコのお昼寝の関係で3時半くらいに遊びに行ったのですが、 「晩御飯食べて行きなよ、ナニーが作るから大丈夫。」   と言われて、かっこいい・・・!   家事全般が苦手、料理以外は嫌いな私にとっては羨ましい限りでした。     はたして、そのお値段は・・・? 1歳の娘ちゃんはナニーに任せ、男の子2人、そしてうちのキッズを連れて公園に行ったので、早速根掘り葉掘り聞きました。 まずは気になるお値段。人一人を平日のみとはいえ住み込みで雇うので、さぞかし高いのかと思ったら、1ヶ月に2000ドル、日本円で22万円くらいだそうです。 思ったよりは高くない?その理由を聞いたら、やはり住み込みというのが大きいようで、ご飯代その他は全てこちらで持つから、だそうです。 通常、フルタイム・ナニーの相場は3000ドルはするので、それと比べると安いとのこと。     一緒に住むことに対する抵抗は? 「一緒に住むのはどうなのよ?」と聞いてみましたが、長男が1歳半の時からずっとそうなので、おばあちゃんが一緒に住んでくれているような感覚で、特になんとも思わないそうです。 むしろ、本物のおばあちゃん(どちらかのお母さん)よりも金銭の授受がある分、気分が楽だと言っていました。 実は、私の現地のママ友でもう一人、住み込みで雇っている人がいます。その人は元々はフィリピン出身、香港からアメリカニューヨークに移り住んでいるのですが、なんとフィリピンから雇って、ニューヨークにまで連れてきています。 まさに、みんな自分のお金で時間を買っているんですね!     アメリカの女性の自由度を垣間見る バージニアという田舎と、ニューヨークという都会。その両方を期せずして体験していますが、どちらとも住んでみて思うのは、アメリカの女性の自由度。 日本では、「家事も育児も母親の仕事。それができないのは『できない』母。なんなら、これに加えて働く。」というのが当たり前ですよね。 なので、私は日本に住んでいるときフルタイムで働くことによって、できない家事を隠していました。 「家事ができないのは働いているから。」 と。 そうでなければ、劣等感しかないんですもん。 頑張っても、四角い部屋を丸くしか掃除できないんです。 洗濯物たたむのは遅いんです。 埃とか、気づいたら溜めちゃうんです。 逆に、アメリカに来て、専業主婦になってしまって、困りました。言い訳がなくなってしまいましたから。 ですので、来て2ヶ月で妊娠して心の中でガッツポーズしました。 なぜなら家事ができてなくてもいいわけがあるから!!! 主人は半ば諦めてますのでいいのですが、誰に言い訳しないとかって、友達と、何より自分自身です。   ところがアメリカに来てみて、よくよく聞いてみると、家事の外注化は別に専業主婦も当たり前のようにしていました。 バージニアでも、良いハウスクリーナーがいたら、値段と連絡先を共有するのは当たり前。2週間に1回くらいはやってもらうという人も結構いました。 そしてニューヨーク。共働きの家庭も多い分、ナニーもハウスキーパーも当たり前です。 使うかどうかは家庭の方針。共働きしながらも、「他の人の手を借りるほどは仕事しない」というママ。 「私家事苦手だから、人に頼んだ方が綺麗になるでしょ!」とあっけらかんというママ。 「ママだって一人で買い物したいときあるじゃない」と、ベビーシッターを不定期に頼んでいるママ。   あーこうやって人の手を借りてもいいんだ、苦手でもいいんだ、と救われました。   だって、苦手なものは苦手なんですもん。   でも、雇うにはもちろんお金が必要ですよね。 実は、私もいま自宅で働いており、ベビーシッターを探しているところです。 駐妻でありながら働くことについて、今後書いていこうと思います。     おわりに 今日の英語ワンフレーズ。 “How did you find your baby sitter?” 「ベビーシッターはどうやって見つけたの?」 何か方法を聞くときに使ってくださいね。 駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/   First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ▲目次にもどる ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 後編

    こんにちは。かさまりです。さて、プロローグ最終章です。   前編はこちら、中編はこちら。   前回は、車の運転ができなくて、出かけられなくて泣いた話を書きました。   泣いた事件、もうかさい家にとっては私が泣くのは事件です。 旦那は見なかったことにしてしまうくらい、普段は起こらない、大事件です。   そんな旦那も無視できなかった、ひとりキッチンで泣いた理由。   それは、ズバリ人間関係。   駐妻といえば、ピラミッド構造、とよく耳にしませんか? 日本人がほとんどいない中なので、とても密な関係になる。その中のヒエラルキー・・・。   先に言ってしまうと、ラッキーにも私はそういうことに巻き込まれたことは2回の引越しを経てもありません。 うちは日本の伝統的な会社の駐在で来ており、まず上司の奥様方とは、バージニアではよく会っていましたが、とても楽しくてよくバーベキューをしたり、みんなでハロウィンをしたり。うちがパーティ大好きなので、よく集まっていました。 ニューヨークは会社の繋がりよりも、地域のつながり。私の住んでいるウェストチェスター、ハリソン地域はたくさん日本人がいます。もう、ここは日本か!というくらい。公園に行っても日本語しか聞こえなくて最初はビビりました。   ニューヨークはさすが都会、いろいろなお仕事の方とその奥様、お子様がいらっしゃいます。省庁、銀行、保険会社、メーカー・・・本当に様々です。 でも、まだ1歳と4歳の子供しかいない私は、小学校の課外活動などないので、しがらみ?などのようなものは皆無。のびのびとやらせてもらっています。   こちらで関係性の肝は3点。 いつきたか? 英語ができるか? 子供が小学生以上か?   この3点がメインのように思います。 どれもコントロールが難しいものですが、日本人が多い地域に赴任で住まれる方は、まずは同じくらいの時期に来た人を探してみるといいと思います。   図書館、旦那の同僚、幼稚園、不動産屋さんの紹介・・・ちなみに私はニューヨークでの最初のお友だちはスーパーの前の信号でナンパしました! このような積極性も大事です。 基本的に日本人がいるとはいえ、みんな友達を欲しています。特に来たばかりの人たちは欲しているというよりも求めていますので、勇気を持って声をかけてみて大丈夫です、よっぽどのことがない限り、邪険にはされません♪   さて、話を戻します。   では自分の人間関係じゃなかったら、何で泣いたのか??   それはズバリ、子供の人間関係・・・というか人間関係を拒否した息子くんに悩んだのです。   ハルがアメリカに渡米したのは、2歳になって間もなく。フルタイムで働いていたので、日本でも1年ほど保育園に通っていました。 保育園に最初は入れなかったので最初は月謝が高かったですが近くの私立保育園に、4月からは転園して公立の保育園に通っていました。   日本語はほとんど話しませんでしたが、(なぜか全てを1文字で表していました。アンパンマンなら「あ」など。歌も「そ・・・お・・・み・・・た・・・」とアンパンマンの歌を歌っていました)理解はほぼできるという状況でした。   そんな中、いきなりほとんど日本語のない世界に行きました。 本人の気持ちになってみれば、パニックです。ようやく覚えてきた言語がほぼなくなり、知らない言語、言語という認識すらなかったでしょうから、何か、が突然耳に飛び込んでくる。こわかったことでしょう。   結果、ようやく見つけた児童館のクラスからは毎回逃亡か、部屋の片隅に置いてあるおもちゃの家に閉じこもったきりでてこない。 おもちゃを取られたら泣き叫ぶ。 逃亡したのを無理やり戻してはまた泣き叫ぶ。   友だちを作ろうとして入った音楽のクラスも、プレ幼稚園のクラスも、もうハルも私も友達どころの騒ぎではなく、行くのもやっと、行っても大変すぎて終わったあとは二人ともぐったり。   そんな中で渡米後最初の2ヶ月が過ぎました。   その日はプレ幼稚園の日。プレ幼稚園といっても、児童館がやっている1時間の歌ったり踊ったり粘土したり・・・を親子でやるクラスです。 毎週これを意固地になって通っていたのですが、その日も逃亡・・・どころか教室に入ってくれませんでした。外の廊下にあった、机の下に隠れて出てきません。 その前の週は少し良くて、粘土遊びはしてくれたので、少し希望を持っていただけに、この日の私の落ち込みは半端なかったです。   こうやって振り返ってみると、本当にハルは嫌だったんだなーとわかるのですが、その時は自分の主人以外の大人と話したくて、早くハルの友だちを見つけたくて必死でした。   そして、泣きました。   あんなに来たかったアメリカなのに、、、やっと仕事も辞めて自由になったはずなのに、、、孤独でした。     ハルにはテレビでアンパンマンを見せて、キッチンで一人ご飯を作りながら泣きました。   どうしてこうなっちゃったんだろう、、、と。   駐在ママは、最初はこういう孤独があるかもしれません。 特に言語が話せないともっと感じるかもしれません。 よく他のママが、スーパーに行くのも怖いといっていました。   アメリカの店員さんはよく話しかけてきますが、それが嫌だと。 単なる会話で聞き返すのも変だし、でも何をいっているかわからないし、 スーパーに行くのが憂鬱でたまらないと。   では、今はどうか??   渡米して約3年。   今は母子ともにかなりハッピーです! ニューヨークは住むところをきちんと選べば、日本人もいるし、日本の幼稚園もあります。ですので、英語に徐々に慣れて行くことができます! 日本人がいない地域の方は、恐れずにまずは教会などのESLに行ってください。 同じくらい話せない海外からの人がいっぱいいます。   そして、子供がいる皆さん。恐れずに児童館に行ってください。図書館に行ってみてください!   私もハルも楽しくなったきっかけは、やはり友達ができたからです。 児童館でいつものように、ハルを追っかけ回していたある日。 「日本人ですか?」   と声をかけてくれたママがいました。   その人は日本人とドイツ人のハーフのママでした。 日本に住んでいた経験もあり、日本語に馴染みがあったので、悪戦苦闘している私に声をかけてくれたのです。   そこからそのママの導きで、友達が増えていきました。 ハルもそのママは日本語が通じるのでなつき、私が英語を話すのは2年間嫌がりましたが、他のママやお友達が英語なのは渋々受け入れていきました。   私があそこで諦めて、児童館に通うのをやめていたら、会えませんでした。   今思うとハルには辛い思いをさせてしまって、反省ばかりですが、それでも通うのをやめなかったことだけはその当時の自分を褒めてあげたいです!   ぜひ引っ越したら、「community center」や「library」をGoogleマップで探してみてください。そこにきっと素敵な出会いがあると思います! 自分の地域になくても、お隣のところにはあるかもしれません。 その隣も。自分に合うところに出かけてみてください。   最初の一歩は怖いです。でも、怖くて引きこもっていたら何も変わりません。 せっかくのアメリカでの生活、是非とも一歩を踏み出してみてください♪     ついでに、今の4歳のハルはどうかというと・・・英語アレルギーは無くなりました!まだまだペラペラには程遠いですが、家でも少しずつ英語を話すようになってきました。何が彼を変えたか、それはズバリ幼稚園だと思います。この幼稚園選び、かなり頑張ったので、この話はまた今度。   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     今回もお読みいただきどうもありがとうございました。 First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように!     駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 中編

    こんにちは。かさまりです。   前編はこちら   私は滅多なことでは泣きません。上司に残念がられた時も、心では泣きましたが、涙となって出ることはなかったです。 なんとなく、泣いたら負け感が自分の中であります。別に泣けば浄化されてスッキリするの、知ってるんですけどね。 子供たちがエンエーンと泣くのを見るとちょっぴり羨ましく思います。 でも泣けないものは泣けない、あえてなく必要もないと思っています。   そんな私ですが、アメリカに来て、2回ほど泣きました。それも来て最初の2ヶ月で。     理由その1 運転ができなくてどこも行けない!!!   これは、もう激しくこれから来る人にお伝えしたいです!特に電車があまりない地域に行く方!是非ともきちんと運転ができるように、ペーパードライバーの方は初心者講習を日本で受けてきてください!! 何を隠そう私も10年のペーパードライバーで、免許を取ってからほぼ1度も車を運転することなく日本を脱出しました。4回だけ初心者講習を気持ちばかり受けて。 アメリカは基本的に車社会。私が最初に住んだバージニア州レストンは電車がありますが、駅に行くまでにも車が必要です。 バスもありますが、日本のように親切ではなくて、「どこ行き」はいギリギリ書いてありますが、どこを通る、などはありません。調べ方はアプリか、配布されている工程表を確認するしかありません。 乗るのにもかなり勇気がいります。バスを使うのは、正直「車が持てない人たち」です。ですので、やはりとても治安がいい、という感じではありません・・・。しかもドライバーさんもアメリカ人ではないので、行き先を聞いても、何を言っているか聞き取るのも大変・・・。   しかも、だいたい定期的にバスを使う人たちなので、回数券のようなものが使用のメイン。現金で支払う場合は、ぴったり運賃を出さないといけなく、お釣りが出ません。このため何度も余計に支払いました。 こうなるとバスに乗るのも億劫、運転もできない、なので引きこもるしかなくなります。   でもどうしても引きこもりたくなかったので、私は主人にお願いして週末は運転の練習(鬼コーチで本当に怖かった・・・)、平日は支援センターまで朝送ってもらい、帰りはバスで帰る(何度も間違えました)を繰り返しました。 最寄りのスーパーも歩いて25分。しかも当時2歳の息子と一緒。なのでベビーカーに乗るだけのものを買って帰る、買い物だけで2時間かかる、という感じでした。   主人が朝急いでいると、どこにも行けない、そうすると2歳児の1日淡々と過ごすだけ・・・   もともと家事がそんなに得意でない私にとってはかなりの地獄でした。   これで爆発して1回目の泣き。   そのあと必死で免許を取得!足があるだけでずいぶん気持ちが軽くなりました。   ちなみに、バージニアの免許はアメリカ以外の免許があれば筆記テストと実技のみです。 筆記テストは日本語が選択できず英語で受ける必要がありますが、バージニア州公式のテキストと模擬試験のアプリがありますので、これで練習しまくってください! 私と主人が使ったテキストとアプリはこちら ↓ 公式テキスト(バージニア州) 模擬試験アプリ(iPhone用)   筆記試験(実際にはコンピュータ試験ですが)の最初の10問は標識に関する問題です。全問正解である必要があります。ここで1問でも間違えると試験は強制的に終了してしまいます。筆記試験の後半30問は8割で合格でした。引っ掛け的英語もあるので、アプリで何回か模擬試験を解いて表現などに慣れておくといいと思います。   実技試験で、日本と大きく違うのは自分の車を試験会場に持って行って試験を受けることです。大きな間違い(左折時に別の車線に入ってしまうとか)の一発アウトと、細かい間違い5ポイントで、もう一度になります。 最初は、駐車場でライトを点灯させる、ワイパーを動かす、ギアをバックに入れる(実際には”Reverse”と言われて最初よくわかりませんでしたが。。。)、ハザードをたくといった基本的な車の操作を試験官の指示の元に行い、その後、10-15分くらいの路上での試験になります。 私はなんとか4ポイントマイナス(ギリギリ)で一発合格!免許を持てて、運転に少し自信がつき、あとは一生懸命外に出て練習しました。   ちなみに、ニューヨークは仮免許制です。 筆記に合格すると、仮免許が発行されます。その後5時間の講習を受けた後、実技テストがあります。 日本の免許を持っていても、必ず現地の免許を持っている人と実技テストの会場まで行かないといけないので注意してくださいね。 でも、筆記は日本語で受けられるようです。   またニューヨークの実技試験ではバージニアにはない、縦列駐車やスリーバック切り返しのテストもあります。 私は未だに縦列駐車はかなり苦手なのでバージニアで取れてよかった! すでにバージニアで免許を持っていた私は、バージニア州からニューヨーク州への免許変更は紙手続きのみでした。 ニューヨークの免許会場(DMV)はとーーーっても混んでいるます。事前にオンラインで予約できるので、是非とも予約していくことをお勧めします。 (バージニアもとっても混んでいますが、この仕組み、ありません・・・)   とにかく、「車は足!」ということで、来られる方は絶対に絶対に運転の練習をして、速やかに嫌がらずに免許を取ること!です!   でないともっと面倒くさいバスの仕組みなどを覚えたり、引きこもらざるをえなくなったり・・・。   もしどうしても運転に自信のない方は、 スーパーに歩いていける (お子様がいる方は)公園がある 小児科が近くにある   これだけは住居を決めるときに絶対だんなさんに押さえてもらいましょう!   さて、また長くなりました。   後半はいよいよ泣いた理由その2、人間関係です。   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。     駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る

  • 駐妻の憂鬱 前編

    はじめまして、かさいまりこです。 2014年9月、今から2年半前、私の肩書きは「駐妻」になりました。 アメリカに来て2年半、引っ越し、出産、また引っ越し、そして起業。 書き出してみると結構いろいろとやっているようです。 一つ一つ何かが起きるたびにたくさんインターネットを検索して調べたり、 人に聞いてきたりしたのですが、ひょっとして自分のこの経験も、 誰かのお役に立てるかもしれない、そう思って、ブログに書いてみることにしました。     まずは、自己紹介がてら、私が駐妻になる前後のお話を最初に書かせていただこうと思います。   6月の半ばのある日、主人から電話で「アメリカ行きが決まった」と連絡が入りました。   仕事をしていた私は、正直、狂喜乱舞、心の中で小躍りしました!   「この辛い、フルタイムワークと家事育児の両立から逃れられる!!」   さらに遡ること2012年8月。第1子のはるとが生まれました。   それまでの私は60人規模のベンチャー企業でコンサルタントという名の営業、 部署のリーダーも任されて、仕事にやりがいを感じ、自分の存在価値を 仕事に見出していました。 年間トップセールスは当たり前。10億円規模の会社で、2億円ほどの 売上げを作っていました。   仕事が楽しいので、4時間睡眠は当たり前、土日にゴロゴロと寝溜めして、 家事もまとめて土日に。 平日は洗濯物が山になってようが、埃がいろんなところに溜まってようが、 主人も私も帰ってくるのは夜遅く、晩御飯も外食が普通だったので、 特に気にもとめませんでした。   それくらい、仕事大好き人間だったのです。 認められているのが楽しくて仕方なかったのです。   でも。     バリバリ働いていて、働いている自分が好きだった女性はもしかしたら みんな通る道かもしれません。   妊娠して、子どもが出来る。   1年間育休を取って復帰する。   待っているのはなんでしょうか?   まずは容赦ない「時間制限」。 今までは好きなだけ働いていられたのに、 それができない。特に営業だった私は、昼間は営業先を回り、 夕方~早朝にかけて提案資料を作る、動いている案件を回す、 これが当たり前でした。   でも、子供ができたら。 どんなに遅くとも、6時がデッドラインです。 4時まで営業先を回っていると、帰社が5時。 そうするとお迎えまでもう1時間もありません。 じゃあ家でやればいいって?   待っているのは、子供の世話、ご飯、お風呂、洗濯、寝かしつけ。 寝かしつけってしんどいんですよね。 何がって、自分も横になるわけです。 疲れているのに、寝ちゃいけない。 拷問です。   あれ?今まで資料を作っていたはずの時間がありません! そうです、資料を作る時間も、案件を回す時間もないのです。 夜泣きと授乳で疲れた体をひっぱたいて、朝起きてやる。 でも効率が上がらない。   そんなこんな、復帰してから2ヶ月。   もう一つの待っているもの。それは、 「周りから残念がられる、疎まれる」試練。     「かさいってもうちょっと出来るやつだと思ってたんだけどな」   取締役から言われた一言。       悲しくて涙が出ました。 3年経った今も言われた場面を鮮明に思い出します。   でも、何が一番悔しいって、自分が自分に一番悔しかったんです。 毎日毎日必死でやろうとしても、妊娠前のクオリティも量も足元にも及ばない。 自分の期待に応えられない自分が本当に泣けてきました。     何か変えたい、もうこんな自分やだ!! と思っていた時に、決まったのが、そう! アメリカ駐在! 「今は逃げていい時!環境変えるの万歳!」   カモンアメリカ!!   実は3歳から7歳までアメリカに住んでいたので、 英語には不自由しない。 不自由なのは車の運転くらいですが、それは練習すればなんとかなる。   喜び勇んで向かったのは、アメリカの首都、ワシントンDCのほど近く、 バージニア州でした。   でも、ここでまた試練到来です。 さて、世に言う、「駐妻ヒエラルキー」の問題でしょうか?   長くなってきたので、続きは中編で!   駐妻の憂鬱シリーズ一覧はこちらから。 https://firstjump.jp/chutsuma/article-list-depression-of-chutsuma/     First Jump、少しでも新たな1歩の役に立ちますように! 今回もお読みいただきどうもありがとうございました。     駐在妻ランキング 押して頂きどうもありがとうございます! ページトップへ戻る